漂砂のうたう (集英社文庫)

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  • 集英社
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感想 : 77
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087451306

感想・レビュー・書評

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  • 江戸から明治に変わった直後の根津遊郭の話。主人公が、知らず知らずに体に刻んだ自分の歴史に気づくところがいい。小気味いい語り口で当時の文化に想いを馳せることができる。

  • 今の今までずっとポン太や圓朝の噺を聴いていたかのような夢現な小説。
    どんどん引き込まれてお話と現実の境目が曖昧になっていった。

    小野菊さんのきっぷの良さ、大変素敵でした。
    こんな人に出会えることはお話の中でも現実でも、中々ないような…

    それに憧れはすれど、私にとっては定九郎さんの気持ちが大変わかるお話でした。

    1万円選書の一つ。

  • 始めの数十頁は、気が入らずなかなか読み進めなくて、何度か本を置いた。しかし、後半は興に乗り、明治初期の、根津遊郭の雰囲気に浸りながら、たちまち読み終えた。
    さすが、直木賞受賞作。
    幕府互壊により、武士の身分を失い、空虚な日々を送る定九郎、遊郭に身を置きながら凛とした佇まいの花魁小野菊、等々、人物造型が見事。

  • ■読むまでの経緯
    「茗荷谷の猫」で知り、好きになり、その他三作くらい読んでさらに満足し、直木賞受賞というこの本も気になっていた。そして中野翠さんの歌舞伎本か落語本かのどちらかで、「三遊亭圓朝の文化的存在感が(この本を読むと)よくわかる」というような紹介を読んだときには、私はこれは絶対読もう!と心に決めたのだが、どう検索しても単行本しかヒットしない。本屋にいくたび思い出して調べては、まだ文庫化されてない…と落胆。そんなある日、ふと電車で顔をあげたら、集英社文庫の中吊り広告に「漂砂のうたう」の文字が!

    ■残念な点
    時代ものだし、遊郭が舞台の話、聞き慣れない用語が多い。こういうとき、司馬遼太郎は物語の勢いを止めずに物事の説明をしてくれるのがうまいと思う(楽しいだけじゃなく知識が増えた感覚が得られる)。折しも司馬作品を読んだ直後だったので、そこのところの置いてきぼり感が気になり、消化不良な感触が残る。読んでたらなんとなくわかるし、雰囲気でじゅうぶんでもあるのですが。
    英雄的な人物を小気味良く書いて惚れさせるような司馬さんのタッチとはそもそも違う、って、わかっちゃいるのだが、読み始めは特に重さに馴染めず、熱中して読み進むことはあまりできなかった。単純に直前の読書との比較の問題かどうかはわからないけど。
    つまりはっきりいって、難しくてよくワカンナイ、と思いながら読んだ部分も少なくない。

    ■良かった点
    明治維新という大転換のその直後、西南戦争とか、自由民権運動とか、世は激動なんだが、俺には係わりねえって言っていながら人一倍拘っていたり、自由だ平等だなんて嘘っぱちだと噛みついてみたり、閉塞感、鬱屈、惨め、諦め、そんなこんなの存念がうずまく、そんな雰囲気を、理屈じゃなく、味わった。基本、木内昇さんは「ヒーローじゃない」ものの人だと思います。
    最近、幕末~明治初期ものが続いているので、なお楽しい。
    圓朝という人が、この時代に、今にも残り歌舞伎にもなったような新作落語をたくさん作ったということ、これは、この本のおかげで忘れないと思う。

    ■追記メモ
    舞台となった根津遊郭は根津神社のあたりにあったが、作中でも語られた通り、近くに東大ができたため移転させられる。その移転後の場所は洲崎。洲崎アイランドの洲崎、現東陽一丁目。縁があるなあ。

  • 読後感の良さ。4人が良い。

  • 読み始め…16.5.18
    読み終わり…16.5.19

    東京根津遊郭の仲見世「美仙楼」の客引きに身をおく定九郎は、うだつが上がらず行き先の見えない空虚な日々をやり過ごしている。御一新から十年という明治の始めに武士の身分を失った定九郎は、変わりゆく時代のなかを彷徨い翻弄されながらもどこかで「自由」を追い求ている――

    明治初期という時代背景がそもそも未知の世界であることに加えて、現実の中にありながらもどこか異空間を感じさせる「遊郭」が舞台となっていたことで、読んで広がる想像の世界はまるでファンタジー小説の異空間に入り込んたときと同じような感覚でした。なかでも噺家の弟子というポン太の存在はなんとも神出鬼没。その謎めいた言動には、結末をみるまで読み手までもが翻弄されてしまいます。

    「漂砂」とは、海や河川で波が押したり引いたりした時に流される土砂のこと。
    なんどもなんどもただただ繰り返し、波打ち際の砂浜に描かれては消える砂模様。。
    その様子を人間模様になぞらえて繰り返される、漂砂のうたう行き着く先というのはいったいどこにあるのでしょうか...。
    .....なんだか少し虚しい気持ちにもなります。

    「漂砂のうたう」は直木賞受賞作品。
    木内昇さんの穏やかな流れが大好きです。

  • 籠の鳥とは、身体のことか、心のことか。

    明治維新の頃の根津遊廓が舞台。時代はわかるけど、根津の遊廓のことは全然知らなくて、もっといえば廓のことは雰囲気しか知らなかったので、最初はちょっと難しかった。でも、読みとおせた。主人公の定九郎は、かっこいいというより心の弱さを見ているみたいで見たくない、かっこよくない。ここから逃げたい、でも逃げられない、逃げられなくても心は自由とは、そんなテーマ。

    泥の中に身を置きながら、美しい小野菊。小野菊の強さ、美しさは、どんな悪意に晒されていても揺るがない。出られないのは、龍造も同じで、彼もまた揺るがない人。神出鬼没のマイペース、噺家の弟子のポン太。最初はこの人幽霊かと思った。自由とは、揺るがないことか。

    直木賞ということですが、確かに読ませるな、と思った。木内昇さんの時代物は『新撰組幕末の青嵐』を読んだけど、これもなかなか面白く、他も読みたいと思った。

  • 終始鬱屈とした雰囲気だった。定九郎が鬱々としている分、小野菊の気高さが際立っていた。
    江戸と明治って別物だと思うし、時代の変化に順応できない人が多かったのかな。「しっかりしろ定九郎!」と何度も思ったけど、自分が当時の人間だったらどう生きていたのか想像もつかない。
    どんな時代でどんな場所でも真っ直ぐ生きる小野菊はとてもかっこよかった。

    歴史ものは言葉に慣れるのに時間がかかってしまう、辞書と当時の地図を用意して読めばもっと理解が深まるのかな。

  • 時代が軋みながら変化し、永く続くと思っていた居場所が唐突に消えるとき、自分は身を委ねられる側なんだろうか…などと思ってみたり。傑出の人物ではなく、渦に飲み込まれる凡庸な人々の側から見た維新に、この時代に生きたら吸っただろう空気を感じた。

  • 木内さんの文章が好き。登場人物それぞれの生き方があるが共感はそこまで。

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著者プロフィール

1967年生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。08年『茗荷谷の猫』が話題となり、09年回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。他の小説作品に『浮世女房洒落日記』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』、エッセイに『みちくさ道中』などがある。

「2019年 『光炎の人 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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