機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

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著者 : 横光利一
  • 新潮社 (1969年8月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101002026

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 横光氏への評論家・河上徹太郎の言葉をば…

    「文学の神様」といわれるのも、
    ツボへはまるようなことをパッと言うからだよ。
    実際は神様でもなんでもないんですけれどもね。
    素直すぎてほかに色どり、アクセサリーがないもんだから、
    坊主が神様になっちゃうんだ。


    むっつり腕組みしながら面白いことを言う人だったらしいです。

    変化球ではない、良くも悪くもストレートな文。
    欝な内容であっても生々しい精気が込められた言葉。
    こーゆーの好き。超ストライク。

  • 大学の講義で扱われた横光利一。その表現の柔らかさに惹かれ、手に取った一冊。

  • 図書館で。前に春は馬車に乗っては読んだことがあったみたいです。多分何かのアンソロジーに入っていたんでしょうね。独特のフレーズと表現で忘れられない作品でありました。(が、題名は忘れていた)それにしても昔の本なので活字が小さく、読み終わるまでえらい時間がかかりましたが楽しかったです。

    大正時代に書かれたとは思えない今読んでも新鮮な感じのする作品だなあと思いました。勿論言い回しや取り上げている題材は新しくは無いですが文章が実に独創的で面白い。主人公がちょっとずれていて面白いというか。機械は面白かったなあ。ああ言う心情の人ってちょっと居ないと思うので。後、御身は自分も姪が出来たのでわかるなあ…と思いながら読みました。面白かったです。今度長編も読んでみようと思います。

  • 独創的な比喩が楽しく感覚的でありながら、
    それでいて、意識の流れを論理的に分析するようなところもあり、
    個人的に好きなタイプの表現をする作家です。

    時代を感じさせずそのまま現代に通ずる作品と、
    大正から昭和にかけての時代背景の色濃く残る作品が入り混じっており、
    それぞれ異なるタイプの短編により作家としての幅が楽しめます。

    一番気に入ったのは『春は馬車に乗って』ですが、
    それ以外の作品もそれぞれ味があり、よくできた短編集となっています。

  • 日本文学史2の教科書。

  • 川端康成と並ぶ新感覚の代表である横光利一の代表作。純粋に「機械」のパートだけなら読了に一時間も要しないほどの短編であり、文体の特徴としては直接話法(「」)を用いず、また読点が極端に少ないことが挙げられ従って非常に読みづらいのであるが、これはこの短編が「意識の流れ」という当時アメリカの心理学者によって提唱された概念に影響を受けた実験小説であるためだそうだ。この斬新な手法による、頭のおかしい語り手の超主観的な心理描写による独特の世界観が特徴的である。

  • 彼自身が定義した「四人称」なる概念の実践小説である「機械」。四人称とは、「自分を見る自分」その他、自意識にかかわる問題を処理するために設定された概念らしい。つまり、小説内での語り手である「私」というものを絶対視するのではなく、語り手自身も他者の考えや意識がトレースされたり、そもそ小説自身が語り手の妄想かもしれないよ、ということ。
    そう、この短編集において驚くのはその自意識というものが殆ど見られず、風景描写の方が印象に残るということ。これは、作中でも度々出てくるように著者が俳諧を嗜んでいた事と関係しているように思う。
    そう、俳句や短歌というものは近年の歌謡曲に出てくる歌詞と異なり、多くはそこに「私」というものが存在しない。そして、自然の移ろいとその変化というものをそのまま描き出そうとする。俳句に季語が必要なのはその為だ。
    そして、そんな感性を人間関係に転写しようと実験したのが「機械」なのだと思う。誰もがネットで自分語りをするこの時代にどこまでこの感覚が伝わるかはわからないけど、自分を絶対視したって楽しくないよ。

  • 表題作はどちらも面白い。前者は心の絡み合いが癖になり異次元体験へと引き寄せてくれる。後者は分かりやすい筋書きだがそれ故の面白さが際立つ。瑞々しいヤンデレと言うべきか。あとは『微笑』が面白かった。外国物には興味が持てず。退屈なのもそれなりに。

  • 新感覚派の代表的人物。川端はノーベル取れるのに利一は受賞なしかorz

  •  どうしても、後期の小説は、巧みであることは絶対に間違いないと認めつつも、その論理性と倫理性のあまりのどぎつさに、辟易してしまって、端的に言うと書きすぎに思えてどうしようもないのだが、書きすぎてしまうことが凄まじいまでのうねりをあげてくる中期の「時間」と「機械」は、今読んでも未知のものに触れたという感じが強い名編であるように思う。
     蛇行しつつもすべての心理描写を一本の線の内に取り込んでしまおうとする文体は、「時間」においては世界の観察者たる語り手と語られる人物との間に生ずる時間の共有可能性と不可能性を巡る記述として利用され、「機械」においては噛み合わない四人四様バラバラの動きがまるで歯車のように個々人の意思を超えたレベルで統合されその様はまるで機械だという主張に利用されているように読んだ。統合される個々人意思の不在は不気味であるがその不気味さが結局心理であるように思えてくるその書き方が上手すぎて、だが驚嘆する前にまずどうしたってこの文体そのものの持つ音の異様さにやられてしまうだろう。全体のうねりによって迫ってくるような短編でありこの凄みは初期から後期への橋渡しでありつつも、同時に断絶であるような気がしてならない。

     初期の作品は「春は馬車に乗って」が書きすぎていない名短編といった具合で、「ナポレオンと田虫」はある人間の意思が肉体的な苦痛から立ち上がってくるという主題をナポレオンに植え付けたユーモラスな傑作です。後者は描写の視点の動き、田虫という隠された存在と固有名だけで顔が浮かぶほど強烈なナポレオンの描写をどう縫っていくのかということを、異常に視点が飛び移る感覚で切り抜けているところが非常に面白い。新感覚派としてデビューしたという部分の凄みは、この辺から感じられるのでは。
     後期は、「微笑」が好きでした。

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