塩狩峠 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101162010

感想・レビュー・書評

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  • 自己を犠牲にし、人々を救った男性の実話をもとにした作品。

    読むたびに印象が変わります。
    中学生の頃、読書感想文のために初めて手に取りました。その頃は特に感動するでもなく、さらっと読んだ記憶があります。
    大人になりもう一度読み返すと、ラストシーンでまさかの涙でした。

    後半に進むにつれて、三浦綾子特有の宗教路線へひた走る感はあるものの、一読する価値はあると思います。

  • 「鉄道事故で自分の命を犠牲にして、乗客全員を救った」人の、生涯を描いているんだけど、
    実話をベースに作っている、ってところに驚いた。
    (実際は実話とずれがある、など諸説あるみたいだけど。)

    世の中に、これだけまっすぐに生きている人が実際にいた、というとこにすごく感動。

    三浦綾子の小説の主人公は、どんな環境であってもまっすぐに生きている場合が多いと思うのだけど、読むたびに、「私もこういう人間になりたい」と思う。
    もちろん、いまさら、完全に心を入れ替えることは難しいのだけど、少しでも自分が正しいと思うことを実行できれば、と思う。
    でもね、なかなかね、、、そんな自分は醜いと思いつつ、他人の文句を言ったりしてしまうのだけど。

    そして、小説の根底にある「キリスト教」がすごく気になる。
    仏教って、なんか「勧善懲悪」なイメージがあるんだけど、(仏教の高校を出ながら、記憶が曖昧)、三浦綾子の小説とか読む限りだと、キリスト教は世間でいう「悪」をも許すおおらかさがあるというか。
    うまく説明できないけど。。。

    なんか聖書を超わかりやすく訳しているものがあれば、読んでみたいと思ってはいるのだけどね。思ってるだけだな。
    本当に私は実行力がない。だめだなぁ。

    と、とめどなく書いてみたけど、読書感想文でした。

  • ″真っ白な雪の上に、鮮血が飛び散り、信夫の体は血にまみれていた″
    そんな最期を迎える彼の生涯を描いた物語。
    あの選択が彼の敬虔な信仰心に基づいた行動だったとしても、頭で考えるのと実際に行動するのでは比べものにならない程に難しい。
    ましてや、その時信夫はすぐ目の前に幸せがあったのに。
    全てを投げ捨て自分を犠牲に人々を救うその愛に、私は自分の身を振り返らずにはいられませんでした。

  • ずっと読みたかった作品。わたしはキリスト教徒ではないが、キリスト教という宗教に少しは興味があるほうだと思う。

    小説では、何年間も待ち続けた最愛の人との結納の当日に死ぬという、あまりにも悲劇的な結末だったが、実際はそのようなタイミングでなかったかもしれない。
    主人公のモデルとなった長野氏の人生も、そして死も、実際は小説ほど劇的で美談なものではないのかもしれない。

    けれど、人々から愛され慕われた一人の人間が、悲しい事故のせいで亡くなったこと、そしてそれが仮説の一つではあるものの、自らの命を犠牲にした可能性があること、それを何年も先の時代に生きる人々が知り涙する、そんな機会を与えてくださった本書に感謝をしたい。

    旭川に旅行したことがあるのだが、塩狩峠について知ったうえでもう一度訪れたい。

    特定の宗教を持たないわたしには、信仰とは何なのか分からない。ただ、この作品を読んで信仰とは、誰にでも必ず訪れる死というもの、その避け難いおそろしい死に対して、人の心に安寧をもたらすもの、拠り所となるもののように感じた。


  • 1966(昭和41)年から1968(昭和43)年の雑誌連載が初出で、連載後に単行本が登場したという。登場以来、既に55年も経つが読み継がれている「古典」と呼んで差し支えない小説であると思う。「今更…」という様子ではあるが、初めて読んだ。読み終わって、何か心揺さぶられるような何かが在るような感じである。
    友人と雑談に興じた中で、最近読んだ本というようなことに話題が及び、偶々読了して日が浅かった三浦綾子作品に言及した。すると友人が「その作者の本であれば『塩狩峠』は読んでいた」とした。列車の不具合で大事故が起こりそうになった時、一命を賭して列車を停め、乗り合わせた乗客を救ったという人物が在り、その人物をモデルとする主人公の人生が綴られる物語ということになる。
    自身は稚内に住んでいて、旭川へ(場合によって以遠へ)向かう際に列車を利用する。途中の名寄駅にまで至ると、特急列車の場合には旭川駅迄が1時間を切るようになる。名寄駅というのは1903(明治36)年に開業していて、1911(明治44)年に軌道が延伸される迄は起点・終点の駅であったそうだ。1909(明治42)年、この名寄駅から旭川駅へ向かった列車が南下し続けたが、途中の塩狩峠で列車後尾の客車の連結器が外れてしまった。峠を上っている途上なので客車は軌道をスルスルと下って行く。やがて加速し、脱線転覆となってしまうことが危惧された。そういう中、乗り合わせた鉄道職員がデッキへ駆け、非常ブレーキを操作して減速を図った。やがて件の鉄道職員は線路に転落してしまった。そして生命を落としてしまった。が、客車は停止し、乗り合わせた乗客は全員が無事だった。語り伝えられる、少し知られた挿話である。
    本作の主人公は永野信夫という人物である。この信夫の少年時代から青年期、そして最期を遂げる少し前の日々、その最期が描かれる。末尾に残された人達の短い挿話が入って、小説は結びとなる。
    これは或る男の精神的な成長、或る種の到達、そこから更に踏み出そうとして、そこで唐突に起こる「幕引き」というような物語であると思った。
    知らずにやっている、言っていることが「正しくない!」と厳しく指摘されるようなこと。誰かに勧められて、好ましくないと思い悩んで止めてしまったが、そこから少し事の是非を考えるということ。同情すべき苦しい状況に在る人に接しながら、淡々として明るい御本人に驚き、人の心を支えるというような事柄に眼を向けるということ。信夫が重ねて行くのはこういうようなことである。そうして、鉄道の事務関係の仕事の中では、なかなかの人格者で仕事が出来る男として知られるようになり、教会の諸活動という青少年活動等にも精力的に取組んで、色々な人達に敬慕されるようになって行く。
    本作は、最終盤に描かれる「犠牲」に終始するような物語でもないと思う。信夫は心の中で、相反する色々な要素をぶつける、そういう情況を乗り越えることで「自分なりの成長」を重ねた経過が在って、その「成長」の故の生き様が在ったのであろう。寧ろその「信夫の心の旅路」というように感じられる物語だと思った。そしてその「最期」は、信夫自身の都合という以前に、何とか居合わせた人達の安全を確保するということにばかり意が向いていたのだと思えた。夢中だったのであろう。そんな様が「迫る」感じで描かれる。そして、そういう有様が周辺の人達に大きな衝撃を与えたということなのだと思う。
    本作は「己の来し方?」を、読者個々人に向かって静かに問い掛けるような雰囲気も色濃いかもしれないと思った。それに心が揺さぶられるのだが、同時に「傍目には少し哀しい」という終わり方でもある。互いを心から敬愛し、人生を共に歩むことを誓った信夫とふじ子との結末が、率直に言って哀しい。が、必ずしも因果応報でもなく、運命が突如として立ちはだかるというのが、人の人生というモノなのかもしれないということであろう。この辺は、同じ作者の他作品でも様々に描かれているとも思った。
    程々の厚さで一冊で完結の物語で読み易い。同時に余韻が深い。御薦めである。

  • クリスチャンでなくても感動できる、素晴らしい小説である。

  • 信夫の幼少期から石狩峠の事件までを、エピソード毎に紡いだ小説。とても読みやすく引き込まれた。
    キリストの教えを体現するかのような信夫の自己犠牲の精神に感動させられるが、この感動は当時の現実の事件を受けた人々が感じたそれと通ずるところがあるのだろう。
    信夫のようなある種神格化された美しい人格を前に色々と考えを回らさざるをえない本だった。

  • 「犠牲」とは難しい。偽善でもなく真実。

  • 妻の実家が道北にある関係で帰省する時に塩狩峠を通っていた。そのたびにこの本を読もうと思って持ってはいたのだが完読できず、今回の北海道の旅でやっと読了できた。実話をもとにしており悲劇な結末ではあるが、全体を通してこの本の筆致は決して暗くない。主人公が子どもの頃から物語は始まるが、特に成長期の部分は、まるで吉野源三郎さんの名著「君たちはどう生きるか」のよう。道徳的な感じを受け、読んでいて気持ちがいい。今回塩狩駅で下車し三浦綾子記念館に行けたのは感慨深かった。とてもいい作品だと思う。他の作品も読みたいと思った。

  •  明治時代、キリスト教が少しずつ認められるようになった。とはいえ、この宗教に対する偏見は依然として残っており、物語の序盤、主人公の家庭環境を見るとわかるように、信じる宗教が原因で、一部の家族と離れ離れになった。物語の途中で、実の妹との出会いや、亡くなったと思ってた母が生きており、祖母が亡くなって以降、同居する。この物語を読むと、異なる宗教が共存することの困難さが想像できる。
     子供のころはキリスト教に肯定的な見方をしなかった主人公が、物語の後半につれて、キリスト教の教えに感化されて、最終的に、自己を犠牲に多くの人々の命を救った場面は、ある種の輝きに満ちていた。この小説を読むと、宗教による力の両面性が見え透ける。

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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