ローマ人の物語 (13) ユリウス・カエサル ルビコン以後(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181639

感想・レビュー・書評

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  • カエサル暗殺から、オクタヴィアヌスvsアントニウス・クレオパトラまでを描く。「寛容な独裁者・カエサル」から自由を奪還しようと暗殺した人たちは、復讐者によって自由を奪われ殺されるという、実に皮肉な運命をたどる。
    カエサル全盛期に比べて、爽快感はなく、混沌とた時代だけど、人間のどうしようも無い弱さが凝縮された時代で、だからこそ教訓あり、共感するところが多いと思う。

  • ローマ人の物語の中のカエサル編の最終巻、6巻目である。まず驚いたのは、カエサル信者の著者がカエサルの最後をあっさり描いている事。事実、カエサルは元老院会議開催前のポンペイウス回廊であっさり暗殺されたのだが、読者をローマ市民の立場に立たせて見事に再現したと思う。カエサル亡き後、カエサルの後継者に遺言されていた甥のオクタヴィアヌスがいかにカエサルの意志を継ぎ、共和制ローマを維持したい懐古主義者を粛正し、カエサル軍副将の立場にあったアントニウスやプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラを破滅させ、ローマ帝国を建国していくところの行程が描かれている。この紀元前のローマ人は現代の日本人に非常に近い印象を受けた。風俗は多神教であり外来文化を受け入れる性向にあった。民主的であり、独裁を好まず、平和を願った。著者が古代ローマをネタに現代の日本人へビジネス書や指南書を執筆する事があるのはそういう背景があるからかもしれない。

  • 「ブルータスお前もかっ!」のブルータスの候補って2人いるんだね。本当にこの頃のローマ人名前のレパートリーは狭い。誰が誰だかわからなくなる。しかし、暗殺されたのにここまで内容が克明に分かるのも、キケロのおかげなのだろうか。あと、クレオパトラのイメージが崩れていった・・・。まあ、今まで西洋史を勉強していないので、この時代に起きたことは全く知らなかったから無理も無いけど。

  • なぜブルータスやカシウスはカエサルを暗殺したのか、暗殺後の支離滅裂な行動から見ても、カエサルのような野望・構想があったとは思えない。大天才が故に起こる摩擦の大きさによるものなのか、人間とはこんなものなのか


    ※9/5にまとめて入力

  • この巻は主にオクタヴィアヌスとアントニウスの抗争の話である。10代のオクタヴィアヌスの才能を見抜くあたり、カエサルは最期まで圧倒的な指導者だったようだ。

  • カエサルとキケロ。

    「祖国(パトリア)」の概念が、キケロとカエサルではちがっていた・・・

    カエサルの考えた「祖国(パトリア)」には、防衛線はあっても国境はない。
    本国に生まれたローマ市民の、しかもその中の元老院階級に生まれた者だけが、国政を背入試泣ければならないとも考えていない。

    被征服民俗の代表たちに元老院の議席を与えて、ローマ人純血主義のキケロやブルータスらの反発を買ってしまったくらいなのだ。
    カエサルには、国家のためにつくす人ならば、ガリア人でもスペイン人でもギリシア人でも、いっこうにかまわないのであった。

    ただし、カエサルの「祖国(パトリア)」は、ローマ文明の傘の下に、多人種、多民族、多宗教、多文化がともに存在しともに栄える、帝国であったことは言うまでもない。」(126項)

    塩野さんは、文明/文化を区別している。
    ローマ「文明」という同一文明の下で、多文化共存の世界(帝国)を目指すという図を初めに描いたのが、カエサル。

    12巻については省略しましたが、つまりポエニ戦役&内乱後のカエサルについては、編年式の叙述が省略された。
    (まぁ、内乱後から暗殺されるまで、年を編めるほど長く生きることが許されなかったゆえもあると思うけど)
    だから、何だか突然、暗殺されてしまったような印象のある巻でもあったのですが。

    では、何が描かれていたかといえば、
    塩野さんの言うところの、カエサルが「帝国」統一の基盤としようとしていた「文明」、即ち貨幣(通貨)、税制、暦。
    それに帝国の統治機構の改編である、元老院の無力化と金融・行政改革。
    そういったものについて記述されていたわけです。

    *

    なぜ、「帝国」への改革が必要であったのか。
    共和制ローマが、拡大してしまったからというのが、第1の回答。

    「民主政とは、有権者各自の知力と判断力の多少によって、機能できるかできないかが分かれるのではない。
    何かことが起こればただちに駆けつけられる、有権者の数の多少によって決まるのである。」(108項)

    はいはいってところかもしれないけれども、ね。

    *

    他の、エッセイなんか読んでいてもはっきりと、塩野七生のカエサル愛は半端ないのです。

    ので、時々筆が滑り過ぎているように感じている部分もないではないのですが。
    いや、でもやっぱり偉大ですのね。(あいって、とかいってみる。)

    以下は14巻冒頭、『読者に』から。

    ***
     ユリウス・カエサルの言葉の中で、私がもっとも好きなのは次の一句である。
    「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
    多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
     
     こうは思いながらもカエサルは、指導層の中でも才能に恵まれた人々には、見たいと欲しない現実まで見せようと試みたのではなかったか。

    『内乱記』を読むだけでも、書き手の品位を損なうような非難の言葉は使われていないにかかわらず、いやそれゆえにかえって、読む者をして、元老院の統治能力の衰えを認めざるをえない想いにさせる。(13項)
    ***

    13巻、参考文献の紹介文において、ローマ人の物語のうち、ユリウス・カエサルの章が特に生き生きと描かれていることを、塩野さんは自身の技量によらず、カエサルとキケロによる素晴らしい資料が残されていたがゆえのことと説明します。

    それは、その通りではあるのでしょうけれど。

    だとすればなおのこと、
    「読む」という、ほぼ万人に可能な行為だけによって、
    ここまできっちり、それら資料の「主人公」であり「書き手」である人たちを愛した塩野さんは、豊かなひとだな、と思います。

  • 2004/12/4読了

  • すばらしい。カエサルが暗殺されるシーンを劇的に描くわけでもなく、時間の流れの中で起こった出来事のひとつとしてさらっと書いているところが、この本の意味があると思う。暗殺のシーンを詳細に書いたりすると歴史書としての風合いが損なわれ、時代小説に成り下がったのではないかな。
    カエサル暗殺後のローマの混乱と鎮静までを描いているのだけど、生ける3人(アントニウス、オクタヴィウヌス、クレオパトラ)が死せる一人の英雄の影で揺れ動き、英雄というか神の子オクタヴィウヌスが分割されたローマを統一に導く歴史の流れが小説みたいにおもしろい。塩野さんのクレオパトラ感もおもしろい。
    地中海、アフリカ北部を制圧した英雄が18歳の無名の若者を後継に選んだこともすごいが、その先見に応えた若者も偉大だ。

  • カエサル死すっ・・・!


  • 評価4.5
    カエサルの意志をついで、若きオクタビィアヌスが立ち上がる。無名の若き継承者はどう初代皇帝となりえたのか?

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