わが友マキアヴェッリ 3 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181400

感想・レビュー・書評

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  • マキアヴェッリは、何考えたのか、をテーマとした第3巻。
    フィレンツェ政府から追われたマキアヴェッリであったが、祖国の自由のことを考えていた人であった。フィレンツェが大国に飲み込まれないように翻弄する彼であったが、力及ばずにフィレンツェは滅亡してしまう。そして、それとともに、イタリアルネサンスも終焉することに。
    マキアヴェッリの最期は、祖国のために働いていたのに、祖国に振り向かれないということへの絶望で、病に罹ってしまったのが可哀想だった
    マキアヴェッリの一生を通じて中世のフィレンツェの歴史を学べて、しかも、過去の塩野七生先生との作品とも関わっているのもあってとっても良い作品だった

  • マキャベリとマキャベリズムの違いとイタリアの歴史がわかる。

  • 日本語では発音し難いルネサンス期フィレンツェの政治家マキアヴェッリの評伝
    政治家は日本語てきに何か違うな代議士と使い分けて欲しいものだ
    マキャヴェリズムの解説でなく
    それを生み出した人物と舞台と背景を描く
    というかいつものように塩野せんせが
    好きな人物のどこが好きか気に入っているかをとくとく語る内容である
    対象が人物なので『海の都の物語』よりはまとまり良いが
    『ローマ人の物語』に比べるとまだまだ若さゆえにいろいろあれである
    塩野せんせをみていると作家の成長というより
    枯れというより油が抜ける変化が作品にもたらす効果というのが趣深い
    あと解説のひとが存分に自分語りしていて微笑ましい

  • 全3巻の3冊目

    本書の対象時期はマキャヴェリが公職追放をされた1513年から亡くなる1527年まで。

    それまでが、フィレンツェ政府の官僚として政治の表舞台で活躍する姿が描かれていたのに対し、本巻でのマキャヴェリは、著述生活をしながら何とか政治の世界に復帰することを目指す。
    この時期にマキャヴェリの名を後世に残した『君主論』はじめとする著作が書かれ、その意味でマキャヴェリの思索の時代と言える。

    結局復職は叶わないのだが、その間フィレンツェだけでなくイタリアは大国の食い物にされてしまった。
    未だ統一ならないイタリアのある意味中心人物と言えるクレメンス7世は何も決められず、いくつもの好機を逃し、フランスやイタリアのなすがされるままなのがもどかしい。

    塩野さんが1527年のローマ略奪をもってルネッサンスの終焉であるとしたのは、何も文化財の破壊や芸術家の離散のゆえだけではなく、近代化しつつある大国を前に輝きを失ったイタリアを見たからなのかもしれない。というのは、ルネッサンスを産んだイタリアは都市国家や小国に分裂したままで、フランス、スペインのように中央集権化を成し遂げつつのようにはならず、政治の中心も芸術の中心も、こののち北へ移動してしまうからだ。

    その同じ年にマキャヴェリが亡くなったのは、偶然にしても何だか出来過ぎのようで面白かった。

  • マキアヴェッリ3巻目。マキアヴェッリが君主論・政策論を書くにあたり、何を考えたのか?その人生とフィレンツェの興亡を交え、その思考と境遇を深堀していく。
    政界から追放されてもなおそこに戻ろうとするも、最後までその努力は実らず、結果その情熱を物書きとして昇華していったのは皮肉でもある。
    ヴェネツィアの興亡をすでに読んでいたので、ルネサンス期の情勢がよくわかりました。

  • 求めても得られない活躍の場。
    純粋に政治の世界で実践の機会をうかがっていたマキャベリの最期に切ない気持にさせられる。

    いかに能力を持っていたとしても、風向きが悪く、立ち行かなくなってしまうことがある。そのときどうするかで真価が問われる。

    別の道を探すか、風向きが変わるのを待つのか。

    マキャベリ=君主論しか、頭になかったが、それ以外の人間らしい面が存分に楽しめた。本書に感謝。

    次は、イタリア史か趣向を変えて東方見聞録にチャレンジ。

  • 指導者に必要な条件
    ヴィルトゥ 才能、力量、能力
    フォルトゥーナ 幸運
    ネチシェタ 時代性、

    歴史家、喜劇作家、悲劇作家は形容詞でもある
    歴史的、喜劇的、悲劇的
    イストーリコ、コミコ、トラージコ

    理論家であって、実践の機会のない、あるいは実践家ではないマキアヴェリ。ルネサンスと共に生きた。
    ローマがバロック的なのは、イタリアのためなのとは。

  • この巻では、フィレンツェ共和国の政界へのメディチ家の復活で官僚としての地位を追われ、郊外で自主的な謹慎生活に入ってからのマキアヴェッリの生涯を追っている。

    とは言え、彼は学究生活に入ったというわけではなく、むしろ『政略論』、『君主論』といった著作を要人にアピールし、「オリチェラーリの園」と本書で名付けられている知人の別荘で若者たちと政治を論じ、またベットーリやグイッチャルディーニといった友人たちを通じて積極的に職を探すなど、表舞台への復活を願って活発に動いていたということがよく分かる。

    彼は行動することで考え、それがまた行動へとつながっていくような人物であったと思う。純粋な学究生活に入ってしまっていれば、おそらく彼の著作は生まれなかったであろう。そして彼自身の著作も、官僚としての生活やその後の現実のイタリアをめぐる外交環境への応答として書かれたという側面が大きかったのではないかと思う。

    マキアヴェッリは、古代ギリシア以来一体のものとして論じられてきた政治と倫理を、明確に切り離して論じた最初の人物であると本書で述べられている。このことが彼の論じる政治論に明晰な視点を与えることになった。

    マキアヴェッリの議論は、政治とは斯くあるべきということを論じたギリシア以来の政治哲学とは一線を画し、君主が政治を機能させるために必要なものは何かという観点から論じられたもののように思う。

    そして、彼が『君主論』の中で論じたのは、政治を行う者に求められるのは「ヴィルトゥ(力量、才能、器量)」、「フォルトゥーナ(運、好運)」、「ネチェシタ(時代の要求に合致すること)」という3つの要素であるという点である。

    このような視点は、彼が官僚として長く政治の世界を経験ということとつながっていると思う。官僚として実務の視点から政治を見たときに、君主の意思や欲求といった主観的な要素を超えて政治の流れを形づくっているものがあり、それをいかに捉えて政治の流れを自国に好ましい方向へと向けていくかということが、彼の視点であったのではないか。

    またマキアヴェッリは、客観的に分析を施すだけの理論家ではなく、フィレンツェ共和国を立て直すためにどうすればよいかということに情熱を傾けた人物でもある。

    特に、駐スペイン大使などを歴任しながらフィレンツェ共和国の外交を取りまとめたグイッチャルディーニとの数々のやりとりは、彼がいかに熱心に現実の政治に関わろうとしたかが伝わってくるものである。

    しかしながら、この時代の国際情勢は、スペイン、フランス、トルコ、イギリスといった広大な領土を持つ大国が対峙しあう時代へと変化しつつあった。そして、イタリアの政治環境も共和制の都市国家が並立する世界から、それらの大国が角逐する舞台へと、大きく性格が変わっていく。

    本書でも、マキアヴェッリが生涯を閉じるのとほぼ時期を同じくして、イタリア諸国家やローマ法王領がスペインを中心とする軍勢に制圧され、イタリアルネサンスが終焉する様子が描かれている。

    交易経済でその地位を確立し、共和制による政治体制で主要なステークホルダー間のバランスを取りながら統治をおこなってきたイタリアの都市国家の時代が、強大な統治機構と広大な領土を背景にする君主制の領土国家の時代に転換することにより、政治のあり方も変わらざるを得ない。

    マキアヴェッリは、傭兵制度ではなく自国の軍隊を持つことの必要性を説き、また統一されたイタリアをめざしたチェーザレ・ボルジアを『君主論』において理想の君主像とした。このような視点は、ルネサンス以降のイタリアの進むべき方向を、ある程度示唆していたのではないかと思う。

    しかし、現実のイタリアはそのような方向には進まず、ルネサンス以降長い間、ヨーロッパ世界において主導的な地位を占めることはなかった。

    このような歴史を知るにつけて、非常に明晰な視点で統治のあるべき姿を分析していた彼が、どのような想いでこのイタリアの政治情勢に向き合っていたのかを考えざるを得なかった。

    マキアヴェッリは、当時イタリアで大人気を博した『マンドラーゴラ』という喜劇台本を書いている。そして彼は、手紙などに自署をする際に「歴史、喜劇作家、悲劇作家」と書き添えていたとのことである。

    このことはまったく知らなかったので、大変意外であったが、喜劇作家としてのマキアヴェッリの存在は、同時にまた、彼がどのような姿勢で時代と向き合っていたのかを考える上で、示唆に富むのではないかと感じた。

    マキアヴェッリに、この署名に表されているような諧謔的な精神があったとするならば、激動のルネサンスの終焉を目にしながら、冷静な分析眼と現実の政治に向き合う情熱を失わなかったという彼の姿が、一人の人間の姿として像を結ぶことができるように感じる。

    変動する世界と祖国に向き合いながら生きていくということは、このような多面的な精神と行動を求められるものなのだということを、マキアヴェッリの物語を読んで考えさせられた。

  • 完結編。

    テーマは
    「マキアヴェッリは、なにを考えたか」。

    2巻で政治の表舞台から離れ、本人の意志とは関係なく作家生活に入ったマキアヴェッリの様子が描かれている。

    そもそも「君主論」の作者としてしか知らなかったが、君主論を書くにいたるまでの過程が全て。

    政治の世界にあくまでも戻りたいマキアヴェッリ。
    そのための手段として書く「君主論」等の作品/論文。

    それとは別に書いた喜劇が大ヒットする。

    1巻、2巻も波乱万丈ではあったが、3巻も山あり谷あり、で面白い。

    感想を書いていて気づいたが、まだまだマキアヴェッリをつかみきれていない。

    まずは「君主論」から読んでみるか。

  • いよいよフィレンツェが滅亡する。
    ルネサンスが終わる。
    マキアヴェッリが亡くなる。
    悲しい。

    あらゆる者の終焉は悲しい。
    すべてのものに終わりは来るものなのだけれど。
    マキアヴェッリの人生を辿る旅は
    そのまま都市国家フィレンツェの存亡に重なり
    ルネサンスの栄枯盛衰に連なり
    イタリアの没落を告げる。

    都市国家を中心に栄えたイタリア。
    そこではルネサンスが花開き
    人々は陽気に生き
    有能な政府事務官であったマキアヴェッリは
    フィレンツェの発展に尽力した。
    しかし、周辺で勃興する中央集権体制の国家
    フランス、スペイン、トルコ、イギリスが
    次第に都市国家の集合体であった
    イタリアを蹂躙しだす。
    難しい舵取りのこの時期に
    フィレンツェの命運を握る
    メディチ家から出た法王クレメンテ七世は
    悪い方へ悪い方へ決断をする。
    そして、最後にはフィレンツェのメディチ家は追放される。
    その直後、マキアヴェッリは亡くなる。
    五十八歳だった。
    すべてが呼応したようなこの終焉。
    ルネサンスの幕切れは新たな時代に席を譲るのだった。

    人間的な、あまりに人間的なマキアヴェッリ。
    それを描きだした冷静で緻密な塩野氏の筆に
    読む者は心を打たれずにはいられない。

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