- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101335919
作品紹介・あらすじ
「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる」-小学校の卒業文集に書いた夢を、佐渡裕はついに現実のものとする。指揮者としての正式な教育を受けていない自称「音楽界の雑草」が、なぜ巨匠バーンスタインに可愛がられることになったのか。「ライフ・キャン・ビー・ビューティフルや!」という師の言葉を胸に、世界中の名門オーケストラで指揮棒を振る男の人生讃歌。
感想・レビュー・書評
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指揮者・佐渡裕氏の自叙伝。
子ども時代から指揮者修業の時代まで、とっつきやすく、読みやすい。
知らなかったが、もともと指揮者の専門教育を受けたというわけではなかったのだな。
一般的なコースを歩んできたわけではない彼の中に「光る何か」を見つけ出してくれた人たちがいたというのがすごい。
天職なんだなあ。こういうのが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小澤征爾、レナード・バーンスタインに可愛がられた佐渡裕
東日本大震災が起きた後、さださんと佐渡さんが「音楽に何ができるか」と苦悶された話を聞いたことがある。
何かを切り捨てて夢に向かわなければ夢は実現しない!
佐渡裕さんのマーラー愛が半端ない。
佐渡さんが指揮した「運命」を聴いて魂が震えるほど感動したことを思い出す。 -
いい指揮者って人間味にあふれていますよね。
それがよく出ている本です。
一度佐渡さんの指揮で弾いてみたいなあ。 -
一気に読めました。掛け値なしに面白い。
嫌な思いもたくさんしてきただろうに、個人を貶める言葉がない。自分の力を信じて、まっすぐに道に向かい、道が拓けた人の半世紀です。
同時代を生きるものとしては、嫉妬してしまう。著者の名前を初めて聞いたのは1998年頃だったろう。今や有名人になった彼のこれからにも注目します。直接、演奏会を見聞きしたくなりました。 -
自伝的なものは、好みではありました。
そして、ちょうど最近、ピアノの調律をテーマにした本を読み終えたばかりでしたので、こちらを手に取りました。
基本、僕は一ページも開かずに購入するタイプなので、佐渡裕さんのイメージとしては、何か昔コーヒーのコマーシャルに熱い汗を撒き散らしながら指揮棒をふっていた人かなといった印象でした。
さて、内容はその通り、音楽に対しても、人に対しても、人生に対しても、真摯で熱い熱い方でした。
35歳の時に書いたという説明がありましたが、
まるでもっと30年も先を生きてから書いたかのように
とても濃い人生を感じられ、なんだか影響をイヤでも受けてしまいました。
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2020年11月5日
子ども時代がすごい。
本物に触れるって大事だね。
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佐渡裕さんは「題名のない音楽会」で拝見し、指揮者とは思えない(よい意味で!)人間味あふれる熱いキャラで、何かいいな〜と感じていた。
でこの本を読んでみると、やっぱり面白い。
すぐれた音楽家は文章もうまいって本当だな。テンポがいい。言葉をムダに飾らないし(脱線は多いが^ ^;)、本質をつかむのがすごくうまいのだ。
佐渡さんの音楽への愛、生きることをとことん楽しむ姿勢が、どのページにもあふれていて清々しい。
欲をいえば、師匠のバーンスタインや小沢征爾さんから得たこと、教わったことをもっと知りたかったなあ。
ちなみに、バーンスタインの言葉が関西弁になっているが、まったく違和感おぼえず。ってすごい(笑)
音楽のようにもっと美しく、心を舞い上がらせてくれるような本をいっぱい読まなくては、と思わせてくれた一冊。
読後感がとても良くて、力をもらえた。
佐渡さんのコンサート、絶対に行かなくては!同時代に生きているからこそ! -
小澤征爾の「ボクの音楽武者修行」を読んだので、小澤征爾の直接の弟子とは言わないが、同じく世界で活躍する指揮者、佐渡裕氏のエッセイを購入。こちらも劣らず面白かった。小澤征爾はどちらかというと静かながらも内なる火を灯しているというイメージがある一方で、佐渡氏の方はとにかくアグレッシブ。京都人という性格も由来しているのかもしれないが。恥ずかしながら、この本を読むまで佐渡氏が指揮した曲は聞いたことがなかった。バーンスタインが決めたデビュー曲のベートーヴェン交響曲第7番とベルリン・フィルで指揮したショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴いたが、非常に良かった。交響曲第7番の第4楽章のラストの盛り上がりは個人的には、カラヤン、バーンスタイン(orクライバー)の次に好きかもしれない。本の内容から脱線しましたが、良い本には間違いないです。指揮者がどんな役割をなしているのかもわかりやすく書かれていました。
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201308読了
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音楽界の超シンデレラ・ストーリー。なにしろ、佐渡裕は京都市立芸術大学音楽学部のフルート専攻。指揮については、まったくの我流でコネもない。それが、いきなりタングルウッド音楽祭のフェローシップを得たばかりか、それ以降も小澤征爾とバーンスタインに引き立てられるのだから。もちろん、これには佐渡がたぐい稀なる資質を持っていたことと、中途半端に日本の音楽界の型にはまらなかったことが大いに寄与しているのだが。彼は、とうとう小学生の頃に作文に書いた「ベルリン・フィルを振る」のも実現させてしまった。今や「世界のサド」だ。