異類婚姻譚 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065132241

作品紹介・あらすじ

専業主婦を主人公に、他人同士が一つになる「夫婦」という形式の魔力と違和を、軽妙なユーモアと毒を込めて描く表題作で芥川賞受賞!他に「藁の夫」など短編3篇を収録。子供もなく職にも就かず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私は、ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。「俺は家では何も考えたくない男だ。」と宣言する夫は大量の揚げものづくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じりあって…。自由奔放な想像力で日常を異化する傑作短編集。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『自分の顔が旦那の顔とそっくりになった』らどうするでしょうか?

    夫婦は似た者同士が良いのか?そうでない方が上手くいくのか?このあたりは世の中意見は千差万別でしょう。同じものが好きだからといって一緒になった夫婦が最後まで添い遂げられるかといったらそんなことはありません。嗜好は正反対という夫婦が瞬殺で離婚してしまうかというとそんなこともありません。規則性、法則性がないから夫婦の形も数多あり、考え方も数多あるのだと思います。

    とは言え、それは性格の話です。顔となってくると話は全く異なります。そもそも血縁関係にない男と女の顔がそっくりということ自体普通にはないと思います。もし偶然にもそっくりな顔をした異性と出会ったとしてもそれが結婚というゴールに繋がるとも思えません。

    一方で、結婚した後、嗜好が似てくるということはあるかもしれません。これは可能性としてありうるようにも思います。しかし、顔が似てくる、これはないように思います。そんなことがあったとしたら結婚することに躊躇もしてしまいます?

    さてここに、結婚してもうすぐ四年という夫婦を描いた物語があります。ある日、妻が『自分の顔が旦那の顔とそっくりになった』と気が付いたことから始まるこの作品。そんな作品の他に雰囲気感を共通とする三つの短編が収録されたこの作品。そしてそれは、”あとでじわじわ効いてくる毒が、ここにはたっぷり盛られている”という本谷有希子さんの芥川賞受賞作な物語です。

    『ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた』とふと思ったのは主人公の『私』。『結婚していなかった五年前と、ここ最近の写真を見比べて』、『見れば見るほどに旦那が私に、私が旦那に近付いているようで、なんだか薄気味悪』いと感じる『私』。そんな『私』がそのことを弟に話すと、『うーん、二人が?俺は別に思ったことないけどなあ』、『あれじゃない?いつも二人でいるうちに、表情がお互い似てきたとか』と言われてしまいます。場面は変わり、『旦那に頼まれた小包を郵便局に出しに行った帰り』、マンションに設けられた『住人専用ドッグラン』のベンチにキタヱが座っているのを見かけた『私』は、そんなキタヱに手招きされます。『毎日昼過ぎに愛猫のサンショを』『日なたぼっこさせにやって』きているという『私とは三十歳近く離れている』キタヱはサンフランシスコから夫婦で日本に戻ってきました。そんなキタヱに『旦那と、顔が一緒になってきました』と話すと、『「やだ。」と予想外の食いつきを示し』ます。『結婚して何年だっけ?』と訊かれ『もうすぐ四年です』と答える『私』に、『サンちゃんみたいな、なんでもかんでも受け入れちゃうような子は、あっという間に…かれちゃうんだから』と返すキタヱ。よその住人の犬が吠えたせいで、『私』は『…』のところを聞き逃してしまいます。そして、キタヱは『私の知り合いの夫婦にさあ』とこんな話を始めます。『家族ぐるみで親しくしていた』『古くからの友人夫婦』と10年ぶりに『再開する機会に恵まれた』というキタヱは、イギリスに移り住んだ彼らとロンドンで食事をするために『待ち合わせのレストラン』へと訪れました。『「久しぶり。」と椅子から立ち上がった二人を見た瞬間、目を疑』うキタヱ。そこには、『双子みたいに、そっくりになって』いた夫婦の姿がありました。『一瞬、整形でもしたのかと思っ』たものの、『目、鼻、口を一つ一つ見ていくと、二人はやはりきちんと別人』という二人。『吸い寄せ合ってる感じっていうの?お互いがお互いを真似ちゃってるっていうかねえ』とその似具合を説明するキタヱ。そんなキタヱは、『さらに十年後に』夫婦と再開した話を続けます。『同じロンドンのレストランで待ち合わせをしたキタヱは、鏡のようにそっくりになっていた二人のことを思い出し、少しどきどきし』ますが、そこに待っていたのは『元の、似ても似つかぬ他人に戻っ』た二人でした。そんなキタヱが十年前のもやもやした思いを妻に打ち明けると、『二人の家に誘われ』ます。酔い潰れた夫を部屋にのこし、庭に出た二人。そんな中、『どうしてあたしが元に戻ったのか、教えてあげる』と『妻は笑いを堪えているような口調で』語ります。『あたしがどうして戻れたのか。知りたいでしょう』と言う妻は、『それよ、それ』とあるものを指さします。そんなまさかの説明に『酔いが一気に吹き飛んだ』というキタヱ。そんなキタヱが旦那と似ていくということのまさかの理由とまさかの結末が描かれていきます…という中編〈異類婚姻譚〉。スルスルと読みやすい物語が意味不明な結末へと読者を誘う好編でした。

    “子供もなく職にも就かず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私は、ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。「俺は家では何も考えたくない男だ。」と宣言する夫は大量の揚げものづくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じりあって…”と、どこか危うい夫婦関係を匂わす内容紹介が妙に気になるこの作品。2015年に第154回芥川賞を受賞した本谷有希子さんの代表作です。そんな作品の表紙は一見古風な嫁入りを描写したイラストが描かれていますが、よく見ると花嫁を含め婿以外は猫が描かれているという怪しさ満点な体裁をとっています。そもそもが「異類婚姻譚」というなんだか今にも化け物が飛び出してきそうな書名もあって読む前から雰囲気感はバッチリだと思います。とは言え、この作品は化け猫が登場するようなおどろおどろしい物語ではありません。そこに描かれるのは〈解説〉の斎藤美奈子さんがこんな風に表現されるものです。

    “慣れ親しんだ生活のなかで、ふと垣間見てしまった異世界。家族が他人に見える瞬間の恐怖”。

    芥川賞を受賞した表題作はその傾向が特に顕著です。そんなこの作品は表題作が全体の分量の三分の二を占める中編、残りの三編がサクッと読める短編という異形な構成になっています。いずれも斎藤さんが評されるどこか不穏な雰囲気を纏っています。そんな中でも表題作の中に登場する『蛇ボールの話』は深く脳裏に刻まれました。想像するとあまりに不気味でこの作品の内容を忘れても一生私の記憶から消せない…そんな強烈なインパクトを受けました。このレビューを読んでくださっているあなたにはせっかくなので共有させていただきますね。あなたの記憶からも一生消えないと思います。

    『蛇ボールの話、知ってます?』と訊く弟の彼女ハネコは、こんな風に続けます。『二匹の蛇がね、相手のしっぽをお互い、共食いしていくんです。どんどんどんどん、同じだけ食べていって、最後、頭と頭だけのボールみたいになって、そのあと、どっちも食べられてきれいにいなくなるんです』。そんなハネコは、『分かります?なんか結婚って、私の中でああいうイメージなのかもしれない。今の自分も、相手も、気付いた時にはいなくなってるっていうか』。そんな話を聞いて『うろこでびっしり覆われたまっ白な球を思い浮かべ』る主人公の『私』。

    どうでしょうか?私はこの世で蛇が最も嫌いです。こんな風にタイプするだけで意識が飛びそうなくらい大嫌い。そんな蛇が登場する『蛇ボール』。怖いです。気持ち悪いです。やめて欲しいです。しかし、この表題作で取り上げられるのは上記でも触れた通り『ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた』という起点から夫婦の関係性に思いを馳せていく主人公の『私』の物語です。そんな『私』は、どうして旦那と自分が似てきたのかを考え続けます。そんな中に象徴的な登場する『蛇ボール』の話は、『私』にこんな思いを抱かせもします。

    『恐らく私は男たちに自分を食わせ続けてきたのだ。今の私は何匹もの蛇に食われ続けてきた蛇の亡霊のようなもので、旦那に吞み込まれる前から、本来の自分などとっくに失っていたのだろう』。

    そして、基本的にのんびりとした『私』の日常を描く物語は一気に不穏な雰囲気を増していきます。

    『朝起きて鏡を見ると、顔がついに私を忘れ始めていた』。

    まさかの表現で描写される『私』の物語は読者を振り落とそうとでもするように理解不能な表現世界へと突入していきます。これには驚きました。そして、ほぼ振り落とされてしまった私。〈解説〉の斎藤さんの丁寧な説明を読んでそんな物語を振り返りましたが、流石の芥川賞受賞作、なんとも言い難い世界を見る中に予想だにできない結末を見ることになりました。これは、ハマる方にはとてもハマる表現世界だと思います。

    一方で、この作品の魅力は、そんな表題作に続いて上記した通り三つの短編が収録されているところです。決しておまけではなくこれら三作が続くことによって作品としての不穏な雰囲気が強化されていきます。続いてそんな三つの短編をご紹介しておきたいと思いますが、それぞれの短編は一見意味不明な宣言のもとに始まります。合わせてご紹介しましょう。

    ・〈トモ子のバウムクーヘン〉: 『コンロの火を弱火にしていたトモ子は、この世界が途中で消されてしまうクイズ番組だということを理解した』。主人公のトモ子は『普段は甘いものをあまり食べさせない』子供たちに『バウムクーヘンを焼いてあげ』ます。そんなトモ子は『お兄ちゃんの頭の匂いを思いきり吸い込んだ時と、下の子の指をお守りのように握りしめた時だけ』『本当の意味で落ち着く』と感じています。そして、キッチンに立つトモ子は、ふと『リビングが自分を誘惑し、恐ろしい罠に嵌めようとしている』という思いに苛まれていきます…。

    ・〈犬たち〉: 『その山小屋にはたくさんの犬たちがいた。私は犬たちを愛し、犬たちも私を愛した。犬たちは何十匹もいた。そしてどの犬たちもみんな、降ったばかりの雪のように真っ白だった』。『誰にも会わず、暖かく暮らしていた』という主人公の『私』は、山小屋で犬と暮らす中に『彼らが糞や尿をするのを見ること』がないこと、『餌もほしがらな』いことに気づきます。たまたま麓の町で『犬にはくれぐれも用心して下さい』と言われた『私』は、ある日、『山の奥に向かう犬たちをこっそりつけてみることにし』ました。そして、そこに見たものは…。

    ・〈藁の夫〉: 『結婚して半年、自分達の前には、幸せへの道が用意されているという確信は強まるばかりだった』という主人公のトモ子は、自分の夫をこんな風に思います。『トモ子の夫は藁でできている。稲や小麦の茎の部分だけを乾燥させたあの藁 ー 家畜の飼料や、その寝具に使われる植物が、人間のように束ねられ、巻き上げられてできているのだった』。そんなトモ子はある日、夫が『買い替えてまだ一ヵ月も経っていない、真新しいBMV』に乗り込んだ時に『シートベルト』を窓枠にぶつけてしまいます。『ーがっくし』と溜め息を吐く夫との間に沈黙が訪れます…。

    三つの短編の概要を簡単に抜き出してみましたが、なんだか意味がよく分からない…という声が聞こえてきそうです。でも…、

    安心してください!私もよく分かっていませんよ(笑)

    いずれにしても、上記した通り、これら三つの短編も表題作同様に不穏な雰囲気を纏っています。二人の子供の母親であるトモ子が、突然に奇妙な感覚に囚われていく様を描く〈とも子のバウムクーヘン〉はそんなトモ子がどんな感覚に陥っていくのか、ここが物語の筋の部分です。続く〈犬たち〉では、主人公の『私』が共に暮らす犬がいつどこで何を食べ、排泄しているかを知らないというところに不穏さが顔を出します。そして、最後の〈藁の夫〉は、そもそも『トモ子の夫は藁でできている』と意味不明なことを断定する記述の先に、新車を傷つけられた夫が示す反応が物語を薄暗く支配していきます。そんな不穏な雰囲気を味わえるのがこの作品を読む何よりもの醍醐味です。如何にも芥川賞作家さんの物語というその感覚が一つの作品世界を作り上げていきます。なかなかに深入りしそうにもなる四つの物語は、本谷有希子さんという作家さんの個性を強く感じさせる異形のものたちの存在をそこかしこに見せてくれるものでもありました。

    『ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた』。

    そんな言葉の先に旦那との関係性をさまざまに考えていく主人公の『私』が辿るまさかの結末を見る表題作など四つの中短編が収録されたこの作品。そこには不穏な雰囲気の中に見え隠れする異形なものたちの姿を感じる世界が描かれていました。とても読みやすい文体が故にイメージがスルスルと頭に入ってくるこの作品。そうであるが故に、物語が発するホラーっぽさとシュールさがダイレクトに伝わってくるこの作品。

    なんだか癖になりそうな独特な味わいを感じさせる物語の中に、本谷有希子さんの上手さを見た、そんな作品でした。

  • 寓話、奇譚
    あとからじんわり聞いてくる。
    こわーいお話。

  • 何と表現したら良いか、不思議な雰囲気と若干の不穏な空気感の中、話が進み、川上弘美さん、今村夏子さん、高瀬隼子さんなどを読んでいる時に感じられる不安定で、すっきりしない、もやもやを抱えた日常が綴られる。最初、夫婦がどんどん似てきて
    そっくりになっていくという件から心を掴まれてただけに失速した感あり、残念だ。

  • 斉藤美奈子さんが解説で、こじらせ女子のお話と喝破していたが、こじらせ女子の思考回路ってこういうことなんですね・・

    分かるような分からない気がしますが、似た者夫婦のお話を、ここまで面白く読ませる筆力は大したもの。少しだけ「異類婚姻譚」の旦那に似ている私は結末が怖い。

  • なんとも言えない不気味な終わり方…

    昔から夫婦は似てくると言われているけど、なんだか不気味な話だなと本作を読み終えた時に感じました
    芯のない者同士が支え合おうとすると、いつしか同化していってしまう感じ
    カタチを変えてしまう感じ
    それが長年連れ添った夫婦にあらわれる「顔が似てきた」
    ブラックユーモアと言うか、心がザワザワした作品でした

  • 気づいたら読み終わってた。表題作になんだか妙な親近感を抱いたところで、他の3篇もわからないままに読んだ。夫婦とか家族とか、ずーっと一緒にいる存在との関係性は、とても暖かく心地よいけれど、ふと、違和感というか、モヤモヤとした何かを感じることもあり、一度気づいてしまうと、雪崩を起こしたようになるというか。でも結局そのまま根本は変わらないまま続いていくぬくもり(この作品を読んだあとだとぬるさといいたくなるな…)。こんなことを書くと私が何か抱えているようにとられそうだけれど、そういうの、あります、よね?

  • 「人の形」

    慣れ親しんだ生活の中に異物が一点混ざり込み、それが当たり前として読者の中に溶け込んだタイミングでその異物が“異物らしさ”を表象する。
    読み手は強制的に第三者の立場から読むことになるため、この世界に恐ろしさを感じつつも現在の世界とそう大して変わらない世界に違和感を懐く。
    怖さとユーモアが混ざった文章は、この筆者ならではだなあ。

  • ⚫︎受け取ったメッセージ
    「夫婦は似てくる」というのは良いことなのか?
    表面的には似てきても、本質的には思いもしない相手の姿があるかもしれない。

    ⚫︎あらすじ
    (異類婚姻譚)
    専業主婦の私は、夫に顔が似てきていることに気づく。最後決別に至る。夫は可憐な花になる…

    (犬たち)
    別荘に女一人こもっている。犬がたくさんくる。村人は山を降りないと居ない。なぜか?
    村人がいなくなる。犬は見つけたら捕まえられないといけないルールがある。
    女の背中に白い毛が生えてくる。

    (藁の夫)
    夫の小言がどろどろの楽器になって、藁の間から漏れ出す…

    ⚫︎感想
    「夫婦は似てくる」というフレーズを、マイナスの意味で受け取ったことがなかった気がするので、新しい見方を与えてもらった。他人の本音はわからないし、自分の本音すら見て見ぬ振りをしながら生きている…
    犬たち、笑の夫も非常におもしろく、本谷有希子さんの他の著作も読みたいと思う。

  • 夫婦や家族に対してのどこか共感できる感覚を、奇妙な設定、展開に落とし込み描いた、芥川賞受賞作を含む中短編4編を収録した作品集。

    専業主婦の私が、夫と顔が似てきていることに気づくところから始まる表題作「異類婚姻譚」。これは私の夫に対する態度や感覚がリアル。

    夫が道に痰を吐いたことを注意され、謝罪しながら痰をふき取る私。すると注意した相手は「やくやるね、あんたの痰でもないのに」とぽつっとつぶやく。
    この場面が印象的だった。夫の不始末をわがことのように謝り倒す妻。当の本人の夫は知らん顔を決め込む。どこかにこんな夫妻がいそうに思われる。

    私の夫というのは話全体を見てても頼りなく、それでいていろいろなことを妻に任せっきりにするダメ夫のように描かれます。
    こうした夫に対する妻の苛立ちや、あるいはあきらめの表現が独特で面白い。だらしなくバラエティー番組を見ている夫の顔がどんどん歪んで見えてくる、といった表現は、鋭さとともに、怖さも感じる。自分もだらしなくしているときって、そんなふうに見えてしまっているのではないか、と。

    一方で終盤の夫から私への切り返しが痛烈で、これも怖かった。ずっと頼りなく怠惰だった夫。常に理は妻である私にあるように思われたのだけど、切り返しの場面に至ると、その理も妻の夫への違和も怠惰も何もかもが、溶け合ってしまうような不気味な感覚に陥ります。夫妻の顔が似てくる、というのをこう表現するのか、と怖さとともに思わず感心もしました。

    他3編も設定は突飛なのだけど、不思議と共感できる部分も多い。「トモ子のバウムクーヘン」の日常生活すべてが誰かに作られたものではないか、とふと妄想してしまう感覚もそう。

    そして「藁の夫」もなかなかぶっ飛んだ設定。藁の夫とは、たとえでなく本当に藁でできた夫なのです。藁の夫との口喧嘩から、空想の世界はさらに広がっていき、女性心理がこの世界ならではの表現で切り取られる。

    収録作品いずれも、どこか共感・理解できる部分があるのですが、その表現方法が今までにないものばかりでした。現実的な話がある瞬間、空想的なイメージにとって代わられるだけど、その空想の意味、表現の意味を考えると、今の社会のどこかに転がっていそうな、夫婦や家族の違和がそこに映し出されているように思える。

    多分表面的にこの『異類婚姻譚』の収録作を読んでいくと、戸惑いしか残らないと思う。その物語の世界観や表現に何が託されているのか、ふと考えると、面白みがより増す作品集だったと思います。

    第154回芥川賞「異類婚姻譚」

  •  猫を用いた可愛らしい表紙。単行本は気持ち悪い(?)感じだったけど、内容が一歩間違えば不快感を持ってしまう人もいそうな小説だけに、これはアリだなと思った。

     旦那がクソ過ぎてクソ。クソだなぁと思って最後までクソだったなと思ったら、そのクソと結婚した相手にもまぁ何かはあったわけで・・・という、極めて近い人間関係が齎す発酵が描かれる。もちろん、別の夫婦の登場もあり「結婚はクソ」みたいな偏狭な方向には行っていない。

     気味悪さと美しさが同居する昔話的な妖しさを持ちつつ、家庭という人間関係の明るい面も暗い面も描かれてる。どん詰まりに見えるストーリーがいつしか突破口を見出す感じも、閉塞的なだけで終わらず読後感が良い。まぁ、突破口というか破綻というか、ハッピーエンドと言い切れない部分もあるので、もやもやはするけれど。

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著者プロフィール

小説家・劇作家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

本谷有希子の作品

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