なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101231426

感想・レビュー・書評

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  • 立ち寄った本屋の平置きで、本の存在を知りました。
    (事件のことは知ってましたが)

    胸の詰まる内容です。

    自分だったら・・・そんなことを本気で考えさせられる本です。

  • 最初に二ページを本屋でさらりと読んで、その衝撃的な言葉で始まる部分で涙が出そうになり、あわてて購入しました。
    木村さんがどのように事件と向き合ってきたのか、第三者と視点で進むので読む側も冷静になって読み進めることができました。

  • ・光市事件のドキュメント。WOWOWでドラマ化されてて気になってて、観そびれたから本屋で見かけて手に取った。一気に読んだ。綿密な取材と抜群の構成に裏付けられた力作。
    ・筆者は本村氏の側にずっといたはずなのに、それをほとんど感じさせない書きっぷりが素晴らしい。
    ・本村氏の闘いを中心に書いているとしながらも、エピローグでは加害者との面会の様子も描かれていて、冷静に加害者を見つめている。死刑判決後にも加害者が主張し続ける魔界転生=ドラえもん=蝶結びについて俺は冷笑的なのだが、筆者は「罪と向き合い、罪の重さに愕然とした防衛反応」ではないかと言う。この視野の持ち方も好感が持てた。
    ・同様に取材をした多くのジャーナリストがいたはずだが、筆者はジャーナリストとしてだけではなく人間として被害者と付き合えたからこそ生まれた良書だと思う。
    ・「人を殺めた者が、自らの命で償うのは、当たり前のことなのだ。」や「死刑制度とは、人の命を尊いと思えばこそ存在する。」には強く同意する。

  • 第一審判決後の会見。
    「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します。
    愛する妻と幼い娘を当時18歳の少年に無残に殺害された本村洋のこの言葉。
    テレビの画面から、これほどまで人間の憎しみ、怒り、悲しみを感じたことはありませんでした。
    2008年、死刑判決となったこの事件、門田隆将の伝えようとする力がびしびし伝わる力作ノンフィクション。
    おそらく今年のMYベスト本。

  • バランスの取れた取材と構成が心地よい、良書。
    思えば、差し戻し審の判決日、私は広島高裁にいた。
    少年が語ろうとして真実が別にあるのだとしたら、差し戻し審での主張が弁護団によってつくられたものであるとしたら・・・。
    死刑言い渡し直後のそんな思いががまた蘇った

  • 事件があったとき、私はまだ小学生だった。事件のことはなんとなく知っていたが、実際あまり記憶がない。10年間も戦い続けていたなんて知らなかった。
    今はもう事件当時の本村さんの年齢に近い。なので、あんなにも強く生きていることに感心する。事件発生から死刑判決までの本人の強い信念と彼を支える周りの人々の励ます言葉に感動した。友達に薦められて読んだのだが、確かに誰かに薦めたくなるような思い内容だが心に響くものが多い作品だと思う。

  • (2010.10.07読了)(2010.10.01借入)
    1999年4月14日に発生した、光市母子殺害事件で、妻と娘を殺害された本村洋さんの被害者としての裁判闘争記録です。
    殺人事件があってもテレビのニュースで見るか、新聞の見出しを見る程度で、あまり事件に深く踏み込むことはしないので、この事件についても、表面的なことしか知りませんでした。文庫本が出て、神さんが興味を持ち、夢中になって読み、一回目は冷静に読めなかったので、すぐ、二回目を読んだというので、神さんから借りて読んでみました。
    読み始めて、すぐに、じわじわしみだしてくる涙でかすみがちな眼で、読み進めないといけない状態になってしまいました。
    350頁ほどある本であるにもかかわらず、次から次と起こる事態に引き込まれて、気を抜いて読めるところはなく、最後まで読み進められました。
    著者は、公平を期すために、加害者へも面会を行い、話を聞いています。加害者側の話を読んで、裁判というのは、いったいどうなっているのだろう、と思ってしまいました。
    裁判には、加害者も被害者も生身で関われず、検察官と弁護士のそれぞれの作り上げた一見わかりやすいフィクションの提示を裁判官がもっともらしく聞いている、というものなのか、という印象が残りました。
    本村さんの被害者としての闘いは、日本の裁判制度に多くの変革をもたらしたようです。まったく驚くべき内容が、この本にはたくさん盛り込まれていました。

    本村洋さんは、1976年3月19日に生まれた。
    中学時代は、テニス部で活躍していたが、三年生の時、腎臓疾患であるネフローゼ症候群が発症した。入院してみて、自分以上に大変な子供たちがいることを知った。
    (ちょっと前まで、一緒に将棋を指していた子が亡くなった。)
    病院から高等専門学校を受験し合格したので、病院から高専に通学した。病状がなかなか好転しないので、免疫抑制剤治療に挑戦した。
    「髪の毛が抜けます。子供ができなくなるかもしれない。」と言われるほどの治療だった。
    治療の効果は一定程度あった。原付バイクの免許を取り、エコノミーラン競技に参加したり、ツーリングにも出かけた。
    高専4年のとき、短大生・弥生とコンパで知り合った。洋さんは、高専卒業後、広島大学工学部に進んだ。弥生さんは、短大卒業後に、福岡市内の会社に就職した。
    1997年9月末、弥生さんから洋さんに「妊娠したかもしれん」という電話が入った。二人は、11月3日に婚姻届を出した。1998年4月、洋さんは新日鉄に就職した。1998年5月11日、子供が生まれた。夕夏と名付けられた。
    1998年7月、洋さんは、山口県光市の光製作所に配属が決まり、ここで三人の生活が始まった。秋には、洋さんの持病が再発したので、病院での入院生活を送っている。過労が原因だった。1999年になって職場に復帰した。事件は、その年の4月14日に起こった。
    4月18日、18歳の少年Fが殺人容疑で逮捕された。少年法が適用されるので、名前は公表されない。
    Fは、1981年3月生まれ。Fの父親も新日鉄社員。Fが12歳のとき、母親が首つり自殺をしている。夫の暴力が原因と推察されている。Fが15歳のとき、父親は、フィリピン女性と再婚し、事件の三か月前に、父と義母との間に赤ちゃんが生まれている。
    Fは高校入学後、家出や不登校を起こし、1998年4月には、同級生宅に侵入し、ゲーム機などを盗んだとして高校から自宅謹慎処分を受けている。(89頁)
    1999年4月1日から高校側から紹介された会社(配管整備会社)に出社したが、一週間後には、さぼり始め、事件当日も、仕事をせずに、ゲームセンターで遊んでいた。

    少年法を学ぶために、刑事が本村洋さんに渡した本は、土師守著「淳」新潮社、だった。1997年に起こった神戸の連続児童殺傷事件の被害者淳君の父親の書いた本です。

    Fが18歳であるため、20日間の拘留機関が終わるとFは家庭裁判所に送致される。家裁での審理で「保護処分が相当」との判断が下されれば、Fは、そのまま少年院に送られてしまう。そうなれば、遺族さえ何も知ることなく非公開のまま闇から闇に消えてしまう。(102頁)
    6月4日、山口家庭裁判所は、Fを山口地検に逆送した。山口地検は、Fを殺人罪で起訴し、刑事裁判が開かれることが決定した。18歳以上には、最高刑の「死刑」適用も可能である。(116頁)
    ●社会人たれ(119頁)
    本村さんが「これ以上会社に迷惑をかけられない」ので「辞めさせていただきたい」と言うのに対して、工場長の日高良一さんは、次のように言ってくれた。
    「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい」
    ●全国犯罪被害者の会(136頁)
    1999年10月31日朝十時、「全国犯罪被害者の会」に発展してゆく歴史的な会合が岡村綜合法律事務所で始まった。集まったのは、五人の犯罪被害者だ。岡村勲、林良平、本村洋、宮園誠也、渋谷登美子である。
    ●法律を変えなければ(138頁)
    「裁判が始まって遺影をもっていったら、荷物として預けさせられました。法廷では、僕たち遺族には傍聴席さえ用意してもらえない。事件が報道されても、犯人の実名さえ報じてくれません。妻が死んだあと強姦されたという事実さえどこも報じてくれません。事件の悲惨さが伏せられて、どうして妻と子供の苦しみやつらさがわかるんですか。」
    ●裁判は被害者が立ち直るためのきっかけと(143頁)
    「裁判は加害者に刑罰を与えるだけの場ではありません。我々被害者が加害者と和解する場でもあり、被害者の被害回復の場でもあり、われわれ被害者が立ち直るためのきっかけとなる場でもあります。われわれの存在を忘れないでほしい。」
    ●裁判は被害者のためのものではない(148頁)
    「裁判というのは、裁判官と検事と被告人の三者でやるもので、被害者には特別なことは認められていない」
    ●遺書が(158頁)
    2000年3月21日。山口地裁での光市母子殺害事件の判決前日。
    本村は、帰るときに先輩に「明日、休ませていただきます。僕に何かありましたら、パソコンを開いてください」と言って、退社した。
    不審に思った先輩が、退社後、すぐパソコンを開けて調べたら、引き継ぎ書や遺書が発見された。「もし、判決が死刑でなかったら、命を断とう。」と、本村さんは思い詰めていた。
    ●無期懲役は7年で仮釈放(167頁)
    無期懲役―少年法第58条には、少年の無期刑はわずか7年で仮釈放をすることができる、という規定がある。
    ●被害者は置き去り(182頁)
    「今の刑事訴訟法の中には、私が読む限りでは、被害者の権利という言葉は、一言もなくて、被害者ができることは、何も書かれていないんですよね。結局、国家が刑罰権を独占しているんで、強い国家が弱い被告人を裁くという、で、弱い被告人には権利をたくさん保証してあげましょうという構図が見えて、そこから被害者がぽつんと置き去りにされてるんですね。」
    ●死刑囚ビーズリー(206頁)
    「死刑という判決を受けて、自分の全てが変わりました。殺された人にも家族がいて、愛する人、愛される人がいたことに、僕は初めて気がついたんです。死刑判決を受けて初めて命について深く考えました。」
    (2010年10月13日・記)

  • 2008年4月22日、この日、広島高裁で差し戻し控訴審が行われ、その結果が入るのをネットのニュース速報でずっと見守った記憶があります。2年前の最高裁による無期懲役判決の破棄があった時点で死刑は確実と見られていましたが、事件発生から9年、実際に主文後回しの記事を読んだ時は思わず「長かった、、」と赤の他人である私でさえ感じました。即日上告したので裁判そのものは未だ続いていますが。
    この本は、光市母子殺人事件で妻と娘を失った本村さん本人の9年間を追ったノンフィクションです。事件当初、テレビのインタビューで少年を「殺す」と宣言し、すべての恨みや怒りを少年Fに向けていた本村さんですが、いろいろな人たちと接することでこの事件だけを考えるのではなく、過去の慣例に縛られて保身を優先する司法や、被害者の人権を無視したこの国の法律に苦しめられる同じ境遇の人々を助けるために動き出します。まさに本のタイトル通りですが、およそ打破する事が困難に思えるこれらの壁を、想像しがたいぐらいの絶望から這い上がって立ち向かって行けたのはなぜなのか、事件当初から取材を続けている著者が迫ります。特に、本村さんの辞表を受け取らなかった上司の言葉は強く心に響きます。

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。『週刊新潮』編集部記者、デスク、次長、副部長を経て2008年独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』(PHP研究所)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『汝、ふたつの故国に殉ず』(KADOKAWA)、『疫病2020』『新聞という病』(ともに産経新聞出版)、『新・階級闘争論』(ワック)など。

「2022年 『“安倍後”を襲う日本という病 マスコミと警察の劣化、極まれり!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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