- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101213668
感想・レビュー・書評
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『人は何かを知ろうとするとき、必ず知ろうとすることに先立って、すでに何かを知ってしまっている。一切の知識も、なんらの思い込みもなしに、人は世界と向き合うことはできない。そこで、何かを知ろうとするときに、まず「自分はすでに何を知ってしまっているだろうか」と自問すること。知らなかったことを知ろうとするのではなく、はじめから知ってしまっていることについて知ろうとすること。』
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冒頭の「人工物としての”数”」その次に「道具の生態系」くらいまでは斬新でドキドキしたのですが徐々に退屈な内容になっていきました。最初のあたりの内容をもっと展開してほしかったなぁ。
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ひとつの作品として論理的にまとまって完結している、というよりは、数学の出発点である身体、その肉体的・物理的制限から、数学を通して「心」の可能性をあれこれ探る論考、という感じ。感想としては、頭いい人なんだろうねえ。。という凡人読者特有の距離感につきる。ただ、深い感動や読後感みたいなものはないけれど、ひとつひとつのエピソードに考えさせられることがとても多かった。もともと数学や物理が好きだったのは、何か「理」を探究する学問のような気がしていたからで、その意味で理系というよりは文系(哲学・倫理学)色を感じていた。当たり前だけど数学にも歴史があって、いろんな国や人が培ってきた科学としての背景があって、「数学文化」という言葉がとても印象に残った。数学は文化なのだ。なるほどな。
個人的にはあまり数学に関係ないけどノイズとリソースの話が好きだった。たぶんしばらくこの二つについて考えることになるような気がする。Whatever works. 脳の外にも心はあると、確かに僕も思う。 -
わかるは自身が変わる、数字という言葉が脳にある記憶を介して自己の世界に認識される。すると、五感により自然を分けようと数字が無意識に機能する。そこに生活が繋がり合理を求めようとする。居心地の良さは数の整列でもある。時流の一方で "0" と "1" に配列されたデジタルが存在するが、果たしてデジタルで人々は幸せになるのか。所詮デジタルでできることはSNSや情報という言葉である。それよりも自然の中にある数字に興味を抱く。例えば植物で "葉の配列や花びらの形成" を言葉に頼らずに "わかる"。自然は言葉以前の根源にある。だからわかると言葉にするときに人は変わっている。人もまた自然であることの証でもある。
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これを10代で読んでいたら数学に対して興味や愛情を持てた可能性すらあるな…と、数学が大の苦手だった私でさえ思うほど、数学の新しい捉え方を教えて貰った。面白かった。
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学生の時に読んだらこの世界にのめり込んだかもしれない、と思うほど、何も知らない人が読んでも引き込まれる一冊。難しい部分は頭が固くなった今では噛み砕くのに時間がかかり過ぎるので流してしまったが、それでも興味深い話が散りばめられていて面白かった。
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うーん、難しい。。。
でも、とても詩的で綺麗な文を書かれる方だと分かる。 -
知らない世界なので視点がとても新鮮
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数学についての一つの見方を示唆してくれる。読んでくにつれ、脳科学か心理学についての本ではないか。ラマチャンドランの獲得性過共感なんか随分おもしろいではないか、と思った。また、著者は随分岡潔に心酔していて、彼の思想の解説をして、岡潔に興味を持って、ここはひとつ彼の著書を読んでみようかという気になった。2021.6.6