- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101126104
感想・レビュー・書評
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読書会課題図書
今更気づいた
かの有名な著者の作品を読んでいなかったことに
読書会に感謝
表現はすごいと思う
でも、小説だと理解していても共感できないものはどうしようもない
ラストはストンと落ち着いたが、むしろこれがない方がいいとも言われたとか
それでは救いがないのではないか
すごい作品群を残して逝かれた大江健三郎氏を追悼する
≪ 自らの 運命受けた 魂よ ≫詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
素晴らしかった。
読み終わった後のなんともいえない余韻。これだから読書はやめられない。
作者によるとこれは青春小説ということだが、なるほど、テーマは大変なことだが、青年が悩み、葛藤し、迷い、経験し、蘇生し、決断する。
まさにこれは青春小説か。
主人公をバードと一貫して、表現したり、独特の病み付きになる表現の文体は、驚愕する。
一気に読んでしまった。
後半急に心変わりする感じて急転直下するが、バードは最初からこうしたかったんじゃないか。
ラストのアスタリスク以降の文はいらないんじゃないかと、いろいろ批判があるようだが、自分はいいと思う。 -
若々しいオーケンの漲るパワーが籠った一作。
結末の纏め方は賛否あり、作者本人も葛藤があったとコメントしているが、それを差し引いても当時の文学作品の中ではインパクトと熱量で抜けている作品だと感じる。 -
大江健三郎の小説を読むのは初めてなのだけど、想像してたのと随分 違っていた。とても独特で 比喩が多く なんとも言えない不思議な世界観。読むのにすごく時間がかかった。世界観が独特すぎて。悪くはないのだけども、大江健三郎ってこんな感じなんや…ということが知れてよかった。
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鳥は邪魔者だと思っていた赤んぼうを最終的には受容し自らに父親としての責任を感じるが話はそんなに簡単なのか?
私は常に子供から逃避していた人間が最後にケロッと父親とならねばならないと、この赤んぼうと生きねばならないと思えるようになるとは素直に納得できない。本当にその責任を感じられる人間とは、赤んぼうを目の前にその将来への暗さや不安をなんとかして受け止めようと試みた人間ではなかろうか。赤んぼうから離れ、情人と逢瀬を重ねている人間より、一度その子供の首に手をかけてしまうほど絶望した人間の方がまだ救済の希望は大きい。自分の子供を殺そうと思った人間は、鳥言うように、引き受けるか殺すかの境地に至っているのだから。
一方鳥といえば、赤んぼうとほとんど一緒にいることがない。彼はどれほどまじまじとその瘤を、その赤んぼうを見ただろうか。私は鳥があの境地へとあまりにも容易に至ったように思えた。
また、不良少年グループの存在も必然性を感じなかった。 -
はじめての大江健三郎作品を読みました。
1964年に発表された作品です。
作者の子どもが、脳瘤のある障害を持って生まれたことをきっかけにして書かれた作品。主人公は同じ立場で描かれますが私小説ではなくあくまで体験に着想を得て書かれた小説です。
最初から半分くらいまで読むに耐えない話で、主人公の自意識過剰さと、ろくでもなさ、自分勝手で鬱陶しい性格にほとほと嫌気がさし
『なんでみんなこれを名作だと言うのか?
これが人間の本質だというなら
自分も含めて全員滅んだ方がいい』
と思うほどの残念さと倦怠感がありました。
こらえて読もうと半分を超えた頃から、
嫌悪感が共感に変わり、見守り願い気がついたら読み終わっていました。
あの気持ちから、ここまで連れてこられたことにとても驚きました。読んでよかったです。
また、形容する言葉や表現が面白く
突飛な例えが出る度に、これはクセになる。と自分の中に作者の言葉が染み込んでいく感覚がありました。 -
大江健三郎の本をたくさん読んでいるわけではないけど、彼の本の主人公は、どうにも好きになれない。卑屈で、自意識過剰で、性的欲望に流されすぎる。そのくせ、英雄的行為に憧れたり、肉体的な強度を求めたりする。気持ちが悪い。男性読者にとっては感情移入しやすいのだろうか。こういう私小説の主人公のような男性とは、あまり親しくなりたくはない。
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頭に障害をもって生まれた子どもの父となった27歳の鳥(バード)。彼の親としての葛藤、現実逃避、そして自己再生の軌跡を描いた大江健三郎初期小説。
生まれた子どもの頭に障害があったショックとその受け入れ難い現実を前に主人公は恐怖する。胎児の死を願い、自己逃避のため女友達・火見子とひたすらセックスに耽り、背徳を犯し続け、アフリカ旅行というここでないどこかへの逃亡を夢見る。
バードの内面が恥辱と絶望の間を揺れ動く。その揺らぎが赤裸々に描かれていた。しかし、どうも村上春樹のようなご都合主義的な火見子という女性造形と、逃避による性の愉楽から、胎児を引き受け父親になる決意と自覚の訪れが唐突過ぎて、あまり作品に入り込めなかった。
著者自身、知的障害をもった息子がいる。誤解を怖れずにいえば、障害をもって生まれた息子との日々の共生と生の営みが、そのまま大江文学の核ないし創作への動機となっている感はある。もちろん本作は私小説ではないけれど、大江文学の出発点となった小説ではあるだろう。
文章について一言。この小説は大江作品にしては読みやすい文章だった。従来よく言われる大江健三郎独特の文章(主語がやたら長くて述語の位置が定かでない読み難い解かりにくい文章)ではないので、大江初心者には読みやすいかもしれない。