- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087715590
感想・レビュー・書評
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この作家が何を書きたいのか、イマイチよくわからないんですよね。困ったもんです。
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すごいボリュームでした。シニカルな視点と語り口が面白くて、ずんずん興味深く読み進めていけるけど、だんだんと笑えなくなる、どんどん恐ろしくなっていきます。野次馬根性で大騒ぎし、すぐに忘れてしまい、今が良ければいいと人を使い捨てにしていく。個の区別が無くなってきて、ドロドロと溶け混ざり合うように〈みんな私〉と化していく。ああ、これは‥自分自身なのだなと実感してしまうから。この作品を読んで、一層足がすくむ気持ちと、何かのきっかけにできるのでは、という気持ちとが混在しています。
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文学
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2018.2.17読了 13冊目
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主人公は「東京」。正確には東京の地霊。
縄文以前から「そこ」にいる地霊から見れば、東京なんてにわかにぽっとできたなんだか雑然とした都市。そこが滅びても、地霊にとっては痛くもかゆくもない。地霊はただそこにとどまり、人間が自滅してゆくさまを冷徹に見ている。
本作はもしも「私」が複数いたら、という思考実験にもなっている。また、夏目漱石の『吾輩は猫である』の裏ヴァージョンにもなっており、語り手は人である前に鼠なのだ。猫が苦沙味先生を観察していたように、鼠が3.11後の東京の行く末を凝っと見据えている。 -
最初の章は、混沌の魅力に溢れている。
少しずつ単調になっていくのは、自叙伝ゆえ仕方がないけれど、「それも私だ」「鼠だ」のリフレインゆえ。
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共産党の天下になりそうな情勢となったら、先頭きって赤旗を振るし、猫が支配するならマタタビを賄賂に猫の首領に取り入るだけの覚悟はある。と、べつに偉そうに云うほどのことじゃありませんが、ドウ足掻いたって万事なるようにしかならぬと、根本のところで諦めて、とりあえず今がよけりゃいいと開き直りつつ、絶えず時流に棹さすのが自分の流儀と云えば流儀であるらしい。マアこの流儀は、私に限らず、世の多くの人士が密かに信奉実践するところでしょうが、どちらにしたところで東京は、と申しますか、日本はいずれ天変地異とともに滅び去るわけだから、あまり深刻に考えても仕方がありません。(p.245)
浮かれていたと云われればまさしく御説の通り。しかし寄せくる波に人が浮かれるのは必然だ。波に逆らう方がどうかしている。と申しますか、どのみちなるようにしかならぬのだから、浮かれるべきときには浮かれて居るのが正しい。(pp.346-7)
さすがは近代日本を設計した一流官僚のエリートだけのことはある。図らずも宇治田が漏らした本音、即ち「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京と云う都市の根本原理であり、ひいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である。東京の地霊たる私はズットこれを信奉して生きてきた。なるようにしかならぬーこれより他に正しく人を導く思想はない。(pp.348-9)
東京在住ネズミにんげんの私はきわめて諦めがよいらしい、とソウ考えたとき 私が金科玉条としていた思想ーと云うほどのものではありませんが、成り行きに棹さす思想とは、即ち、滅びの思想デアル、との真理に私は突き当たった。成り行きに任せ、やがて滅びる。万事それでよい。それ以外に人が生きる法はない。どうやら私はそのように考えても生きてきたらしい。だから滅亡を前にしてじつに心穏やかである。(p.417)