- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101167329
感想・レビュー・書評
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歳の離れた女ともだちに「何か読むものないかね?」と尋ねたところ、
「これならありますわよ」と渡された懐かしき本を三十年以上ぶりに再読する。
気障ったらしい文章もここまでくると、気に障らず逆に心地よくなくなるから不思議なものである。若かりしころ、本書にならってスパゲティをアル・デンテに茹でバターをからめて「スパゲティ・ア・ラ・ブーロ」を作り、これが本当の味なのか!と思ったのは懐かしきも恥ずかしき思い出であります。
「ああ、僕もこんな気障な男になりたいものだね」と言うと
「あら、十分気障ですわよ」と女ともだち。
おやおや、喜んでよいのかね、嘆くべきなのかね。
・・・という下手なパステーシュはやめて、10代半ばで読んだときは、ダンディでいるのは、なんとも面倒くさいものだな、と呆れてたもの。こんな面倒くさい親父にはなりたくない、と思いながら、密に憧れ、影響は受けたんだろうなあ、と実感。
とはいえ、この伊丹十三のような「好き/嫌い」をはっきり表明することができないでいる、のは残念ではあるが・・・。
この本を映画化したのが「たんぽぽ」で、この本の気障な伊丹十三を本人が演じたのが、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」だと思う。
先の女ともだち、この本を母親から中学生のときに、読みなさい、と渡されたそう。いい趣味です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
再読
母の本棚にあった単行本の背表紙を見て
「なんか革命っぽいお話なのかな・・・」
と思っていたものの、ある日パラパラしてみたら、というのが、
この本との出会いだったような気がするけど
どうも思い出せない。
しかし、母の本棚のタイトルを眺めていたことと、
「これ、子供の時に読んだことある」というのだけは確かだ。
約半世紀前に書かれた色褪せない名エッセイ。
内容もさることながら、この文体。
洒脱で、とっつき易いのに骨太で、リズムとユーモアがあって。
私が子供のころは「大人の男の人」というのが確かにいたのだ。 -
なんで今まで読まなかったか…と後悔。この本物志向は、本物だ…
この時代にスパゲッティのゆで方(アルデンテ!)を伝授。
特に印象に残った箇所を引用。
P70「すぐれた舌を持っている人は、これから作ろうとする料理をどういう味にするか、にはっきりしたイメージを持っている。イメージがあるから途中の段階でだんだん味を整えていくことができる。」
P139「音楽を聴く上になによりも必要なのは、謙虚で素直な心、美しく、純なるものをもとめる心、音楽によって慰められたいという、魂の底からの願いであって、再生音のよしあしなど末の末の話だ」
(↑大学時代~社会人初期のわたしにとって、ブラームスの3番がこれであった。)
P242 二日酔いについての文章と、イラスト、気持ち悪い…!
P246~247 カルボナーラの作り方が載ってます。ローマの、労働者の食べ物なんだそうな。 -
最高である。
多くのクリエーターが、伊丹十三のこの本をベストに挙げていた意味がよく分かる。
解説はなんと池澤夏樹さんだったしね。 -
水の味。二日酔いの特効薬。床屋の満足。モテる=死に至る病。ボクサミシンダとアタシサミシイノ。
ひとつひとつの視点が、背中のちょうど届かないかゆいとこに届くような絶妙な切り口で、一々えぐっていくコメントが面白い -
大好きなエッセイ本。小洒落ていて、ヨーロッパのセンスたっぷりの粋な各章に、いちいち同意したくなる。俳優であり映画監督であった、故・伊丹十三氏。映画「お葬式」、当時センセーショナルだったし、亡くなり方もショッキングだった。
伊丹氏のファッション、食べ物、お酒、車などへのこだわりが分かって、微笑ましい。かなりのヨーロッパびいきだが、1960年代当時はそれがおしゃれそのものだったのだろう。食べ物なんかは表現が本当に美味しそうで、本書を読んだ後、作ってみたりもした。
以前読んだ、「ヨーロッパ退屈日記」もそうだが、これも手元に置いておきたい本。本人は気取っていないのだが、当時こんなに素敵なオジサマがいたのだな~と思った。 -
こんな男の人になりたい!(私は女だけども)
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私はエッセイというのは筆者の独断と偏見にみちた文章を書き綴れるジャンルだと個人的に思っています。全編にわたり筆者のダンディズムを感じる事が出来ます。それにしてもフランスのパンが食べてみたい…。
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伊丹十三の美学に基づく男と女の定義が詰まった一冊。
単なる“キザ”と受け止める人もいるかもしれない。
男尊女卑だと訴えるフェミニストもいるかもしれない。
でも私は顔色伺いをせずに自分の美学を世にぶつける
その姿をとてもステキだと思う。
…伊丹十三からしたら“ステキ”なんてカタカナで表記するのは
日本語に対する冒涜とでも言われかねないな…とふと思った。
が、そういう言葉へのこだわりも含めて私は伊丹十三のような人が好きだ。
でも伊丹十三の描く女性像には到底あてはまらない。
世の中はうまくいかぬものです。笑 -
こんな男でありたかった。
彼の纏う伊丹十三たる雰囲気は、本物が持つ自信からくるものである。