詩とは何か (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065188279

作品紹介・あらすじ

現代における「詩」の本質とは? 世界最高峰の詩人の1人、吉増剛造が60年の詩業の果てに辿り着いた境地を縦横無尽に語り尽くす。
現代最高の詩人による究極の詩論、ついに登場! 世界大戦、原爆、そして3.11。数多の「傷」を閲した現代における詩の意味を問う。いわゆる詩人の範疇を超え、カフカ、ベケット、石牟礼道子などの「書いたもの(エクリチュール)」へ。さらには文学さえも越え、ジョナス・メカスの映画、ゴッホの絵画、そして音楽にまで。縦横無尽に芸術ジャンルを横断し、あらゆる芸術行為の中に「詩」の真髄を見出す。詩の根源、すなわち「芸術」の根源へと肉迫する稀有の作品。

感想・レビュー・書評

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  • 日本の古本屋(メールマガジン記事 自著を語る) / 『詩とは何か』
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    詩とは何か | 現代新書 | 講談社
    https://gendai.ismedia.jp/list/books/gendai-shinsho/9784065188279

  • 詩人・吉増剛造がみずからの詩作と詩的なるものの消息について語っている。
    あの、か細く、静かな、少し震えを含んだ、やさしい声が聞こえてくるようだ。
    同時に本書の語りは、そうやって語りながらも、つねに、「外」からの声に耳をそばだてているようでもある。

    ハイデガーの言葉を借りて「杣道」と吉増剛造は言う。
    きこりが歩く山道。そう、彼はどんどんと奥へ入って行こうとする人だ。でも果敢に、ではない。呼び声に導かれながら、いつのまにか「そこ」に立っている。

    だから本書であらためて彼が歩んできた道程を杣道を彼自身たどりなおしながら、しかしそのつど、不図思い出すことから、また見たこともなかった杣道が見つかる。

    そのようにして彼の詩(のようなもの)もどんどんと変化していく。原稿用紙が銅板やガラス板にかわり、書くことが、刺す、引っ掻く、線を引く、といった仕草へと流れていく。
    ときには二重露光写真となり意味が光として溶け出す。

    面白いのは、彼の語りはリニアではなくて、宙に浮かんでいる言葉や固有名を、唐突にひょいとひっつかんで目の前に差し出されたような驚きがある。
    エミリ・ディキンソンが、カフカが、ヴァレリー・アファナシエフが、メシアンが、ジミヘンが、吉本隆明が、田村隆一が、石牟礼道子が、数えきれないくらいの人や物、概念が、ほんとうにすぐそこにいる(ある)ように感じられるから不思議な感じ。ぎょっともする。

    吉増剛造は「雑」という字を好む。雑神、濁声、ノイズ。雑然となにかが満ちた空中から、例えばフランシス・ベーコンの絵画と、吉本隆明を蝶番として、三木成夫の内臓言語を取り出し、つないで見せるのだ。これはなかなかできる芸当ではない。

    きっと彼が見ようと、幻視しようとしているものが、その先、にあるからだろう。それは、根源や、死や、外や、歪みや、奥や、ひょっとするとカオスと呼んでもいいかもしれない。

    ともかくそれに呼ばれていくという不可能な使命をいやおうなく背負った詩人が、どうにかこうにか聞き届けた言葉たち。
    それを仕方なく「形」として残したもの、それが一連の詩であり銅版画であり、原稿用紙にぎっしりと刺すようにして書かれた文字であるとわかる。

  •  詩が「立ちあがる」ということを深く考え(感じ)させてくれる一冊です。あるかなきか、かすかなものを捉えようとしては、ゆびとゆびのあいだをすり抜けていってしまうような言葉たち。詩は、冬の夜に吐く、白い息のように儚いものなのかもしれない。けれどもやはり、詩人は書き、刻み続けるのですね。詩とは何か、というよりも、戦後とは何か、を問い(想い)ながら私は最後まで読みました。

  • 実にたくさん読み、そして考える勤勉な人だという印象を持つ。それはしかし見栄やハッタリではなく、彼自身の内的な必然性ゆえだろう。ここまで多彩な本を読みながらも、語る言葉は(いや、その読書癖ゆえにこそ?)わかりやすい。偶然がもたらす一回性の奇跡に打ち震え、そして常に頭が真っ白になってしまう「非常時」を経験しつつ、それでもなお書き記す。すると、そうして追い詰められて自らの中の自明な言葉やロジックまで真っ白になってしまった境地から思いもよらない何かが浮かび上がる。このインプロヴィゼーションが彼の詩にスリルを与える

  • 詩人・吉増剛造による詩に関する評論。自身が影響を受けたものや作家、詩人の評論。吉増の作品を多く知らないと理解しづらいものでもある。

  • 吉増さんから直接話をうかがっているような気分になりながら読了。石巻の話もアリ。難しいのかなと思ったけれど、思いのほか読みやすくて面白かった。

  • 主に現代詩の「根源」ともいうべき精神について、吉増氏の語りをそのまま書き起こしたような文章。正直読みやすくはないし、そもそも理詰めで理解できるようなトピックではないのだろうと感じた。典型的な詩以外の表現形式に見られる詩的性質、すなわち絵画や音楽、特にモダンジャズにおけるそれへの言及があるのは面白い。

  • 詩とはなににか。言語で語り得ぬものを言葉という符号によって表現しようとする試みであると理解した。語り得ぬものは何か。それは例えば舞踊や音楽や絵画で表現されるもの。これを敢えて「言葉」で表そうとして、まだ見ぬ言葉の代替的な使い方を新たに見出そうとしていく試みなのだ。その時詩人は、表現を受け取る相手を想定するのだろうか。深く潜れば潜るほど表現の発信者と受信者の境界は曖昧になる。なぜ、「言葉」だけにこのような多用的な一面があるのか。思考の最小単位たるファンダメンタルなものであるからか。いや、元々は数ある意思伝達手段の1つに過ぎない物であろう。書くことが生まれて、視覚と聴覚の2つの感覚に同時に訴えることができるツールであるからだろうか。いや、舞台やスポーツがある。恐らく、人間が言語を理解することが日常的な活動で手垢がこびりついているからこそ、そこから浮遊しようとする活動自体にある種の快感性・芸術が宿るのではないか。

  • 【オンライン読書会開催!】
    読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です

    ■2022年3月15日(火)20:30 〜 22:15
    https://nekomachi-club.com/events/a959f1d91630

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著者プロフィール

1939年、東京生まれ。1957年、慶應義塾大学文学部入学。在学中に岡田隆彦、井上輝夫らと「三田詩人」に参加、詩誌「ドラムカン」創刊。1964年、処女詩集『出発』。『黄金詩篇』(1970)で第1回高見順賞。『熱風a thousand steps』(1979)で第17回歴程賞。『オシリス、石ノ神』(1984)で第2回現代詩花椿賞。『螺旋歌』(1990)で第6回詩歌文学館賞。『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』(1998)で第49回芸術選奨文部大臣賞。2003年紫綬褒章。「詩の黄金の庭 吉増剛造展」(北海道立文学館/2008)。『表紙 omote-gami』(2008)で第50回毎日芸術賞。2013年旭日小綬章、文化功労者、福生市民栄誉賞。2015年日本芸術院賞、恩賜賞、日本芸術院会員。「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」(東京国立近代美術館/2016)。「涯テノ詩聲 詩人 吉増剛造展」(松濤美術館/2018)。映画「幻を見るひと 京都の吉増剛造」(2018)が国際映画祭10冠。七里圭監督作品「背」(2022)主演。映画「眩暈 VERTIGO」(2022)が国際映画祭50冠。『Voix』(2021)で第1回西脇順三郎賞(2023)。第6回井上靖記念文化賞(2023)。「フットノート 吉増剛造による吉増剛造による吉増剛造展」(前橋文学館/2023)。

「2024年 『DOMUS X』 で使われていた紹介文から引用しています。」

吉増剛造の作品

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