地下室の手記 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010099

感想・レビュー・書評

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  • 「極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。」

    中村文則・選 ドストエフスキー
    ①『地下鉄の手記』(江川卓/訳 新潮文庫)
    ②『悪霊 上・下』(江川卓/訳 新潮文庫)
    ③『カラマーゾフの兄弟 上・中・下』(原卓也/訳 新潮文庫)
    「僕は彼の小説が好きでたまらないので、公平なエッセイは書けない。人類史上、最高の作家の一人だと断言したくなるほどだ。ー大学の時、『地下室の手記』を読んでから、彼の虜である。小説の枠に限らず、人間をここまで徹底的に掘り下げたものがあるのかと驚いた。ードエストフスキーは日本人にも親しみやすい。読んでいて異国という感じがそれほどない。彼の描く内省的な登場人物達が、日本人のナイーブさに響くのかもしれない。」
    (『作家が選ぶ名著名作 わたしのベスト3』毎日新聞出版 p90より)

  • 自分の世界に閉じこもってしまうことの気持ち悪さを感じる反面、自分にも全くそんなことがないとは言い切れないような気持ちを呼び起こされて終始読み進めるのがしんどかった。
    最近内面的世界に向き合うことがとても大事であると思っていたが、そのことに入り込みすぎてしまうことがないようにしなければ、この主人公とおなじような境地に至ってしまうに違いない。

  • 再読ですが、ほとんど覚えていないので
    ほぼ、初読みです。

    正直、読むのに苦労しましたし、
    読み終えての満足感は得られませんでした。

    ただ、相手は全然、眼中にないのに、
    自分だけが気になり、その挙げ句に
    ストーカーになる姿は、少し、
    共感してしまいます。。。

  • 「安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?」

  • 肥大化した自意識と逸脱者の自覚に苛まれる苦悩が徹底的に描かれている特異な名作。どこまでも内向的で否定的でありながら、超然と構えることもできず、外界の些細な出来事に惑わされ、人間関係において言動のすべてが裏目にでてしまう様は、読んでいてヒリヒリする。思考にほとんど飲み込まれながら現実の肉体や情念がそれに抵抗し、退屈や人恋しさ、屈辱に耐えられない。そんな齟齬の内に懊悩する様子は、積極的価値をどこにも見出だせない消極的な否定性の恐ろしさをあぶり出す。
    主人公が縁のあった娼婦と感情をあらわにしあう劇的なクライマックスさえも、もつれきった否定的性格ゆえにカタルシスに昇華することのできない「どうしようもなさ」が辛かった。
    思考を披瀝するだけの前半にしても、見てられない失敗を回想する後半にしても、やや誇張が過ぎる気もするが、自らの中にいくらかのアウトサイダーの意識がなければ書くことのできない小説だと思う。この主人公にリアリティを全く感じない人があれば、その人は幸せなんだろう。そして、本作自身が、自らが単なるヒューマニストにとどまらないことを示す、ドストエフスキーの自己顕示にも思われる。

  • 【あらすじ】
    40代の男が地下室に閉じ籠って、自らの生き方を綴った形式の作品。
    自身の生き方を病的なものだと把握してはいるが、その生き方をやめることが出来ずもがき、自ら窮地に追い込んでしまう様を描いている。
    【感想】
    あらすじがめっちゃ書きづらい。
    時系列とかもよくわからなくなったけれど、この作品で大事なのはそこじゃないだろうから、まぁそんな気にしてない。
    作品は終始暗く、いつの時代も変わらぬ人間の弱い面を強調した作品に感じた。
    だれしもがもつ、所謂醜い内面をこれでもかとこじらせるとこうなる、といったものを描いていた。
    特に辛いのは、駄目だと分かってはいても、その場に流されて不幸に突き進んでしまい、自己嫌悪に陥る所だと思う。
    この作品では、こう生きよ、という宗教や思想ではなく、シンプルに人間の一面を物語として描いており、そこに自分との共通点を見いだす系の作品だった。

  • <ぼくは病んだ人間だ。…僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えではこれが肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなどぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いかも正確には知らない。(P6)>
    元官史の語り手は、おそろしく自尊心が強く、極端な迷信家で、あまりにも自意識過剰で、とても臆病で、際限なく虚栄心が強く、他人との交流もできず、心のなかで鬱屈を抱えている。
    遺産によりまとまった資産を手に入れた語り手はペテルブルクの片隅のボロ家に引き込んだ。そんな生活をしてもうすぐ20年にもなる!やることといえば心の鬱屈を手記にぶちまけるだけ。
    あれも気に食わない、これも嫌い、人から嫌われることばかりするのに人に尊敬されるだろうと思っている、昔のことばかりグジグジ繰り返している、この手記だって自分のために書いているけれど、世間の諸君が読むかもしれないではないか!

    …という感じのグジグジぐだぐだウジウジした語りが続き、「この話全部この調子なの…(´Д`) 」とえっらく読むのに時間がかかった。
    しかしその語りは最初の60ページまでだった。その次の章からは、自分の鬱屈した正確を示すものとして、まだ引きこもる前の若い頃の出来事が語られる。これが「なにやってんのーー」と、けっこう笑えてきた。

    ●語り手は、ある将校に無視されたことから数年に渡り一方的に恨みを持つ。いつかあの将校に自分がどんなに重要な人物かを認めさせ、詫びさせてやる!語り手は将校の後をつけて彼のことを調べる。通りでは何度もすれ違った。だが将校は自分を認識すらしない、こんな屈辱があろうか!こうなったらあいつをネタにして誹謗中傷小説を書いてやる!出版社に送ったのに無視された!悔しい!!こうなったら決闘だ!語り手は決闘申し込みの手紙を書く。我ながらなんたる美文!将校がわずかでも<美にして崇高なもの>を解する男だったら、ぼくの素晴らしさがわかるだろう!この手紙はかろうじて投函されなかった。だって何年も経ってるんだもん、さすがにわからないかもしれないよね。
    それでは通りであの将校に道を譲らせてやる!それにはまずぼくのことを認識させないといけない、では身なりを整えないとな。上司に給料の前借りをして、あらいぐま…いやビーバーのコートを買って、手袋はレモン色…いや黒のほうがいいだろう。
    自分を認識していない相手に何年も執着し、独り相撲して、勝手に苦しみ、誹謗中傷小説まで書き(無視されたが)、やったことは「通りですれ違う時に、ぼくの方から避けずに肩がぶつかったぞ!ぼくの勝ちだ!!」
    ⇒そ、そういうことにしておこうか…
     現代で言えばネットに誹謗中傷書きなぐるタイプだな、妄想の中で満足してまだ良かった。

    ●ぼくはあらゆる空想をする。自分自身が空想の中ではあまりにも素晴らしく幸福の絶頂を味わい、全人類と抱きあいたいたい気分になる!!そこで学生時代の友人を訪ねた。
    そこではかつての学友たちが集まっていたんだが、語り手の姿を見ると明らかに嫌そうな雰囲気になる(語り手の一人称だが、それがわかる)。学友たちは、遠方に将校として赴任するもう一人の友達ズヴェルコフの送別会を計画していた。このズヴェルコフは語り手は全くタイプが違い、出世街道に乗り、女を口説き、仲間と酒を飲み明かす生活を楽しんでいる。
    そんなズヴェルコフの送別会なので当然語り手は招かれない。そこで語り手は「ぼくを忘れちゃ困る!!ぼくも彼の送別会に行く!!」と突然のアピール。あっからさまに嫌がる学友たち。うん、気持ちはわかるぞ!!
    ⇒現代で言えば「自分だけ同窓会に呼ばれない」エピソードですね(;^ω^)

    ●送別会では自分の偉大さを認識させてやる!…と、乗り込んだが誰もいない。そう、時間変更していたのに知らされなかったのだ。

    ●それでもみんなもやってきてズヴェルコフの送別会が始まる。あっからさまに無視される語り手!それでも現代の待遇を馬鹿にされたり、嫌味丸出しのスピーチをして場を険悪にする。元学友たちに完全に無視された語り手は、送別会の三時間の間部屋を有るき回る語り手!ずっと無視される!だが語り手は「自分の存在はみんなに刻み込まれたはずだ」とうそぶく。

    ●送別会の二次会で娼館にしけこもうという元学友たち。語り手は「ぼくも行くぞ!金を貸してくれ!!」あまりのみっともなさに、学友の一人が「恥知らず!」と投げてよこした金を手に取り娼館へ向かう。道中でも頭の中では「あいつらに思い知らせてやる!」などと考えているが、この勇ましい言葉も有名ロシア文学からの受け売りでしかないんだ。

    ●娼館でも取り残された語り手は、残り物の娼婦のリーザと部屋へ。事後のベッドで語り手はリーザ相手に御高説をぶちまける。
     娼婦の君の人生とはなんだ!?きみはこの仕事と魂を引き換えにしたのさ!
    リーザは答える。「あなたの話って、本を読んでいるみたい」そう、語り手がどんな演説しようとも、受け売りが見透かされてしまうのだ。それでもリーザは我が身を振り返り号泣する。

    ●娼婦リーザは、自分が娼婦と知らない男からもらった手紙を語り手に見せる。自分をちゃんと扱ってくれる男だっているのよ、という拠り所だった。
    ⇒リーザは見かけとしては可愛げない様子だが、この大事な手紙を語り手に見せる場面はとてもいじらしい。

    ●語り手はリーザに自分の住所を教えて「訪ねてこいよ」なんて言う。しかし帰ってから後悔する語り手。本当に来たらどうしよう、リーザは自分が語った言葉を聞いて、自分が崇高な人間だったと思ったに違いない、だがこんなボロ屋見せられないし、事後でもないのに格好いいことなんて言えない。リーザのところに行って「やっぱり来るな」っていおうか、いやそうもいかない、うぎゃーーーーー、と葛藤しまくる語り手。

    ●語り手にはアポロンという中年召使いがいる。非常に態度がデカいらしいが、読者としてはそりゃーこんな雇い主だったらばかにするよねとは思う。このアポロンに月給を渡さなければいけないんだが、「アポロンが自分に『給料をください』と平身低頭しないのがムカつく!!!」と、金は用意するが渡さない。しかしアポロンに舌打ちされたり睨まれたりすると「待て!!金はあるんだ!支払ってくださいと頼め!!」とか言ってますますバカにされる。

    ●三日後にリーザが来るが、語り手は非常に悪い態度を取り、ひどい言葉を浴びせる。リーザは、語り手に握らされた金を拒絶して去っていくのだった。

    …ということで、「現在でもいるよね」とか、「ここまで極端でなくても気持ちはわかる部分もある」とか、「こんな奴に関わった周りの人のうんざりさがわかる」などと言う気持ちになってなかなか楽しめた。
    語り口は、引きこもり男が勝手にグダり続けだけなんだが、これが小説として読めるものになっているのがさすがの大文豪だよなー。今でもこんな事を考えている人はたくさんいて、たまたま誰かがそんなことを言っているのを聞いてしまったり、ネットでうっかりそんな人の文章を読んでしまうこともある。そんなときはかなり嫌な気持ちになる。
    しかしこの小説ではそのような嫌な気持ちにはならず「あるわー」「なにやってんだーーー」と、語り手と、語り手の周りの人双方の気持ちがわかりながら読んでいけるんだ。その意味では実に面白い小説だった。(最初の60ページ以降は)

    語り手は自分のような人間は自分ひとりだと思っている。<だれひとりぼくに似ているものがなく、一方、ぼく地震も誰にも似ていない(…略…)ぼくは一人きりだが、やつらは束になってきやがる。P70>というわけだ。
    だが語り手のような考えを持つ人間は当時も、今も、世界中にたくさんいる、ある意味人間の心の普遍的なものでもあるだろう。この「自分は孤独だ!」と思っていても、周りから見たら「たくさんいるよ」という感覚もいつでもあるものだ。

    なお、語り手は読書について<ぼくの内部に煮えくり返っているものを外部からの感覚で紛らわしたかったのである。(P75)>と言っているのだが、ドストエフスキーの考えでもあるのかな。この読書への取り組みは何となく分かるんですけど。頭が混乱している時にも読書ってしますよね。するととっちらかった脳を一つに収集するのがなんだか分かったりして。

  • 何よりもまず、読めて嬉しい。
    最初は「こんな難しいの読めっかな〜〜( ; ; )」とか言ってたけど主人公が22が4にバチギレしてるあたりから笑いが止まらなくなった。
    それで面白半分でスルスル読み進めたあたりで、主人公の自己弁護からの更にその自己弁護への自覚を語るレベルの病的な自意識過剰とメタ認知にちょっと共感を覚えてしまって、それからはもう虜だった。

    「こいつは私だ」と思ってしまった。
    本当に、身の程知らずなことだけど。(心の俳句)
    私も自意識過剰でプライドが高くて腰抜けだから彼の気持ちがよく分かったんだ。
    私みたいな10代の読書好きの少女(?)が自意識過剰でないわけないからね。
    自意識過剰は若者の専売特許だ!
    まあ、主人公は40にもなって自意識過剰なんだけど。あいつ最高だよ。

    ♢♢♢

    本編を通して感じたのは、頭が良すぎて考えすぎるが故に他者が簡単に信じている幸福とか自然の法則さえも疑ってしまい、そもそも人間が絶対に満足できる幸福なんてなくってそもそもどこか矛盾してるんだって俯瞰して、でもそれと同時に俯瞰して発見した自分自身のみじめさに耐えられなくて必死でそれを取り繕ってどうにか「らしさ」を演出してしまうような、他者を見下しながら他者に必死で弁解をするような、どうしようもない主人公の無限ループする自意識の苦しみだった。
    自分を見てる自分がいて、頭の中がバカにするのとされるのとでもうめちゃくちゃになってしまう感覚、本当に、おこがましいとは思いつつめちゃくちゃ「わかる」……。
    苦しいよね。苦しいんだよ。私も苦しい。
    頭の中がやかましいんだよ。私は誰に向かって言い訳なんかしてるんだろう?ってね。
    ああ、これってもはや感想じゃない。私信だよ。

    二部で主人公の実際の生活とか他人との関わりについての話になったときの主人公が情けなさすぎて面白かった。
    友達っていうか知り合いにめちゃくちゃ邪険にされとるやんけ。泣ける。

    そのあとがもっとダサい。
    風俗で説教しておいて帰って泣くな。
    その説教すらも本心から出た言葉じゃないの泣ける。
    さらにその後リーザに「君を辱めたくてやったんだよ!」って自分から告白しちゃう、その道化ぶりにも涙が出る。
    リーザにお金を握らせたのは「お前に高潔に生きろみたいな事言ったけど所詮はお前は金で男に抱かれたんだぜ!」ってことなのかと思った。
    でもリーザはそれを拒否した。
    金を与えられたことに彼女が屈辱を感じたのなら、それは彼女が卑屈になっていないということだから、少なくとも魂の誇りみたいなものは思い出せたのか……?と私は解釈した。
    ちょっと好意的すぎる解釈かな?
    でも、常に作り物みたいな理屈と言い訳に苦しめられてる主人公の汚い動機による行動が一人の女の子の有り様を少し高潔にしたのなら、それはすごく奇妙で皮肉で美しいことだとも思うんだ。

    そして、終わり方が神がかっている。
    主人公は手記を「ここで終わりにする」と書いているくせに、結局終わらせられず、読者に彼の手記の続きは明かされないまま終わる。
    つまり、私たちはそこに彼の手記と、彼の濁流のような思考の広がりを見ることができる。
    手記が続いてると明かすことで主人公のどうしようない滑稽さを徹底して演出し、ものごとを俯瞰しているがゆえに苦しんでいる主人公の手記を、小説を読んでいる我々が本当に別の次元から俯瞰してみせる、大胆で立体的な構成になっている。
    手記という設定だからこそできる演出。
    私はもうクラっときたよ。最高。

    主人公のキャラクターを、そんな、そんなメタ的な演出まで使って完璧に作り上げるんですか。
    解釈一致です。
    そう、彼がスッキリと手記を終わらせるなんてできるわけがないんだよ!
    こんな形でキャラクターを完成させるとは思わなかった。彼は最後の釈によって完全に完成したのだ。この尿漏れのような醜い手記のもつれた終わり方。本当に素晴らしい。
    彼は、手記を、終わらせられない‼️
    なんてキャラクター造形が一貫してるんだ。
    そしてそれを……あんな注釈でスマートかつ大胆に表してみせるなんて!
    私は酔いしれた。未成年だけど酔った。

    ♢♢♢

    自分の行動の意図を常に他人に弁解してなきゃいけないような気持ちになることって本当によくあるよね。大好き。クソわかる。

    なんというか、主人公がずっと「体育の授業でペア作れなかった時の私」をやっていたな。
    本当に、あの針のむしろに座ってるような気持ちを思い出した。

    脳みそではもう情報の洪水が起きてて自分がどんなに滑稽なのか自分でよくわかってるはずなのに自分の素直な感情なんてものはとうてい無くて信じられなくて、とにかく他人に何かを取り繕わなきゃいけない気分になって平静とかもっともらしい態度とかを装ってるけど内心は冷や汗ダラダラでパニックになって一人で大騒ぎしてるのに周りはそんなこと知りもしないで私のこと変な人間って思ってる…………っていう、このつらすぎる羞恥と自意識がこの本に書いてあったように思えた。

    気に食わないやつとすれ違いざまにぶつかろうとしてどうにか準備したのに何度も失敗するところとか、ちょっと成功してバカみたいに喜ぶところとか、他人との交流を求めずにいられないところとか、レストランでうろうろするところとか、本当に他人と思えなかった。
    本当に他人と思えなかった。

    私はドストエフスキーの作品を読むの実は2回?1.5回?くらい失敗してて、だからTwitterでこの小説の一文を見かけて気になりだしてタイトルをリマインダーに登録したはいいものの別に積極的に読もうとはしてなかったんだ。
    いつか読みたいとは思ってたけど罪と罰とかが先になるかもなんて思ってたくらいだった。
    でも私は最近ずっと気持ちがめちゃくちゃで、大学をサボって夕方に駆け込んだある日の市立図書館で、本当にたまたま、ちょうど目線の高さにあったこの本を見つけた。
    かつて読んだ別の本に「なんでもない時にドストエフスキーにチャレンジしたら全く読めなかったけど、入院した時にはスルスルと読めた。ドストエフスキーはどん底にいるときに読むものなんだ」というようなことが書いてあったのを覚えていたから、私は手を伸ばす気になった。
    というか、今の私の惨憺たる気持ちをじっくり味わわせてくれるような、そういうどん底で巡り合って共に過ごせるような小説を求めてたんだ。面白くて明るい小説や、優しいだけのぬるま湯みたいな小説なんてごめんだった。
    だから「まあせっかくだし」って思って、読み通せるか不安になりながらも借りたんだ。

    そしたらこんな素晴らしい出会いが待ってた。
    いい読書体験ができた。
    っていうか「今」読めてよかった。
    幸福な頃の私ならこの本はきっと読めなかったか、読めてもここまでは感じ入ったりしなかっただろう。
    大好き。大好き。会えてよかった。

    本当に、あの日の私がたまたま図書館で出会って、たまたま立ち読みした本の記憶に背中を押されて、自分の最低な現状もあってそれを借りて、なんかすごく運命みたいって思えてる。
    この小説の主人公なら運命なんて!運命なんて!って言うかもしれないけど。(彼は安易にものを信じて馬鹿みたいに喜んだりはしないのだ)

    私はこの本が大好きだ。
    難しかったし、理解しきれてるわけはないけど、それでも読めてよかったと心から思う。
    読書の楽しみってこういうことだったって久しぶりに思い出した。
    「すごいものを読んだ」「理解できないけど最高だった」というこの高揚感。
    こんな気持ちになれる読書体験は滅多にないから、全く私は幸せ者だといえる。

    主人公はあんなに苦しんでるのにそれを読んで私が嬉しくなるなんてだいぶおかしいけど、まあ人間の本性なんてそんなものだよねってことで、私の手記ならぬ感想を終わらせたいと思う。

  • 自分の中に主人公がいるし、主人公の中に自分がいる……、、。
    個人的には1週回って笑えた所もあった。
    同族的な所も勿論感じるが、新しい感覚というか、考え方、そういうものにも出会えたと思う。
    読んでよかった。

  • 虚栄と自己正当化を極めたことで生まれる他者への敵意(そこはかとない同族嫌悪も感じる)、なのに湧き出る人恋しさ。極端ではあるけど、たぶん多数の人が通ったり留まったりしている心理状態だと思うんだよなあ。自分を顧みるきっかけにもなったし。書き手自身が鬱屈した自分を客観視して分析している描写もあるのが面白い。

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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