- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101263816
作品紹介・あらすじ
その時、夫は妻を抱きしめるしかなかった――歌人永田和宏の妻であり、戦後を代表する女流歌人・河野裕子が、突然、乳がんの宣告を受けた。闘病生活を家族で支え合い、拐復に向いつつも、妻は過剰な服薬のため精神的にも不安定になってゆく。凄絶な日々に懊悩し葛藤する夫。そして、がんの再発……。発病から最期の日まで、限りある命と向き合いながら歌を詠み続けた夫婦の愛の物語。
感想・レビュー・書評
-
伸子さんリリース
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
河野裕子さんを夫として支えた最期の10年間が描かれていて、涙なしには読めない。
-
新潮社の「波」に連載されていた、さて、なんと呼べばいいのでしょう?
エッセイ?、回想記?、追想起?・・・
まあ、なんでもいいのですが、20代、30代の頃であれば途中で放り出していたかもしれないということを感じますが、最後まで読み終えました。
よく知りませんが現代短歌の世界では河野裕子も永田和宏も知られた人なのでしょうが、妻である河野裕子との最後の10年の暮らしは、やはり胸をうちますね。
シマクマ君のひびというあほブログでも、少し詳しく書きました。覗いてみてください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202403090000/ -
歌人・永田和宏が、同じく著名な歌人で配偶者の河野裕子の生と死を見つめる一冊。乳がん発症と闘病、その間の苦悩、再発後、晩年に至るまで、まさに、生と死を見つめ、悲嘆から再生への道行きが綴られた一冊。最後の一首、「手をのべて」のくだりは心が揺さぶられます。
悲嘆が恐怖に近しいということがほんとうだと感じられるかもしれない。
寂しい人間にとっては、身を分けたと思える、孤独を癒し続けた伴侶と引き剥がされることが、そして1人残されることが、死ぬほど寂しいのだと思う。それを思うと、恐怖以外の何ものでもない。
-
河野裕子という歌人、というより、筆者の妻であり母であった女性が乳癌になったこと。そして、数年後(10年未満)他の臓器に転移が見つかり、家族と共に死を迎えるまでの日々が描かれている。
女性が乳房を失うかもしれない、と思ったとき、自分の体や気持ちがどうにもならないとき、パートナーにどう寄り添ってほしいと感じるのか、どんなふうになるのか、受け止める周りの様子も含め、赤裸々に書かれている。
夫であり、歌人である永田によって出来事は回想される。永田の苦しい述懐に、ああ、男の人ってこうなんだよな、と私が思ってしまうのは、私自身が同じような経験をしているからかもしれない。病を抱えた河野の感じた苦しみを想像するしかないのだけれど…私は、河野の怒りを制御できない様子を知り、怒りの裏にある深い絶望感、悲しみに思いをはせるしかない。
自分がある意味、闘病記のたぐい、家族が看取るまでの物語があまり好きではないんだな、と改めて気づいた。
私が現代短歌を身近に感じることができたきっかけはアンソロジーで知った河野裕子の短歌のおかげだ。斎藤史を介して知ったのが最初かな。
そのことだけはこの本を読んだあとも変わらない。これからも私の好きな、大切な、歌人のひとりだ。
-
しみじみと静かに心にしみる本だった。河野の歌の素晴らしさ、その生き様に心がふるえた。
-
911
闘病記文庫 -
本書の副題は、「妻・河野裕子 闘病の十年」である。筆者の永田和宏と妻・河野裕子は、いずれも有名な歌人である。河野裕子の場合には、歌人で「あった」というのが正しい。河野裕子は、2000年に乳がんが見つかり手術。それが2008年に再発、そして2010年に亡くなられている。副題にある「闘病の十年」は、乳がんの発見から河野裕子が亡くなるまでの10年間のことである。本書は、「波」という雑誌に、永田和宏が2011年6月号から2012年5月号にかけての1年間連載したものを書籍化したものだ。河野裕子が亡くなったのは2010年の8月のことなので、妻が亡くなってから、おおよそ1年後から、更に1年間をかけて書かれたものである。
永田和宏と河野裕子は、愛情の通い合っていた夫婦であったが、それでも、この闘病記は、愛情と悲しみだけで構成されている訳ではない。もっと生々しい。乳がんの手術後、河野裕子は、過剰な睡眠導入剤の服用により、時々、精神の平衡を崩すようになる。実際には、平衡を崩すというような生やさしいものではなく、毎日毎日、夫の永田和宏を罵倒し続ける。それは、永田和宏にとって、ほとんど恐怖の日々であったことが、本書に書かれている。しかし、幸いなことに、良い精神科の医師に診てもらうことが出来、また、再発を告げられてからの河野裕子は、逆に精神の平衡を取り戻す。そのような凄絶な日々でもあったことが、記されている。
2008年に再発し、その後、抗がん剤治療を続けるが、病状は良くならない。ある時点で(というか、実際には再発を医師に告げられた時点で)、2人ともに、残された日はさほど多くないことについての覚悟を持つ。そのような、「最後の日々」の中でも河野裕子は短歌の創作を続ける。
書名にも引用されている永田和宏の短歌は、そのような日々の中で生まれたものだ。
歌は遺り(のこり)歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
妻の河野裕子は、日に日に重くなっていく病状の中で必死に短歌を作り続ける。やがて妻が亡くなっても、それらの歌は残る。そして、自分(永田和宏)は、妻が亡くなった後、その歌を詠んで泣いてしまうだろう。それは、いつか来る日であるが、その日が来るのが怖い。強烈なインパクトのある短歌だ。 -
「歌に私は泣くだらう」永田和宏著、新潮文庫、2015.01.01
223p ¥497 C0195 (2022.01.06読了)(2019.09.08購入)(2019.02.15/2刷)
【目次】
私はここよ吊り橋ぢやない
ああ寒いわたしの左側に居てほしい
茶を飲ませ別れ来しことわれを救える
助手席にいるのはいつも君だった
夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて
私は妻だつたのよ触れられもせず
あの時の壊れたわたしを抱きしめて
東京に娘が生きてゐることの
いよいよ来ましたかと
一日が過ぎれば一日減つてゆく
歌は遺り歌に私は泣くだらう
つひにはあなたひとりを数ふ
あとがき
収録歌集等一覧
解説 重松清
☆関連図書(既読)
「家族の歌」河野裕子・永田和宏・その家族著、産経新聞出版、2011.02.13
(アマゾンより)
歌人、永田和宏と河野裕子。
生と死を見つめ、深い絆で結ばれた夫婦の愛と苦悩の物語。
その時、夫は妻を抱きしめるしかなかった――歌人永田和宏の妻であり、戦後を代表する女流歌人・河野裕子が、突然、乳がんの宣告を受けた。闘病生活を家族で支え合い、恢復に向いつつも、妻は過剰な服薬のため精神的に不安定になってゆく。
凄絶な日々に懊悩し葛藤する夫。そして、がんの再発……。発病から最期の日まで、限りある命と向き合いながら歌を詠み続けた夫婦の愛の物語。