罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (601ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010228

感想・レビュー・書評

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  • 良心という己に内在する規範により断罪され、良心の呵責に苛まされていたラスコーリニコフを救ったのはソーニャという娼婦であった。創世記の4章で、ヤハウェは殺されたアベルの血が大地から叫んでいると人類最初の殺人者カインを糾弾したが、ソーニャにより促された事で、歪んだ自尊心を持ち大地を血で穢したラスコーリニコフは頭を下げて跪く。歪んだ思想から殺人という最も重い罪を犯した男が、他者を思いやれるソーニャという女性に出会い、自身の弱さを認め、罪を告白し、悔い改め、心境が変化し、成長していく姿がそこにはある。

  • 主人公は人を殺した、その理由はなぜか?
    ともしテストに出ていたら

    「お金に困っていた」とか
    「主人公なりの思想があった」と

    答えるのかもしれないけど

    主人公の躁と鬱の目まぐるしい心理描写や
    ペテルブルグの街並み、色合い、臭い
    救いようもない登場人物の言葉、行動、それがもたらす結末
    いつまでも清廉なままの女性達の思い、、、
    などなど

    この時代や貧しさや空気感をすくいとって
    広い意味で解釈してこそかな、と思った。
    それだけ深みがある重厚な内容でした。

  • 読み終わって思ったのは、「スヴィドリガイロフ=自分の欲望を深く理解し忠実になりすぎるあまり生きていけなくなった」と「ラスコーリニコフ=自分が本当は何を欲しているのかがずっと分からなくて犯罪に走ったけどそれも違ってて、ラストでやっとそれがわかって生活が始まる」の対の物語だなーと。スヴィドリガイロフに謎の魅力を感じつつ読んでたんだけど、己の欲をきちんと理解して尚且つそれに素直である所がよかったんだなぁと。それにしてもこれ、フィクションなんですよね??頭の中で映像が出来上がるくらい濃かった。ドストエフスキーすごい。

  • 【あらすじ】
    第四部
    スヴィドリガイロフはラスコーリニコフに、ドゥーニャと会いたいと言う。マルファがドゥーニャに3000ルーブル送ると遺言に書き残していた。食事の席でピョートルとラスコーリニコフは仲違いする。その後、ラスコーリニコフはソーニャを訪れ、殺人事件のことを仄めかす。ラスコーリニコフはポルフィーリイのところへ行くが、ニコライが来て自分が老婆を殺したと言う。ラスコーリニコフが家に戻ると、あの男が来てラスコーリニコフが貸間を探しに行ったことを話したようだった。

    第五部
    ピョートルはソーニャを家に呼んで、カテリーナのために寄付を募るなど話し、10ルーブリあげた。マルメラードフの葬式と食事会には汚らしい人ばかり来た。カテリーナとアマリヤが口論する。そこにピョートルが来てソーニャがお金を盗ったと言う。同居人のレベジャートニコフはそれは嘘だと言った。ピョートルが何故そんなことをしたのかラスコーリニコフが解く。ピョートルは母への手紙でソーニャが娼婦であり、ラスコーリニコフがソーニャにお金を渡したと書いたことで、ラスコーリニコフが下品な目的で母のお金を浪費しているように思い込ませて敵対させようとしていた。その件で喧嘩になったので、ソーニャを盗人にすることで自分が正しかったと証明できるという策略だった。
    この一件でソーニャは家に帰り、カテリーナは夫の葬式の日にこんな目に遭うなんてと泣き喚いた。ソーニャが心配になったラスコーリニコフさソーニャのもとを訪れ、自らの罪を告白した。そこへレベジャートニコフが来てカテリーナが発狂していると言う。カテリーナは肺病が悪化して吐血し、死亡。スヴィドリガイロフは葬式などは自分がやると言い、ソーニャへの告白を聞いていたのだった。

    第六部
    ラスコーリニコフの家にポルフィーリイが来て、事件のことを自白するようにと言う。ラスコーリニコフはスヴィドリガイロフが何か企んでいるに違いないと彼のところへ行く。スヴィドリガイロフはドゥーニャに兄の罪について話し、自分と一緒になるように脅す。ドゥーニャは、スヴィドリガイロフが妻を毒殺したのだと言い、スヴィドリガイロフを銃で撃とうとする。
    スヴィドリガイロフはアメリカへ行くかもしれないと言い、ラスコーリニコフがシベリア行きになるとソーニャにお金を渡す。そして許嫁にもお金を渡す。そして宿舎に泊まった後、銃で自殺する。
    ラスコーリニコフは母に別れの挨拶をし、自分の部屋に戻るとドゥーニャがいた。ソーニャに会いに行った後、自首した。

    エピローグ
    ラスコーリニコフはシベリア送りになる。ソーニャはシベリアに付いていく。ドゥーニャとラズミーヒンは結婚。ラスコーリニコフとソーニャは愛し合い、彼は更生していくのであった。

  • 曇ってる…読み終わった…献身的なソーニャに心ご揺れる、主人公…当初脳内にあった、少しづつ傲慢さが無くなり、罰を受ける事を決意する。清々しくエンディングとはいかない物語だけど、読了するたびに寒肥させられる事、気づかされることが多い。

  • ひとつの罪悪は数百の善行によって覆されるとか、選ばれた自由人にとって法律は機能しないといったようなことはたぶん語り尽くされていると思うので、私はスヴィドリガイロフの存在について感想を書きたいと思う。

    彼はラスコーリニコフの妹に片思いをした過去があり、その後妻に死なれている。(ドゥーニャから毒殺を示唆されているけれど、本編中にはっきりした答は出ない)徹底したニヒリストで、情欲を愛している。その彼が、それも多額の金を持っている彼が、気に入った人間に金を配り、最期にピストル自殺を遂げる。これって、芸術家の理想的な死に様では!? と思わずにはいられなかった。それを考えると、第三部の終わりから第四部の始まりにかけて、大物らしく登場した彼には、どうしてもドストエフスキーの影がちらつく。「私がドストエフスキーだ」と現われたように見える。ラスコーリニコフも、ルージンでさえも、ドストエフスキーの作品の登場人物は多少ドストエフスキー的な要素を持っているものだけれど、スヴィドリガイロフほどドストエフスキー的な人物は、この小説内に登場しない。

    ラスコーリニコフの悪夢から目覚めるようなこの物語は、とても美しいものだ。完成度でいうと、未完で終わった『カラマーゾフの兄弟』などより余程高い。ドストエフスキーは、カフカのような自分の文章から物語を紡いでいくタイプではなくて、ある程度固まったプロットの中に、ガリガリと多方面の思想を押し込んでいくというかたちの創作をしているから、小説が完成しているかどうかはとても重要になってくる。

    情念の塊のようなこの小説を影で支えてくれるのは、ラスコーリニコフの親友ラズミーヒンの存在だ。けして揺るがない、徹底した善人の彼の存在が、この小説にどれだけの安心感を与えてくれているだろう。

    この小説は、倒叙式のミステリーのような体裁をもっているので、次のページへ、次のページへ、とどんどんめくっていかざるを得ず、あまり落ち着いた読書というものができなかった。ドストエフスキーの意図した通りの読み方かもしれないけれど、もうちょっとじっくり味わいたかったという感覚もないではない。

  • ロシアの長編文学は食わず嫌いで来てしまっていましたが、急に読みたくなって、読みました。
    そうしたら、これはサスペンス要素も織り込まれており、けっこう技巧的な感じもして、想像以上に読みやすくて驚き。どんどん続きを読みたいと、久しぶりに思わされた小説でした。
    それから、読む前はもっと安直に題名をとらえて、『罪と、(罪にまつわる良心の呵責という)罰』の話、みたいなイメージを持っていたのですが、発想が単純すぎでした。実際には、ロシア社会の沼のような深みにおける、思想と愛の苦しい内的せめぎあいの話という印象です。個々の登場人物が、宗教画みたいに、人間が背負う何らかの観念を象徴しているかのような形で描かれますが、誰か一人取り上げて色々考えてみても尽きないほどにそれぞれも複雑で、本当に重厚でした。


  •  主人公のラスコーリニコフは、自身の生活や経験から、頭脳と精神の強固な者だけが、人々の上に立つ支配者となり、多くのことを実行する勇気のある者が誰よりも正しいと悟った。そして、歴史が示しているように、人類の進歩のために新しい秩序を作るために現行秩序を踏みにじる権利は、物事を勇敢に実行する(善の大きな目的のためには、ちっぽけな悪には見向きもしないで踏み込む)者のみに与えられるという信念の下で、自分にその資格があるか試すために敢然と金貸しの老婆を殺害する計画を実行した。
    最後まで逃げ続けよう、自分のことを疑っている奴らには決して屈服しないと考えていたラスコーリニコフであったが、その計画を実行する前後には、ラスコーリニコフは、犯行に対する不安や危惧、また、家族をはじめとする周辺で起こる出来事やそれに対する懸念などが相まって、何日も頭を痛めることになった。これは、ラスコーリニコフは、ナポレオンにはなれなかった、すなわち、権力を有するに相応の天才ではなく、ただの愚かな卑怯者に過ぎなかったことを示すものであり、彼もそのことを悟るに至る。また、知り合った退職官吏の娘であるソーニャの決して嘘をつかない真っすぐな生き方、自他を問わず不幸を受け入れようとする生き方に心を打たれ、最終的には自らが犯した犯罪のすべてを自白する。

     本編は全7部からなっており、1000ページを超える長編となっていること、登場人物が多く、時には名前が略されて述べられることなどから、読み切るには相当の根気が必要である。ただ、読み継がれている世界的巨匠の作品というだけあって、秀逸かつ独特な点がいくつもあった。例えば(これは、『罪と罰』に限らず、ドストエフスキーの作品に共通するのかもしれないが)、登場人物たちがかなり雄弁であり、現場の緊張感や当時の風俗のリアルがひしひしと伝わってくる。また、多くの小説では排除されている主人公以外の者たちの事件には直接関係のない会話や心境等が細かく記述されていることで、特異な状況(殺人犯、偏執狂)にある主人公とそれ以外の人物のそれぞれの時の流れや緊張感をリアルに感じられたと同時に、犯人の犯行前後の行動には様々な出来事や出会いが複雑に絡み合っているということを実感させられた(この作品を読んだ後では、通常の小説は、事件以外の時間をあまりにはしょりすぎて、現実からやや乖離しているといえるのかもしれない)。
     まとめると、本編は、罪を犯してしまったラスコーリニコフの罰ともいえる苦悩と戦いの物語である。ドストエフスキーは、理性による改革は失敗するということ、愛は人間の意思決定に介入し、行動を変えさせる力を有するということを示したものと考えられる。

  • 巨匠ドストエフスキー代表作の工藤精一郎訳バージョン。上下巻で約千ページの大長編。5年前に購入したものの読書ボルテージが上がらなくて寝かせておいた本にようやくトライ。古典だしロシア文学だし、紙面いっぱいにぎっしり埋まった文字にくじけそうになりながらも約2ケ月かけて読了。とにかく”場面によって人物の呼び名が変化する”、”セリフが長い”ことには消化するのに苦労した。だが、豊富なエピソードに盛り込まれる思想や心情には作者の熱意をとても感じた。登場人物も多彩で、お気に入りはかわいく可憐なソーニャとドゥーニャ、そして悪漢好色じじぃのスヴィドゥリガイロフ。
    もう、ありがたく読ませていただきました。まずは人物リストを作ってから読み始めるのがおすすめ。
    次は「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー最長編)でも読んでみるか。。

  • スヴィドリガイロフのキャラクターがとても好きになった。自分の苦しみの中でもがいて、救われなかった彼を見ていて、寂しかった。

    ラスコーリニコフは自分の強さや誇りを持っていたから、自殺に逃げることができず、自分の思想の間違いも無いと信じていた。
    完全な悪を殺した善の立場で、自分が間違っていたのは殺したという行為に耐えられなかった、自分の器の過信だけだ、と思い続けていた。

    シベリアで、ロシアに根付いた囚人たちと触れ合い、彼らに尊敬されるソーニャを見続け、自分の底に隠れていた本当の気持ちに素直に気付く。
    ラストは感動して泣けた。

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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