我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち (ブルーバックス)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065020371

感想・レビュー・書評

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  • 数年前,「生命大躍進」という大変興味深い展示会を観ました。
    そのとき,私が学校で学んだときから,かなり人類の進化に対する研究が非常に進んだことを知り,かなり驚きました。

    本書は,その最新の知見について分かりやすく説明したもので,大変面白く読みました。
    アジアには同時代に多様な人類の種類が存在した可能性があり,また旧人と我々人類は交雑したこともあるにもかかわらず,なぜ我々は我々だけなのか,この問いに対する答えが出るには気の遠くなるような研究の積み重ねが必要ですが,これほど興味の尽きないテーマもありません。

    同じテーマを取り扱った本も読んでみようと思います。

  • 100殺!ビブリオバトル No.31 午後の部 第4ゲーム(1班)

  • 「我々はなぜ我々だけなのか」
    我々人類がアフリカに端を発したホモ・サピエンスと言う種であることは知っての通りである。また、ネアンデルタール人は人類と共存した時期もあり、絶滅してしまっているがいろいろと研究が進んでいる。
    その一方で、アジアに存在した北京原人やジャワ原人についてはそれほど知られておらず、研究も進んでいないように思える。
    しかし近年インドネシアでジャワ原人の化石と石器が見つかっていて、ジャワ原人から進化したのではないかと思われるフローレンス原人の化石の一部も見つかっている。そして、人類が繁栄する前に多様な原人が存在したことがわかりつつある。
    本書はジャワ原人を中心としたアジアでの原人の発掘、化石の鑑定を元にした進化についての本である。
    タイトルからするとまるで人類がアジアの原人たちを絶滅に追いやった進化史を想像させるが、内容はさにあらず。地道な学問的な内容が主であり、ダイナミックな人類史を描いているのではないので少々がっかりした。
    それでも、日本の調査チームが地道に研究、検証を積み重ねている様子は感心する。
    著者は専門家ではなくサイエンスライターなので、発掘現場の様子や研究の様子などについての描写が多く、妙に思い入れが強く出て、感動的な描写になっているのが少々気になる。
    発掘される化石も少ないのでまだまだわからないことが多く、化石が発掘されないことにはなかなか研究が進まない。それでも、想定される石器を使って船を作り、海を渡ってみるなど冒険的な実証的研究も進んでいる。あの、ハイエルダールのコンチキ号漂流記のような冒険的実験である。いまさらそこまでやるものだろうか思いびっくりした。
    フローレンス原人は身長110cmとジャワ原人170cmから小さくなったと考えられている。人類も諸島効果で動物と同じように小さくなり、動物の進化が当てはまると思うと人間だけが特別という考えはおかしいことがよくわかる。
    その一方で人類は島の中に閉じ込められるということがなく、地球上の多くの部分に拡散したと言うことが他の原人たちとの本質的な違いのようである。そして、それを可能にしたのはおそらく知性なのだろうが、本書ではそこまで述べられていない。
    面白くはあったが、インタビュー的で少々深みに欠けたのが残念だ。

  • なかなか、興味深い内容だが、
    本の題名に対する答えは、
    得られない。

  • 地球上に存在した「人類」は我々ホモサピエンスだけではない。彼らはなぜ滅んだのか。我々はなぜ生き残ったのか。人類学の最新成果!

  • 私たちは、ホモサピエンスの末裔だと思っていますが、それが出現する前には、アジアには多様な「人類」がいたそうです。この本にはそれらについて、実際に発掘現場に行かれた、本書の著者である川端氏によって書かれています。

    歴史の好きな私ですが今まで触れてきた「古代史」は、すでにホモサピエンスが我々のような生活をし始めてからのものです。それ以前に世界はどうなっていたのかについて思いを巡らす上で、良い機会を与えてくれた本でした。

    以下は気になったポイントです。

    ・人類には大体700万年くらいの歴史がある、初期の猿人、猿人、原人、旧人、新人、これらの5段階を通って人類が進化してきたと考えられてきたが、一直線に変化してものではないと今では考えらている(p24、41)

    ・大きなくくりの、ホミニドは、大型類人猿と人類の共通祖先から進化した全ての子孫を含む、チンパンジー・ボノボ・オランウータン・ゴリラ、それよりも範囲が狭く初期の猿人(ラミダス猿人、アウストラロピテクス等)が、ホミニン、そしてその後の原人・旧人・新人は、すべてホモ属である(p46)

    ・オランダは300年以上にわたって、インドネシアを植民地にしており、19-20世紀初頭には現在のインドネシアのほぼ全土を手中に収めていた(p55)

    ・島嶼効果とは、利用可能なリソース(生息環境、食料資源など)が限られた島嶼環境では、大型動物は、代謝量が小さく性成熟も早い、小型の身体を持ったほうが有利なため、矮小化しやすい。フローレス原人は、島にいたほかの動物と同様に、島嶼効果によって矮小化してしまった(p143)

    ・今の時点で本当に一つだけ言えるのは、アジアには北京原人とジャワ原人がいました、だけではないということ(p240)

    ・移入種が在来種を駆逐するとき、直接バトルするというよりは、生態系の中での位置を奪う形で入れ替わる、血なまぐさい戦争をするわけではない(p252)

    ・新人サピエンスと、旧人・原人との違いは、サピエンスはいろんなところにあっという間に行けたということ(多様化しなかった)、旧人・原人は行けない(閉じ込められる)から多様化した、ホモサピエンスの均質化は、地球を股にかけることができる能力(創造性)の裏返しである(p256、257、258)

    ・ホモサピエンスがやってきたとき、今のインドネシアにいた古代型人類は、ジャワ原人かフローレス原人である(p267)

    2018年2月25日作成

  • 人類学の最新知見を,この分野の第一人者たる海部さんの監修,読みやすい筆致の川端さんの執筆によりまとめたもの。メインタイトルだけ見るとわかるようなわからないような気がするけど,本文を読んでいくうちにこのタイトルの意味がわかった。これまでは科博へ行っても人類の化石がたくさん並んでいるのを漫然としか見ていなかったけど,これを読んでそれぞれがどういう位置づけでどこがエキサイティングなのかが(はずかしながらやっと)わかった。まだ(2018年2月時点)展示には並んでいない,台湾で見つかった人類化石の話や航海プロジェクトの話もあって,これからの研究の進展が楽しみになる1冊。

  • アジアの人類としての古代史が、こんなにも興奮に溢れる場だとは知らなかった!

    ジャワ原人、フローレス原人、北京原人、名前は知ってるけど、はるか昔の曾祖父くらいのイメージしかなかった。
    しかし実際は生物種としての適応と繁栄と消滅といったダイナミズムをもつ存在だった。

    そして現在では我々は我々の種しかいないけど、それは昔からそうではなかった。多様な種が、祖先から綿々と旅をし、環境に適応し、進化し、そして(多分静かに)消えて行った、という壮大な物語の一端を味わえて大満足。
    これからの研究の進展にも期待したい。

    それにしても我々しかいないのは、拡散の速度が速すぎて均一化してしまった、というのは、宇宙はなぜこんなにも均一なのかというインフレーション宇宙論にも通じるものがあるなあと思ったりして、これもまたおもしろい

  • 請求記号 469.2/Ka 91/2037

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著者プロフィール

1964年兵庫県明石市生まれ、千葉県千葉市育ち。文筆家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務中、1995年『クジラを捕って、考えた』でノンフィクション作家としてデビュー。退社後、1998年『夏のロケット』で小説家デビュー。小説に『せちやん 星を聴く人』『銀河のワールドカップ』『算数宇宙の冒険』『ギャングエイジ』『雲の王』『12月の夏休み』など。ノンフィクションに『PTA再活用論』『動物園にできること』『ペンギン、日本人と出会う』『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』など、著書多数。現在、ナショナル ジオグラフィック日本版および日経ビジネスオンラインのウェブサイトで「・研究室・に行ってみた。」を連載中。

「2020年 『「色のふしぎ」と不思議な社会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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