- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062820592
感想・レビュー・書評
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なにかいろいろ、イメージ出来る様にするための方法があります。
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よかった
自分は他人により作り上げられている
だからお前は奴隷だーーーー
って始まるこの本。
実践すればすげーと思いますが、ふわふわーと頭から消えてしまいました
やっぱ自分変えるのは難しいねw -
10月16日購入。
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▼ 100文字感想 ▼
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人が社会で生きて行く以上、「奴隷の人生」であるのは
しかたがない。が、一歩踏み出す方法があるとすれば、
自分の脳のOSをインストールし直すこと。私たちは、誰
か他人の奴隷なのではなく、自らの脳の奴隷なのだ。
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▼ 5つの共感ポイント ▼
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■自分の意志で自由に選んだ人生、行動。何があろうと
喜びなのです
■「自我」は他者との関係がつくりあげる他人の目、社会
の価値観というフィルターを通した自分
■未来の縁起ひとつひとつをいかに強いリアリティで臨
場感得られるかで、自分を変えられる
■自分が経験したことでしか、今の自分の行動に反映
させることはできない
■「エントロピーの増大」物質状態や情報状態がどんどん
均一的なランダム状態に向けて崩れていくこと -
何年かかってもヨガは最高に気持ちいいからマスターすべきっなんだなと思った
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二億五千万年で銀河系を一周する我々の太陽系。でも、Richard Muller and Robert Rohdeの大量殲滅説では、この地球上で、ほぼ62−6500万年ごとに動植物の大量消滅が起きている。最後の大量消滅は、ちょうど6500万年前であったから、我々はまさに大消滅のサイクルの時期に生きていることになる。(というか、人類が誕生したのは、そもそも、その6500万年前である!)とするならば、銀河系を一周するうち、四度の高エネルギー領域を通り、その結果として太陽系の活動が活発になり、そして地球に隕石や小惑星がぶつかるのであろうかと推測してみる。人類が滅び去った後に誕生するのは、はたして新人類なのか、それとも、我々人類はさらに進化を続けるのであろうか? 一億三千万年(6500万年*2)前に誕生したうなぎの祖先は、6500万年前を生き延びたのであるから、うなぎにできて、人類にできないということはないと思う。(笑)。
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苫米地氏の一連の洗脳関連書の中の最高峰だと思います。仏教思想がからむところとか私的にはすごくうなずける部分があります。もう少しで、物理学、数学の世界と思念・哲学・宗教の世界、それと自分(自由意思)というのがきちんと関係づけられるような…気がします。私もいろいろと思索しつつ次の著作を待ちたいと思います。
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レビュー:
購入日:不明
読書期間:不明〜不明
所在:自宅 -
脳機能学者、計算言語学者、分析哲学者、脱洗脳のプロとしてオウム真理教事件の信者の脱洗脳や、国松長官狙撃事件の実行犯の詳細な記憶の回復などを手がけた、苫米地英人の新刊読了。
1、メタ思考により抽象度を上げるトレーニング
2、呼吸法
3、モーダルチャンネルを利用して身体的に記憶にアクセスする瞑想法
これって魔法修行そのままじゃね???w
最終的にはあらゆるシステムを相対化してその系の外に出ること。それにより真の自由意志を獲得することと説く。
クロウリーみたいですね。
世界は物理的宇宙と情報空間宇宙に大別できるが、物理的宇宙も情報空間宇宙のエントロピーが増大しただけの存在であり、この世界自体が情報空間宇宙そのものであると説明、となれば世界自体が個人の唯識によってしか存在し得ないこと、そして情報空間であれば書き換え可能であることを説明する。個人の認識レベルを抽象度を高く上げ、メタレベルが高くなればなるほど、書き換え可能性も上がってくるという考え。この先に仏教的な悟り=「空」の境地=あらゆる実現可能性世界があると説明、これが我々を取り巻く現在の物理→情報空間世界の一応の限界=神のレベルの認知ということ。
さらに重要な問題1
時間論。
時間は過去・現在・未来と流れるのではなく
未来→現在→過去、と流れるという考え方。過去は現在の結果でしかなく、エントロピーの増大した状態にしかすぎず、常に現在を書き換えることでしか過去も生まれ得ない。現在が肯定されれば過去も全て肯定され、現在が否定されれば過去も否定される、すなわち時間さえ現在の観測者の主観的な認識に依存しているにしすぎない。現在に働きかけることで現実の未来さえも書き換え可能になる。またそこに心理療法の新しいパラダイムの可能性がある。
この辺りと縁起の話、シンクロにシティー系の話はどこか曖昧な印象をもったがどうか。また物体が抽象度の高い状態から物質的なエントロピー増大の状態に流れるという考え方はカバラのケテルからマクルトへの流出という概念と全く同一といえるのではないか。
重要な問題2
神は全知全能か
神が作り上げた世界が我々を取り巻く世界だとすると、これは一つの系、システム/内部表現の世界だと言える。ゲーデルの不確定性原理「自然数論程度に大きな演演繹系においては、内部論理矛盾性を成り立たせることはできない。系の中に必ず、正しくない命題、もしくは証明不可能な命題が内包されてしまう」によって内部矛盾性のない完全な系というものは存在しないと証明されてしまった。この世界の神は完全/全知全能ではいという証明なのではないか。
そしてその上で系の中の部分存在であるゲーデルが系全体を内包する原理にたどりつけたのは何故か。それが理性を超えた直感の世界でありメタ思考の世界であると説明する。内部の中の極限の内部、ミクロコスモスにマクロコスモスを超克できる可能性を感じることでもある。
神が矛盾を含んだ不完全な存在であると言う考え方は、神秘主義、グノーシス派に特徴的な考えかたなのではないか。
またゲーデルの直感自体が証明不可能な命題に属することだと大雑把に邪推してしまうが、その辺りも少し弱いように感じたがどうか。
チラ裏的感想文で申し訳ないが、全般的には全く問題ないように思える。ディベートとしては完璧。かつ魅惑的。何がいいたかったといえば、彼自身は自らを仏教徒と称するがそれは「空」と「縁起」の認識を重要なツールとしているからで、むしろこの極端なまでの天動説的発想と唯識的世界観、カバラ的世界観は、ドクター苫米地ワークスが現代の魔術復興運動に他ならない。と勝手に認定。
壮大な彼の洗脳に軽い目眩を覚えつつ、自分の智慧のネタ元を全く明かさない狡智さに乾杯。