- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101156101
感想・レビュー・書評
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相変わらず食欲を誘発させる作者の筆致は見事。
また、筆者にとって高度成長期は戦前から残っていた東京の風情を消し去った忌むべき時期として見ていることが特徴的。
情緒的には(池波正太郎ワールド的には)確かにそうだと思う反面、高度成長期を経る事で日本が豊かになった事は確実なので、高度成長期を悪と言い切るには難しいところ。
池波正太郎は生まれも育ちも東京だからある意味特権階級といえるが、特に地方は高度成長期を経る事で都市部に生活水準が追い付いた面もあるので見方は人それぞれになると思われる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごく面白く読んだが、この本のどこが面白いのかを説明するのはとても難しい。
一言で言えば、筆者が好きな、あるいは好きだった料理屋について語るだけの本。時代は筆者の若い頃、戦前から、おそらく昭和50年代まで。場所は、都内各所・京都・大阪・横浜・名古屋・近江・パリ、などバラエティに富んではいるが、それでも書いていることは、料理屋のことである。
近江、八日市の「招福楼」という料亭についての文章を引用する。
【引用】
招福楼へ、はじめて入って昼食をしたためたのは、十三、四年前のことになるだろう。
そのときのうまさ、おどろきについては、あらためて書きのべないが、この店の主人・中村秀太良の、料理と接客に対する情熱の見事さは、いまも全く変るところがない。
【引用終わり】
として、最近の招福楼での食事の中身についての文章が、そのあとずっとつづくのである。
これの何が面白いのか?上手くは説明出来ない。
何とも言えない味のある文章、ちょっと前の東京の粋、何より池波正太郎の暮らし方・生き方。
そういったものが、文章の魅力を作っているのだろう。
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2008年06月03日 22:02
今まで読んできた食をテーマにしたエッセイの中で、唯一苦手です。
一話目から若干いやな感じはしてた。
三話目ぐらいで判明。懐古主義もいいとこ。
・昔はよかった
・貧しくても、客にも店にも心があった
・心があったからおいしかった
・店主のこだわりがあった
・今は(頑固店主とは別の意味で)客に対して偉そうな店が増えた。食わせてやってると思ってる
・・などなど
うん、わかったよ!!
昔は心があってよかったね!
でもおいしかったのは心のおかげじゃなくて、君が貧乏で飢えてたからだと思うよ!
食べ物屋だけじゃなくて、読者に対して「読ませてやってる」って思ってる作家もいるよね!誰とは言わないけど!
って感じで本棚の奥に行きました。 -
水のように淡々と行きつけのお店や様変わりする街の様相を哀愁たっぷりオシャレな文章で書かれている。
…ほんとうの【たのしみごころ】を味わう術をうしなってしまった。あるものは、どこまで行っても尽きることのない【不満ごころ】のみのにほんになってしまった。
確かに、グローバル化が進み競争社会が加速していく中で、今あるものに満足するメンタルは積極的に失われている気がする。食がテーマであるも斜陽日本への静かな憂鬱を感じた。
これは素晴らしい -
池波正太郎氏のエッセイを読んでいると、
「この店に行きたい・・・・・・・」
とか
「ここでこれを食べてみたい・・・・・・・」
などと
三点リーダーとか中黒を6つばかり並べてカギカッコで閉じたような感想が浮かぶ。
ともあれ、こういう古い店や街、池波正太郎氏が当時ですら消えてしまったと嘆いていた江戸の情緒が失われてしまったのはとても寂しいが、われわれは幸運なことにこういう優れたエッセイにて疑似体験することができるのだから考えてみたらありがたい話だ。 -
竹むらー汁粉屋というものは男女の逢引にふさわしい......
松栄亭ーポークソテー、洋風かき揚げとポテトサラダー桜政宗で食べるにふさわしい洋食
いせ源、ぼたん、薮、まつや、寿司長ー神田連雀
うさぎや、花ぶさ
銀座・資生堂パーラー、室町・はやし、横浜・荒井屋/スペリオ/徳記、浅草・並木藪/金寿司/ヨシカミ/アンヂェラス、深川・みの家、渋谷・長崎、松本ーまるも/三河屋 -
シチュエーション込みで美味しそうなものを紹介するのでヨダレが出る。
大正生まれの作者だから、今ポジティブにしか語られない東京オリンピックとか、高度経済成長を昔の良さがなくなったと批判的に語るのが面白い。 -
各地の名店ズラリ
池波正太郎は、行きつけの店についてエッセイで結構書いています。これまで読んだものでは、都内の行きつけや大阪・京都などの関西方面が中心でしたが、本書ではそれにとどまらず横浜や名古屋、滋賀、信州など幅広く書かれています。
作家さんて部屋に篭ってずーっと原稿用紙と向き合っているイメージが強かったのですが、池波正太郎は本当に色んな所に出かけていて、それで作品を書き上げるというのは凄いなぁと思いました。
いや、色んな所に出かけるからこそ、刺激を受け作品が生まれる、のかもしれませんね。
江戸時代の残り香
本当に色んな所で色んな店に入っていますが、共通しているのは昔の香りが残っているお店です。
昔から変わらぬ店構えや座敷、横浜だったら異国情緒溢れる店内、そして店員の仕事に対する真摯な姿勢。そういうものが残っているお店が池波正太郎にとっての名店なのでしょう。無論、料理が美味しいのは当然ですが。
このエッセイは私が生まれた頃に書かれたようです。ざっくり言って40年程前になります。その時点で、東京の変貌を嘆いておられました。京都についても、その更に10年程前の段階で”古き良き京都を見られるのは今のうち”と思っていたようです。
変貌のターニングポイントとして東京オリンピックが挙げられています。東京は、関東大震災や戦争で町並みはかなり変わったと思いますが、戦前かろうじて残っていた江戸の香りが戦争でほぼ無くなり、東京オリンピックで江戸時代からあった掘割を埋め立てたりビルを建てたりしたあたりでトドメが刺されたのでしょう。
現在の、ショッピングモールやシネコンが乱立している都内を見たら何と評するでしょうね。
それに近いことが書かれていますので、興味あったらぜひ。 -
図書館へ行った際、気になるCDのタイトルだったので借りてみました。なので、これは目で読んだのではなく、耳で聴いてみての感想になります。
この本は、その場所に関する過去、現在を食べ物にまつわる思い出とともに書き記したものです。
時間にして13~15分くらいの話が20くらい収録されていました。
主に東京の話が多いですが、他にも京都や横浜、名古屋やフランスなどの話が書かれています。
全体を通して思ったことは、こんなにも食べるという行為に対して想いを巡らせる人がこの世界にはいるのだな、ということです。
自分自身がそれほど食に関心がないせいなのか、自分は食べるという行為に対して特別何かを考えたことはなかったと思います。そういった点でもある意味で斬新でした。
池波正太郎さんにとっては、一貫して楽しみであり、子どもの時分には大人を気取る行為であり、思い出のワンシーンなんだな、と感じられました。それは、単純に食べ物としての料理でなく、人との思い出がつまった大切な記憶なのだと。
たまたま一緒に聴いた家族は、「美味しそうなんだけど、今の東京がよっぽど気に入らないんだろうか」といったような言っていました。確かに自分も何度もそういった内容を聴いた気がしたのでそういう気はしました。でも、好きだった故郷の街がその名残を残さず変貌していけば、誰でも似たような気持ちを少なからず持つのではと思い、そこまで気にはなりませんでした。
それよりも、どのような料理をどのような状況で食べたかを詳細に書かれたシーンを連続で聴いていると、あまり食に関心のない自分でもお腹がすいてきてたまりませんでした。
昔の情景を頭に浮かび上がらせ、今の自分には自然と食欲を呼び起こしてくれる、良いエッセイだったと思います。 -
池波正太郎食べ物エッセイ。ここでもやはり昔の情緒を懐かしんだり。いつの時代も昔は良かった的な気持ちになるものかね〜、人は。昭和50年前後のエッセイなんだけど、目黒のとんきが写真付きで紹介されており、今と変わらない佇まいで、何だか嬉しかった。