日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101489117

感想・レビュー・書評

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  • 本格的なしっかりとした内容の本。面白く読めた。体系的に仏教を勉強したことはないが,個人的な趣味で仏教関連の本をちまちま読んでいる程度の知識レベルの人間がちゃんと勉強を進めていくとっかかりにはとても良い本。

    思想的なアプローチというタイトルの通り,単純に歴史的事実を述べるだけでなく,その背景となった時代的背景,当時の問題意識などが概説されているのが興味深い。

    聖徳太子時代の仏教の需要と統制のための組み込み,そして経典研究南都六宗。そこからの最澄の天台宗と密教との繋がり・空海の真言宗と本覚思想の発展と鎌倉仏教の発展・臨済禅の武家との繋がり,近世の檀家での統制。

    中でも経典の受容・本覚思想と土着の問題について日本特有の風俗・民俗の観点での考察が紙面を割いて展開されている。

    何故現在まで葬式仏教がこれほどまでに受け継がれてきているのか,という考察の中でアラタマの概念が出てきたのはなるほどなぁと。

  • 実家も婚家も檀家にはなっているので、子どものころから何となく見聞きするのが仏教なのだけれど、かといって深く理解したことなど一度もない。
    どういうわけか、一度は勉強してみるかな、という気を起こして本書を読んだわけだが、一度読んだだけでは十分に理解したとも思えない。

    そんな状態ではあるが、本書で印象的だったのは、本覚思想が日本の仏教にとって大きな力を持ってきたということ。
    あとは、日本の仏教が、本家のインドから漢訳を通して、多くの媒介を伴うものであるがゆえの複雑さだろうか。
    親鸞の漢籍の解釈が少しだけ紹介されていたけれど、なんと融通無碍というか、自由な解釈が許されてきたものかと驚いた。

    また、本書で初めて日本の仏教研究の難しさも知った。
    宗教者が研究者となるケースは知っているが、その有利な点があると同時に、どうしても自分の属する宗派が中心になり、学問としての限界にもつながることがあるとのことだった。
    研究には歴史学者(特に東洋史)や、時には民俗学者とも共同することが必要だという。
    民俗学が関わるべきだというのは、「葬式仏教」としてであれ、人々の間でどういう存在であるかは民俗学の力に期待されるからだそうだ。
    たしかに、学際的になることで研究の水準が上がってくるのだろうと思った。

    最初のところで指摘されていたことも面白かった。
    仏教は無を説く。
    本場のインドで仏教が廃れてしまったのは無を追究する宗教だったからではないのか、と。
    そして、東アジアに広がって、祖先崇拝と仏教が習合することで、世代を超えて残るものとなったというのだ。

    何となく納得してしまったのだが、世界史の授業で習ったことなどが、本当にただそれぞれ断片的に頭の中にあるだけだったのだなあ、と気づかされた。

  • 橋本治さんの解説に感動しました。
    やはり仏教と言うと難しい。でもそれは、日本の日本人の特性かもしれない。仏教が入ってきて、これまでの変化を、たくさんの文献のもと丁寧に歴史に沿って書いてくださる。

    僕自身も仏教に興味がありましたが、改めて「唯識」に興味があると認識しました。それはこの本が日本の仏教の流れを思想史として表してくれたおかげです。
    そしてこの本を教わったのは中田敦彦のYouTube大学です。
    唯識を教わったのはPodcastのCOTNENRADIOです。

    原作に勝るものはありませんが、原作をいろんな角度で面白くまた、分かりやすくしてくれる方がいることで原作を知るきっかけになる。
    それもまた歴史であり、歴史に学ぶことで今と今からを観る目と思想が養われる。
    本当に良い時代に生きていると感じますし、だからこそ僕のため、世のための行いがしたいと思うばかりです。

  •  思想史としてのアプローチと副題され、土着化した日本独自の仏教を思想史的に概括したものとして、なかなかの好著とみえる。
    同じ仏教でもインドとも中国とも異なる日本の仏教は、どのような変化を遂げて成立したのだろうか。
    本書では6世紀中葉に伝来して以来、聖徳太子、最澄、空海、明恵、親鸞、道元、日蓮など数々の俊英・名僧たちによって解釈・修正が加えられ、時々の政争や時代状況を乗り越えつつ変貌していった日本仏教の本質を検証。
    それは我々<日本人の思想の核を探る旅>と解説されるように、近世江戸期、近代明治までをまがりなりにも射程に収めた日本的仏教の「歴史」の入門書であるが、その時代々々の多様な変容を通して、神道や儒教とも渾然と融和しつつ展開してきた日本的仏教の裾野の広さをよく把握しえる一書である。

  • 原点のインド仏教は一度絶滅しており過去のもの。一方、日本仏教は生きており、宗派は真言宗・天台宗・浄土宗・浄土真宗・曹洞宗・臨済宗・日蓮宗・時宗等に分かれ、多様性がある。しかも日本仏教は中国・朝鮮を経由して伝来したが、日本に土着する際にも内容が変容している。日本人は独自の解釈で教えを曲げてしまう。日本は怖しい沼地である(遠藤周作「沈黙」)。

  • 岩波ジュニア新書の「仏教入門」と一緒に読むと、読みやすい。

    仏教入門で概要把握→日本仏教史で詳細把握。

    仏教入門の内容・構成は、日本仏教史を結構した時期にしているように思える。

  • 本覚思想がなぜモメる思想なのか、モメつつもなぜ日本で出現した思想なのか、という話が中盤に出てくる。本覚思想は、初期仏教からみると「どうしてそうなった……」的な発想を含む。ただ、本覚思想みたいな考えが一度出たところからその後に日本的仏教思想が独自のツイストを効かせてゆく、そのあたりの概説をしてくれていた。
    注釈が比較的丁寧で、教科書的な用途にも便利。仏教専門書のフリをした日本人論。

  • 2015.5記。

    日本における仏教の受容及び変容を巡る興味深い通史。長いです、ご関心あれば・・・。

    まず、日本で仏教史上の画期と言えば鎌倉新仏教、ということになっているが、著者は「天台・真言」における学説としての高度化が出発点である、という立場。

    では比叡山で営々と築かれてきた学問が目指したものは何か。私の大雑把な理解では、正当性と統一性への希求ということになる。すなわち、膨大な仏典に残された矛盾だらけの記載、教義を体系化し、大日如来を頂点とする統一理論に組み上げていく営み。これらを通じて西洋における神学とも比肩しうる壮大な論理と知の体系が形作られているのである。

    中国において、サンスクリットで書かれた仏典の漢語訳は大変な労苦を伴った。一方我が国は漢字をそのまま読めた上、送り仮名を振ってそのまま日本語読みしてしまう「訓読」という技を編み出した。これが日本における仏典研究の独自の展開に大きな役割を果たした。

    こうした過程をへて日本独自に仏教を消化した結果が本覚思想である。大雑把に言えば「草木一本に至るまでみな仏である」という、自然を慈しみ万物に霊力を感受する日本独特の思考形態。ある種の尊さも感じるが、「そこにあるだけで既に仏」という考え方は仏教本来の思想との関係でどうなのか?という批判も当然でてくる。

    ポイントは「菩提心」(悟りを求める心)。これなくしては仏教の根本が成り立たないのでは、というもの。「菩提心」をめぐる鎌倉期の論争は本書を通じても最も読ませる部分であった。

    総じて難解な本。それでもなお、高校レベルの歴史の知識と仏教の思想としての側面が絡み合い何かがそそり立ってくる感覚を存分に味わうことができた。その一点において、極めて有意義な読書体験であった。

  • ◆宗派の分類

    ・顕教
    ∟小乗仏教(部派仏教)
    ∟大乗仏教
    ∟浄土宗
    ∟自力系(般若系経典)
    ∟他力系(無量寿教)
    ∟三論宗
    ∟法相宗
    ∟華厳宗
    ∟天台宗(法華経)
    ・密教

    ◆悟りとは
    世界の因果を知ること。
    世界の認識が変わることであって別の世界(天国)に行くことではない。
    原始仏教では、この世界とは別の実体(見えない真理=イデア)を想定はしない。

    ◆悟りの類型
    ①声聞:仏の声を聞いて悟る人
    ②縁覚:自力で悟る人
    ③菩薩:万人の悟りのために自らを捧げる人

    ◆大乗仏教
    部派仏教を声聞と縁覚のためだけの教え=少数の者だけの悟りを目指すもの(小乗)だと批判し、菩薩の道を説く。

    【飛鳥時代】

    ◆人物
    ・聖徳太子

    【奈良時代】

    ◆人物
    ・鑑真

    ◆南都六宗
    奈良時代に日本で勢力のあった学問仏教の諸宗。
    ①具舎(小乗系)
    ②成実(小乗系)
    ③律(小乗系)
    ④華厳(大乗系)
    一即多(一つのものが全宇宙と対応する)。奈良時代は東大寺の中心教義だったが、平安時代になると、新興の天台宗、真言宗に勢力を奪われ衰退。
    ⑤三論(大乗系)
    龍樹(ナーガルジュナ)によって体系化。「空」=一切の言語概念による把握の否定。
    ⑥法相(大乗系)
    弥勒(マイトレーヤ)、世親らによる唯識派の思想が、玄奘によって中国経由で伝わったもの。心の分析に特徴。
    どの類型で悟るかは各人に定められており、悟ることができない定めの者もいる(五性各別論)。

    ◆法華経
    小乗と大乗の対立を止揚しようとする。悟りの三類型は仏陀が各人に分かりやすく悟りを説明するための「方便」であり、本来は全ての人が悟れる(一乗)とする(三乗方便、一乗真実)。

    ◆密教
    従来の仏教(密教は小乗も大乗も含めて顕教と呼ぶ)の根本原理であった「空」=無我=一切のもの(仏も含む)には実体がないという原理を超える思想。
    密教の絶対者大日如来(ヴィルシャナ)は永遠の宇宙的実体であり、これと一体化することによる自我の絶対化を説く。
    インド哲学ウパニシャッドのブラフマン(宇宙原理)とアートマン(自我の原理)の合一思想の影響も伺える。
    顕教が空思想により現世否定的な傾向が強いのに対し、密教は現世肯定的な傾向が強い。
    密教の現世肯定性、具体的現実や物質を重視する傾向は、日本人の宗教観に合っていた。
    呪術を重んじる。

    【平安時代】

    ◆人物
    ・最澄:天台宗=法華教=円教
    ・空海:真言宗=密教

    ◆一乗・三乗論争
    最澄(天台宗=一乗)vs徳一(法相宗=三乗)

    ◆本覚思想
    凡夫のありのままの心理、草木を含めた世界ありのままの現象が、それ自体で仏である。
    修行して悟りを開く必要はない。

    ◆浄土信仰
    <平安時代:自力系>
    政情不安、僧の堕落などにより、末法思想・浄土信仰が盛んに。
    <鎌倉時代:他力系>
    法然、親鸞。

    【鎌倉時代】

    本覚思想の強い影響のを受けつつ、それによる堕落から一線を引こうと実践を強調する勢力が生まれる。
    鎌倉後期には、元寇と宋滅亡による中国仏教からの解放による国家主義(日蓮ら)、日本への土着化(一遍ら)、神道の理論化、神仏習合の傾向が強まる。

    ◆人物
    <浄土宗>
    法然(浄土宗)→親鸞(浄土真宗)→一遍(時宗)
    <法華宗>
    日蓮
    <禅宗>
    栄西(臨済宗)→道元(曹洞宗)

    ◆法然
    全ての仏教を二つに分類
    ①聖道門:修行して悟りを開く
    ②浄土門:浄土往生を目指す
    法然自身は②に高い位置を与える。
    仏教を悟りの宗教から救いの宗教へ。

    ◆禅宗
    インドのヨガの影響を受けている。
    中国で発展したものが日本に伝わる。

    【室町時代】

    禅宗が勢力を強める。
    無神論的思想、個人主義、精神主義、瞑想等が、支配階級である武士に受けたため。
    中国で士大夫に受けたのと同じ。

    ◆蓮如
    浄土真宗中興の祖。
    本願寺を隆興させる。
    本願寺は一向一揆へと展開する。

    【近代】

    信長を始め世俗権力の介入、弾圧を受け、江戸時代には葬式仏教として完全に幕藩体制に組み込まれる。

    また、以下のような様々な思想と対立する。
    ・キリスト教(有)と仏教(無)
    ・儒教(世俗)と仏教(超俗)
    ・科学との世界観の対立

  •  「日本仏教史」と銘打ってはいるが、明治維新以降についてはほとんど言及していないので、事実上「前近代日本仏教思想史」である。この種の本としてはかなりわかりやすく、註や文献案内が充実しているので、日本の仏教受容過程・変容過程を学ぶ入門書として最適だろう。

著者プロフィール

国際日本文化研究センター名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、東京大学名誉教授

「2024年 『日本の近代思想を読みなおす3 美/藝術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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