だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087440249

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  • タイのコールセンターは、小さな日本である。日本語しか出来ない日本人が、安い給料で、しかし日本よりはまだ住みやすいという理由で働いている。ロスジェネ世代(就職超氷河期に青年期を迎えた世代)の著者が、主にロスジェネ世代の人たちのそこに住む理由を聞いて行く。

    「そんな社会から落ちこぼれてしまった、もう若くない日本人たちがコールセンターに集まっている。あたかも最後のセイフティーネットであるかのように、バンコクに張り巡らされた網にかろうじて留まっている。そして取材した大半のオペレーターたちが「もう日本に帰る気はない」と口にする。異国の地でそんなことを真顔で言われると、彼らに共感しつつも、生まれた国が愛想をつかされているように思う自分がいた」(エピローグより)

    初めて著者の本を読んだが、タイ国のように何処か暑苦しくジメジメとした文章で好きなれない。取材が長引いた経過や、取材費として金を払うかどうかという過程も頻繁に出てくる。ムダな文章が多いのではないか?と感じた。かつて本多勝一は「どういう事実を書くのか」が問題だと論じた。ベトナム戦争の最中に、人が銃弾で倒れる事実も、ジャングルの自然を描くのも、正確な事実としては等価なのだ。だから事実でもって真実を描こうとするならば、事実を選ぶ著者の思想そのものが問われるのである。コールセンターはいい素材だと思う。難しい取材だったとも思う。しかし、著者は未だ東南アジアの森の中で彷徨っている。そんな気がした。

    「私が取材の過程で特に意識したキーワードがある。「居場所」だ。私の定義する居場所とは、自分の存在意義を実感することができ、承認欲求を満たせる空間のことである」(エピローグより)

    著者本人が承認欲求を持って未だに迷っているから、このロスジェネ世代達の過去も未来も描き出せない。このごちゃごちゃしてジメジメした「現在」を描けば、何かが見つかるのではないか、誰かが見つけてくれるのではないかと勘違いしているのではないか?

    著者は「彼らに寄り添って取材するべきだ」という。そのことには同意する。しかし、文章までも寄り添うべきでは無いと、私は思う。

    かなり厳しい事を書いている。あんたはロスジェネ世代より前のバブル期に就職した世代だから気楽な事を言えるんだ、と非難されそうだ。まぁその通りだ。しかも、著者は私のなれなかったジャーナリストに曲がりなりにもう成っている。頑張ってほしい。純粋にそう思って、つい書いてしまった。



  • 水谷竹秀『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』集英社文庫。

    バンコクの日本企業のコールセンターで働く日本人たちの様々な事情を描いたノンフィクション。これは社会の暗部の一面であろうが、これからの日本はどうなるのかと不安になるような内容だった。

    日本では非正規労働が常態化し、将来への希望が見えぬままに低賃金で働く若者やニートや引きこもりといった社会から半ばドロップアウトした若者が年々増加している。まるで正社員を否定するかのような労働者派遣法という悪法がこうした状況に拍車をかけているようにも思う。

    日本を離れ、海外に居場所を求める若者たちが辿り着いた先は3万バーツという低賃金で雇用されるバンコクのコールセンターであり、その多くは様々な問題を抱えている。借金苦、タイの女性に騙された男、風俗にハマった女、LGBT……

    本体価格650円
    ★★★★

  • バンコクには日本の会社向けに電話応対業務を受託するコールセンターがいくつかあり、そこでは日本人が多く働いているという。それは、企業にとってバンコクのコールセンターに電話応対業務を委託した方が、日本国内にあるコールセンターを使うよりも安いからである。何故安いかと言うと、バンコクでの賃金、人件費の方が日本での人件費よりも安いから。インターネット回線を使った電話が当たり前になった現代では、センターが日本国内だろうと海外にあろうと通信費自体は変わらない。コストとして最も大きいのは、センターで働く人たちの労務費である。同じ日本人でも、バンコクで働く場合、給料は現地の水準での報酬となり、結果的にバンコクでのトータル労務費の方が日本でコールセンターを持つ場合のトータル労務費よりも安くなるのだ。
    本書は、そのバンコクのコールセンターで働く人たちへのインタビューで構成されている。インタビューに登場する人たちは、何らかの理由で日本で暮らしにくさを感じバンコクに移ってきた人たち。文庫版のあとがきの中で、筆者は下記のように書いている。

    【引用】
    本書の舞台は、タイの首都バンコクにあるコールセンターである。ところが実際に描いているのは、そこで働く日本人を通して映し出される日本社会の縮図だ。彼らの多くは「ロスジェネ」と呼ばれる世代で、私が学生時代から歩んできた道とほぼ変わらない。つまり、日本の閉塞感に息苦しさを覚え、社会に出ることに希望を見出せない「失われた10年」を生きてきた。
    【引用終わり】

    すなわち、筆者は、バンコクのコールセンターで働く人たちへのインタビューを通じて、現代の日本の状況、格差問題や引きこもりの問題や日本での生きにくさと言ったことのある側面を書きたかったということである。それを描くことには本書は成功していると思う。ただ読み終わっても、救いのかけらも見いだせないが。

  • バンコク好きとしてとても興味深い内容で、一気読みでした。
    内容はアングラ、ディープでした。

    充分な福利厚生や待遇なしに、物価の安さに連動した外地に出て、何かを得たかった若者たち。
    取材対象の生い立ちや背景は、テレビ番組の「ねほりんぱほりん」「ザノンフィクション」「家ついて行ってイイですか?」のよう。

    コールセンター業務はマニュアルさえ覚えてしまえば、ノルマによるプレッシャーもなく、縛られる息苦しさから自分を解放するには抜群かもしれません。

    彼らは成長も変化も、スキルアップやステップアップもいらない。自分を豊かにする必要も感じない。何か現実逃避を形にしたような実体でした。

    得られた自由の一方で、海外では十分な福利厚生や、社会保険制度というセイフティネットが機能しないため、30代でも歯の治療もできず、十分な食事も得られないことが常態化している様子も丁寧に取材されています。

    特に印象的だったのが、優秀な学歴を持つ姉妹の編。プライドはあっても、中身である自信がなく、あえて情夫たる東南アジアの若者に貢ぎ、そして支配・コントロール・独占して満足を得ようとしてしまう性。
    ご自身が話すよう東電OL殺人事件に通じるものを私も感じました。

    働く日本人の出身地は首都圏よりも地方が多い印象。誰もが同じという前提に立つ息苦しさからの解放を求めたのでしょうか。
    家、家族、学校、職場等々に何か柔らかさを求められず、居場所を探してたどり着いた先の外地コールセンターだったのでしょうか。

    しかしながら、外地の日本人社会もヒエラルキーが歴然と存在し、噂がたちまち流れ、息苦しさ満載なんですよねえ。駐在した経験がありますが、日本の村よりも「ムラ社会」でした笑。
    ワーホリも結局日本人コミュニティで終始してしまいがちで似ていますね。

  • 日本で受け答えしているかのようなメーカーや通販のコールセンターが実は外国にあるような話は聞いたことがあった。このルポはバンコクのコールセンターに勤める/勤めていた人たちに取材したもの。
    バンコクの日本人ムラでは、コールセンター勤めは低く見られる職業らしい。なぜなら給料安く、技術がいらずといういわば何のとりえもない日本人でも務まる仕事だから。そのことをコールセンター勤めの人たちも認識していて、この本を読むかぎり、特に男性は自ら卑下したり転職したり起業すればなかった過去にしてしまう人も多いよう。
    著者の『日本を捨てた男たち―フィリピンに生きる困窮邦人―』も読んだことがあって、同書では中高年男性の悲哀を紹介していた(一方で日本じゃ困窮しながらもここまでお気楽に暮らせないだろうなとも思った)けど、本書では著者と同世代かつ自分と同世代でもあるロスジェネ世代を主な取材対象にしていたので、明日はわが身という身の迫ってくる感が。若いといえば若いともいえるがすでにやり直せるような年齢でもない人たちがタイでも困っていたり、あるいは明日を見ないようにしているかのような毎日を送っていた。典型的な感じもするけど、酷い生い立ちだったりセクシャルマイノリティーの人たちも登場する。
    バンコク日本人ムラの底辺だと誰もが自認しながら、でも日本よりも経済的にも精神的にも楽だから当分はタイにいると話す。そんなふうに言われるのが日本の現在ってこと。ある意味、ロスジェネの彼らも日本を見切っているんじゃないだろうか。

  • 日本を離れ、タイの首都バンコクでコールセンター勤務をしている邦人の、その人生観を辿るルポ。
    堕ちてゆくに相応しい人もいれば、そそういう落伍者を横目に奮闘して勝ち上がっていく人々もいて、単純な「逃げて海外へ」という話ではない。ただ、性転換やら売春やら、コールセンターとは関係なさそうな話にページがさかれているため★3つとしました。

  • 水谷竹秀(1975年~)氏は、上智大学外国語学部卒、カメラマンや新聞記者を経て、10年超のフィリピン滞在をベースに、アジアに生きる日本人を主なテーマとするノンフィクション・ライター。デビュー作の『日本を捨てた男たち―フィリピンに生きる「困窮邦人」』(2011年)で開高健ノンフィクション賞受賞。
    本書は、2017年に出版された3作目で、2019年文庫化された。
    内容は、バンコクにある、国際電話で日本人に対応するコールセンターで働く、所謂「ロスジェネ」と呼ばれる世代(バブル崩壊後の1990年代前半から2000年代前半の「失われた10年」言われる時代に社会に出た世代で、取材当時30代)のオペレーター約40人に取材したルポルタージュである。
    私は数年前に『日本を捨てた男たち』も読んだが、そこに描かれていたのは、フィリピンに数百人いると云われる、所持金を現地で使い果たし、日本への帰国費用どころか日々の食費もなく、路上生活やホームレス状態の「困窮邦人」であり、著者は、その原因を、日本社会の問題とするのか、或いは自己責任とするのか、未だ割り切れないと書いていたのだが、本書においては、コールセンターのオペレーターに寄り添う立ち位置に変化し、日本社会の不寛容さ、生きづらさの故に、彼らはそこに「居場所」を求めざるを得なかったのだと書いている。
    私はロスジェネ世代より少し上の会社員で、これまで、著者が言う「日本社会に未だ染み渡っているキャリア観」に近い人生を送ってきて、日本(人)の同質性の高さや「世間」「空気」の存在を否応なく意識し、それらに起因する日本社会の問題も大いに感じては来たが、本書に次々と登場する人たちに著者ほど共感を持ち、全てが日本の社会の問題だと言い切ることは、正直言って難しい。というのは、彼らがその状況にあるのは、本人の責任と言わざるを得ないケースや、中には、本人が望んだケースすらも少なくないと思われるからだ。
    ただ、それでも、最後まで頁をめくって、いくつか心に引っかかったところはあった。そのひとつは、エピローグに出てくる、タイには「豊かさを享受した日本にはない・・・「これでもいいんだ」と思える心の余裕」がある、というくだりで、もう一つは、解説で立憲民主党の長妻昭氏(長妻氏は、本書を読んで、自ら著者にメールを送り、会食もしたのだそうだ)が書いている、「正しい生き方ってなんだ?」という問いである。
    そこまで読んで、日本の社会、更には世界各地の状況を振り返ると、あらゆるところで排他性・非寛容が蔓延しており、同質性の高い日本においては、少数の異質なものが排除され、異質な集団が複数存在する米国(白人対黒人対ヒスパニック、親トランプ派対反トランプ派、等)などでは、激しい対立が起こっていることに気付く。
    本書自体は、現場に密着し、そこで起こっていること(取材対象が語っていること)を丹念に掬い取って描いたルポで、大上段の主張をしているわけではないのだが、敢えて敷衍して、現代日本・世界の多くの問題を解決するためにも、多様な価値観を認め、他人の価値観を尊重することが大事であるというメッセージを受け取ることも可能かも知れない。
    (2022年11月了)

  • 日本では非正規労働が常態化し、将来への希望が見えぬままに低賃金で働く若者やニートや引きこもりといった社会から半ばドロップアウトした若者が年々増加している。まるで正社員を否定するかのような労働者派遣法という悪法がこうした状況に拍車をかけているようにも思う。

  • 境遇は全く違えど、日本に息苦しさを覚えている人にはすごく共感できる、どこか他人事とは思えない。バンコクのコールセンターで働く人たちの本音は、様々な過程を経てそこにやってきたのに、まるで引き寄せらたかのように似たような思考の人物が集まっている。
    私は、作者のデビュー作「日本を捨てた男たち」も読んだが、それが気に入り、本作も読んだが、やはり良かった。作者も作中で指摘している通り、こういう困窮や格差という話題の本は、大体、「日本社会が悪い」というスタンスで書かれているものが多く、個人的にはその論調が嫌いなので、「本当に日本社会だけが悪いのか?」という疑問を持っている作者のスタンスが好き。だが、決して右とか日本社会を擁護する論調でもない。フラットな姿勢がいい。
    日本社会が良いか悪いかは分からないが、日本社会がどこかおかしくなっているのは、作者が最後に指摘しているとおりだと思う。
    特に、私自身もバンコクに何度も行っているが、登場人物たちが、口を揃えて言う「タイは開放的で行きやすい」というのは非常に共感できる。
    日本は、真面目さや物づくりの精度など誇れるものはたくさんある。しかし、一方で多様性・個性などと表では言っているが、皆と違う生き方の人間を排除する風習は色濃く残っている。これはほぼ単一民族でやってきた島国の限界なのだろうな。海外によく行くが、本当にそれを感じる。海外では、多様性を受け入れざるを得ない。陸続きのため、あらゆる人種・国の人が入り混ざっているため、1つ価値観ではうまく生きていけない。しかし、幸か不幸か、日本にはほぼ「日本人」しかいない。日本語のみが話せて、社会の「普通」の生き方・価値観に従っていれば、特に問題なく平穏に暮らせる。だから、他の生き方・価値観が理解できないし、受け入れられない。多くの「普通」の人には住みやすいのかもしれないが、そのレールから外れた人には非常に厳しい社会と言える。
    色々と考えさせられる良作。

  • 着眼点はおもしろいが、筆者の主観が少し入りすぎている体がある。具体的には「〜のように見える」や「〜なのだろう」の多様が少し気になった。ルポルタージュなのだから、こうした表現があって然りなのだが、筆者の感覚が私と違うため、そうした表現に当たるとたまに「…いや、そうじゃなくない?」「いや、それは中年男性の視点だよなぁ…女性から見たらそうじゃないと思えるけど」と感じる点が多かった。
    とはいえ読み物として、孤独を抱きながら海外に住む方々の人生を少しでも共有してもらえたのは良かった。

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