若者のための政治マニュアル (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 64
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879699

感想・レビュー・書評

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  • あんまり面白くなかった。
    意見に理解できる部分はある。

  • 政治・経済へのコンプレックスを解消しようと手に取った一冊です。
    せめて自分が生きていくのに必要なことだけでも知っておきたい!と思ったら、割と面白く読めました。理論武装できます(笑)

  • 「若者のための」とあるので読みやすいかと思って手に取った新書。高校時代に教わった「権利の上に眠る者は民法の保護に値しない」という丸山眞男の紹介がなつかしかった。

    それにしても新自由主義の席巻ぶりはどうだろう。
    学力低下の根拠の薄さに言及した部分や少年犯罪の報道姿勢に疑問を投げかけた部分にはとくに共感した。

  • 『ブレア時代のイギリス』が面白かったので他の本も借りてみました。
    題名そのままに政治入門書ですね。
    理想的な政治家について、若者の政治離れについてなどなど。
    ほんとに優しい言葉で書かれていて面白いしもちろん読みやすいです。
    ステレオタイプの政治家の恐さについての部分はやっぱり読んでいて恐かったですし。

    『戦争は平和である 自由は隷属である 無知は力である』

    でもこれってナチスドイツでは当然のものだったし、
    現実に起こり得たってのがとっても嫌で恐ろしいですね。
    これも面白かったので山口二郎さんをいろいろ読んでみます。

  • 東京行くときの暇つぶしとして購入、読了。


    政治とはどういうものか、政治家と官僚の関係、政治とどのように付き合っていけば良いかなど、簡単に分かり易く書かれているので、政治が苦手な方でも面白い内容。
    あっ政治嫌いを意図的に増やす文科省といった興味惹かれるトピックもあったわ。


    こう締めくくればこの本の姿が見えてくる。

    当たり前を疑い、積極的に自分の意見を伝えることで、政治の変化が始まる。
    権利の上に眠っていては、強者にやりたい放題される。

  • 図書館に在庫あり。

  • 開始:20090801、完了:20090801

    政治の理念的な話が中心の本。現状の政治の話題とのリンクは少ない。生命尊重、弱者救済がその主張。以下、気になった言葉。政治の最も大事な目標は、生命を尊重すること。人間の生命は無条件に大切だという前提がなければ、政治にかかわる議論は始まらない。衣食足りて、家族や仲間と楽しく生きることを最も大事だと考える普通の人の生き方を否定することは、政治において最もしてはいけないことである。何が崇高な価値と考えるかは、人によって文化によって国によって様々である。フリーターの赤木にとってはむしろ戦争こそが希望である。戦争は閉塞した社会の秩序を壊し、ともかく世の中を流動的にする。今のフリーターにとっては戦争くらいしか希望はないと言う。人間の尊厳が軽んじられるような社会はたとえ戦争状態じゃなくても平和ではない。尊厳を無視された人間が増えれば確率の問題としてこれからも犯罪は増えるだろう。食べて寝るだけの生活をしている若者にとって、今の時代が平和だと言っても空しいだけだろう。日本の自殺率は人口10万人あたり24人でOECD加盟国の中で第二位である。韓国も23.8人と日本なみの水準。1960年代、今よりも大きな貧困や不平等が存在していたが、人間にとって人生のモデルが見えやすかった。学校で勉強し、卒業すれば就職し、二十代後半で家庭を持ちという具合にライフステージのどの段階では何をするかということがおよそ見えていた。人間が社会の一員として居場所を確保し、他者からも認められるという状態を最近の政治学では社会的包摂と呼ぶ。たいていの人間が包摂されている社会は平和である。右翼団体に入れば学歴や経済的境遇に関係なく「日本人」という意味を与えてもらえ、団体の中に居場所を見つけられる。19世紀、イギリスの思想家、J.ベンサムは「最大多数の最大幸福」と呼んだ。個人の利益と公共の利益のつながり方が分かりにくい問題が世の中にはたくさんある。その中から公共の利益を発見するのが民主主義である。あらゆる指摘なり駅から切り離された公共の利益など、この世には存在しないのだから。また指摘なり駅の自己主張を持ち込むなといえば、自分の主張まで排除される恐れが大きい。大事なのは議会や審議会でなるべくたくさんの人の利益が主張されることを確保するという点である。議会に複数の政党が必要なのはそのためである。権利の主張と理不尽なクレームを見分けることはそれほど難しくはない。自分がしている要求を他の人がすることを許せるかどうかが重要な基準となる。18世紀のフランスの思想家ヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だがあなたがそれを言う自由は死んでも守る」という言葉を残している。アメリカでは病気というきわめて一般的なリスクに対しても自己責任での対応を迫られる。小さな政府を実現したい宮内のような人物にとってはろくに稼ぎもしないくせに、教育だ、福祉だ、と公共サービスを求め、税金を費消する人間は邪魔者にしか見えないのであろう。まさに好き好んでろくに産業もない田舎に住んでいるのだから、そのことによる不利益は自己責任で甘受せよというのが宮内の主張。そもそも世の中には消防、警察、保健所など儲けにならないことを前提とした仕事がある。判断力とは希望的観測を持たないことである。自分にとって「不都合な真実」であってもこれを直視し、今採るべき最善の道を選ぶことが判断力となる。地域を回り人々の具体的な注文や要求を聞く手法はどぶ板と呼ばれてしばしばバカにされてきた。どぶ板ばかりしていると、政治家はものを考える暇はない。政策を勉強する暇はないと思われていたからである。改革に関する高尚な議論が好きな政治家ほどどぶ板を軽蔑する。鈴木宗男や亀井静香のほうが他者に対する共感能力という点では小泉やその手下よりもはるかに立派な政治家である。ヒトラーが独裁支配を行ったドイツにはユダヤ人というステレオタイプがあった。ユダヤ人は狡猾で吝嗇でドイツ人から搾取しているというゆがんだイメージがあった。ヒトラーはユダヤ人を攻撃することによってドイツ人のナショナリズムをくすぐりインフレによる経済的困窮にあえいでいた国民から支持を獲得した。公明党が影響力を持つということは若者の利益を考える政治家が少ないということとコインの裏表の関係にある。若者は半分も投票所にいかない。自分の当選を最優先する政治家は当てにならない若者よりも必ず投票にいく創価学会会員に向けた政策を訴えることになる。実際に宮内が行ったことは自ら総合規制改革会議の議長となり、規制緩和を進めることによって自分の会社のビジネスチャンスを広げることであった。たとえば、宮内路線によってタクシーの規制緩和が進み、タクシーは大幅に増車された。その結果、必然的に運転手の賃金は大きく低下した。他方、増車によってタクシーの車両をリースするオリックスにとってはビジネスチャンスが広がった。タクシーの水揚げが増えようが減ろうが、台数が増えれば彼の会社は儲かるのである。この一例を見れば、政治と無関係な経済活動などありえないということは明白である。日本にとっては対米追従以外に道はないという言い方である。これらの議論は、およそ別の選択肢の可能性の考察を最初から放棄したものであった。制度にガタがきているときに「制度は100%健全である」と誇大な物言いをし、制度がいかれてくると「全部リセットします」とまた誇大な物言いをする。どうして「そこそこ機能しているけれど、そこそこ機能していません」という正直な深刻をしないのか。何が壊れているのか、何がまだ使えるのかを点検しないでいったいどういう変革と再生のグランドデザインを描くのか。ちゃちな改革論の特徴は3つある。一つは現状に対する正確な分析、診断をすっ飛ばし、思い込みで原因を想定することである。もう一つは、これさえあればよくなるという特効薬を使いたがることである。3つ目は改革にともなうコスト、費用がまったく計算に入っていないという点である。少年による凶悪犯罪が増えたのは、学校で道徳教育をきちんとやっていないからだ。よし、日本の伝統である武道を必修にし、愛国心を教えよう。日本の子どもの学力が低下しているようだから子どもの尻をたたいて勉強させよう。そのためには小中学校の学区をなくして自由選択にし、学校間の競争を導入するのがよい、ついてでに教員免許の更新制度を導入し、教師の査定を厳しくして教師の尻をたたこう。国際化に対応するためには小学校で英語の授業も始めたほうがよい。教育改革とはこの程度の議論である。社会をよくするには「一気」と「ぼちぼち」の二つしか方法がない。私はあらゆる「一気に社会をよくする」プランの倫理性についても、そのようなプランを軽々に口にする人の知的能力に対しても懐疑的である。「当たり前」は時代、国によってまったく異なる。貧乏人が病気になると治療を受けられないとはなんとひどい国だろうと日本人なら思えるだろう。しかし、アメリカでは当の貧乏人も含めてそれを当たり前だと思ってきた。もちろん、ビル・クリントン元大統領のようにそのようなゆがんだ当たり前を打破し、日本やヨーロッパのような医療制度を作ろうと考えた人もいた。しかし、既存の当たり前の構造から大きな利益を得ている人たちもいる。日本でも最近盛んに宣伝するようになったカタカナ名の保険会社など、その典型である。それらの人や企業は既存の当たり前を崩そうとする動きに対して猛然と対抗する。当たり前をめぐる戦いこそ、政治である。老人の面倒を家族が見ることこそ、日本の伝統的微風というわけである。これこそ、捏造された伝統の典型例である。年寄りの面倒を家族が見ることと伝統は何の関係もない。戦前までの日本では人間は早く死んでいたわけで80、90の高齢者の世話をするということは極めてまれであった。また、医学が発達していなかったので、脳血管系の疾患が発症すれば、要介護状態になるより先に死んでいた。これだけたくさんの脳や身体に障害を抱えた高齢者が生きており、介護を必要としているという状況は、きわめて新しいものなのである。だから、家族の美風などでこの状況を解決できるはずはない。

  • 読み助2009年10月11日(日)を参照のこと。
    http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2009/10/

  • 若者のための政治マニュアル 総選挙前に勉強

  • 民主主義を使いこなすための10のルールをわかりやすく解説。
    社会の惨状に悩むあらゆる人々に贈る、歴史の転換点を乗り切るための必読書
    ですが、著者とは根本的な考えが違っていて、僕にはこの本は合いませんでした。
    こういう考え方を知れたという意味では勉強にはなりました。

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著者プロフィール

法政大学法学部教授・行動する政治学者
1958年生まれ。東京大学法学部卒、北海道大学法学部教授、同大学院公共政策学連携研究部教授などを経て、2014年より現職。最初の著作『大蔵官僚支配の終焉』(岩波書店)により、自民党と財務省による政治・行政支配の構造・実態を暴き、1990年代から2000年代に続く政治改革の深い底流のひとつを形作る。2009年の民主党政権成立をめぐっては、小沢一郎、菅直人、仙谷由人各氏らとの交友を通じて政権交代に影響を与える。立憲主義の立場から安倍首相を痛烈に批判、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の結成にかかわる。

「2018年 『圧倒的!リベラリズム宣言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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