大いなる看取り: 山谷のホスピスで生きる人びと (新潮文庫 な 69-1)
- 新潮社 (2009年12月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (446ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101301815
感想・レビュー・書評
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山谷というと何を思い浮かべるだろうか。朝から飲んだくれてる日雇人達が蠢く街だろうか?世代によっては明日のジョーか。
本書では、山谷のドヤ街にある、行き場のない人たちが寄り添うホスピス「希望のいえ」で日々を送る人々のノンフィクション。
中には元731部隊員、元ヤクザ、元板前、年収数億を稼いでいた経営者など。
皆、誰一人として望んできたわけではなく、止むに止まれず辿り着いた先がこのホスピス。元は順風満帆に家庭も仕事も持っていたのに、天災や人災、事故により、凋落する。いつ誰にでも起こり得ることだ。
このホスピスはあくまでボランティア団体なので、高度医療施設が完備されているわけではないが、住民達は伸び伸びしているという。病院は治療をするところだが、ここは環境で心をケアしてゆくそうです。むしろそういった多少無骨ながらも、互いに手探りで過ごしてゆくことが良いのやもしれない。
本文中にも、延命措置か安楽死を選ぶかについて触れられていたが、個人的にはとても同意出来る内容が記されていた。
最後の時間をどう過ごすか、他人に看取られながらどのように旅立ってゆくのか。命を救うのではなく、死を全うさせる。
死を全うするってのは、簡単なようで難しいテーマだな。
超高齢化社会になり、これはモデルケースになって欲しいと思う。億ション並の超高額介護施設ではなく、こういった「希望のいえ」のような施設が民間でなく公立で出来たら良いね。
しかし、こうして読み終えると、かつての昭和時代の住む街に商店街だけと、回覧板が回ってるような時代ってのは、ある意味、孤独死ってのはなかったんだな。誰それさんちの爺さんとこ今日は新聞取ってないから、倒れてるかもしれないから見てこい!なんて具合に。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
死とは何か、生とは何か、そして愛とは何か...。色々と考えさせられる良書。
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時間があれば
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東京・山谷。日本を代表するドヤ街。日雇い労働者の街であり、
漫画「あしたのジョー」に出て来る泪橋はこの山谷の近くにある。
高度経済成長期の建設ラッシュを裏で支えた街も、今では高齢
化が進んでいる。日雇い仕事も少なくなり、仕事にあぶれた人
たちの中には生活保護で暮らす人も少なくない。
そんな山谷に民間のホスピスがある。「きぼうのいえ」とそれに
付属する「なかよしハウス」だ。
モデルはインド・カルカッタにあるマザー・テレサの「死に行く
人たちの家」。行き場がなく、間もなく死を迎えるであろう人
たちの為に設けられた施設だ。
入居者は様々な事情を抱えて「きぼうのいえ」に辿り着く。
米軍から拳銃500丁を密輸したこともあると語る男性、
元料理人の男性は施設の職員に感謝のしるしとして手料理
を振舞う。
戦時中731部隊に所属していたという男性は、淡々とそこでの
経験を語り、著者が持参した『悪魔の飽食』を手元に置いたまま
旅立って行く。
死を間近にしていかに最後の生を生きるか。暗くなりがちなテーマ
だが、本書には暗さや高齢者福祉にありがちな理想論は一切
ない。
入居者と職員、そして度々施設を訪れて話を聞く著者との間に
温かい交流があるばかりだ。
重いテーマだけれど希望がある。看取る側にも看取られる側にも、
充実感があるからだろう。
家族に囲まれてもいても幸福な死を迎えられない人もいる。その
対面に位置するのが「きぼうのいえ」での看取りではないだろうか。
いかに生きたかも大切だけれど、残された時間をいかに生きるかも
重要なのだなと思う。自分の人生に満足して、最期は肩の力を
抜いてふっと逝きたいね。 -
人の終末の迎へ方はさまざまであります。
かつて『在宅で死ぬということ』といふ書物を登場させたことがありますが、この場合はとことん「在宅」にこだはつたケースでした。個人差はあるものの、世間一般的には割かし恵まれた最期だつたのではありますまいか。
本書『大いなる看取り』の舞台となる施設は、ドヤ街としてのイメエヂが強い山谷の「きぼうのいえ」。
創設者の山本雅基氏は当初、ホームレスのためのホスピスを目指してゐたさうですが、最終的に「ホームレスに限定せず、行き場のない人たちのホスピスを創らうとしたのです。
ホームレスの人は目立つので認識されやすいが、実はそれ以上に困つてゐる人たちが少なくないといふことです。
即ち「月数万の年金で暮らしていて、お風呂もない昭和三十年代にできたようなアパートに住んでいるお年寄りたちです。特別養護老人ホームは順番待ち。テレビを友達に過ごしていて、孤独死も少なくない」(本文より)、そんな人たちであります。
さういふ人たちは種事情により、家族とは一緒に暮らせず、年老いても看取つてくれる人がゐない。山本氏と妻の美恵さんは、かかる人たちが心安らかに最期を迎へられる施設を作つたのであります。
本来なら国がするべき事業だと思ひますが、何でも民間頼みのこの国では期待しても詮無いことです。(一方で、民間が挙げた成果は、ちやつかり自分たちの手柄にする政府)
著者の中村智志さんは「きぼうのいえ」で多くの入居者を取材します。時には邪魔者扱ひされたり、また時には理不尽な理由で取材拒否されたり...しかしその心根は純粋な人たちが多いのです。否、純粋だからかういふ人生を歩んできたのか、とも思へます。各人の入居に至るまでの経緯を見ると、人生の転機に於いて、計算高い普通の人ならまづ忌避するであらう方ばかり選択してゐるのです。涙が出てくる。
それゆゑか、本書に登場する「きぼうのいえ」の入居者たちは、皆それぞれに満足して、心安らかに最期を迎へられたやうに見受けられます。
いつかは自分にも訪れる「その時」。はたして「きぼうのいえ」入居者ほどの安らぎを得て逝けるのか、良く分かりません。
読後はちよつとしんみりして、我が身を振り返つてしまふ、そんな一冊と申せませう。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-182.html -
興味深く読みました。
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山谷にあるホスピスは確かNHKのドキュメンタリーで見たことがあった。偉い人がいるもんだなあ、と感心して見てたのを覚えているのだが、この方が書いた週間朝日の記事とそれをまとめたこの本が元ネタだったのですね。テレビのほうではホスピスを経営する山本夫妻にフォーカスが当てられていたが、この本ではご夫婦だけではなく、ここで最期を迎える人達の足跡や生い立ちにも触れられていて、中々興味深い。必ずしも恵まれていたわけではない人生の人達が多いのだけど、そういう人達にも救いがある。明るい光明の部分を描いている。ところでNHKが最近プロパガンダ的やたらに取り上げている、無縁社会とか孤独死ってこれが元ネタなんでしょうかね。上にも書いたようにNHKほどネガティブではなく死は一種の通過点とここでは捉えている。
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山谷のホスピス「きぼうのいえ」の様々な死を通し、改めて人の命とは何なのか、人生とは何なのか、非常に考えさせられる一冊。
この本を通して皆さんも自分の人生考えてみたらどうだろうか。 -
人生はほんとうにさまざま、いろいろ。生きた軌跡は無数。貧しさや路上生活は社会と深く結びついて、そこから生まれているものだとつくづく思った。
貧しさも路上生活も医者にかかれないのもなんでも、「自己責任」の社会・・・その現状はなにか違うと思う。
文中に「心は単色ではない」ということばがあったけれど、ほんとうにそう思う。心も、人生も単色ではない。
このなかで取り上げられた人びとの人生が「戦争の傷跡」とつながっていることも切なかった。
ただ、宗教的な部分は、無宗教の私には少し理解しにくかった。