逆説の日本史4 中世鳴動編(小学館文庫): ケガレ思想と差別の謎 (小学館文庫 R い- 1-4)
- 小学館 (1998年12月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094020045
感想・レビュー・書評
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ケガレ思想と差別の謎
・『古今和歌集』と六歌仙編―”怨霊化”を危険視された政争の敗者
・藤原摂関政治の興亡Ⅰ
良房と天皇家編―平安中期の政治をめぐる血の抗争
・藤原摂関政治の興亡Ⅱ
『源氏物語』と菅原道真編―ライバル一族を主人公にした謎
・藤原摂関政治の興亡Ⅲ
「反逆者」平将門編―初めて武士政権の論理を示した男
・院政と崇徳上皇編―法的根拠なき統治システムの功罪
・武士はなぜ生まれたのか編―「差別」を生み出したケガレ忌避信仰
・平清盛と平氏政権編―「平家滅亡」に見る日本民族の弱点詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歴史の真実なんてわかりっこない。だって、あんた見たの?って聞かれたら返事できないじゃん。僕達が学校で習った歴史だって、いろいろな文献やら、史跡やらから「恐らく確からしいもの」を抽出しただけじゃん。
だから、こういうのもありだと、大いに思う。 -
・どんな人間にも、どこかに「小言(忠告)」を言ってくれる人がいる。これは一見煩わしいが実は幸福なことなのだ。常に自分の行き方に客観的な評価を下してくれる人間がいれば、行き方を修正することができる。
ところが、独裁的権力を確立した人間は、往々にしてこの最も大切なモノを失ってしまう。
・パスポートをもって旅行している人間は、原則として日本政府の主権が及ばない地域にいる。師匠がある場合には助けてもらう、その代わりに外国人が日本で「故障なく旅行」できるように日本政府が助ける。つまり相互扶助をしているわけだ。非武装中立論者には、外国で日本人を守ってもらえなかったときにその国を非難することができない。
・ケガレという思想が日本人にはある。その概念が、武士のおこり
日本が飛び抜けて首都移転の回数が多いのもケガレのせい。平城京にいたって遷都がやんだのは、仏教の力 -
平安の刀伊の入寇というものを初めて知りました。政治への(今につながる)危機感も分かりました。・・・が、少々くどい。歴史の話を読みたいの。現代の憲法批判は同意する点もあるけど、別著書でして、と思うくらいくどすぎ。途中、何の本を読んでいるか分からなくなりそうでした。ただ源氏物語の謎がいくらか解けたり、穢多に関してよく分かったり、そのあたりはとても興味深かったです
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1999年4月26日読了。
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藤原道長ただのボンボン。超ワンマンな極悪非道な奴。
五代前の良房からせっせと作ってきた藤原包囲網という権力をなんの苦労もなく受け継いだ。
そんなふざけた藤原政権に立ち向かった田舎っぺ平将門。
以後100年かけて平清盛政権へと向かう。
本書が紀伝体で書かれているため、正直年表的な感覚は乏しいが、時代の流れはよくわかる。
平氏と源氏。天皇と上皇。
学生の頃は編年体で学び、なんとも合点のいかなかった人間関係が、おぼろげながらつかめた。
なぜ、武士が生まれたのか?
今では納得。
そして、ぴょーんと現代に飛んで、自衛隊という存在の仕方にも、合点がいった。
やっぱ日本人は何年経っても日本人。 -
武士とケガレについて,そして,差別の根源もケガレからきているということを本章では主に物語っている。
日本人にとって平和とは最も大切なものである。ゆえに最もキレイでなければならない。ケガレ=悪,清浄なもの=善と考えているのが日本であり,和信仰の信徒でもあるので平和は最高の善であると考えている。
平和はキレイなものなのでケガレとは一切関係がない,ケガレに少しでも触れればキレイではなくなるのだから。このため,軍隊が平和を創造することはあり得ないと考える。軍隊は死のケガレに触れるからである。ケガレに触れた時点でそれは本物の正しい平和ではなくなると考えているのだ。 -
怨霊、言霊、穢れから日本史を見据える《赤松正雄の読書録ブログ》
日本史をおさらいするうえで比類なき面白本をようやく見つけた。歴史の書というよりも歴史推理小説といった方がいいかもしれない。かねてからの「歴史通」や、今はやりの「歴女」には、何を今更と言われよう。このシリーズが世に出てもう10有余年も経っているのだから。しかし、恥ずかしながらその存在を私は知らなかった。井沢元彦『逆説の日本史』1~12である。未読の方は、まず文庫の第一巻を購入されることをおすすめしたい。
日本史を追う井沢さんのキーワードは、怨霊、言霊、穢れの三つ。彼はことごとくをこれで抑えていく。見事なまでに。彼にかかれば歴史学者は形無し。木っ端微塵にやっつけている。宗教の本来的な役割を知らずに、文献至上主義に陥ってることの弊害を事細かにまた繰り返し飽きもせずに説く。読んでる端から忘れがちな私のようなものには、まことにこれは助かる。しかし、この手法ではさぞかし正統な歴史学者や同業他者から嫌われよう。であるがゆえに、あまり世の中に評価されていないように思われるのは、著者ならずとも口惜しい。
近眼の人が寝ぼけ眼に顔を洗ってメガネをかけた時のように、ぼんやりしていた歴史絵巻が忽然と姿を現すのは嬉しい限り。というのは少々ほめすぎかも。だが、古代から中世にかけての日本人たちにとっての、様々なる神社仏閣の存在や「和歌」の持つ意味が判明するのは大きな収穫であった。軍事について現代日本人がとかく敬遠しがちなのは、何も戦後に始まったことではなく、古代からの歴史に根ざした伝統であることを知ったことも大きい。 -
穢れ(ケガレ)思想が日本の古代史を理解する上で重要、と指摘します。