小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101030050

感想・レビュー・書評

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  • ずっと知っていた作者名と、表題。(たしかどちらかは学生時代、国語の教科書に一部が収録されていたように思います)。本箱に納めてからでも、もう四年ほどが経ち、先日整理の際に引っ張り出してきてやっと読みました。

    高く評価されてしかり。そんな作品です。
    (実は太宰治の「如是我聞」を先に読んでいたので、なかなか手が伸びなかったのですが)

    ほんとうに短い短編ですが「城の崎にて」。死のこと、いや生のことを深く考えさせられる一篇でした。

    「小僧の神様」。これを読んだら小説の神様と言われるのもまたうなずけます。ま、確信犯であるとしたら「あざとい」と評してしまうかもしれませんが。

    この
    上記二編を読むだけでもこの本を買った価値が十分にありました。

    最後の連作風の数篇は故意に時系列をずらして収録されています。
    はじめは「?」でしたが、そのうちにCDをランダムモードで聞いているような感覚に。意図されたことなんでしょうが、ただ混乱するばかり。きっと二度、三度と読み返していくうちにその真価を読み取れるようになるんでしょうね。

  • 表題作がよくできているのは認めます

    ただリアリズムの先にあるのが
    都合の悪いことには知らんぷりという自己肯定になっていませんか

  • 何回読んだかわからないくらい、好き。

  • 目の前に情景が面白いように浮かんでくるのには感動した。

  • 夙富盛名的作品,雖然可以理解時代不同,但這裡面的男人對待女性的態度讀起來實在很痛苦。

  • 小僧の神様は感動した。

  • 志賀直哉の代表作城崎にてが収録されている短編集です。
    このほかにも様々な作品を楽しむことができます。

  • 【請求記号:913.6 シ】

  • 高校生の頃、現代文の教科書で「城の崎にて」を読み、ずっと頭から離れなかった作品。当時は「ほぇえ~」くらいだったが、5年くらい経って読むと「おぉ~、自分の気持ちをその出来事に重ねちゃうのか~、すんげぇ~、天才だこの人」と思うようになった。
    自分の考え方・捉え方が成長してると再確認できた。
    「佐々木の場合」は妙に共感できる場面があり、恥ずかしくなった。

  • 明晰な文章が良い文章なら、
    ニュース記事が一番優れた文章だ。

    と言ったのは誰だったっけ?谷崎潤一郎?

    文章のベクトルが違うのだから、
    実用文と芸術文を比べても仕方がない。

    しかし芸術文であっても、
    明晰な文章である方が、
    読み易いし、意味を汲み取り易い。

    意味抽出が本人にしか出来ないような、
    レトリックだらけの文章は、
    商業文章には向いていない。

    その点、志賀直哉の文章は明晰で、
    描写も細かく、心の動きも機敏に捉えている。

    志賀直哉最高!
    志賀直哉万歳!
    king of 小説!
    god of 小説!

    と崇めたつ祀られ、
    一体幾万人もの物書きが、
    真似して挫折した事だろうか。

    その死屍累々に、
    志賀直哉はどう思っただろうか。
    多分歯牙にもかけなかっただろう。
    シガだけに。

    ……

    滝沢カレンがかける粉チーズの量より多いくらいのレトリックまみれの文章が、
    個人的には好みだ。

    文章の曲、諧謔は、
    知的遊戯として永らく人間の脳をして栄えてきた。

    駄洒落だってその一端、
    いや、メインストリームだと思う。

    詰まる所(何を詰めたのか)、
    明晰な文章に対しては、
    割と嫌悪感があったりする。

    だが、志賀直哉は別だ。
    というか、
    明晰だとか芸術だとか二項対立、二元論で、
    片付けしてしまうのが間違いなのだ。

    自作自演も甚しいが、
    芸術か、芸術以外かみたいなローランド的な極論なんか必要無い。

    面白いか、面白くないかのローランド的な極論が必要なのだ。

    マジカルラブリーは面白かったから優勝した。
    それでいいじゃないか。

    一番面白い奴が優勝説はかまいたちが考察で語ってたことだが、異論ない。

    脱線したし、
    二項対立、二元論良くないよね。
    みたいな箇所の矛盾の弁明は、
    紙片の都合で端折ります。
    (SNSにおいて紙片とは?)

    本の内容の話がしたかったのに、
    無駄話が長くなりました。

    志賀直哉中期の短篇集。

    本のタイトルにもなっている、
    城の崎にて、小僧の神様の2トップは、
    エグかった。神ってた。

    語彙力無くなるくらい凄かった。

    帯に短し襷に長しが全く無くて、
    just襷。

    書き殴ったような、
    緻密に計算されたような短文の中に、
    色彩確かな人間や風景や心理の描写がある。

    短文って怒ってるような印象を受け易いとされてるのに、 (ex. 刺す。)
    とても文体にも内容にも暖かみを感じた。

    そう言えば三年ほど前、奈良にある志賀直哉旧邸に行った事がある。

    その時に感じた暖かさと同質のものが、
    文章の中に在るような気がした。

    小僧の神様の最後、良かったなぁ……


    無駄話の方が長い。
    だから明晰な文章の方が読み手に優しいし、
    伝えたい事をすぐ伝えられるし、
    お互い時間の短縮になるし、
    Win-Winじゃん。

    志賀直哉最高!
    志賀直哉万歳!
    king of 小説!
    god of 小説!

    …………と、この論争は明晰派の大勝利かに思われたが、そもそもこの文章は明晰ではない。
    ならばここまで読ませたのは芸術派の仕業と言うことになるが、作者はこの大御輿の勝敗を決するのを躊躇った。なので作者はここで筆を置くことにしたのである。(SNSにおいて筆とは?)


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著者プロフィール

志賀直哉

一八八三(明治一六)- 一九七一(昭和四六)年。学習院高等科卒業、東京帝国大学国文科中退。白樺派を代表する作家。「小説の神様」と称され多くの作家に影響を与えた。四九(昭和二四)年、文化勲章受章。主な作品に『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』ほか。

「2021年 『日曜日/蜻蛉 生きものと子どもの小品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

志賀直哉の作品

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