脳と仮想 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101299525

感想・レビュー・書評

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  • 職場の読書サークルの今月の一冊です。心脳問題という、
    なかなかツカミドコロが難しいテーマに関する本であり、
    かつ、小林秀雄氏を意識してか、かなり高尚な文体風に
    綴られています。もともと雑誌の連載記事を本にまとめた
    もののようで、散文的な雰囲気もあり、読書サークル
    メンバーからは難しくて理解しにくいとの声がありま
    したが、私は結構楽しく読ませていただきました。
    普段自分が手にしない本を読む機会となるのが読書サークル
    の楽しいところ。テレビに出ている、あのモジャモジャ頭
    のヒトをイメージせずに、哲学入門だと思って接すると若干
    読後感のショックが薄れます。
    タイトルを「脳溶かそう(nou to kasou)」と読み替えて、
    ロジカルに理解するのでなく、感覚で捉えるくらいがいいかも
    しれませんね。

    「仮想する」ということはとても大事なことですね。
    仕事も生き様も、人間流されがち。
    中央集権・情報統制が進むとしても、現場が「仮想する」
    ことは大事。

    現場が「吾思う、故に吾有り」である姿勢を貫く。これが
    現場力の
    源泉だと「仮想」したります。

  • 「仮想」と「現実」を対照のものと考え、「現実」でないものを「仮想」と定義する。「確実にそうである」ということができないものは「仮想」となる。
    この世は仮想に満ちており、今現在目の前にあるコップでさえ、視覚のみによって捉えているだけでは、それが”確実に”そこに存在しているとは限らない。故にそのコップは、「仮想」である。しかし、それを「現実」として認識するには2つの方法がある。「一致」という現象によって「仮想」は「現実」になる。2つの方法とは、

    1.五感のうち2つ以上の感覚のモダリティ(心的態度)が一致すること
    2.その存在が世界に及ぼす作用が2つ以上の経路を経由し、それらが一致すること

    となる。前者は視覚のみで捉えていたコップという存在を、見える箇所に手を伸ばし、触覚でも感じることで、その存在は確実にそこに存在すると初めてわかる。それによって「仮想」が「現実」へと変わる。
    後者は自分は視覚としてコップの存在を認識しているが、隣にいる友人は果たしてそれを認識しているのか、としたときに、その友人も認識できていれば「仮想」が「現実」へと変わる。

    といったような、「仮想」と「現実」との関係を様々な切り口で論じている。まだ自分には難しくて、読んでいてつかれた。でも面白かったす。

  • クオリア(質感)のなせる高次の意味。0.1の羅列と仮想現実は同一であるようでそのもたらす価値は異なる。

  • 脳は現実と仮想のはざまにいる。そこの区分けはクオリアでありリアリテイを感じる感覚である。
    脳は本の世界やイメージの世界などどんな場面でも仮想できる。
    ただ、脳を発達させるには脳の報酬である喜びなどの情動と結び付ける必要がある そのためには仮想だけでは難しい。

  • ・3/16 読了.みっくんのおかげでこの本を読んで脳で作り出されると考えられる意識についてより深く考察することができた.それにしても考えれば考えるほど脳で脳のことを考える限界を思い知らされる.それにしても釈迦の「矢の意味を問うより矢の傷を癒す」というエピソードは初めて聞いたような気がするけど感心した.ただこの本にも無いのがやっぱり無意識についての考察だ.

  • 仮想ということを深く考えさせられた

  • 「で、結局クオリアって何なん?」という感想を抱いてしまった私は、彼に言わせれば要素還元主義の科学に毒されてしまっているということになるのだろう。

  • 物体には質感がある。
    それらは「堅そうだ」「良い匂いだ」「大きい」「うるさい」などの言葉で分類できる。
    こういった物に伴う「質感」を著者は「クオリア」という言葉で表現している。

    しかし、五感で捉えたクオリアの間に誤差を生じることにより、私たちは驚いたり、不安になったりする。
    たとえば視覚的に硬そうだと思ったものを触ると柔らかかったり、冷たいと予想したものを飲んでみると熱かったりすると、意外だと感じる。
    であれば、物のクオリアは物自体に内在するわけではない。
    それは私たちの脳が作り出した「仮想」に過ぎない―――

    意識とは何か?

    記憶とは何か?

    感覚とは何か?

    私たちは理解しているように、当たり前にそれらの用語を使うけれど、私たちの脳に関する知識は、実はあまりにも乏しいと、この本により気付かされる。
    脳研究の最前線にいる著者ですら、わからないことがたくさんある。
    摩訶不思議な脳の世界にようこそ。

  • 相変わらずクオリア、クオリアよく分からない。途中でやめた

  • 第一章の小林秀雄の引用と瑞々しい筆致で展開されるアイディアには、衝撃にも似た感動を覚えた。
    が、後半に進むにつれ、観念的で、どう脳や科学につなげているのか要領を得なくなってきた。

    科学を文学的に解釈しているような感じ。
    科学というよりはむしろ哲学的だが、
    科学の前進には哲学にも似た深い思索が必要とされているのだろうか。

    引用が多用されているだけに、筆者よりもむしろ小林秀雄が凄いなァと思った。

    ***

    「物質である脳に、いかにして様々な主観的体験に満ちた私たちの心が宿るのか」 p.19
    「なぜ、単なる物質を、いくら複雑とはいえ、脳というシステムにくみ上げると、そこに「魂」が生じてしまうのか、とんと見当がつかない。」 p.231

    細胞生物学を学んでいて感じていた「すんなりと理解できない感じ」が上手く言い表された、と思った。
    ただし、だからと言って、筆者が主張するように、近代科学のアプローチに間違いがあると短絡付けられると、私は思わない。

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著者プロフィール

脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授。「クオリア」をキーワードに、脳と心の関係を探究しつづけている。1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。
著書『脳と仮想』(新潮社、第4回小林秀雄賞受賞)『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房、第12回桑原武夫学芸賞受賞)『脳とクオリア』(日経サイエンス社)『脳内現象』(NHK出版)『感動する脳』(PHP研究所)『ひらめき脳』(新潮社)ほか多数。

「2013年 『おぎ・もぎ対談 「個」育て論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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