ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

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著者 : 村上春樹
  • 新潮社 (1997年9月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (600ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001432

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ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 多崎つくるを読む前の軽い練習というか、村上春樹の文章を自分に馴染ませて再び物語を受け入れるための準備というか、そういうつもりで久しぶりに読み始めたら、思ったよりも強い強い力で引き寄せられて、本当にたいへんだった。ほんとうに久しぶりに読んだし、最後に読んだ頃というのはわたしが読書ということをまだ出来てはいなかった頃のことなので、ほぼ初読ということになるのかもしれない。この本は、村上春樹の数々の著作の中でも最も力強く、最も様々な試みに成功している、とてつもない本であるということを感じます。言うことはあまりないけれど、しいていえば壮大なメタファーであり、損なわれるということ、わたしは損なわれてはいないかもしれないけれど、ほんとうにつらくて、つらくて、息もできないくらいつらいけれど、水泳したいなっておもった。落ち着かないと感想は書けない。でもほんとうに凄い本で、村上春樹は何の不純もなく捉えたいことを一生懸命書いているということをすごく感じて、やっぱりそういう本がほんとうに一番信用できると。わたしは本を信用することで生きている節が少なからずあり、こういう本が存在しなくなったらどうなっちゃうんだろうと怖くなり、こういう優れた本が地球上にはとりあえずわたしの一生分くらいは残されているということへの感謝を最後にしました。

  • いやはや長い物語でした。  そこかしこに何かしら感じるものはあったものの、全体としてみると結局よくわかんない物語でした(苦笑)

    何となく・・・・・ではあるんですけど、話を広げすぎちゃっている印象を持ちました。  KiKi の知っていた「個人を突き詰め、その精神世界をどんどん深堀り(もしくは浮彫)にしていく」物語の顔を取りつつも、どんどん世界を横(半径、距離)にも縦(時間軸)にも広げすぎちゃっていて、どこか散漫な感じです。

    印象的だったのは第2部の Review で KiKi は

    「何になりたいかではなく何をするか?」 「何をするかではなく何をしなかったのか?」 結局、人間が行き着くところはそんな禅問答みたいなところなんじゃないかと、この物語を読んでいて強く感じました。

    と書いたわけだけど、まるでそれに反論するかのようにこの第3部で村上氏が

    何をしたかではなくて、何をしたはずかなのだ。

    と書いていることで、ここを読んだとき思わず、「あ、そっち??」と思ってしまいました(苦笑)

    彼がこの物語で何を描きたかったのか、生憎 KiKi にはチンプンカンプンだったけれど、村上氏の物語の中でここまで様々な「暴力」というか「個をねじ伏せる暴力的な力」が描かれていることにはちょっとびっくりしました。  まあ、戦争という究極の「個をねじ伏せる力」のある一断面を描けば否応なくそんな力に触れずにはいられないわけだけど、その「ねじ伏せる力」の背後には無数の無関心や思考停止という状況があることはヒシヒシと感じられる物語だったと思います。

    私たち現代人はこの世に生れ落ちてから、成長する過程でまずは「集団のルールを守ること」を徹底的に仕込まれます。  もちろん社会生活においてある一定のルールというのは必要なものだし、それを守る善意の人たちがこの社会を回していくのは事実だけど、子供のころから刷り込まれる「ある一定のルールを守る癖」というやつは時に「集団ヒステリー」に、時に「思考停止」にと好ましからず結果を生むことがあります。

    この第3部の最後の部分で主人公の岡田亨が語る

    「僕は基本的に、普通に生きていればいろんなことは適当にうまくいくはずだと思っていたような気がする。  でも結局のところそんなにうまくはいかなかったみたいだね。  残念ながら。」

    というセリフには、「思考停止だった状態」が色濃く反映されているような気がしたし、それが村上さん以降の世代の1つの思想的(哲学的と言うべきかもしれない)特徴かもしれないなぁと感じました。  「普通」という言葉には人は弱いものだけど、じゃあ「普通って何??」を突き詰めて考える人って案外少ないと思うんですよね~。





    そうですねぇ、あと印象に残ったことと言えば、クラシック音楽がBGMとして、ムード音楽として頻発するなぁということと、主人公は決して「かぼちゃの煮物」とか「さんまの塩焼き」とか「きんぴらごぼう」とか「ひじき」というような食べものを食さない人種なんだなぁ・・・・・ということぐらいでしょうか??  カティーサークの水割り(オン・ザ・ロック?)もいいけれど、もっと庶民的な飲み物も口にしようよと言いたくなる(笑)  少なくともおらが村の人たちはカティーサークのオン・ザ・ロックなんていう飲み物は日常的には飲んでいません。

    そういう意味からしても、この作品は(というより村上作品はと言うべきかもしれないけれど ^^;)KiKi にとってはやっぱりどこか現実味の乏しい、地に足がついていない人間の生き方の物語という印象です。    ・・・・・・な~んてことを2012年の KiKi は感じたわけだけど、この物語の舞台となっている時代は1984年でしたっけね。 ... 続きを読む

  • 井戸(深層心理)に潜って、妻とさえ深く関わらなかった僕が人と関わり、自らの&妻の新たな一面(死角といわれている部分=悪の綿谷 同じ人間なので、僕は綿谷を殺しきれず、妻=娼婦性)を知る話。
    また人間の悪も描いている。
    二人は綿谷を殺すことで新たな絆を築く(妻の分身クレタに子供ができたということでそれが表わされている)。
    また間宮中尉と僕をシンクロさせることで、クロニクル(年代記)にふさわしく、上手く過去と現在を交錯させ、作者にしては珍しく家族関係を綿密に描いている。
    全ての登場人物が自分探しをしている感じ。

  • 「優しさにつつまれたなら目に映る全てのことはメッセージ」そういう歌があったが、世界はメタファーだ。確かに。私が閉所恐怖の傾向にあるのは、内省的に自分と向き合うのが苦手だということの現れなのかもしれない。主人公が奥さんを奪還するためにすべてをかけて、あちらの世界とこちらの世界を勇敢に往来する展開は、重厚なミステリーでもあり、哲学的な読み物だ。ノモンハンの話は衝撃的で本を読んで恐怖に襲われたのは久々だった。村上作品では珍しく登場人物を好きになれた。名作。遅ればせながら知った。90年代半ばの作品。

  • かなり熱中して読んだ。
    直前に読み終えたのが「羊をめぐる冒険」であったため、綿谷ノボルについての結末と併せると彼には羊が憑いていたと思った。
    これで村上春樹の長編は大体は読み終えた(そういえばアフターダークをまだ読んでいなかったし、騎士団長殺しもまだ手元にないが)ことになる。
    作中に出てくるあらゆる類いの邪悪で残虐なモノ、あれは一体何なんだろう…村上さんのどこから出てくる(あるいは感受する)のだろう…
    そのモノに打ち克った(バットによってだったため打ちかつという表現がしっくりくる)のは愛の力だった、と書くとあり得ないほど陳腐であり、僕の思ったことと随分乖離しているように思うが、これこそが村上さんのいう「言葉にすると失われてしまうもの」なのだろう。
    間宮中尉の手紙を読んでいると、改めて村上春樹の筆力に圧倒された。批判も絶えない作家だけれど簡単に真似できるものではないね。

    追記、村上春樹の作品における主人公は大体ネチネチしてる感じがして嫌いだけどねじまき鳥さんは好きだな。

  • 特に印象に残ったのは、時が経つと自分の記憶が正しいかどうか証明できなくなるという主人公のこと。混乱する原因は、一つの問を提示して二つの異なる答を用意するからだと思う。ああだったかあるいはこうだったかというように。また、運命論とは言っていないが、こうなることは最初から決まっていたという諦めにも似た気持ちも頻繁に描かれていたと思う。吐き気を催すような戦時中の残虐なシーンの描写、ここではない別の世界、或いは夢の世界の話は結構引き込まれた。奇妙な話の連続だし、人の心は複雑だし、はまったら抜け出せなくなる作品だと思う。

  • ユーモラスな比喩を用いた表現力、時空を超えて繋がる因果、数々の謎めいた出来事、微かに見える羊的存在、読者の平凡な日常を忘れさせるだけの十分な要素が詰まっている。
    ナツメグやシナモンのスピリチャルな雰囲気、1Q84でも登場する牛河の強烈な個性、皮剥ぎボリスの暗躍などどれもこれもフィクションとは思えない。妻が不特定多数の男と交わりつつも夫を裏切った罪悪感を感じないところにもリアリティがある。確かにもし罪の意識があれば不特定多数とは関係を持てないはず。
    残りのページが少なくなるにつれて読み終えるのが惜しくなり同時に寂しさも混じった心境になる。墓まで持って行きたいほど愛する作品の一つ。

  • エヴァンゲリオンもかくやという位、いろんな伏線っぽいほのめかしをすっ飛ばしてくれるわけで、これが、ジャンル小説なり、あるいは中間小説であっても、普通は総スカンですよね。ところが、そこがいいとか味だとか言ってもらえるのが村上春樹クオリティ(笑)。冗談はともかく、作品全体が、意地悪くも不条理な夢なんですとでも言えば、それなりの納得感は得られるかというところなんだけど、それ自体は、世界の終わり……あたりで良いだけやってたんじゃなかったっけ?みたいな。ちなみに、カリーナクーペGTツインカムターボの代わりに、今や500SELだし911(年式は不明……時代的には964の頃だよね。どうでもいいですかそうですかすいません)だったりします。「僕」も、バブル期を経て、ある程度お金持ちになったのです。いや、主人公が車に乗ったわけじゃなかった。すまん。
    それにしても、おそらく読んでいて救いがあるとすれば、時代の「あたりまえ」に対して一番落伍感のある笠原メイが、なんだか幸せそうなことですね。それに、主人公からあんなにも切実に求められたじゃん。ある意味、失踪したクミコさんよりも切実に(何しろ命に関わるからな)。その割に、手紙なんて届いてないとはまた御挨拶だなぁ。まあ、しょうがないか。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    猫は戻り、涸れた井戸に水が溢れ、綿谷昇との対決が迫る。壮烈な終焉を迎える完結編。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    おおお。
    「壮烈な終焉」とな。

    でもここの主人公はかっこいい!です。
    今までの村上春樹作品にはない前向きさ!

    「僕の考えていることが本当に正しいかどうか、わからない。でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。これは僕にとっての戦争なのだ。「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。「僕は君を連れて帰る」僕はグラスを下に置き、毛糸の帽子を頭にかぶり、脚にはさんでいたバットを手に取った。そしてゆっくりとドアに向かった。」

    どうですか!
    奥様を取り戻すために巨悪に立ち向かうその姿!

    いやぁ、かっこいいですよ...
    女子が一度はあこがれるシチュですよ...
    意に背いて引き裂かれる二人。
    取り戻しに来る恋人。
    自分のために戦おうとしてくれる...

    はう。素敵だわ。

    今までの村上作品でこんな男性がはたしていたでしょうか!?

    ...って言うか「国境の西」は一体どこに挿入されるはずだったんでしょう...
    奥様が失踪する前?
    自分にもこんなエピソードがあったんだよ~みたいな?

    うーん...
    いらないね、確かに(笑
    それあったら主人公のかっこよさだいぶ目減りするわ。

    最後のこの作品では、多分に政治的な内容が含まれている気がします。

    綿谷昇に象徴される、メディアとの関係。
    間宮中尉、「クロニクル」、ナツメグの過去に現れる
    戦争の記憶。

    重く苦しい時代の閉塞感、というものは共通しているのかも知れません。

    何かとてつもなく大きなものに流されている...
    そしてそれはもしかしたら強大な「悪」かもしれない...

    村上春樹はこの作品を通して、本当はもっと大きなものを伝えたかったのかも知れないですね。

    忘れてはいけない過去。
    誰にとってもつらく、苦しいことしかなかった時代...

    享楽の60-70年代を経て、この作品にたどり着いたのかな...と思うと、何か深い深いものを感じます。

    で、そんな重ーい話が続く中、主人公には届かない笠原メイの手紙が現実を思い出させ、ほっとさせてくれます。

    彼女はこの「巨悪」に関わらず、興味を持たず、
    淡々と、でも人間らしい生活を送る唯一の人物に見えます。

    もちろん彼女も重い過去を持った人物ではあるのですが...
    ここでは「救い」の役割を果たしているように見えますね。

    あ、でも、井戸に閉じ込めたりするツンデレですがw
    ほかの女性たちのように病んではいない感じ。

    綿谷昇と主人公は、精神世界で対決を果たします。
    そしてその勝負の行方は...
    奥様の決断は...?

    あ、小さな声で、良いニュースを。
    「猫が帰ってきましたよ...」

  • 自分が好きな3巻ものの小説に共通していると、私が個人的に感じること。
    1巻目はストーリーに引き込まれて背景や状況を理解するためにむさぼるように読み、2巻目で中ダレ、3巻目は終わりを知りたくて、止められなくなる…。

    この本も然り。どんな伏線としてちりばめられているのか、ヒントがなかなかつかめないまどんどんページをめくらずにはいられないスピード感がある。
    さすが、村上春樹って感じ。

  • やっとの思いで第3部へ。あー、もうめちゃくちゃ良かった。何で1回投げ出したんだろ。もう、あの800ページはなんとまぁ壮大な伏線だったのか!! 第3部ではほぼ全ての謎が解け、結末もまぁ、納得。 アヒルのヒトの件は、ほのぼのしていて、かなり秀逸。個人的には笠原メイがかなりいい味出してると思う。言える事は、『ねじまき鳥クロニクル』最後まで頑張って読んで良かった!傑作と称される意味がようやくわかった。これは最後まで読まないと味わえない感覚だろうなぁ。読後感もいい。また読みたいと思わせる作品だった。2010/025

  • 〜以前書いたレビュー〜
    さよなら、笠原メイ。

    という言葉に、何となくしんみりきてしまった。
    ナツメグにも、シナモンにも、そして笠原メイにも、
    彼はその後会わずに生きていくのかなぁ、って思って。

    僕はあのお話のヒロインは、
    絶対にクミコではなく笠原メイだと思うんだけど、
    どうだろう。

    もしそうでないのなら。
    きっと手紙は届いていたと思うんだ。
    届いてなかったことが、
    僕の中で彼女をヒロインたらしめている。

  • ようやく読み終わりました。

    独特の世界観、表現、描写はさすが。
    あらためて読書とは現実逃避の娯楽であることを再認識しました。

    ただ、カフカからどちらかというと遡っての村上ファンとしては、
    少し難しすぎたかなぁ、という感が否めません。
    その世界観の素晴らしさ、独特さゆえ、表層的な楽しみ方でも十二分に満足できる小説ではあると思いますが、
    ここまで謎や問題を提起されてはやはり深く理解したいと、
    人間の根源的な知的欲求がムクムクと湧いてきます。
    それこそ井戸水のように。

    今はまだ、なんというか不可解な絵画をじっくりと眺めている時のような心持です。
    夢に出てきそうなくらい衝撃を受けているのに、その意味はすんなりとは頭に入ってこない。

    そう思うと、やはり不思議な小説だし、
    不思議な作家さんだなぁ・・・。

    まぁでも退屈な人には最初から最後まで退屈でしかありえない小説だとは思います。
    好き嫌い分かれるよなぁ、これは。。しょうがないよなぁ・・・。

    私は好きですが。
    多分、なんだか分からないものをなんだか分からないまま受け入れられる人でないと無理なんじゃないかな。
    何が何でも答えを出したい!って人には無理かも。

    その答えを、あーでもないこーでもない考える時が、
    この小説の一番の醍醐味なんではないかと思う。
    それが、村上さんも望んでいることなんではないかと思う。
    (実際少年カフカという、読者に村上さんが答える形式で書かれた雑誌でも、
    ほとんどの質問に明確に答えていなかったし。)

    なので、今からわたしは、ねじまきを読み終わるまで読まないぞ!と決めていた
    『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』を読んで、
    その醍醐味の部分を味わおうと思います。

    あーたのしみ!!

  • ふしぎなことだからけだけど、
    言わんとしてることはすごくわかるんだよなー
    言葉にはうまくできないけれど。
    主人公とクミコの想い合いは胸が熱くなります。こんな夫婦になりたいものです。

    アヒルのヒトたち、というメイの表現だいすき。

  • 読み終えた後しばらくは、井戸を見つける度に背筋が冷やりとする。

  • 終わりが気になって急いて読んでしまったからもう一度読みたい

  • 正直なところちょっぴり長過ぎたような感覚。
    最後の3章くらいで「事実」というか「真実」というか、とにかく謎の女が電話を掛けてきて猫の元ワタヤ・ノボル(サワラ)が居なくなって、それから次々に起きた物事が辿った道筋が、ぼんやりとした月の光で照らされた不明確な輪郭のように浮かんで終わった。

    個人的に、各章の題が好い。

    このながいながい話をまとめれば、
    猫の名前がワタヤ・ノボルだった世界が、行って戻ってきて、サワラになったということなんだろうね。

    「正しい名前」「良いニュースは小さい声で語られる」

    さよなら、より、おかえり、と言ってあげたいようなお話でした。

  • 12/04/15
    上中巻で深く関わってきた加納姉妹がほとんど出てこない。
    様々な人物と出会い、関わり合い、また離れてく。他を意識することにより自己の輪郭を強めていく。村上春樹小説にありがちで大好きです。

  • う~ん、不思議なお話でした。
    「主人公が妻を取り戻す 」というところが大きなテーマなのですが、そこに行きつくまでのいくつかのエピソードがまるで一冊の本のなかに何冊分もの本がつまっているように感じました。「1Q84」を先に読んでいたのですが、牛河の登場にはビックリさせられました。
    楽しみに読むことができた三冊です。

  • 長い長い物語だった。
    ごくごく普通の生活を送っていた「僕」が、ある日突然その日常性を「邪悪なもの」によって奪われ、想像と現実の織り交ざった世界で、もとの平穏な世界を取り戻すために葛藤する、というような、プロット的には非常にシンプルな(?)話。(内田樹の解釈の受け売りだが…)
    大枠がしっかりしているだけに、細かな出来事の解釈が難しい!謎が謎をうみ、最後の最後までハッキリしない点もたくさんある。

    話の展開が流暢ではないため、何度も挫折しそうになったが、この物語全体に流れている独特の秩序が、不思議と自分を引きこませた。個々の登場人物の抱える過去と、それを元に作り上げられた現在の関係性が非常に興味深く、人間を形作っている内面的なものについて、読みながら深く考えさせられた。

    これから何度も読み返したいと思える本(大変だけど…)。

  • 3冊読むのに2ヶ月くらいかかってしまいましたが
    とても面白い話でした。
    大学2年生の時くらいに読もうとしましたが
    全然おもろないと思って読むのをやめた作品ですが
    結婚して3年くらい経ち、30も近くなってから読み直すと
    物凄い面白い話へと変わっていました。

    失われた妻を取り戻す話。
    勝手に主人公を自分に重ね合わせてしまいました。

    1部2部とあまり話が進んでいきませんが
    3部になって話のテンポが良くなり色んな登場人物の視点から
    話が展開するようになって急激に面白くなりました。
    色んなことがハッキリしないまま終わるような気がしますが
    それはそれでいいかなと。

    かつら工場の話なんかは「日出ずる国の工場」で
    取材したのが生かされたんだろうなぁと勝手に想像。

  • ん〜。途中何度もこの物語は村上春樹さんの作品の中でも下の方かな・・・、と思ったけど・・・読み終わって振り返ってみると・・・他の作品に劣らず面白かったな〜〜〜。時間をおいてもう一度読んでみたいと思わせる作品。いや〜読みごたえあったな〜。

  • 最終章。1・2部の倍ほどの厚みがあり、本を開く前から圧倒されました。
    全ての希望を取り上げられ、八方ふさがりのように思えた主人公ですが、新たな局面が展開します。
    彼にできたあざから、ある特殊な人々に求められるようになるのです。

    赤坂に事務所を構えるナツメグ・シナモンという不思議な親子。
    マルタ・クレタの姉妹は、すっと姿を消してしまいましたが、入れ替わりのようにこの親子が主人公と関わっていきます。

    マルタの記憶と間宮中尉の記憶の類似。
    シナモンの話には、戦争時、動物園での動物銃殺の話も登場します。
    ノモンハンでの残酷な話はまだ終わっておらず、更なる中尉からの手紙で、再び皮はぎボリスの悲惨な後日談が展開されました。
    いろいろな意味で暴力的なこの物語。
    暴力と蹂躙と癒しが、テーマなのでしょうか。

    この息詰まる物語を、読者の気を逸らせることなく最後まで運んでいく筆力には驚くばかりですが、この3巻は、これまでとは違ってかなり超現実的な話が前面に押し出されるようになっていたため、私には入りづらかったです。

    不思議な力を持つマルタ・クレタに驚いていたら、ナツメグ・シナモンも登場し、主人公の敵という立場にある綿谷ノボルにも、そして主人公本人にも特殊能力が備わっているという話。
    もう、登場人物のほとんどが超能力保持者じゃないですか。
    どんどん親近感が薄らいで、人物に寄り添いながら読んでいくことが不可能になっていきました。

    春樹だけでなく、ばななといい、伊坂幸太郎といい、力量がある作家でありながら、作品の中に非現実な超ミラクルな話を日常的に取り込んでしまう傾向が強いと思います。
    そういった、読者の理解を超える不思議設定にしないと、現実の話だけではドラマティックにならないのでしょうか。
    読む側としては、目くらましをかけられたようで、若干興ざめになります。

    兎にも角にも、2巻までは妻に去られたことで孤独感にさいなまれていた主人公が、様々な人と出会い、交流していました。
    ただ、誰もが胡散臭く、その中でマトモそうな人は、不動産屋の御隠居くらいしかいませんでしたが。

    春樹作品の主人公は、だいたいいつも似たような人物像ですが、この作品では、逆境にも決して負けることなく、諦めずに勝機を見計らって巨大な敵に捨て身で立ち向かっていく、いつになく熱い男性でした。
    そのため、明るい未来がほの見えるようなエンディングになっています。

    タイトルの「ねじまき鳥クロニクル」とは、シナモンの作った話だということもわかりました。
    しかし、シナモンの父親の死の謎は、結局うやむやのまま終わってしまいました。
    5才の時、庭に(父親の?)心臓を埋められるのを見たのはシナモンだったのかも、はっきりしないまま。

    全ての人物が、うやむやのまま彼の前から姿を消してしまいました。
    残された繋がりとして、彼は北の海沿いの村にいるメイに会いに行き、拘置所にいる妻の釈放を待ちます。
    一人きりの状態は変わりませんが、それでも、戻ってきた猫が今は傍らにいるので、もう孤独ではないのでしょう。

    ただ、結局ねじまき鳥はなんだったのか、不吉な徴候の表れだったのか、モーツアルトの『魔笛』になぞらえた副題の鳥刺し男とは、ねじまき鳥とかけているのか、わからないことは山のように残っています。

    『1Q84』を先に読みましたが、牛河はこの作品にも登場していたんですね。
    全く変わらないキャラでした。
    残虐すぎる箇所も多く、それも入り込めない理由の一つでしたが、あえてそれを幻惑的な物語の中にしっかりと取り込もうとする作者の意思が感じられます。

    奥深く入り組んだ、摩訶不思議で複雑怪奇な世界。
    その世界の中、読者はなすすべもなく、幻惑される... 続きを読む

  • 長い長い物語は

    ゆっくりと

    確かな傷跡を残して

    眠りにつく。

  • 現実から引き離されるようで、現実の世界の物語。「考える」という人間を人間たらしめる行為。そこにある物語。目で見る現実と過去、思考の中の物語。すべて現実。繋がっている。この本をそんな風に感じた。
    また登場人物がいい、別れを惜しむ。しかし、それを受け入れてもいる。そんな人々に共感した。

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ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)の作品紹介

猫は戻り、涸れた井戸に水が溢れ、綿谷昇との対決が迫る。壮烈な終焉を迎える完結編。

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)はこんな本です

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