- Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102071014
作品紹介・あらすじ
ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか…。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
カフカの有名な不条理小説。読了は10年ほど前だが、印象深い小説であったことを憶えている。
突然変身したアレに対して、本人も含めて家族にもそれほど驚きが大きくないのに違和感がある。(笑)だが、それは無理にアレに変身しなくても、「変わり者の引きこもり」「うつ」になったなどと言い換えても良いわけで、「変身」は事態を面白く引き立たせあぶりだすための寓意だからであろう。
当然のことながら貴重な体験をしている主人公の葛藤の描写は大変に面白い。だが、主人公もさることながら周囲の家族の群像劇が秀逸で、わけても妹のこの事態への対処と、最後の移り身の早さにはとても注目できる。そのまま現代家庭の描写と言っても通じる小説なのではないだろうか。現代社会における家庭の不条理さをえぐる名作。-
『そのまま現代家庭の描写と言っても通じる小説なのではないだろうか。』
私も、まったく、同感ですね。『そのまま現代家庭の描写と言っても通じる小説なのではないだろうか。』
私も、まったく、同感ですね。2017/08/23 -
lacuoさん、こんにちわ。
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
実際問題、家族が虫に見えてしまっている親とか子がい...lacuoさん、こんにちわ。
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
実際問題、家族が虫に見えてしまっている親とか子がいるのではないでしょうか。ははは。(^_^;2017/08/27
-
-
「本を守ろうとする猫の話」を読んで、よし海外文学も読んでみようと思った矢先、本棚にいたのがこの本。
グレーゴルが変身した大きな幼虫は一体何を表しているんだろう。
最初、幼虫はグレーゴルとして扱われていた気がする。それ故に、父と母はその姿に向き合えなかったし、グレーテは部屋の掃除をしていたのかもしれない。
グレーゴルの人間としての意識が徐々に失われていくのに比例するように、家族もだんだんグレーゴルではなくただのケダモノとして扱う決意を固めていったように感じられた。
そして3人は、グレーゴル抜きで生きていく基盤を固めていくことになる。
人間の対応力と適応力の物語、と考えてしまったら、あまりにグレーゴルに対して不憫だが、私は今その解釈が1番しっくりきている。 -
実世界でも人生が急転する事ってよくある。
血を分け合った家族が、毒虫の様な存在となったら、どの様に思うのか、家族視点で読み進めた。
切ないけど、綺麗事だけでは済まない現実がある、、 -
この腑に落ちない感じが色々想像を掻き立てられます。
まず主人公が虫と表現しているのは、暴食の悪魔ベルゼブブの比喩では無いかと感じました。なぜなら元は豊穣の神として人間に崇められていたからです。最初の主人公に縋るような様子と最後辺りの投げ出す感じが似てます。しかし作中ではカブトムシと表現していましたが
また、主人公から娘に移る両親への情やプレッシャーがこの時の社会風刺では無いかと感じました。
殻にこもりたがる若者を罵倒する家族。その背景には悪魔だと思いたい、本人じゃないと思いたい、虫のように煩わしい気持ちが建前の中に眠っていたのかもしれません。 -
うん! なんかむず痒い!
この小説を一発で読んで、自分の言葉で理解している人達はすごい!僕には出来ない。
置いてけぼり。何もかも置いてけぼり。ひとつの家族という形が「変身」を通して変化していく様が、本当にじっくり書かれていた。事実のように、淡々と書く筆致は、僕の思考をどっちかというと止めた。むしろ感情的に、このあまりにもリアルな不条理を肌で感じ、なんとも言えない気持ちになったし、こういう家族って、凄く今にも存在している気がするなってぼんやり思うくらい!
他は、置いてけぼりだからよく分かんない!が今の感情。 でも、不条理とかってこういうものな気がする。
そう思わせるそのリアリティが凄い。けどここから僕は一体どう受け取ろう。何を繋げて行こう。よく分からない重たい不条理を、混乱している頭を、日々の生活で少しづつ整理して行くしかない……か。
別に小説って、何かを学ぶものでは無いけども、この軽く書かれた重たい小説からは何かを学びたいなと思っている自分がいます。ああ、混乱。
追記、なんでこの小説をカフカは書いたんだろう。
そう思った時、カフカはずっと自分の中の家での立ち位置について考えたのかなって思った。
ずっと働いて、家にお金を入れて、そうやって家族に尽くしてきた自分が、急に変わり果てて、全く働くことも出来ない、扱いに困るものになってしまった時、どうなるのだろうか。そんなことを考えて、考えてこういった小説を書いたのかなって思った。
正しいかは分からないけど、カフカの考える家族の形、残酷さ、移りみ、そういったものが、描かれていたのかもしれない。 -
カフカ変身って聞いたことはあって、主人公が虫に変わっちゃう話くらいの認識でした。何が面白いんだそんな話と。正直読むモチベーションがなかなか高まらず。とわいえ、新潮文庫の100冊マラソンを始めたからには、制覇するために読まねばならないのだと。というか、本屋さんで新潮文庫100冊キャンペーンで置いてある中で比較的薄くて安いタイトルを探してこちらにたどり着きまして。
で、買いはしたものの積んどく状態というか、持ち歩いてはいたのだけれど、。たまたまスタバに入ってそういえばと読み始めたら、一気に読みました。
凄い作品だなと。さすが超有名作品というか。なんというか、抽象的にすることで実はものすごくリアルな家族像を描いた作品だったなと。変身してなんか変なムカデ?っぽい感じ、その描写がリアルなだけにだからこそ、本人のなりたくてなったわけじゃないのに、思うようにできなくなってしまった状態、それを囲む家族の姿、そこまでを描ききってるからなのか、虫みたいな姿は比喩的なもので、それが単に病気やケガ、メンタルや不登校、ニート、認知症、その他時代を超えてあらゆることにあてはまる気がして。本人としてはどうにもできない、まわりの人に伝えたいけれど伝わらないそんな状況の本人の意識の描写というか、またその本人との関わりの中での家族、そしてその後の描き方もなんというかここまで描ききるからこれが今に残る作品として読みつがれているのだなと。
人間いつか亡くなるのだけれも、亡くなるから与えられることというか。そうゆうことがあるのかということまでを描いて、イメージさせてくれたというか。
自分の解釈としては、人間とは赤ちゃんから老人へ時間とともに変わっていくのだけれど、その生活の中で親や兄弟との関わりがあり、その家族での生活も時間とともに変わっていく。人間、いつはか亡くなるのだけれどそれは本人としても悲しいとか心残りとかあるかもしれないけれど、そんな本人の意識とは別に、家族はそれぞれの生活がありそれぞれ生きていくと思うと、いつか来るその日も悲しみや心残りだけじゃないというか、そんな意識とは別にそれぞれの生活の中で、いなくなるから生活が変化するというだけのことなのかなと。
あと、実際自分の父も脳梗塞で倒れてその後母と姉が介護、大変な中特養に入ることができて、父も認知症や脳梗塞から話をすることもうまくできなくなり、自分も父の顔を見に行って、父と話をするときも、表情や口調や言いたいこと想像しながら話していたことを思い出しました。
自分がその状況にならないと想像しにくい、自分が自分を思うようにできないし伝えることもうまくできない状況、まさにカフカのこの作品が描いたものだったなと思いました。 -
状況が急変すること。
周りの対応が変わること。
その中で自分の感覚も変わっていくこと。
これって自分なのか?と思うこと。
突然に降りかかる、だんだん歪む、じわじわと進む、その様子がリアルだと思った。
古典と呼ばれる本を読むと、人間という生き物がいかに変わらずに人生を繰り返しているのかがよくわかる。少しでも先人の思想を知恵を願いを知りたいから、読むのだ。 -
最後までザムザが人間に戻れなかったのが可哀想すぎて鬱。あまりにも不気味だったけど読んでいて本当に面白かった。