- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102015018
感想・レビュー・書評
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1774年 ゲーテの書簡体小説。
主人公ウェルテルが、婚約者のある女性“ロッテ”に恋をして、その苦悩を友人への手紙に悶々と吐露していく。ラストはご存じの通り、拳銃自殺。
250年前の作品で、昭和26年の翻訳。それを考えると文章は読み易いし、どれほど愛しているか、何に悩み苦しんでいるのか伝わってくる。名作なんだなあと思う。
昔読んで覚え違いしていたことは、相手の女性“ロッテ”もウェルテルに好意を持っていたという事。
武者小路実篤の「友情」のように一方的片思いかと思っていた。
発刊当時、ベストセラーになりすぎて、若者の自殺増加という社会現象まで引き起こしたとか。夏目漱石「こころ」梶井基次郎、芥川龍之介、等々日本の古典にも悩める作品作家は多けれど。
若者よ、恋やら愛やら結構ですよ。悩みなさいよ。答えが出ないなら、本でも読んで、働いてみて、なんならスポーツでもして。叶わぬものなんかね、いっぱいあるんだから。
お口の恋人“ロッテ”のロッテなんだって。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
婚約者のいる女性ロッテへの悲痛な愛情と叶わぬ恋への決断を綴った手紙方式の物語。
ロッテは実在のモデルが存在し、ゲーテの恋愛体験が元になっているようです。
出会った時にはすでに婚約者が存在していたので、禁じられた恋と知りながらはまってゆくウェルテル。
ロッテに対する気持ちの表現は、今も昔も変わらず心に響きます。
ロッテに会いに行けない日、下男をロッテのそばにやり、下男の帰りをこらえて待つ。
「ボロニヤ石を日向に置いておくと、光線を吸い込んで夜になってもしばらくは光るって話だが、この下男がボロニヤ石さ。ロッテの眼があれの顔、頬、上着のボタン、外套の襟に注がれたのだと思うと、そういうものがみんなぼくにはひどく神聖で値打ちのあるものになるんだ。」
毎日毎日ロッテの元に通うウェルテルの心中。
「こうしげしげとは会うまいと幾度思い定めたかしれない。けれどもそれが守れないんだ。毎日誘惑に負けて、では明日こそたずねまいと仰々しく誓うのだが、その明日がきてみれば結局またのっぴきならぬ用事にかこつけて、自分で知らない間にもうちゃんとロッテのそばにきているんだからなぁ。」
いつでも彼女の事が頭から離れない。
でも彼女は手に入らない。
切なすぎます。
葛藤の末のラストはやはり切なく、でも正解があったかなんて誰にも分からないのです。
「めいめいが自分は正しく相手は間違っていると考えこんで、事情が紛糾し一つ一つを煽り立てて、ついにはここをはずしたらという肝心の瀬戸ぎわに立ち至ってあいにくともつれを解くことが不可能になったという訳である。」
読んで良かった。 -
初読。これが18世紀の小説であることに驚く。
ヘッセと100年も違うとは。
身分制度、階級社会、遊んで暮らせる、ホメロスや神話が例えの中心など、明らかに時代を感じるのに、悩みや考えていることには現代を感じるという不思議。
わたしは完全に理論型のアルベルトタイプなので、ウェルテルのような感情的な行動はしたくてもできないが、彼を羨ましく思うし、惹かれるし、共感もできる。
ロッテが幼い弟妹たちに順番にパンを切って与える初登場のシーンは、なかなか印象的。
彼女が、共感性の高いウェルテルと、安定性のアルベルトのどちらとも付き合いたい気持ちはとてもよくわかる。
そして、ウェルテルのピストル自殺後の描写が衝撃だった。
喉がごろごろ鳴っているとか、脳漿は出ているとか、痙攣しながらのたうちまわった様子とか、詩情を排したリアルな臨終が重かった。 -
書簡体で書かれているので、主人公の気持ちが生々しく伝わってくる。
詩的で、心揺さぶられる表現が多くて、すごく読みごたえがありました。
物語の最後は、頭を銃で撃ち抜かれたような衝撃を受けました。 -
婚約者がいる女性との恋と仕事や俗世間に思い悩んだ青年が自殺するまでの苦悩を描いた作品。
240年近く前の作品とは思えない、今でも十分に通用する内容だった。
あらすじとは関係無いけど、死後にこんなに赤裸々な手紙を公開されたら嫌だなと思った。 -
書簡形式で読みやすいのだろうが、自分にはなかなか内容が入ってこなかった。途中で挫折。
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2015.10.9ゲーテ自身の絶望的な恋の体験を作品化した書簡体小説で、ウェルテルの名が、恋する純情多感な青年の代名詞となっている古典的名作である。許婚者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する……。多くの人々が通過する青春の危機を心理的に深く追究し、人間の生き方そのものを描いた点で時代の制約をこえる普遍性をもつ。(裏表紙より引用)
現代メディアで自殺のニュースなどがでるとそれに触発されて自殺する人が増える、このような社会的現象のことを"ウェルテル効果"というらしい。それは、この本が出版され読まれた当時、同じようにこの本に触発され、この苦しみの救いは死だと、自殺してしまう人が増えた現象からとっているようである。社会現象の名にもなり、多感な青年の代名詞にもなっているウェルテル、そんな彼の、叶わぬ破滅的な片思いを描いた小説だった。が、この小説で描かれているのはそこだけではない。恋の物語というテーマは、青春の多感な時期を色濃く浮かび上がらせるための良いテーマであったという話であって、この小説に描かれていることはまさに紹介文にある通り、青春の危機である。ウェルテルはとても人間的な人だったと思う。自然に囲まれることに豊かな幸福を感じれるほど多感、激情的で感受性が強く、さらにその心の充足を言語化できるだけの知識、思考力を備え、人間であること、人間らしくあること、人間性を保つことの大切さを実感している一方で、社会という鳥籠の中で、本当に大切なことを忘れて些事に振り回されて生きることに耐えられず厭世的、そんな青年だった。人間性を保つことへの信頼は彼の激情を外へは向かわせず、しかしかつ激情に身を委ねることに喜びを見出す感受性は、彼の内側にあるロッテへの恋心を轟々と燃え上らせてしまう。さらに理性と良心までも備えていた彼は、その恋を叶えるため、ロッテの旦那から彼女を奪うという方法は遂に取らなかった。激情という轟炎を、理性と良心で囲い蓋をすれば、内側から焼き尽くされるのは自明である。かくして彼は鬱状態のような症状を帯び出し、世の中がモノクロになり、倦怠感に襲われ始める。そして最期、救いの道として、死を選ぶーー。200年以上前に書かれたとは思えない、青春の危機の普遍性、いや200年そこらでは人間は変わらないものか。この激情がなければ、諦められる男であれば。また良心の呵責など感じない、欲しいものは手段問わず手に入れるような男であれば。現代社会の檻の中で心枯らした、いかなる人間であっても通る、あの青春の苦しみと甘さを、描ききっている名作である。しかし、心の張りをなくすことが救いだとしても、私は彼のような感受性を持つ人間でありたい。例え鳥籠の中で飼いならされたとしても、飛ぶことを忘れた鳥にはなりたくない、なんて思ったり。人間らしく生きていけるだけの、刺すような激情と頑なな良心により釜茹でされたマグマの渦の中でも、自分でいることを無くさないだけの、強さが欲しいなと思いました。あとロッテを考えると、美貌もあって性格も申し分ない彼女のような女性が一番怖いなと思いました。悪気がない分、悪魔より怖いわ。 -
連鎖して自殺してしまうという、“ウェルテル効果”。
この小説の主人公ウェルテルが、覚悟して自決した方法や、その時の服装をも真似した人が居たようだが、理解できない。
人は、死と隣り合わせで、今いる環境から逃れたい願望があり、衝動的にそうさせてしまうのか。
一目惚れしたロッテには、婚約者アルベルトがいる。
そのアルベルトは申し分のない男。
彼らとお近づきになり友達になるが、ロッテへの想いは募るばかり。
ひたすらな愛を貫くには、居なくなったほうがいいとの選択をしてしまうウェルテル。
『あなたのために死ぬという幸福にあずかりえたならば。ロッテ、あなたのためにこの身をささげるという幸福に。』
ウェルテルは自分に酔っている。
遺された二人は遣りきれない。 -
ゲーテ自身の絶望的な恋。これはよくかんがえればわかるだろーと思うけど、文学的になってるところが凄い。
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ゲーテの作品は初めて読んだ。
そもそもあまり海外純文学にはあまり触れた事が無かったので、少し抵抗があったが、ゲーテの表現力に感銘を受けた
婚約者の居る美しい女性シャルロッテを愛してしまう切ない純愛小説
キリスト教の禁忌である自殺、不倫を犯すと言うこの本発売当時に衝撃となる作品だっただけに、物々しさを感じた。
ロッテも不倫を100%拒ま無い感じがズルいなぁと思った -
一度挫折したものの、数年の時を経て読了。なんて素晴らしい日記小説なんでしょうか……。巻末の解説にもありますが、当時の小説が説教めいたものだった中で、若きウェルテルの悩みだけはそうした説教など何もなく、ただひたすら自身の恋愛に悩んだ若者が、自死をもってその恋心を永遠のものとするまでの感情の動きを偽ることなく描いている。こうした恋愛をしたことのある人なら誰しも、ウェルテルの心の動き、ロッテへの恋心、アルベルトへの嫉妬からくるウェルテルの言動に、羞恥心で頭を抱えてしまうことでしょう。ウェルテルは非常に幼い精神を保ちながら、しかし驚くほど大人な部分もこちらに見せてくれる。生き方が真っ直ぐだと言えばいいのだろうか。小説としての文章表現も素晴らしく、とても美しくて、読むことで心がたっぷり満たされました。
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これがゲーテ自身の中で起こった出来事だと思うと不憫で仕方がない。それを書き出せることによって作品に昇華できてよかった。その事が彼を救ったのでは無いかと思う、
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ウェルテルの思考が情熱的で芸術的であるがゆえにウェルテル自身の悩み、嫉妬などの暗い感情がこと細やかに書かれていた。
もう少しウェルテルがさっぱりした性格であったならこんなに悩んだりすることは無かったのかな。
ロッテと似たような感性を持ち合わせていたり、その性格ゆえに恋に対して悩みすぎてしまったり、途中から恋を一線越えた執着や嫉妬による苦しみが多く書かれていて読み手の自分も痛かったし辛かった。
時代や国を超えど恋に対する悩みとか苦しみは変わらない。
読むタイミングとか自分の精神状態とかによったら病んじゃうかもな。
最初の方は読みずらかったけど慣れると割とすらすら読める。 -
素晴らしい。後半、一気に読みました。それがもったいないと感じるほどに。再読必須、反省。
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ウェルテルの恋に悩む姿が描かれた私には共感しがたい(泣)内容の本でした。
惹かれた人には婚約者がいてその婚約者もとても良い人で〜と想像するととても苦しい背景があり、自殺とは逃げではないとしたうえでの行動で、、
説明するのは非常に難しいです笑
当時の時代背景をもう一度学習してから読み直したいと思います。時代背景についてあまり知識がなくても楽しめる、考えさせられる作品でした。 -
今の時代にも通づる悩みがあったり、
今の時代でも行き過ぎだと思う葛藤があったり、
今の時代ではストーカーだと取られそうな行動があったり……
この小説の偉大たるところは、独特な悩みや呵責に喘ぐ心の内を、克明に文字に書き起こし、万人に伝えたということではなかろうか。世界で初めて。
きっとこの作品が、近代文学の基になったのだろう。
分かる人にしか分からないウェルテルの苦しみ。
僕にとっては心の一冊です。 -
よくある「あらすじだけ知っている人はうじゃうじゃいるのに本編を読んだことある人に出会わない」タイプの本であるところの本作。私もそのひとりだったわけでして、そもそも"有名人の自殺に触発された後追い自殺の発生を「ウェルテル効果」とよぶ"という究極のネタバレを最初から喰らっている時点でなかなか手を出しづらかったのです。裏表紙のあらすじにも「自殺」って書いてあるし。
でもちゃんと通読して(本編200ページ足らずですが読了までに時間はけっこうかかりました)、ゲーテの詩的な表現、書簡体小説を選んだことからくる構成の引き込む感じ(返信を期待する、つまりツッコミを期待して書かれた文章というのは、やはり地の文とは読んだ時の趣が違うものです)、そしてウェルテルの(今日日的な書き方をすると)クソデカ感情に触れると、やっぱりなんでも実際に手に取って読むべきだなぁという思いを強くするわけです。
読んではじめてわかること(というよりは、今まで勘違いをしていたこと)も多々あって、裏表紙のあらすじにもウェルテルが「遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する」とあるので、てっきり恋におちてからロッテに許婚ありと知ったのと思っていたのですが、そんなことはなく初対面の前から彼女がそうであると忠告を受け知っていたのです。しかも後にはロッテの夫となるアルベルトと普通に知り合うし、そのうえで頻繁にロッテに会いに行ったりする。ウェルテル、じつは余計なまでに行動力がある。
愕然としたのは、ウェルテルが自死に臨む際に選んだ凶器の出処ですかね…。読んで確かめていただきたいと思います。
新潮文庫版の解説は、ゲーテの小伝記から作品解説に入ります。これを読むと、ゲーテ本人の恋の多きや、小説のモデルになった悲恋が別にゲーテの初恋ではないという点、ゲーテ自身とウェルテルの差異をはじめとする、さまざまな気付きを得られるかと思います。 -
ロッテに恋してしまったウェルテルだが相手にはアルベルトという許婚者のいる女性。あまりに恋い焦がれたがどうにもならなくて自殺をすることになるシーンが克明に描かれている。この本が1700年代に描かれているのに現代でも通じるところに驚きを感じる。人生は只一場の夢のごとし、ファウストの影響、幸も不幸も心次第、胸の苦しさとやるせなさ、かけがえの無い存在、心境の描写が生々しく心の内がよく伝わってきた。