最後の読書 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101202822

作品紹介・あらすじ

目はよわり、記憶はおとろえ、蔵書は家を圧迫する。でも実は、老人読書はわるいことばかりではないよ――。鶴見俊輔、幸田文、須賀敦子……。長い歳月をたずさえて読む本は、豊かで新鮮なよろこびに満ちている。親しい仲間や敬愛する先達との別れを経験しながら、それでも本と出会い続けよう。本を読み、つくり、書いてきた読書人が、その楽しみを軽やかに綴る現状報告。読売文学賞受賞作!

感想・レビュー・書評

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  • 津野海太郎の本を読むのはこれが初めて。本書に書かれている著者紹介は下記の通り。

    津野海太郎(つのかいたろう)1938年福岡生まれ。
    評論家。早稲田大学卒業後、劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、「季刊・本とコンピューター」総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任。
    著書に「滑稽な巨人-坪内逍遥の夢」(新田次郎文学賞)、「ジェームス・ロビンズが死んだ」(芸術選奨文部科学大臣賞)、「花森安治伝」、「百歳までの読書術」、「読書と日本人」ほか。
    なお、本書「最後の読書」も、2020年読売文学賞(随筆・紀行賞)受賞作である。

    本書の発行は2018年。ご本人が1938年生まれなので、2018年にご本人は80歳を迎えられており、書中にも、ご自身の傘寿のことに触れられている部分がある。「年老いてなかなか昔のような読書は出来ませんね」ということが、テーマの1つの随筆なのであるが、そんなことはない。すごい80歳だと思うし、これで実際に衰えているのであれば、若い頃はどんなだったのだろう、と思わせる。
    ご本人が書かれたものではなく、「天野忠随筆選」の中で天野忠の随筆について山田稔という人がのべていることを引用し、それに対して、ご本人の文章を加えられている部分がある。

    【引用】
    晩年、車椅子の生活を強いられることになるこの詩人は、足にいささかの自信をもち、その足で歩くことが好きだったのである。
    その好きな毎日の散歩、近所のそぞろ歩きの沿道の景色が変わらないように、天野忠の随筆の中身は変らない。ほとんどすべてが些細な日常茶飯事をはじめ、古い昔の思い出、老いのくりごとなど、つまり何でもないことである。
    この「何でもないこと」にひそむ人生の滋味を、平明な言葉で表現し、読む者に感銘をあたえる、それこそが文の芸、随筆のこつ、何でもないようで、じつは難しいのである。

    これらを要するに、日常に生じた「何でもないこと」を、ふだん私たちがつかっていることばで書きとめ、その暮らしのすこし上方や下方にぼんやりとあるものを、読者が、「ああ、書かれてみれば、たしかにそういうこともあるよな」と、しずかに思えるようつとめること-。
    【引用終わり】

    読書の楽しみは沢山あるが、「人生の滋味を、平明な言葉で表現し、読む者に感銘をあたえ」てくれるような文章に出会うことは、最大の醍醐味の一つだと思う。要するに、「しみじみとさせてくれる」ということだろう。しかし、それが醍醐味の一つであることを、この文章を読むまでは気がつかなかったわけで、そういうことに気づかせること自体がすごいことだな、と思いながら読んだ。
    とても面白かった。

  • 幼少期から本に親しみ、編集者として本を作り読み続けていた著者が、老い先短いと自覚する年齢に達した今現在の読書について考察するエッセイ集。自らの経験だけではなく、知己や読書を通じて知った人たちなどが、どのように読書に親しんでいたかを本の中に書かれたことから読み解き、また、それを自分の過去の経験と重ね、新しい発見をしてゆくという読書。まさに読書の醍醐味ですね。多くの本が紹介され、ブックガイドとしても楽しめます。

  • 専門学校時代、遂に視力が0.1を切った。極度の近眼だった。
    それに老眼が加わったのは40代の半ばを過ぎた頃。

    毎年のコンタクトレンズ処方の為に訪れた眼科で、白内障の
    検査を勧められた。しかし、忙しさに紛れて放置していたら、
    コンタクトレンズを装着しても、眼鏡をかけてもモノが
    見えにくくなって来た。

    「老眼が進んだんだな」なんて自分に言い聞かせていたが、
    実は白内障が悪化していた。遂に両眼の手術をしたのだが、
    手術に至るまでの1年間、ほとんど本が読めなかった。

    まぁ、術後もそれほど本を読む時間が取れていないのだが…。

    本書のテーマである「老いと読書」とは少々違うが、私を含め
    「趣味は読書」と言う人たちにとって、年齢と共にいろんな
    ところにあらわれて来る「衰え」は結構深刻な問題だと思うの。

    実際、「いつか読もう」と思って購入していた昭和年代発行の
    文庫や新書なんて、字が小さくて読みにくいのよ。つか、本を
    開いただけで文字の小ささにクラクラして、そっと閉じちゃうの。
    あぁ…挫折の連続だわ。

    文字の問題だけではない。集中力や理解力は確実に低下して
    おり、何度も何度もページを遡って「ああ、こういうことから
    繋がるのね、この部分は」と読み直す回数が増えて来た。

    80歳になる著者が綴った本書は、自身の「老いと読書」に
    ついてのエッセイであると同時に、関連書籍のレビューでも
    ある。

    幸田露伴や鶴見俊介、紀田順一郎たちがどのように「老い」と
    付き合って来たか。

    私は娘である幸田文さんが記した晩年の露伴の様子に胸が
    痛くなったよ。

    あれも読みたい、これも読みたいと購入して積んだままの
    本が我が家にはかなりある。いつか、これらの本をすべて
    読了する日は来るんだろうか。

    そして、私が最後に手に取る本はどんな本なのかな。願わくば
    上質のノンフィクションがいいな。でも、こんなことを書いて
    いると、読了後に投げつけたくなるようなクソな作品だったり
    して。

    本書は「老い」を実感している世代は勿論だが、若い世代の
    読書家にこそ読んで欲しいわ。

    いつか、あなたにも思うように本が読めない時が来ます。
    ようこそ「老いと読書」の世界へ。ふふふ~~ん♪

  • 歳をとると、自然に体の各機能が衰えてくる。読書を呼吸することと同様に、当たり前のこととして生きてきた人間にとって視力の衰えはしんどい。記憶力も低下してくるというのも困りごとの一つになる。こんなこともありつつ、読書家の老年期をどう過ごすのかを思い綴った本。蔵書の行く末も悩みどころ。いずれは訪れるであろう我が身を案ずる。

  •  今年最初の読書のタイトルが『最後の読書』というのは、もちろん狙ったところもある。ただ、それ以上に感じるところもあってさ。編集者、演劇人とのことだけど、齢80になろうとする時期に、読書周辺での年齢からくる苦労など、あれこれというのがね。なんとなく最近年取ってきたなぁという自分の親を観る視点と重なったところがあるんだろうね。

     冒頭、鶴見俊輔が脳梗塞となって以降、話すことも書くこともできなくなり、亡くなるまでの3年ちょっとの期間、ただひたすら本を読んでいたという話。幸田露伴の晩年、目が悪くなっていき、読むのに忙しいから、もう書く時間がない、と言っていた話など。読書人の晩年というのは、なんのためというのではなく読むこと自体に喜びを見出していくのかなぁ、なんて思った。

     読書好きな人に限らないかもしれない。ただテレビを観たり、庭を眺めるだけでもいいのかもしれない。自分の外にあるものを、ただ受け取り、そこに溶け込んでいってしまうような。歳をとり、最終的にあの世に旅立つというのは、自分自身がこの世に溶け込んでいくということなんじゃないか、なんてことを考えてしまったね。

     著者は古典をダイレクトに読めない自分の世代を、ダイレクトに読めていた先行世代と比較して苦笑している感があるけど、その視点に立つなら、俺なんてものはもう知的能力に欠けるなんてものじゃないよなぁ、と苦笑するところもあった。別に悲観や卑下して思うのではなく、まだまだ伸びしろ、あるよね、って。

  • 新潮社のよみものサイト「(webでも)考える人」でずっと楽しみに読んでいた連載。傘寿を目の前にした編集者(著者)が鶴見俊輔の晩年の読書を灯台にして自身の読書記録をつづった老いと読書についてのエッセイは、これからゆくかもしれぬ道を予想させてくれつつ、その時期その時期でテーマを持ったブックガイドの形にもなっていて、芋づる式に読みたい本が増えて困る。

    菊池信義の書き文字が印象的な表紙だが、その菊池信義も単行本のカバーを最後に鬼籍に入ってしまった。(ついでにいうとこの文庫本は何となくちくま文庫っぽくみえる。)あとがきでも触れられているが、連載後半は追悼読書がますます増え完結した。それをまとめた「彼が最後に書いた本」の装丁は南伸坊である。安野光雅亡き後の松岡和子の本の装丁も南伸坊だった。南伸坊だってもう若くはない。これからは自分自身もさまざまな人の「最後に書いた本」「最後に手がけた本」「最後に読んだ本」を考えずにはいられないのだろうなと思う。

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著者プロフィール

1938年、福岡県生まれ。評論家・元編集者。早稲田大学文学部を卒業後、演劇と出版の両分野で活動。劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任する。植草甚一やリチャード・ブローティガンらの著作の刊行、雑誌『ワンダーランド』やミニコミ『水牛』『水牛通信』への参加、本とコンピュータ文化の関係性の模索など、編集者として多くの功績を残す。2003年『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』で新田次郎文学賞、09年『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞、20年『最後の読書』で読売文学賞を受賞。他の著書に、『したくないことはしない 植草甚一の青春』『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』、『百歳までの読書術』、『読書と日本人』など。

「2022年 『編集の提案』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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