いねむり先生 (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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本棚登録 : 441
感想 : 49
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087450996

作品紹介・あらすじ

妻の死後、無為な日々を過ごしていた僕が出会ったのは、小説家にしてギャンブルの神様。色川武大との交流が僕から恐れを取り除いてくれた──。自伝的傑作、ドラマ化!(解説/村松友視)

感想・レビュー・書評

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  • 昔から幅広い作家の本を分け隔てなく読んで来た自負があるが、中には確かに「この作家は特異だ」「コイツにだけは敵わない(まあ誰にも敵うはずもないのだが)」と、ある種「別格」の畏怖と云うか敬意を払う作家も居るには居る。
    例えば椎名誠や中島らも、そして本書の著者・伊集院静が、その数少ない例となる。
    敢えてその共通点を一言で云い表すなら;自分では真似の出来ない(真似したいとも思わない)想像を絶する原体験や実経験、もしくは超絶した感性や才能を有していると思われる人たちだ。
    本書でも、読みながら随所にそれを痛感しながら、そしてその作者への畏怖・敬意を味わいながら、一気に面白く読み終えることが出来た。さすが伊集院静。
    「先生」のモデルである色川武大/阿佐田哲也のことは風聞でのみ知るも、彼の著作は実はまだ一冊すら読んだことが無い。なのに、本書を読んで猛烈に興味が沸いた。同時に、彼もまた、伊集院静と同じく、ぼくにとっては畏怖・敬意を表すべきタイプの人物であるとの確信を得た。
    「先生」と「ボク」の二人は、文字通り「同病相哀れむ」二人であり、突き抜けた才人同士にとっての「類は友を呼ぶ」関係であったことがしみじみ良くワカル。
    その伊集院静も逝ってしまった。あの世でまた二人「旅打ち」していることだろう。
    合掌。

  • 所々、声に出して大笑いしながら読んだ。先生とサブロー君との関係、羨ましく思えた。

  • 先生の本読んでみたくなりますね。

  • で?

  • は麻雀をしないので、高名な阿佐田哲也先生よりも先に色川武大先生にはまった。『麻雀放浪記』を読んだのは随分あとで、ゲームを知らなくても十二分に面白いことを知った。漱石を描いたミチクサ先生とは違い、伏せ字にしていても実在の人物を描いているから、随分と趣が違う。「女優」であった妻を亡くして間もない「作家」が苦しい時期に先生と出会い、闇の中に少しずつ光を見出していく様子が描かれている。

  • 情景が目に浮かぶ表現で、いねむり先生の魅力が伝わってきた。

  • 伊集院さんの本母もハマってるらしく買って読んだのを貸してくれるけど、なんとなく他の本でどういうタイプの人がわかってきた中でこの本を読むと、若い頃はこんな感じだったのか、と思った。


    寝かしつけしながら何回も私も寝落ちしたけど(笑)実話に基づいた本だったのですね。他の方の感想を読ませてもらってわかりました。主人公は伊集院さんなのかなぁと思ってはいたけど、先生も実在されていた人だとは。

  • 誰かに受け入れてもらえることと、相手に自分の全てを曝け出さなければならないことはイコールではない。
    生きることは切ないけれど、先生はもちろん、Kさん(鉄金ヒロシ)のように人への暖かさを忘れずにいたい

  • TV番組「林先生の初耳学」で伊集院静氏と林先生の対談企画を視聴したのがきっかけでした。伊集院氏は「若くして奥さんを亡くした人は多い、どうも世の中はそういうものらしい」とお話されていました。潔い諦めの言葉、力強い目で語られていたように感じました。悲しくなって、氏の本を図書館で借りて読みました。

    10代の頃に読んだときは「描写が少なくて想像しづらい。」と思って挫折した氏の本でしたが、30代の今はところどころの描写の少なさが悲しみを助長しているようで、それでいて悲劇のヒロインぶってなくて「世の中はそういうものらしい」と語りかけてくれる本でした。

    麻雀、競輪、賭博の世界を知ろうと思ったことはありませんでした。でも、氏や色川氏の作品は間違いなくそちら側の世界から得た煙のような人間関係や見返りを求めない優しさ、弱さを正直にさらけ出しているのかな。ナルコレプシーや先端恐怖症の知識がなかったので恥ずかしく思いました。

  • 本書の題名の「いねむり先生」とは、色川武大(阿佐田哲也)のことである。妻である夏目雅子を亡くした主人公である伊集院静は、自暴自棄的な生活を送っていた。その時に知人から紹介されたのが、「いねむり先生」である色川武大だ。先生との付き合いを通じて、伊集院静立ち直ってゆく。
    小説は、伊集院静が妻を亡くして2年後くらいから始まり、色川武大が亡くなって1年後に終わる。夏目雅子がなくなったのは1985年のことなので、小説の始まりは1987年頃のことであり、日本がバブル景気に向かおうとしていた時代だ。色川武大が亡くなったのは、1989年のことなので小説の終わりは1990年のこと。バブルの絶頂期のことである。伊集院静は1950年生まれなので、小説は、伊集院静が37歳から40歳までのこと。本書中に暗示されているが、この後、伊集院静は小説を書くことを再開し、現在のような高い評価を受ける小説家となる。また、この小説は小説すばるの2009年8月号から2011年1月号まで連載され、単行本として発行されたのが2011年4月のことであり、それは、色川武大が亡くなってから、20年以上の時を経てのことであった。
    文庫本で400ページを超える、比較的長い小説である。多くの人に慕われ、好かれた色川武大について、また、色川武大の影響を受けて、伊集院静が少しずつまともになっていく様が書かれている。伊集院静が色川武大のことが好きであり、また、大きな感謝の気持ちを持っていることが400ページを使って表されている。

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著者プロフィール

1950年山口県生まれ。’81年短編小説「皐月」でデビュー。’91年『乳房』で吉川英治文学新人賞、’92年『受け月』で直木賞、’94年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で吉川英治文学賞、’14年『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』で司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞する。’16年紫綬褒章を受章。著書に『三年坂』『白秋』『海峡』『春雷』『岬へ』『駅までの道をおしえて』『ぼくのボールが君に届けば』『いねむり先生』、『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』『いとまの雪 新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯』、エッセイ集『大人のカタチを語ろう』「大人の流儀」シリーズなどがある。

「2023年 『ミチクサ先生(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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