- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101115061
感想・レビュー・書評
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愛について考えるエッセイ。短いフィクションの挿話を挟みながら、人を愛するということ、真実の愛とは何か、孤独とは何かを思索していく。
少し理屈に走っているきらいはあるけれど、愛するということについて、深く考え続けてきた方なんだなあということは、前に読んだ『忘却の河』や『草の花』からも伝わってきました。
そんなふうに深く、自分の存在をかけて人を愛したことはないなあと、こういうのを読むたびに思います……
もっと若いうちに読んでいれば良かったかも、とも思い、あるいはもっと人生経験を積んでから読んだらまた印象が違うかもしれないとも。
孤独とは、忌み嫌うべきものではなくて、自らのうちに抱え続けていくもの。人を愛することで消えてなくなるものではなく、死ぬまで抱え続けていくもの。そういう考え方は、なんていうか、すごくしっくりくるなあって思います。
ちょっと引用。
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二人の人間が一つの愛に統一されているならば、彼等は、自己の眼で見ると共に、常に相手の眼でも物を見なければならぬ。相手の傷を自分も嘗めなければならぬ。それでこそ孤独が癒される筈なのだ。しかし悲しいかな、人は傷つけられたのが自己の、自分一人の、孤独だと思いやすいし、相手が無条件にそれに同情してくれることを望みたがるのだ。まるで愛する対象が、自分のためのものであるかのように。自分もまた、相手のためのものであることを忘れたかのように。
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読みながら、むかし、カトリックの方から聞いたお話のことを思い出していました。
そういえば福永さんは、キリスト教にご縁の深い作家さんなのだそうです。わたしはいいかげんな仏教徒ではありますが、愛されることよりも愛することに重きをおくカトリックの精神は、実践するのがなかなか難しいものであるだけに、すごく憧れるところがあります。
そういうことを、教義や議論の中にあえていわなくてはならないというのは、本来の人が、愛されることばかりを望みやすい生き物だからなのでしょうけれど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
僕はただ、人間が生きるために他者を求めて行くその魂の願いのようなものが、生きるための人間の希望の一つであると考える。(本文より)
愛と、その表裏一体の孤独について語ったエッセイ。主に男女間の愛について語っているのでいま恋愛している人、又は失恋した人にとってお薦めの名著。 -
「そうか、それは知らなかった。お前たちのことは私が何とかしよう。それに今晩のことは冗談だよ。私は癌でも何でもないんだ、ちょっと悪い冗談を言っただけさ。家の者たちにはどうか黙っていておくれ。癌じゃないんだから。お前をびっくりさせて、本当に済まなかったね。」(釣のあと)
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福永武彦の恋愛論。
人は生まれながらにして孤独であることを大前提に論が展開されていくので、それ自体に疑問を持つ人は付いていけない。
個人的にはとても好き。
初恋は(というか恋愛全般は)往々にして錯覚である。
決して冷たくはないのだが、かといって情熱的とは言い切ることができない彼の恋愛観がある意味ストイック。
これこそが『草の花』の作者という感じだった。
挿話がまた秀作ぞろい。
「花火」がよかった。 -
愛と死
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昔、知人がある人に、
この本をプレゼントしている場面に居合わせたことがあって、
「なんだろーあの本」と、
長年心にひっかかっていた一冊。
愛とは相手の孤独を所有しようとする試み。
もしくは、
本質的に孤独を運命付けられた人間が、
その運命に抗しようとする試み等々。
発見いろいろ。
さっくりしてていいよね。
納得できるし。 -
福永武彦にハマるきっかけとなった忘れられない一冊。
ところどころに挿入されてる超短編小説が、またいい味出してるんだな。
愛ってなんなんだろうね。 -
愛と孤独についての妥協を排した思索の跡を綴るエッセイ。挿話として掌編小説9編を併録。
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まあまあ。やはり『草の花』がベストか。
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高校生の時に福永と出会い、初めて読んだ時はよくわかりませんでした。読み返すたびに新しい発見があります。