吾輩は猫である (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010014

感想・レビュー・書評

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  • これを読まずにして、日本文学は語れない。

    夏目文学は文章がお手本と聞いている。

    古ーいので読むと、漢字が古くて読みにくかった。今はいいよね。

  • 2ヶ月ぐらいかかった(笑)
    ユーモアが、とんでもなかった。猫視点から僕たち人間をめっちゃバカにされたが、夏目漱石さんの言葉に、うんともすんとも言い返せないと思った。

  • 新潮文庫版を購入したのは、注釈や解説の豊富さから。
    主人を中心とした人間社会を、悠々自適で妙に鋭い猫の視点から面白おかしく批判する。そんなエピソードを連ねた物語。

    この時代から既に、夫婦は相容れないことや人間はゆくゆくは自殺に行き着くようになることを言っていて、頭の良い人というのは100年200年先の未来が見えるのだなと感心した。現代になっても社会は同じような問題を抱え、明治に予見されていた問題の根っこがただ深くなっただけのような気がする。

  • 登場人物がみんな個性的で楽しい!
    適当やけど物知りな迷亭、真面目にふざけてる寒月くん、芸術肌の東風くん、我を貫き通す独仙、それから頑固で胃弱で少年のような苦沙弥先生。
    奥さんもおさんも子供達もかわいいし、車屋の黒も三毛子もかわいい。
    吾輩の物言いももちろん面白い。
    前半は気軽に読めるけど、後半になってくると段々小難しくなってくる。
    けどまあさらっと読むのが良い。

    解説にも書いてあったけど
    「面白い場面をつなぎ合わせるものとしてのみ筋はある」から、何回でも楽しめると思う。
    また気が向いた時に読みたい。

  • 猫の目から見た人間の観察録。日露戦争当時の知識層に属する人々の言動が面白く、一気に読める。長編小説というよりも連作社会風刺小説。ただ、エピソードのそれぞれにきちんとオチがある。ラストはすべてのエピソードを締めくくる壮大なオチと考えても良いかもしれない。やや厭世的。明治人の話し方が心地良い。

  • ネット上に於いて繰り広げられるやり取りは得てして、物事を単純視し短絡的な考えで人を罵倒し、バカにしがちだ。しかし、その対象が自分の期待を裏切るとプライドが傷つくのか激怒し、余計に執着して過激化へと向かい、あら探しに終始するのを、私は嫌と言うほど見てきた。要はその対象の存在に呪われるているのである。

    原因はよくわからないが、人間という存在の難解さを理解できない、もしくはしようとしないからかもしれない。まあ、人はメンツが保てないと怒るのだろう。

    大学生の時分、私はネットに影響され人を理解しようとせず冷笑的で嫌な人間であった。しかしその過ちに気付き、人の多面性への理解が深まったのが夏目漱石「吾輩は猫である」である。

    多くを語ることは野暮であろう。苦沙弥の苦悩や迷亭の呑気そうに見えつつも、自身が抱いている時代への不満等に、猫はどのように結論づけるのか…少なくとも、自動車教習所の待ち時間に読んでいた、世間知らずの私には今までにない読書体験であった。

    ネットで調べればすぐわかることであるが、あまり前提の知識がない方がいいと思う。
    猫で得た読書体験が未熟ながら私の人生の土台となっている。

  • 小説家漱石40歳の処女作。誰もが知ってる名作。明治39年(1906年)作。最後までちゃんと読んだことなかったのであらためて読了。
    飼い猫の目から見た苦沙弥先生のとりとめもない日常から人生の真理をついた問答まで軽妙洒脱に綴られていく。苦沙弥先生は漱石であり、猫は内なる漱石であろう。
    …自分で自分の馬鹿を承知している程尊とく見える事はない。この自覚性馬鹿の前にはあらゆるえらがり屋が悉く頭を下げて恐れ入らねばならぬ...
    …今の人はどうしたら己れの利になるか、損になるかと寝ても醒めても考えつづけだから、勢い探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。二六時中キョトキョトコソコソして墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の呪詛だ。馬鹿馬鹿しい...
    しっかりと腹落ちする良質の人生論。さすが漱石。

  • 夏目漱石の処女小説。

    中学生の時に読んだ記憶が薄っすらと。

    それでも強く印象に残っている一冊。

    今回は猫を飼い始めてから読んでいるため、うちの猫の様子とイメージが被った。

    ほんと猫は気まぐれな生き物。

    猫は気まぐれでわがままなくせに、「人間はわがままである」なんて言ってるからおかしい。

    猫目線で社会の様子、人間関係の様子、猫の気持ちをすごく巧みに表現されており、読んで感心する場面も多かった。

  • 良い意味で下らない。
    が、とても面白かった。
    猫の視点から語られる人間の愚劣さに共感し、尤もだと感じた。
    それにしても本当に夏目漱石は素晴らしい教養人、エリートだったのだなと感動した。
    初見の難解な熟語や到底理解出来ない論理、知らない偉人名を目にする度、膨大な知識を有していた事実を目の当たりにして畏敬・畏怖の念が湧き上がった。
    対照的に己の無教養が恥ずかしくなった。

    <猫である「吾輩」>
    「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」から推察するに、珍野家における彼の立場は最低であるにも拘らず、その思考能力が教師である主人・苦沙弥より抜群に優れているのがまた面白い。
    人間を客観的に捉え、一切の遠慮もなく手厳しく批判を述べていて、勢いがあって清々しい。
    人間の愚かさを説く一方で、主人の動向を逐一気にしている様子がいじらしい。
    何気なく膝の上に座っているなんて可愛い。
    鳴き声を打算的に出しているのには笑った。
    酒を飲んで溺死と言う最期は何とも可哀想だ。
    2歳で死を迎えるとは早世ではないか。
    人間ではなく「吾輩」自身の生活についての描写がもっと欲しかった。

    <「吾輩」の知り合いの猫>
    車屋の黒は別として、三毛子が可愛い。
    「吾輩」が主人に似て昼寝して家に籠っているばかりだからか、あまり登場しないのが惜しい。

    <苦沙弥>
    これ程まで偏屈であるのに教師が務まるのかと不思議である。
    野良猫だった「吾輩」を飼猫にした本人なので、無関心そうで意外と優しい一面も持っているのではないか。
    自ら進んで言葉を発しないので、正直存在感が迷亭や寒月に押されて消えそうになっている。
    小さな娘達に対して悉く放任主義で通しているのは、もう少し面倒を見たり可愛がってはどうかと思った。
    あまり家族に興味がないと見られる。
    痘痕を気にしつつも鏡を長時間眺めているので、結果的には自己愛が強い。
    夏目漱石自身がモデルだと言われているが、確かに胃弱や痘痕を気にする神経質な性格は共通している。
    しかしここまで間抜けではなかっただろうと思いたい。
    彼の滑稽な思考・行動を読んでいると猫と一緒に軽蔑してしまいたくなるが、私も類似点が幾つかあるので笑いながらも自身の欠点を指摘された様で複雑な気持ちになる。

    <珍野家の人々>
    苦沙弥の細君である珍野夫人はどうしてこの様な子供染みた変人と結婚したのだろう。
    扱いにくい男の面倒を飽きずに見ていて心底感心する。
    登場人物の中で一番まともで親近感が湧いた。
    長女とん子、次女すん子、三女めん子(通称坊ば)の奇天烈な名前の由来が知りたい。
    三人娘が食事や悪戯をする場面は現代でもよく見られる日常風景である。
    非常に騒がしいが、この様な光景が幸せを表しているのかなと思った。
    三人共主人に似ておらず口が動く。
    おさん(清)は何歳だろうと気になった。
    まだ二十歳に達していないだろうか。

    <苦沙弥の知り合い>
    迷亭が独身を貫いている理由は何だろうか。
    女性に興味がない訳ではないだろうが、あまりに苦沙弥を揶揄ってばかりいるので、もしかしたら苦沙弥に片想いをしているのではないかと少しばかり考えたが違うだろう。
    苦沙弥の次、若しくは一番に登場頻度が高く、詭弁を弄してばかりで嘘八百な人間と言う印象が強く残った。
    何故か寒月が好男子だとは想像出来なかった。
    にやにやしているからであろうか。
    暴慢な金田家から結婚を申し込まれたりする位なので多分そうなのだろう。
    あれだけ富子に熱を上げていたのに、知らない裡に地元の女性と入籍していて何だこの人と思った。
    バイオリンの件は長い割にはどうでも良かった。

    <珍野家の近所の人々>
    金田家の人々は意地悪くて皆嫌いだ。
    態々悪口を隣人に言わせるのは馬鹿げている。
    鈴木を利用する点でも卑怯である。
    その上、車屋の子供迄お金を利用して嫌がらせを行うとは下劣極まりない。
    落雲館中学校の生徒達も子供にしては悪賢い。
    余程近隣の人々に白い目で見られていると考えられる。
    流石に苦沙弥が気の毒に思えた。

  • 読んだのは何回目かになると思うんだけど、今回が一番良かった。

    さらっと読むと面白いんだけど、「猫になった振り」をして自分のことを卑下して書いている部分は、「そんなことは思ってないくせに・・・」と、ついついうがった見方をしてしまい、鼻に付く。

    後半は『猫』居ないし・・・
    長編過ぎて、もう猫の事なんて忘れてしまったのだろうか・・・

    文書量を300頁くらいに減らして、もっと「猫から見た主人の話」で通せば良かったのに。

    それにしても、よくもまぁ、こんな終わり方でまとめられたものだ。
    途中でラストの終え方を考えていたんだろうな。と思うことも。

    次回読んでも、「今回が一番良かった」と思えますように!

著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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