- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101113098
感想・レビュー・書評
-
これこそ求めていた小説。
奇妙な偶然が嬉しいけど恐ろしくもある。
今の年齢だから受け入れられた小説。きっと10代の私だったら無理だっただろうな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
美しい文体。格調高いというべきだろうか。現実と幻想の反芻の先に覗いている、その倒錯は「アムネジアという幻の花」と作中で表現されている。
桜庭一樹曰く「日本で書かれた中で最も”重要な”少女小説」は寺山修司的美学も孕んでいるようにみえる。
物語の背後にいる死をも感じさせない妖艶な美への陶酔を倉橋由美子の文体と構成は可能にする。 -
パパとの関係を中心に思うまま散漫に、
現実と創作の線引きを曖昧に、
描かれた事故で記憶を失った少女の過去の日記がメイン。
近親相姦であったのか、単なる妄想なのか…
なんとなくのオチは読めてしまうのですが、
とにかく出てくる物・事の美醜の落差激しく、
その両極に当たるものしかかかれていないような本。
近親相姦、というタブー。
どうも自分自身の感覚で当てはめる共感できないので、
それだけで"つくりもの"として切り分け感がいつもより激しく
登場する少女とその世界に対してもどこか現実離れした感覚を
勝手に想像してしまいながら読んでしまいました。
だからこそ「聖化」されやすいのかも。 -
タイトルと前半数ページで想像していた「聖なる少女」のイメージが途中で変わって来て、ん、これは?と思いながらも、言葉のすごさにおされてどんどん読んで行くうちに「なんだ、全然ちがう話じゃん。」
それは、「せいぜい逆ロリータ」だろうなと思ったから火傷をしてしまったわけで、もっともだ。でも、もっと誘い込まれるような構築力を感じる。
たとえば、「K」と「L」との関係、「作家」と「かれ」との関係が、おおすじの物語を進行させるエンジンというよりは、おおすじにたいしてパラレルに描かれていること。エピソードからエピソードへ平行に移動して行くこと。
考えてみると、昭和60年代の小説って初めて読んだ。例えば村上龍をよく読んでるけど「限りなく透明に近いブルー」が76年だし。好みでいうと大正時代よりも前のものを読んで来たし。たぶん、いつも本を読んでいてズレを感じるのは当たり前なんだけど、この本の(学生運動時代の)ズレ方が気持ち悪い。哲学用語がいっぱい出て来るだけでヤラれちゃう、頭が。この人、何ポーズとってるのってつい思っちゃう。
この気持ち悪さがなければもっと核心にせまれただろうなぁと思う一冊。 -
うーん、難解・・・。
-
別に衝撃はなかったな。
桜庭一樹の解説があって完結する感じ。
少女が女になることを受け入れるということは老いることをも受け入れるということだし、
その覚悟ができるには少女をやりつくさないといけない。 -
旧版がほしい~~~~
-
(メモ)p161〜163
-
表現力が、すさまじい。
一行、一行が
前衛短歌のような
そうきたか! といちいちうなりたくなる。
「私の男」を先に読んでいたので、
そっちとなんか似てるなあ、
と思ってたら、
桜庭さんはこの方のことが大好きなんですね、
っていうか、もう、名作中の名作だったんですね、
無知な自分にまたもやびっくりです。 -
解説では絶賛してたけど、なんだか読みにくい。傍線とか日記部分の女の子の独白みたいなのとか言葉の選び方が合わなかったんだと思う。テーマは好き。