- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065353639
感想・レビュー・書評
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表紙を見るだけで想像できる内容です。
想像通り「厳しい」。
この厳しさは「体験格差」にとどまらず、子どもの貧困につながっていますし、介護問題とも似ている気がします。
そう、結局のところ「貧困」「格差」に行きつくのです。
正直、この本読むまでは、習い事やアクティビティ(遊園地行くとかキャンプとかそういったもの)は各ご家庭で優先順位決めて、出来る範囲内で対応すればいいのでは?くらいに思っていました。
しかし、本1冊になるくらい社会問題化していますし、何より、子どもが成長する過程で視野が広がらないという将来的に危険な問題を抱えていることがわかりました。
”子どもたちにとっての想像力の幅、人間にとっての選択肢の幅は、大なり小なり過去の「体験」の影響を受けている。貧困状態にある子どもたちは、「過去にやってみたことがあること」の幅が狭くなりがちだ。そして、そのために「将来やってみたいと思うこと」の幅も狭まってしまいがちなのだ。”(抜粋)
上記は体験不足が引き起こす一番の問題と言ってもいいかもしれません。
自分を振り返ってみると、家族で年1で旅行したことなどは結構覚えています。今更ながら、その時に旅行という楽しみを知ったような気もします。
あと、旅行のたしなみっていうのかな、そういうのも勉強になっていたんだろうな。
旅先でどういう楽しみ方をするのか、どういう基準でホテルを選ぶのか等、親がやっていた事をうっすらだけど覚えています。(それが大人になってから活きてくる)
弟などは歴史オタクなので、その土地土地で家族に向かってひたすら解説して、旅情を楽しんでました。
たかが年1回の旅でも、今もこうして覚えている。
そう考えると、「経験」の機会がないということは、人生の豊かさを作るうえでも障害になりそうな気もします。
やったことない事は想像できないから、やろうと思わない。するとやりたいことが限られてしまうので、限られた社会の中で生きていくことになる。世界が広がっていかない。それが選択肢の少なさに直結する。
たかが「体験」と思っていましたが、なかなか根深い問題だと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
体験格差、と言われはじめてからしばらくたつが、実をいうとここに言われている格差のつく「体験」が、なかなかよく分からない。
もっというと、ここに書かれている体験のほとんどをしたことがないのだが、それで後が変わったのか、といわれるとよくわからないのだ。
疑問はもっとあって、例えば楽器を演奏できる技術はたいしたものだが、演奏する以前に体験すべき何ものかがないと、それは空っぽのものになる。文科系の多くのものがモノになるための根元にあるものは、他人がどんなにがんばっても、たぶん教えられない。
この本を読んでいて思ったのは、ここでいう「体験」はそういう体験ではないのだろう、ということだ。
違和感はまだあって、大きな花を咲かせた才能が必ずしも裕福な出身だったろうか、むしろ大変な苦労をしていることが多いのではないか、ということだ。
ただ、今現在の事情は、変わってきているようにもみえる。
つまり、核家族を中心とした社会は行き着くところまでいってしまって、たとえば、近所の
お姉さんと遊んだり、何かを教えてもらったりということは、たぶんないかも知れない。
自治会の子供会で芋掘り、というのもあまりないかもしれない。こどもが減って、自治会は
子供会自体が維持できない。
こどもたちの親はさすがに戦時中ということはあるまい。
私の世代は限定的ではあるが、家の回りに自然が残っていて、花のみつをなめたり、空き地でよもぎを摘んで帰って、売ってあるようにはできないだろうが、と思いながら草餅を作ってみたりした。
その前の世代より、不完全だが、やろうと思えば体験は自分で求めてできるものだった、とは言える。
その他、もろもろのことなどがおそらくできなくなっているのだろう。
こうなると、役割を果たしつつある「体験格差」という概念を否定的に考えるべきではないのだろう。
読むと、この本は筋は通っているようだ。
実績もあがってきているようだ。
それなら、育ててやるべきではないのか。
少し、いいたいことはあるけれど。
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タイトルが気になって読んでみた。
低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」は、結構衝撃的な内容だと思う。
塾や習い事だけでなく、遊びに行ったり、旅行したりということも、ない。
そこには、親の経済的負担だけではなく、お迎えなどにまつわる時間的負担、そして親自身が体験をしてきていないという価値観の問題があるようだ。
途中で出て来る、ピアニストになれるわけでもなし、ピアノのようにお金がかかることはさせられない、という考え方って、でも、あるよなと思う。
「なること」ではなく「すること」そのものの意味や意義が認められていかなくては、きっとこの格差は埋まらない。
もう一つは、シングルの親が誰かと繋がることに対して、忙しさや後ろめたさから、求められずにいることも課題だと思う。
いくら社会が制度を充実させたって、それを知らなければ利用が出来ない。
公的な機関は、その意味でイジワルだなと感じることさえある。
情報を届けることも、そして受け取る側のリテラシーを育てることも、課題の解決の一助になるような気がした。 -
なんとなくそう思っていたけど・・・というのを調査を通じて可視化したのが重要。
直近1年間での「体験ゼロ」の子どもたちが約15%いるという。学校外での習い事やスポーツ、家族旅行や地域の行事への参加が全くない子どもたちである。世帯年収が300万円以下の家庭では約30%にもなる。
「体験」にはお金もそうだが、時間も必要になる。シングルマザーの家庭など、お金はなくとか工面できてもそのお金を稼ぐために時間は工面できない。送り迎えや当番がある「体験」には参加させることができないのだ。
第2部では具体的な体験格差が報告される。
なぜ「体験」が必要なのか。「体験」は「子どもたちにとっての想像力の幅、人間にとっての選択肢の幅」に大きな影響を与えるからであり、「今を生きる子どもたちにとっての楽しさや充実感の問題であり、将来の人生の広がりに関わるより長期的な問題でもある」からであると、著者は言う。
本書には、体験は贅沢品か、と問いがある。
憲法第25条には、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。「文化的な最低限度の生活」の程度は時代によって変化していくだろう。子どもたちの一定の「体験」というのはそれに含まれていいのではないだろうか。結局は貧困の問題であろう。
第3部では著者の提案と、実践が紹介されている。 -
感想
何かしたことがない。学校という枠の中では問題が顕在化しない。社会に出た途端に自分と周囲との差に愕然とする。どのような解決策が有効か。 -
p19 さらに体験の価値はその時々の楽しさだけではない。例えば、体験は子どもの社会情動的スキル(非認知能力)にも関係するとされている。つまり、子どもたちへの短期的な影響(楽しさ)だけでなく、かれらの将来に対する長期的な影響もある
p20 これまで色んなことを体験したことがないから、北海道にきたらこれをやってみたいとか、そういう選択肢がそもそも頭に浮かばない。貧困とは、「選択肢がない」ということです。私は、子どもの貧困問題の中心にあるのが、体験格差だと思っています
p155 こうした社会情動スキルへの影響に加えて、様々な体験の有無含めた子どもたちを取り巻く環境は、かれら自身の将来に対する意欲や価値観のあり方をいつの間にか規定していく可能性がある -
【本学OPACへのリンク☟】
https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/714217 -
貧困が子供たちの体験にこんなにも格差を生むというのは驚きましたけど、昔も今も習い事という部分に関してはそんなに変わらない部分もあるのではという気もしました。