若者のための政治マニュアル (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879699

感想・レビュー・書評

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  • 言っていることは当然だが忘れがちなこと。
    小さな声だとしても集団で動こうとか、権利を主張しないと存在すら認知してもらえないとか、ブームに流されず冷静に現状分析して策を練ろう、など。
    単著の新書なので、筆者の考えが全面に出ており好ましく感じる。が、各章のタイトルと内容が噛み合ってないことが多いため、途中からだれる。
    身勝手な要求をサービスを提供する側に叩きつけるのは「権利」でなく「特権」だと説明しているのはなるほど納得。
    しかし、郵政民営化に失敗した小泉政権を非難し、人情に厚い鈴木宗男や亀井静香は立派な政治家と言っているなど、理由付けが薄いと感じる部分も多々あった。
    政策がしっかりしていたら秋葉原の通り魔事件や大阪の個室ビデオ放火事件も起こらなくて済んだかもしれないと書いてあるが、その理由は?希望を選び続けた結果が、総理大臣が1年ごとに変わることになってしまった現状ではないのだろうか。
    書ききれなかったことが多かったのだろうが、結局は良い点をゴリ押しして失敗した政策はこき下ろすことで自身の主張の妥当性を証明する、という感じを受け取ってしまった。いいことが書いてあるのだが、人にはなかなか勧めづらい。

  • 権利も主張続けないと権利をなくなる。法律は、国民の無関心にならないようになっている。しかし、安保闘争で国民に政治にあまり関心を持たないように教育がされている。
    企業は公共の利益に叶うこととして主張をしているが、国民はその不利益を受けている場合がある。

  • タイトルに若者のためのマニュアルとある通り、政治のことをあまり知らない人や、これから学ぼうと思っている人にオススメできる本。前半は結構噛み砕いて政治の基礎的なことを書いてあり、読みやすい。自分達の身近なことを例にしているところもある。
    後半はやや読みづらく、またこの本全体に言えることではあるが、特に著者の思想が全面に出ている感はあるので、嫌いな人は嫌がるかもしれない。それでも、ルール9の今を受け容れつつ否定するという章は、いいこと書いてある。現代の理想主義という、救世主を待っている状態は、悪しき状態であろう。
    個人的には当たり前を疑えという所が最も共感した。

  • 「マニュアル」という割りには筆者の主張が非常に前景化されている。個人的にはそれ自体は特段悪いことだとは思わないが、読点の打ち方があまり良くないように感じ読みにくかったのと、人に薦めるかどうかと言われると迷ったので☆3にした。
    末尾に各政党やマスコミの連絡先一覧が載っているのは、本書に即していて面白いなと思った。

  • 2005年8月にハリケーンカトリーナがアメリカ南部を襲った時、小さな政府を追及するブッシュ政権は不動産をさらけ出した。地震や台風等の巨大な災害のリスクが顕在化した時、人間の能力の差等ほとんど無意味になるのである。そして、等しく人間の命を守るべきという点最も重要な平等、公平の理念が必要とされる。またそのような事態に立ち入ったレバー、新自由主義者も含めて、人間は全て平等という理念を受け入れる。ならば、日常の生活においてなぜ平等をもっと受け入れようとしないというのが、内田樹の問いかけであろう。

    そもそも世の中には、消防、警察、保健所等、もうけになら無いことを前提として仕事がある。さらに、農林漁業や環境保全等、補助や保護を除いた厳密な意味で採算がとれなくても世の中全体にとっても必要だという仕事が沢山ある。これらの仕事が存在し無い社会等、想像もでき無い。生まれた土地で家業を継ぐ、地域を守るという生き方を否定することは誰にもでき無い。


    選択の自由といっても他社の人間の尊厳を否定することはでき無いはずである。
    全てを自由に選択できるという考えは虚妄である。人間には選べ無いことからもある。だから選択の自由には限界がある。従って、自己責任という考え方にも限界はある。

    熊本県の蒲島郁夫知事は、知事の給与を100万円引き下げ、月額24万円にしている。県の財政が厳しい折から、歳出削減のために祖先炊飯と言いたいのであろう。しかし、これは決してビザでは無い。働きに見合う給与をもらうのは、当然の権利である。
    蒲島知事の行動は、見え透いた人気取りであり、真面目に働く者にとっては迷惑な話である。

    経済の世界では、指導者の失敗は直ちに会社の倒産という形で現れ、指導者の責任が明らかになる。或いは、不法行為によって他人に損害を応用した場合には、賠償責任を追及されることになる。しかし、政治の世界には税金にツケを回すという安易な方法が存在し、指導者はしばしば責任逃れをする。

    新銀行東京の失敗
    石原知事は机上の空論のような経営再建計画を作り、東京都の公金から追加出資を行った。

    まず6c 間接民主主義では、しがらみや既得権がモノを言ってなかなか物事が決まら無い。だから小泉が言うように、事実上の国民投票で決めた方がすっきりする。国民は地元のさえ無い自民党候補に入れるのではなく、小泉に投票するつもりで自民党を選ぶ。しかし、小泉に直接触れることでき無いので、メディアに移った象徴としての小泉に繋がった気分になる。国民投票といっても中身をよくわから無いので、とりあえず改革の象徴としての郵政民営化に賛成する。人々が求めている直接制は省庁投資しか実現され無い、疑似的直接性等だ。
    他方、人々は生身の政治家との直接的な接触は禁止する。地元の面倒を売り物にしてきた鈴木宗男や亀井静香のような政治家は自民党から追放された。

    4年間の小泉政治のもとで、平均所得の減少、非正規雇用の増加等各種の社会経済指標が示すように、普通の人々の生活は明らかに悪化している。にもかかわらず、政治との直接的関係を忌避する人々の顔が、そうした問題を政治に持ち込むことを望まなかったということできる。

    人々が何に苦しんでいるのか、どのようなタスキを必要としているかを知ることは、政治の原点である。小泉時代にはすっかり悪者扱いされたが、鈴木宗男や亀井静香の方が、他者に対する評価能力という点では、小泉やその手下よりも、はるかに立派な政治家である。


    アメリカの軍事行動に加担することが平和のためになるなどというのは、政治家の自己満足でしか無い。
    国会質疑で野党からイラク等詳しい戦闘地域課と尋ねられ、小泉は自衛隊のいる所が非戦闘地域だと開き直った。これは論理学では循環論法である。自衛隊は非戦闘地域に派遣すると小泉余裕。同時に非戦闘地域とは自衛隊がいるところだという。これでは何も言ってい無いに等しい。


    日本の経済の構造とは一体何なのか。それをどのように変えていくのか、小泉は一度も体系的な説明をしたことは無い。むしろ、中身をきちんと説明しなかったからこそ、構造改革という路線は人々の支持を集めた。社会保障の破壊や低賃金、非正規雇用の全面拡大という身もふたも無い内容が明らかになっていたら、構造改革があれ程の支持を集めることはなかったはずである。


    小泉改革による「医療制度改革」が決定され、何年かたって、ようやく人々は曖昧なことは実際に何を意味するかを理解し、いかに始めた。しかし、これは最初からわかっていたことである。この数年前、多くの日本人は自分の首を絞めるような政策転換に対して拍手を送っていたのだ。同じ過ちを繰り返さ無いためには、政治の言葉の意味を問い詰めることが必要なのである。


    独立採算の郵便局の職員は税金から給料もらっていただけではなく、田舎の方では地域の住民のために様々なサービスを行っていたという事実を日本人が知っていた奈良。郵政民営化に反対する世論はもっと大きなものだっただろう。だからこそ、為政者は自ら推し進める政策に対する反対勢力について、ステレオタイプを作り出すのである。


    若者は半分の投票に行か無い。若者向けの政策を一生懸命打ち出しても、当の若者がちゃんと投票に行って、自分に入れてくれるかどうかわから無い。自分の当選を最優先にする政治家は、当てになら無い若者よりも、必ず投票に行く創価学会会員に向けた政策を訴えることになる。


    小泉改革の中で改革と称された政策転換は、社会保障支出の抑制、地方自治体に対する地方交付税等公共事業費の削減であり、労働分野における規制緩和である。

    こうした政策転換を強者典子的政策形式と言えば、議論としては公平である。しかし、実際にはこれらの政策転換は「改革」と称賛された。他方、福田康夫政権が誕生してから、自民党から地方再生や農業対策等が打ち出されると、多くのメディアでは、ばらまきの復活という否定的な論拠が見られた。教授への再分配が改革と称賛され、弱者への再分配がばらまきと音締められることで、富のヒエラルヒーの差異が隠されているのである。


    大したことはなくても政治家が大詐欺して大きな予算を投入するような場合もあれば、逆に極めて深刻な問題であっても、政策の対象とみなされず、被害者の苦しみが、放置されている場合もある。
    例えば、1993年12月に当時の GATT ウルグアイ・ラウンドの合意により、日本のコメを輸入することが決定された。
    日本の農業界には黒船が来たというような色が走り、農家救済策を要求する声が高まった。そして94年には当時の自民党と社会党の連立政権の下で、総額6兆100億円のウルグアイ・ラウンド対策費が決定された。
    この予算が農家の経営基盤の強化に繋がるならば納税者も納得しただろうが、実際には巨額の予算を消化すること、それ自体が目標になり、労働やかんがい施設等農業土木の公共事業にカネは聞いていた。農村地域における温泉保養施設等のハコモノに使われた事例も多い。当の農民からも、他の6兆円は何だったのかという疑問が投げかけられる。


    1)世論を喚起する。
    独の人の心を痛めることができれば、世論を変えることができる。特に、今はブログ等、普通の人にも表現手段がある。

    2)政治参加
    労働組合に入って、組織として政治家や政党に要望を伝えることはそう難しいことではなかろう。議員や政党が主催するシンポジウムや勉強会に参加して、自分が抱える現実の問題を訴えることも、その気になればできる。

    3)裁判
    労働組合に加入することによって、自分の権利をより強力に守ることができる。

  • 私の立場からどのように政治に関わるか、関われるか?!感情に拘束されず国籍を選択したほうが良いのではないかと思うこの頃です。在日外国人の地方参政権は付与される物ではなく勝ち取るべきもの・・・。すべての出発点はそこから始まる。

  • 本書は「権力者の言動を看破できるスキル」として10個を挙げて、政治スキルを伸ばし、為政者の言うなりにならない人間になろう、と若者に訴えるというコンセプトの本。
    テーマと訴えていることは間違いないと思う。だけど全体として著者は大きな政府論者であり、論調は保守的、懐古主義的主張が目立つ。
    社会福祉や格差の是正など今問題となっている事案を取り上げて、行き過ぎた競争主義を糾弾している一方で、ではそれにかわる制度のありようと、成長モデルを全く築けていないように思える。

    この手の主張は、現在の年金や福祉制度は経済成長を前提として構築されているものであるという前提を忘れている(あるいは意図的に放棄している)のではないかと感じる。

    このような主張をする人たちは、現代は中国やブラジル、ロシアだけでなく東南アジア諸国や南米、アフリカの国々が経済的に急成長し、競争相手となって日本と猛烈な競争する(あるいはすでにしている)という現状に気づいていないのだろうか?

    さらに、日本は1990年以降全く経済成長できておらず、ほぼ横ばいである。思うに、これは競争を極端に嫌い、勝ちすぎるものを徹底的に叩いてしまう風潮が原因ではないか。個人的にはこれは元々日本人の気質ではないと思っている。なぜなら戦後の復興期には大きな志をもった人たちががむしゃらに競争して働いたことで、たくさんの世界的な企業が日本で生まれている。一方で1990年以降に誕生した企業で世界的な知名度を誇るような企業というのはあまり聞かない。要するに、バブル崩壊によるそれまでの成長モデルの崩壊が日本人は自信をなくし、このころから競争に対する恐怖心、内向き思考が現れ始めたのではないかと。パラダイス鎖国による競争への過剰な拒否反応によって日本は自分で自分の足を引っ張り始めたのではないかと思う。

    話が脱線したが、要は、経済的に成長出来ない中で成長することを前提とした社会システムは確実に持続可能なものではないし、日本を取り巻く諸外国の環境も変わってきている。日本だけが競争を拒否することは、自ら成長を放棄し、社会福祉を壊滅的に持続不能なものにしてしまうのではないかということ。現状維持は後退となる。

    自分としては日本の生活水準を維持する(最低限の生存権を維持する)為には、競争からは避けて通れないと思っているし、著者がそう思わないのであれば、では代わりにどういう成長モデルを築くのか?という疑問に対して説明がないのが、この本の決定的に残念なところであった。
    *上の議論はほんのテーマとはちょっと外れているが、小泉改革への糾弾など個人の政治的思想が強く現れている書のつくりになっているので、であれば代替モデルの提示は欲しかったと思う。

  • 前半がわりと面白かった。
    文章はやさしめで、新書苦手な私でも楽に読めた。



    ・当たり前の制度を疑うこと

    ・社会におけるリスクと自己責任のあたりは、サンデル先生読んでもやもやしてた所がすっきりした。
    日本人的だ。

    ・内田樹の文章がちょくちょく引用される。凄く単純なのになかなか口に出せないようなことをズバッと言ってのける。すっきり痛快。
    リスクの共通性、オーバーアチーブ人間とアンダーアチーブする人間、とか。

    ・ルール7、権利を使わない人は政治家からも無視される
    忘れがち。自分からのアクションは不可欠。




    当たり前を疑う、最近の私の中でのホットワード。
    当たり前なんかないんだ、ってなかなか思えない頭固い私。

  • [ 内容 ]
    社会の惨状に悩むあらゆる人々に贈る歴史の転換点を乗り切るテキスト。
    民主主義を使いこなすための10のルール。

    [ 目次 ]
    1 生命を粗末にするな
    2 自分が一番-もっとわがままになろう
    3 人は同じようなことで苦しんでいるものだ、だから助け合える
    4 無責任でいいじゃないか
    5 頭のよい政治家を信用するな
    6 あやふやな言葉を使うな、あやふやな言葉を使うやつを信用するな
    7 権利を使わない人は政治家からも無視される
    8 本当の敵を見つけよう、仲間内のいがみ合いをすれば喜ぶやつが必ずいる
    9 今を受け容れつつ否定する
    10 当たり前のことを疑え

    [ POP ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 気持ちよく読める本でした。
    文章はたいへん読みやすく、政治に入門しやすい内容だと思います。
    政治に苦手意識や嫌悪感を持っている方にすすめたい本です!

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著者プロフィール

法政大学法学部教授・行動する政治学者
1958年生まれ。東京大学法学部卒、北海道大学法学部教授、同大学院公共政策学連携研究部教授などを経て、2014年より現職。最初の著作『大蔵官僚支配の終焉』(岩波書店)により、自民党と財務省による政治・行政支配の構造・実態を暴き、1990年代から2000年代に続く政治改革の深い底流のひとつを形作る。2009年の民主党政権成立をめぐっては、小沢一郎、菅直人、仙谷由人各氏らとの交友を通じて政権交代に影響を与える。立憲主義の立場から安倍首相を痛烈に批判、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の結成にかかわる。

「2018年 『圧倒的!リベラリズム宣言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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