遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 59
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  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101325347

感想・レビュー・書評

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  • 震災の犠牲者と一口に言っても、それは単なる数字の積み上げではなく、当然ながら、一人一人がそれぞれの人生を生きていた人々なのだ。
    最後の瞬間まで、人間としての尊厳をもって遺体を扱う人々の尽力には、本当に頭が下がります。

  • ふむ

  • 新型コロナが世界的に流行してるせいか、生死について考える時間も多くなり、長く積読していたこの本をようやく手に取ることが出来ました。

    釜石市の遺体安置所で、震災当初から奮闘していただいた様々な方々を時系列に、そしてリレー形式で書かれているので、非常に読みやすい本ではありました。

    私自身、母親であるので、やはり子が亡くなるケースは涙無しでは読み進めることができませんでした。
    私は被災者ではありません。だからこそ、当時の事を思うと軽々しく感想など言えません。
    ただ風化はさせてはいけないと、強く再認識させられました。

  • 東2法経図・6F指定:369.3A/I75i/Ishii

  • 2度目の読了
    土葬、火葬についての下りをもう一度読みたくなった。それぞれの生き方、社会貢献の仕方に頭が下がる。

  • P304

  • あれから5年。報道されない闇の部分がここにはありました。闇と言ってはいけないのかもしれませんが日常では到底ありえない現状がここにありました。
    誰しもここに登場してくる人物になる可能性があります。もしそうなったとき自分は・・・・っと思いつつ読み進めました。
    昨今ではますます、「死」や「遺体」などに接する機会もめっきり少なくなり。しかもイメージも悪くなってきている日本ではありますがここに登場している人たちはとても「死」に対し懸命に向かい合い尊重していました。とてもそこに感銘を受け自分もそうでありたいと思いました。ただたぶん今以上に「死」というものから遠ざけられていく今後の世代に同じようなことを期待していくのは現状ではなにか不安を覚えます。
    そんな時代です。この本はとても良いレポートなのではないかと思います。
    しかし、このレビューのために「遺体」で検索かけてみましたが結構、面白そうな本が引っかかるんですね。

  • 僕の持っていたイメージでは被災者は冷静に対処して大きな混乱もなく海外からも賞賛されているというものだが、この本に書かれている人びとは冷静な人ではない。人びとは変わり果てた町に絶望し、最愛の者を失って泣き叫び、行政への不満を爆発させ、生き残った事を後悔した。普通の反応だ。
    自衛隊員、警察官、市役所の職員、医師らは罵声を浴びながらもひたすら自らの職務をした。当然彼らにも気掛かりな家族はいるが自分のことより職務を優先した。こういう自己犠牲の精神で働く無名の公務員は日本の誇れることだと言える。

  • 本書は、2011年3月に発生した東日本大震災において大きな被害を受けた、釜石市の遺体安置所を舞台にしたルポ。あの日奪われた統計学的な数の命と、この世に残されたおびただしい数の遺体。それらは大きな混乱と悲しみの中で、被災者自身の手によって供養され、葬られた。このことは、大手メディアによって詳しく報道されることはなかった(と思う)。

    著者・石井光太は、震災後すぐ遺体安置所に入り、そのあまりに過酷な現実をつぶさに観察した。遺体回収にあたる自衛官や市職員、検体にあたる地元の開業医たち。もちろん彼らが顔見知りの変わり果てた姿に出会うこともしばしばだ。その悲しみは、想像することなど決してできない。

    遺体のほとんどは、津波の圧倒的な威力によっては破壊され、徐々に腐敗していく(津波火災による焼死体も多かった)。そんな中で遺体ひとつひとつに声をかけ、遺族に寄り添いつづけたある民生委員の行動は、悲劇の中にあって大きな救いとなった。

    関係者の献身的な行為の根っこには「今、自分のできる役割を果たす」という素朴だが、強い信念があった。はたしてその場において、なにができたか?問うほどにただ、胸が締めつけられる。

    自然災害によって、突然に命を奪われた人たちの無念ははかりしれない。同時に、残された遺族の悲しみと同化することも不可能だ。僕はあの時、ただ祈ることしかできなかった……。

    残念は「念が残る」で、無念は「念が無くなる」。死にゆく人間の想念は消えてしまうが、残された遺族にはさまざまな想いが残る。残念/無念という言葉は、死者とそれを見取る側の関係の相対性を浮かび上がらせる。普段何気なく使っている日本語にも、深い含蓄があるように感じた。

    人間は死に直面することではじめて、本当に大切なものを意識する。「メメント・モリ(死を思え)」は、常に死に意識的であることで物事の本質から目をそらしてはいけない、ということ。ある日突然訪れる死に対して、日々を後悔なく生きることは、はたして可能だろうか。

    先日、若くして亡くなった先輩の一周忌があった。彼自身、突然に自分の身に降りかかった死に、無念でならなかっただろう。そして残された僕らの心には大きな穴がぽっかりを空いたままだ。

    死からは決して、逃げることはできない。だからこそ、ひとつひとつ過ぎていく日常の時間を大切に……そんな当たり前のことを繰り返し、繰り返し、何度でも発見していきたいと願う。本書は、そんな気づきを与えてくれる稀有な書物だといえる。

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著者プロフィール

1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。

「2022年 『ルポ 自助2020-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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