麻原彰晃の誕生 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101304359

作品紹介・あらすじ

少年は熊本の寒村に生まれた。目に障害を抱え盲学校に進んだ彼は、毛沢東や田中角栄に心酔。数々の挫折を経て上京し、鍼灸や漢方薬で詐欺まがいの商売を行った後に出会ったのが宗教だった。やがて超能力を増幅させるという金属を手に入れて、“尊師”として多くの孤独な若者たちを吸引。狂気の道へと転落していく──「怪物」として処刑された男の等身大の姿を丹念な取材で描き出した「伝記」。

感想・レビュー・書評

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  • 平成最後の年、オウム真理教の中心メンバーの死刑が執行されました。それに関連して、オウムを特集した番組を、目にする機会が多かったように思います。
     
     ただ、その手の番組で語られることが多いのは、教団、あるいは教団の前身ができてからの話が中心で、そもそもの発端となった人物である麻原彰晃に迫ったものというのは、あまりなかったように思います。

     オウムが地下鉄サリン事件を起こしたとき、僕は当時2才でした。そんな自分にとってオウムも麻原彰晃も、歴史上の人物や出来事とはいかないまでも、どこか遠いものだったように思います。現に麻原彰晃の片目が見えていなかったことも、この本を読むまで知りませんでした。なので、この本を読めばオウムのこと、そして麻原彰晃という人物のことが少しは分かるかなと思い、手に取りました。

     内容としては麻原の子供時代、整体師として活動していた時期、オウムを立ち上げるに至るまでの様々な変遷と、事件以後よりも、事件以前の麻原を中心としています。オウムの起こした事件について詳しく知りたいというよりかは、それ以前、オウムがいかに生まれ麻原はどう行動してきたかを、知りたい人向けの本だと思います。

     さて、この本を読んで麻原のことが分かったか、なぜオウムが生まれたか分かったか、と問われると正直難しいところです。それは内容の不足というよりかは、麻原の思考や考え方、論理に自分がついていけなかったところがあるように思います。

     もちろんなんとなく思うところもあります。片目が見えないため麻原彰晃こと松本智津夫は、盲学校に通うことになります。しかし智津夫は片目は問題なく見えているからと、これを嫌がります。しかし、彼の意向は通ることはありませんでした。また盲学校に通えば補助金が家に入るということもあって、智津夫は金のため自分は親に捨てられたと、周りに言うことがあったそうです。

     また、盲学校の授業では全盲の生徒のため、触ったものを何か当てる授業があったそうです。しかし、片目は問題なく見える智津夫にとって、こうした授業は退屈以外の何物でもありません。また片目が見えることを理由に、他の生徒に頼られることもあったそうです。こうした体験を元に「自分は特別な人間」という思い込みを強めていったのではないのでしょうか。

     親への恨みを見返してやるという気持ちに転化したこと。自分は特別な人間だと思い込んだこと。そこに超常現象への興味、ヨガの発見、ハルマゲドンや終末思想との出会いとが混ざりあいオウムに至ったのか、自分の理解としてはそんなところです。でも、これもおそらく完全な正解ではない。彼の思いが語られることは二度とありません。

     松本死刑囚は晩年、精神的に不安定になり裁判中や拘置所内で異常な行動を繰り返し、それが本当かあるいは詐病か。責任能力はあるのかといったことに裁判の争点が移っていきました。今となっては結論は出せませんが、著者である髙山氏は、これは詐病だったとしています。その理由については、あとがきに述べられているのですが、妙に納得のいくものでした。地裁での裁判中から不安定になった麻原の言動ですが、死刑判決後それは一気に加速します。しかし、一方で弁護士との接見はある時期を境に、一度も拒否することはなかったそうです。そして接見した弁護士の前で、奇行を繰り返し続けたそうです。これは、奇行を確認してもらうことで、責任能力はないとされ死刑を逃れようとしたのではないか、と著者はしています。

     ちなみに智津夫は盲学校時代、先生に叱られるとその場しのぎの反省や居直りをし、決して心の底から反省することはありませんでした。智津夫の奇行については、もちろん本当に精神のバランスを崩していた面はあるのかもしれませんが、根底にあるのは盲学校時代から続く、彼の根本的なものではないか、という気がします。そして、そんな小さな男によって多くの人の命が失われ、あるいは人生が狂わされたことに怒りと、虚無に近い気持ちが沸いてきます。

    麻原彰晃という人間のせいなのか あるいは、世紀末という時代のせいなのか、それとも社会のせいなのか、それらが複雑に絡み合ったのか。オウムが起こした波はきれいに解決されることなく、平成の終わりと共に、無理矢理幕が引かれたように思います。今の自分達にできることは、こうした事件があったことを記憶に留め、同じような予兆があれば、すぐに気づけるように、そして人が抱えるであろう闇にのまれないようすること。不十分だとは思いますが、今自分ができることはそんな気がします。

  • 髙山文彦『麻原彰晃の誕生』新潮文庫。

    帯には『このまま風化していくのか- 狂気の犯罪集団オウム真理教を生んだ男の足跡を克明にたどる唯一の「伝記」』と興味をそそられる文言が踊る。期待は大だ。

    熊本県の寒村に生まれた少年・松本智津夫は如何にして麻原彰晃という怪物に変貌し、激しい狂気の世界へと駆られていったのか……彼の犯した数々の罪よりも、その変貌の過程に力点が置かれており、非常に読み応えがあった。

    自らの保身と欲望を満たすために、有りもしない超能力や神秘的な幻にすがり続け、悪の道へと足を踏み入れた麻原は次第に最終解脱という高みから遠ざかっていく……

    それにしても、オウム真理教の誕生のきっかけが岩手県釜石市のイイヒロカネにあったことには驚いた。

  • >悩みがあったり、どうにもならない気の弱い人間ばっかりが宗教には集まってくるんだから、そいつらを魚釣りのように釣ればいいじゃないか。」
    >純粋で従順、でも地に足がついていない。彼らはなにかが足りず、なにかを求め、そしてなにかを失い、自分の中になにかをつくれないでいる」

    自分にも当てはまることがあるなぁ、と。
    人間の根源的な弱さや脆さといったものを強く感じた。

    そもそも宗教とはなんだろうと思い、軽く調べたところ、宗教の数は宗教学者の数だけあるんだとか。一つだけお気に入りを紹介。

    ”宗教とは、本来自明ではない超自然的な存在に関わる事柄を、自明なものに変換し、人々をそのように振る舞わせる社会的装置である” (岩井洋)

    つまり宗教は、人々の信念や振る舞いを「ある方向」に向けるために、「人間によって」作り出された装置である訳だ。

    オウムという宗教は、松本氏が自身の欲求を満たすために作り出したものである。
    そのためあらゆる構成要素は、信者を松本氏にとって都合のいい方向に向けるべく存在している。教義や儀式の内容などがいかにして生まれたかの解説があったけど、当然そこに真理なんてものはなくて、あるのは思いつきだけだったな。
    信者によって祭り上げられた教祖は、やがて教祖自身でも自らのコントロールを失い、テロ組織に成り果ててしまったとさ。

    もちろん、宗教の全てがテロ組織のようなものだ、と主張する気はさらさらないけど、根本の部分は全く同じな気がする。

    三大宗教のどれをとっても、やれキリストだブッダだのが勝手に言い始めただけで、結局は振る舞いを規定する装置やろ!(各方面の方々、僕を刺さないで下さい)
    「死んだじっちゃんから伝えられた教え」みたいなのと本質の部分は変わらんよな。
    (だからこそここまで長く、そして広く受け入れられている教義は非常に興味深いし、装置自体にはある種の真理が宿っていると思う)

    素人のくせに知ったかぶりをして、あちこちにガソリン撒き散らすような文章を書いてしまったが、これを機にちゃんと学んでみようと思う。

    何よりも「how to be a kyouso」が知りたい。(a...笑)

  • 私の不勉強もあろうが、思えば日本の犯罪史に残るあれだけの所業を為しておきながら、その首謀者である麻原彰晃という個人にここまで焦点を当てて掘り進めた著作はあまりないように感じる。
    その中で、生い立ちから始まり、松本智津夫がいかにして麻原彰晃となり、鍼灸院やいかがわしい薬局経営を経て、ヨガサークルを巨大教団へと育てていったのかを、丹念な取材を基に綴った本書はとても読み応えがあった。
    私は学生時代、信者が多かったうちの大学の学祭にやってきた麻原彰晃の講演をすし詰めの大教室に聞きにいったことがあるが、その時受けた、宗教家というよりはなんだか俗っぽい普通のおじさんやなあ、という印象を補強してくれるような面もあったり。
    一連の事件の肝である坂本弁護士一家殺害や、地下鉄サリンなどについての具体的な経緯の描写はほとんどないので、あくまでそこに至る教祖個人の道程を描くのが主眼だったのだろう。

    当たり前のことだが、麻原彰晃とて一人の人間であり、ましてや結果はどうあれ、一時はあれだけの信者を集めて心酔させた人物である。
    理解不能の化け物だ、と目を背け思考を止めるのは簡単だが、著者のように彼を私たちと同じ人間と捉え直し、その生き様を追体験してみると、誰もが何か感じるところを見出すだろう。
    彼の人生に関わりを持った何人かの人たちが証言するように、ひょっとしたらどこかで彼の暴走を止めるポイントがあったのかもしれないし、結局はそうできなかったかもしれない。
    しかし、麻原彰晃=松本智津夫は決して我々と違う遺伝子を持って生まれてきたミュータントなどではなく、著者の言葉を借りるなら、私たちそれぞれにとって「隣人」だった、ということは言えるのではないだろうか。

    また本書で言及されているように、1980年代後半、ひとしきり経済成長を済ませ、物質的な豊かさは行き渡りながらも、その反動たる精神的な虚しさを特に若い世代の多くが抱えていた当時の時代背景が、オウム真理教の肥大化、そして麻原彰晃の神格化に燃料をくべたことは間違いない。
    当時、報道を見ながら「アホやな、こんなんなんで信じてついていくんやろ…」と冷めた嫌悪感を持って幹部や信者たちを遠くから眺めていた私だって、実は背中合わせに立っていたのに、それに気付いていなかっただけかもしれないのだ。

  • 平成30年という年に読んでおこうと思った。
    30年に松本智津夫死刑囚を含めオウム関連の死刑囚13人の刑が執行された。
    この書は坂本弁護士殺人事件や地下鉄サリン事件など世間を震撼させた一連の行為に至るまでの麻原彰晃やオウム真理教について書かれてある。(地下鉄サリン事件の当日、自分が乗っていた営団地下鉄銀座線が新橋駅だったか止まらずに通過して行った事を覚えている。)
    「後記」に書かれている様に自分もオウム真理教が大量に国政選挙に出た時にこの教団の事を知った。
    「ショーコー、ショーコー」のフレーズは耳に残っている。
    どう考えても国家権力に潰されるのが分かっていて、あのテロ事件を起こしたのかがこの書を読んでも自分には理解が出来ない。

  • 目に障害を抱えていることで、盲学校に進んだ松本少年は、数々の挫折の果て東京に向かいます。
    東京で結婚し、鍼灸や漢方薬で生計を立てながら、詐欺行為で捕まり、ヨガの修行なども行った先に出会ったのが、宗教でした。
    やがて超能力を身につけたと吹聴し、多くの若者たちを心酔させ、狂気の道へと進んでいきます。
    未だ謎の多いオウム真理教事件ですが、入念な取材で一部を明かしていきます。

  • 2006年刊の文春新書版を新潮文庫から再刊行したもの、だろうか。
    現物比較した訳ではないので内容の相違は分かりかねるがページ数はほぼ一緒のようだ。
    文庫版発売のタイミングは死刑執行から4ヶ月後。

    筆者のスタンスはあくまで中立。麻原の所業ひとつひとつに肯定も否定も述べるものではなく、著者の想像による部分も極力抑えられているように思えた。


    麻原彰晃という人物の概要を掴むには最適だろう。

    ハッとさせられたのは「盲学校という閉ざされた世界のなかの智津夫の悲しみは、むしろ『目が見える』ということだったのでは」(p39)という指摘。
    元々高い能力と自尊心を持ち合わせて盲学校という環境に送られたことで「いつでも容易に服従させることのできる」(p40)という体験がのちのオウム教団での振る舞いに繋がっていったのではなかろうか。

    もちろん、国内初・未曾有の化学テロ事件を引き起こしたオウム真理教の暴走を理解するには当然、彼以外の要素も知る必要があるだろう。

    単純な興味以上の関心を持って、引き続き資料に触れていきたい。


    1刷
    2021.11.7

  • 2019/03/04読了
    知らない話がたくさん出てきた。

  • なぜ自分はオウムのことが気にかかるのだろう。このような本を折に触れて手にとってしまう。自分の生きた時代に重ねているのは間違いないし、もう少し踏み込むと、もしかしたら、自分もあちら側にいたかもしれない、という感覚があるんだろう。テレビに普通に写っていた麻原彰晃の姿は滑稽であることは間違いなかった。でも、それも普段の日常に組み込まれていた、あの90年代前半、世紀末に向かう中、なにか計り知れない力によって世界の姿が変わることをぼんやりとは期待していたんではないか。
    この作者も世代は違えどオウム、麻原彰晃にシンパシーを感じているように感じる。それがあとから振り返ればバカバカしいほど無意味だったことは、ヒヒイロカネの下りにもよく現れている。それでもなにかこの世界を変える力が何かどこかにあるかもしれない、という期待。それを信じたいという表には出せない気持ち。それはこの世界で自分が主人公であるという実感を強く感じられない弱い人間にとってはかなり当たり前のものなのではないだろうか。そしてそれを利用するのが世界。

  • 2006年にすでに出された稿の焼き直し。オウム関連の死刑執行が一挙にされた2018年を機に出版されたのだろう。人物よりサリン事件や教団が発生、存続する背景、理由に切り込んだ方が良かった。太古より繰り返される歴史のようであるから。2019.2.3

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著者プロフィール

1958年、宮崎県高千穂町生まれ。法政大学文学部中退。2000年、『火花―北条民雄の生涯』(飛鳥新社、2000年)で、第22回講談社ノンフィクション賞、第31回大宅壮一ノンフィクション賞を同時受賞。著書に『水平記―松本治一郎と部落解放運動の100年』(新潮社、2005年)、『父を葬(おく)る』(幻戯書房、2009年)、『どん底―部落差別自作自演事件』(小学館、2012年)、『宿命の子―笹川一族の神話』(小学館、2014年)、『ふたり―皇后美智子と石牟礼道子』(講談社、2015年)など。

「2016年 『生き抜け、その日のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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