ペスト (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (476ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114032

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  • カミュ『ペスト』新潮文庫。

    新型コロナウイルスの感染拡大のニュースに本屋で目にして思わず手に取った古いフランス文学。大概の有名な作品は読んでいるが、この作品は若い頃にも読んだという記憶は無い。

    伝染病の始まりというのは僅かな日常変化なのだろう。1940年代、アリジェリアのオラン市で医師のベルナール・リウーが鼠の死骸を発見したことから物語が始まる。次第にペスト感染者が拡大し、オラン市を封鎖し、ありとあらゆる施設を感染者の待機場所にして感染を封じ込めようとするところはまさに中国の武漢市と同じで、市民が不条理に苛まれる姿も現在の日本の状況と同じであることに驚いた。

    我々の生きているこの時代は阪神淡路大震災、東日本大震災、台風、竜巻、そして新型コロナウイルス感染拡大と死と向き合わざるを得ない自然の猛威を見せ付けられる特殊な時代なのだと改めて思う。

    本体価格750円
    ★★★★

  • もう世間が一通り読んだこの時期に、ようやく着手
    どうも「異邦人」の良さが理解できず、躊躇していたのだ
    とは言うものの、カミュの文章は意外と読みやすい上、情景描写が鋭く体感的に伝わるので、読む事自体には苦痛はない

    フランスの植民地である北アフリカアルジェリア、オラン市が舞台

    平凡でありきたりの毎日のふとした不穏な変化(鼠の大量死から始まる)が起こる
    ジリジリと迫る得体のしれないなにかに、少しずつ世間が蝕まれていく
    ペストと認定すべきかを検討する医師や自治体(もちろん対応が遅い)…
    そして、一気に都市封鎖へ
    突如の別離、手紙・電話の不通…
    追放の空虚に苛まれる
    もう想像力でしか、時間を埋めることができない囚われの身となった彼らの心の痛みがヒシヒシと伝わる
    カミュの表現力は素晴らしい
    それでもまだ彼らはペストを心底から理解しておらず、どこかで一時的なものという印象を持ち続ける
    次第に食糧補給やガソリン、電力の割当など規制がかかり出す
    現代のコロナ禍と同様、貧困問題が表出する一方、高騰するものもあり、格差社会が生まれ出す

    …とこのように、徐々にペストという暗雲が立ち込める様子が淡々とリアルに描かれる
    (ペストで人が死んでいく様子は断末魔の想像を掻き立てられすぎて、苦しくてこちらが死にそうであった)

    この「ペスト」の良さ(?)は登場人物のそれぞれの考え、心境、行動だと思われる

    ■リウー
    医者
    誠実そのものの善い人だ
    ペストを「限りなく続く敗北」としつつ、運命を受け入れ毎日多くの患者を救うべく翻弄する
    ペストと戦う唯一の方法は「誠実さ」とし、自分の職務を果たすことが自分にとっての誠実と考える
    医者なので毎日患者に接し、疲労しまくっているのに、多くの人と接し、人に対しても自分に対しても誠実で、とにかくすごい人である


    ■タルー
    得体のしれないよそ者
    当初はつかみどころのない人物だったが…
    リウーに友情を感じ、自分がどういう人間かを赤裸々に告白する
    心の中の平和を見出すため、すべての人々を理解しようとし、謙虚な姿勢で生きようともがいている
    タルーの考えは…
    誰もが心の中にペストを持っている
    それは逃れられないし、強い意志と緊張をもって警戒し続けなければ…
    と立派な志を持っている
    その訳は過去にあるのだが…

    リウーとタルー(しかし漫才コンビみたいなネーミングだなぁ…)の友情に誰しもジーンとくるだろう
    ふたりで海で泳ぐシーンは印象に残る感動的なシーンであり、唯一の救いのあるシーンだ

    ■ランベール
    パリに恋人を残して隔離された新聞記者
    もちろん自分は何にも関係ないのだ!
    と脱出を試みる
    しかしリウーやタルーたちの活動や考えに接するうち、変化が
    自分一人が幸福になるということは恥ずべきことかも…と疑念をもつようになり、リウーたちの保険隊(行政の仕事がトロいのでタルーが結成)の仕事を手伝うように

    ■グラン
    なんかねぇ
    この人いいのです!
    この人が良いというかこの人を登場させるカミュがいいんだなぁ…

    普段は市庁で働くしがない下級役人
    目立たない地味な存在
    ひそかに執筆活動をしている
    リウーたちとの保険隊で彼らしい地味ながら緻密な仕事を黙々とこなし、なかなかの活躍ぶりを発揮
    そんな彼にも大切な人物がいる
    そうそう執筆中の作品の書き出しを悩みながらリウーとタルーに語る…
    そして二人が意見する…(形容詞こっちのが良くない?みたいな割としょうもないことを…ね)
    この3人の構図も心温まる好きなシーンだ

    ■コタール
    自殺未遂を起こす(たぶん)犯罪者
    唯一ペストが終わってほしくないと思っている
    彼はペストによって自分と同じ不幸レベルに、ほかの人たち堕ちてきたことで喜んでいるように思える
    ペスト終焉が近づくと、人々と反対の感情が生まれ、気がおかしくなっていく…
    好ましくない人物なんだが、彼の心境はとても理解できてしまう
    そんな自分が嫌だと思いつつ、人にはこういう醜い避けられない感情ってあるよなぁと実感

    他にも興味深い人たちがたくさん登場し、彼らの行動ひとつひとつに思うところがたくさん出てくる
    その彼らの行動や心境を自分の心を通して向き合うことで、読み手が今まできれいに隠してした何かを浮かび上がらせることができる気がする…
    そしてその部分に共感したり、意見を持ったり…
    この辺りがこの書が読み継がれる所以ではないだろうか…
    またウィルス、疫病という観点以外のすべての「悪」を考えることができるようだ
    「ペスト」はナチスドイツ占領下のヨーロッパで実際に起こった出来事の隠喩だといわれている
    当然現代のコロナも然りだが、それ以外にも何度も我々の人生を襲ういくつもの出来事も同じではなかろうか
    ペストは終わらない、繰り返される…
    と本書にあったがまさにそういうことではないだろうか

    救いのないいわゆる不条理小説ながら、リウーを囲む友情は心温まる
    本書に結論なんかない
    人生を身ぐるみはがされた時、それぞれどう受け入れるか、どう立ち向かうか、どう戦うか
    個人個人が考えることだと実感
    あと…
    人は思い出があれば心の支えになる!
    稚拙な言い方ではあるが、思い出の大切さもヒシヒシ感じた

    なかなか心に響いた
    しばらく多くのことを考えることになりそうだ

  • 新型コロナ感染拡大に伴い話題となった本作だが、図書館で予約待ちをしていたところ、図書館も閉鎖となり、図書館の貸し出しが再開され、やっと順番が回ってきたのが6月上旬。

    新型コロナに対して参考にしようと予約した目論見も、すでに様々な施策が定着しつつあり、緊急事態宣言も解除されて、当初ほどの意気込みはなくなっていたのだが、最近読んだ佐藤優氏も、出口治明氏も、共通して「古典」を読むことを奨めておられたので、気持ちをリセットして読んでみることにした。

    やはり本書が当初話題になったのは、歴史は繰り返されるからだと実感した。以前、寺田寅彦氏の震災に関する随筆を読んだときに、東北大震災にそのまま当てはまる教訓が述べられていたことに驚きを感じたのと同様に、今回の新型コロナ禍の本質的な要素は、本作の中にほぼ述べられていたと感じた。

    主人公の医師ベルナール・リウーは、ペスト発生から自らの生活を顧みず献身的に患者の治療に尽くす。それは、ペストが終息の様相をみせ、現在でいうロックダウン(都市封鎖)が解除され、市民が歓喜で浮かれだした後も、その姿勢を貫き通していた。彼の一貫した姿勢は、色々な状況の中で、「市民の生命を守る」というその一点にのみ集中していた。まさに、現在の新型コロナ禍の医療従事者に通ずる姿であると感じる。

    小説の冒頭、ペストが発生しだした状況下の記述に、「この世には戦争と同じくらいの数のペストがあった」と述べられ、「しかもペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった」と書かれていた。

    「天災というものは人間の尺度とは必ずしも一致しない。したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。」という記述は非常に興味深く読んだ。

    カミュは、「天災は非現実でなく現実と意識せよ」という。しかし人間というものは、たまたまの「悪夢」と考え、それを忌み嫌うがゆえに、「それはやがて過ぎ去る」と思い込み、「長くは続かない」と根拠のない楽観に陥ることを指摘している。

    「天災は必ずしも過ぎ去らず、人間のほうが過ぎ去っていく」という強烈な表現で、その状況を述べている。

    知事は、当初の状況を「空騒ぎ」と考え、医療サイドの主導で、保健委員会の発足、それがペストかどうかの正確な判断、血清の準備、隔離対策、等と冷静な手が打たれていく。

    統計データの取得と合わせ、このあたりの流れは、すべて今回の新型コロナ対策に直結する教訓となっていると感じる。そしてまた、時代は経ても、やるべき本質は変わらないのだなとも感じた。

    感染者に申告義務を課し、患者の出た家は封鎖・消毒、近親者は一定期間の予防隔離。埋葬方法の制限。

    そして時間がたつごとにデマ情報の発生。
    統計が急増し、保健課の維持が困難となり、医師の人手と時間が不足状況に陥る。

    「それがあらゆる経済生活の組織を破壊し、相当多数の失業者を生ぜしめた。」という表現もある。

    まったく同じである。

    こんな表記があった。
    「彼ら(市民)はまた当然のことながら、不幸と苦痛の態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じてなった。・・・絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。」・・・この状況は怖い!

    本作の中で登場する人物の、心の変化にも注目すべきところがいくつかあった。

    新聞記者のランベールは、自分はこの街とは無縁の人物であると思っている。早く、このペストの町から脱出し愛する妻のもとへ帰ろうと、密輸組織を通じて脱出を企てる。しかしその成就の直前に改心し、リウーらに協力するため脱出を自ら断念する。

    「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれない」、「今ではもう確かに僕はこの町の人間です。自分でそれを望もうと望むまいと、この事件はわれわれみんなに関係あることなんです」と語る。

    またリウーとともに、この物語のもう一人の証言者であるタルー。彼はリウーと親友となることを望み、本心をリウーに語るシーンがある。

    彼には、次席検事の父親に対するトラウマがあった。父の論告を初めて聞いたときの「死刑」の論告が、その被告の虐殺に感じられた。判決後に、幾夜も苦悶の夜を過ごしながら殺害されるのを待つのは、ペストにかかった患者と同じだと考える。

    「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っている」と考え、父の生き方を否定して生きてきた。自分の心の平和を維持するには、「自分がペスト患者にならないよう、なすべきことをなして」生きるか、もしくは「ペスト患者に共感」する生き方のほうを選択する。そういう意味で、共感の医師であるリウーの生き方に共鳴できたのだろう。

    このくだりは、著者カミュの戦争に対する考え方が反映されているようにも感じられる。

    この物語では、血清が季節の変化とともに、それまでに見られなかった効果を発揮するようになり、ペストは自然に沈静化していく。なぜ終息していったのかは詳しく述べられていない(と思う)。

    リウーはこの終息と同時に、戦友ともいえるグランを失い、親友となったタルーも失い、そしてずっと会うことができなかった療養中だった妻をも亡くす。

    ロックダウン解除後の市民の浮かれる姿に対し、このペストで近親者を亡くした家族の戦いはずっと続くのだいう表現もあった。

    物語ではペストの終息を迎えたが、現実の新型コロナはまだ渦中にあり、まずは本書の冒頭部分にあった「悪夢はやがて過ぎ去る」というような安易な発想を封じることが重要だなと感じている。

  • 194※年4月16日、アフリカのフランス領アルジェリアのオラン市(※1962年に独立するまでフランス本国扱い)で、医師のリウーは一匹の鼠の死骸を見つける。
    瞬く間にオラン市には鼠の死骸が溢れた。やがて人間にも病状が現れる。
    人が気が付かないうちに死者は増えていった。
     <「まったく、ほとんど信じられないことです。しかし、どうもこれはペストのようですね」P54>
    ペストという言葉がここで初めて発せられた。

    ===

    高校生の長男の休校期間課題読書のリストの中の1冊として購入したのを私も読んだ。長男は「読書というのは自分がしたいものをするんだ!人から言われてするもんじゃないんだーー(●`ε´●)」と言いながら、なんとか書いて出したらしい。まあ私も自分が読みたくて読んだから良いのだけど、高校の時に課題で出たら「意味わかんねーヽ(`Д´)ノ」となっただろうなあ。

    というわけで、なんとか読んだので、感じたこととかではなくほぼ要約orz(ほぼ要約なのはいつもだけど)

    小説の形式は、最初は名を明かさない”筆者”により、感染病に見舞われた町の人達の姿、炙り出される本質を淡々と記してゆくというもの。
    冒頭にはダニエル・デフォーの言葉が紹介されている。未読なのだが『疫病流行記』からの引用なのか?デフォーの「疫病流行記録は1660年代にイギリスでペストが流行したときの記録」であり、カミュと両方読んだ人はこちらの方からはこちらのほうが面白いとも言っていたので、いつか読んでみなければ。
    さて、カミュの「ペスト」は、1947年に発表されているが、作品内の舞台も194※年という同年代を舞台にしている。またカミュはこの舞台であるフランス領当時のアルジェリアのオラン市に在住した時期もあった。
    現実に即した時期や場所を舞台にすることにより、架空のペスト感染という出来事を観念的に現したのか。

    小説内での流れはこのような感じ。
    ・ペストと宣言される。
    ・オラン市は閉鎖される。
    ・食料など日常品の制限、手紙の禁止といった要項が重ねられてゆく。
    ・人々は混乱し、喧嘩や暴動に対して憲兵が出動し、菌に有益だというデマで店頭からハッカが消えたり、行くところのなくなった市民たちは映画館へ詰めかけ、予言に頼ったりする。
    ・ペストは夏の盛りには勢いを増す。オラン市にペストが来たのが4月、つまり日が経つにつれますます患者が増える一方という、まさに終わりの見えない状況。人々の精神は停滞していく。増える死者に触れても感傷の気持ちが出てこなくなる。
    ・冬になってもペストの勢いは止まらなかったが、また春が来るようになり感染者は減り、回復者も出てくるようになった。そして町の人達は町を走る鼠を見た。ペストの初期には死の象徴であった鼠が、今度は生きているものの躍動の象徴となる。
    ・人間は待ち望んだ開放に対して慎重になる。そして自分が望んでいたもとの生活、元の姿に戻れるかを恐れる。
    ペストという突然襲ってきた大きな力により、自分自身を見つめて変わった人、変わらなかった人、前とは少し違うところに着地した人。オラン市が開放されてそれぞれの道を歩みだす。
    コロナ感染の今の時代に当てはめると、人間は変わっていないなあと思う点と、でも当て嵌めすぎても解釈幅が狭まるよね、などと思いながら読みすすめてて行った。

    ペストという突然襲った大きな力により、突然の制限や死に見舞われた人間の精神的、行動的変化、人々の本質や観念が書かれる。
    登場人物たちは、各自が自分の本質を見たり、変わったり、変わらなかったりしてゆく。

    ❐医師リウー
     妻は病気のため山の療養所に行っているときに、自分の町がペストで閉鎖されてしまった。
    医師として重要な場面のほぼ全てに同行し、ペスト蔓延を見て、疲労さえも超えてゆく。だが、際限なく続く敗北であろうと、戦おうとしている。
    ペスト初期にパヌルー神父がペストを観念として捉えてその後ろに神の意志を感じるように説いたときには、その説教に反発する。リウ−にとって神よりも現実の人間の健康、役割を果たすことが第一の義だった。

    ❐カステル
     老医師で、血清生成などに務める。

    ❐タルー
     最近オラン市に住居を構えた男。手記をつけている。ペスト感染が広がると、友人の医師リウーの手伝いをする。
     終盤で彼は、リウーに自分の精神構造の根本を語る。
     <今日では、人を殺したり、あるいは殺させておいたりしないでいられないし、それというのが、そいつは彼らの生きている論理のなかに含まれていることだからで、われわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身振り一つもなし得ないのだ。(…略…)われわれはみんなペストの中にいるのだ。P375>
     <誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ。(…略…)ちょっとうっかりした瞬間に、他のものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。自然なものというのは、病菌なのだ。ーその他のもの、健康とか無傷とか、なんなら清浄と言ってもいいが、そいうものは意思の結果で、しかもその意志は決して緩めてはならないのだ。P376>
    ペスト(を象徴とする、社会病理など)への対抗法は、人間同士が共感すること、理解すること。自分がペスト菌になったりペスト患者になったりしないこと。

    ❐ランベール
     新聞記者。オラン市には取材で訪問しただけなので、最初は「私はこの町には無関係」として、恋人の待つ外の町に出ようと手を尽くす。ペストという大きな力の前に、個人の幸福を大事にしたいという人物として書かれる。
     だがオラン市の様子を見ているうちに、今ここを見捨てて出ていっては、恋人に会ったとしても、逃げたということが引っかかり本当の幸せにはなれないとして、市に残り保険隊に協力するようになる。

    ❐バヌルー神父
     ペスト初期は、「神が人々に遣わした当然の報い」と説教をした。ペストとはあくまでも観念の問題だった。
     しかし医療の手伝いをして少年が長く苦しみ死ぬ様子から、意味なく失われる命への救いの無さを感じる。
     <そこには何ら解釈すべきものはないのであった。(…)世には神について解釈しうるものと、解釈し得ないものがある。ペストのもたらした光景を解釈しようとしてはならぬ、ただそこから学びうるものを学びとろうと務める。P329>
     だが神への信仰を捨てたわけではないので、自らがペストに罹ったときは医師(人間)の治療受けたら神の意思を否定することになるとして、治療を拒否する。…という形で、自分が信じた神、そしてペストに苦しむ現実の人々をみて、彼なりの信念を貫いたのだろう。

    ❐オトン
     型にはまった判事だが、家族の感染や自分の隔離を経て、小さなことからでも役に立ちたいという考えに変わってゆく。

    ❐グラン
     好人物の下級役人。ずっと昔に妻が駆け落ちして出ていったことから、手記を書きたいと思っているが、妻に気持ちが伝わるように完璧な言葉を考ることに苦慮している。
    現実のペストの脅威よりも手記の書き出しのほうが苦悩が強いくらいで、そのためにむしろペストに対する過度な恐怖はなく、町で募集している保険隊の仕事に就くことになる。
     <現にペストってものがあるんですから、とにかく防がなきゃなりません。これはわかりきったことです、まったく、なんでもこれくらい簡単だといいんですがね。P195>
     自分を捉えてて閉じ込めていた執着(手記書き出し)は出口のない迷路をぐるぐるぐるぐる回っているようなものなので、それがペストという現実に対してどの様に変化したかなど、変わった人間として書かれる。

    ❐コタール
     どうやら犯罪者として出頭を命じられる寸前だったらしい。ペスト流行により裁判は中断したため、彼は裁かれないこと、自分が孤独な犯罪者でなくなったこととして事態を喜んでいる。
     そのためペスト収束時を認めたがらず、むしろ自分を失ってしまう。

    ❐老人
     名前はないが、リウーの患者である老人は、ただそこに存在する悪意のないものとして何度か登場する。

    ❐施政者たち
    いわゆる行政の対応の遅さ、お役所仕事ぶりが書かれる。
    ペスト初期には、議員、判事、医師の会議では、現実的に人が死んでいることよりも、「ペスト」という死病だと宣言して良いのか、それによって責任がどう生じるのか、などが主題になってしまっている。
     <問題は、法律によって規定される措置が重大かどうかということじゃない。それが、市民の半数が死滅させられることを防ぐために必要かどうかということです。あとのことは行政上の問題です。P74>
     <「言い回しは、私にはどうでもいいんです」「われわれはあたかも市民の半数が死滅されられる危険がないかのごとく振る舞うべきではない。なぜなら、その場合には市民は実際にそうなってしまうでしょうから」P76>
    さらに、ペスト大流行最中で死者が増え続けて行ってからも、<新聞と当局はペストに対してこの上もなく巧妙に立ち回っているP165>という発表がなされるなど、上辺だけの態度の批判するような記述も出てくる。

    ❐市民たち
    施政者に文句をういつつ市民たちもどこかしら他人事。最初に感染症の現実を突きつけられたのは、フランスによりオラン市の閉鎖命令が出されてからだ。
     <この瞬間から、ペストはわれわれすべての者の事件となったということができる。P96>
     オラン市は20万の住民がいて、初期には1週間で300人程度の死亡者ということ。だが誰もこれが多いのか少ないのか、通常の状態を知らず、判断のしようもなかった。
    疲労はやがて無感動になってゆく。
     <「まったく、こいつが地震だったらね! がっと一揺れ来りゃ、もう話は済んじまう……。死んだ者と生き残った者を勘定して、それで勝負はついちまうんでさ。ところが、この病気の畜生のやり口ときたら、そいつにかかってない者でも、胸のなかにそいつをかかえてるんだ」P166>
     <絶望に慣れることは、絶望そのものよりもさらに悪いのである。P268>
     <貧しい家庭はそこで極めて苦しい事情に陥っていたが、一方裕福な家庭は、ほとんど何一つ不自由することはなかった。ペストがその仕事ぶりに示した、実効ある公平さによって、市民の間に平等性が強化されそうなものであったのに、エゴイズムの正常な作用によって、逆に人々の心には不公平の感情がますます先鋭化されたのであった。P350>
     <彼は自分がペストにかかることがありうるとは本気で考えていないのである。彼はこういう考えーそれも案外ばかにならない考えであるが、なにかの大病あるいは深刻な煩悶に悩まされている人間は、それと一緒にほかのあらゆる病気あるいは煩悶を免除されるという考えに基づいて生活しているように見える。P284>
     しかしペスト期間が延びて、各自ができることをやろうとしてゆくうちに、「あなたたち」の問題だったペストを「われわれのもの」として捉えるようになってゆく。


    終盤で、ペストが収集したことにより、人々が得たこと、考えたことが書かれる。
     <彼が勝ち得たことは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そして、それを思い出すということ、愛情を知り、そしていつの日かそれを思いなすことになるということである。ペストと生との賭けにおいて、およそ人間が勝ちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。P431>
     <人間が常に浴し、そして時々手に入れることができるものがあるとすれば、それはすなわち人間の愛情であることを。P445>
     <自身という僅かなものに執着して、ただ自分たちの愛の家に帰ることだけを願っていた人々は、時々は報いられている。(…省略…)これに反して、人間を超えて、自分にも想像さえつかぬような何者かに目を向けていた人々全てに対しては、答えはついに来なかった。P444〜P445>
     <ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴蔵やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ちつづけていて、そしておそらくはいつか、人間の不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。P458>

  • 新型コロナウィルスの流行中の今の世界に通じるものがあると言われていたのと、NHKの「100分de名著」で紹介されていたので読んでみた。

    番組ではすごくわかりやすく解説されていたんだな~
    って、作品を読んでみて思った

    外国人の名前が苦手な私としては「あれ?この人誰だった?」とか何回も前に戻って読み返してたので読み終わるのにものすごく長い時間がかかったのよね。

    それはさておき…内容。
    アルジェリアのオランという商業町。医師のリウーの前で1匹のネズミが死んだ。ペストという疫病が街の生き物を殺す中、政府はオランを封鎖。残された人々はペストという抗えないものに対峙した時に、改めて自分の生き方や考え、自分の中に潜む人間性や宗教性に対峙する…

    疫病という抗えないものに遭遇した時の人々の様子は今も昔も変わらないんだな~。
    閉鎖された町であるものはなんとか街を脱出しようとし、あるものは酒で恐ろしさを忘れようとし、あるものは性愛でその場の快楽に身をゆだねる。そしてあるものは神に助けを求め、あるものはこの閉鎖されたからこそ生きて行けるという暗いラッキーにほくそ笑む。

    絶対的な危機に瀕した時に現れる人の本質とそれを直視しないといけないという恐ろしさ。

    コロナ禍で、マスクを求めて争う人々の姿、自分は桜の花見に行っても大丈夫だろうとか、これ見よがしにせきを人にふきかける人や、ヒマだからと言って行楽地や歓楽街に繰り出す人など…
    人は時代が変わってもやはり人間中心主義(ヒューマニスト)なのだろうか。

    不条理な小説と言われているこの小説はラストにも悲劇が待ち構えている。決して「よかった」と思わせるラストではない。でも、だからこそ読み終わった後にもう一度考えさせられる。1度目よりは2度目、2度目よりは3度目…何度読んでも発見があり、また深く考えさせられる。

    この作品に出会ってよかったと思う。

  • カミュの小説というと、これと『異邦人』がまず上がるところだと思う。コロナ禍でこの小説が話題になる前にそちらは読んでいて、ずいぶんと解釈に苦労したことを覚えている。

    話題になった通り、確かにペストが猛威を振るう描写は今の現実に近しいところが多々ある。それは感染の拡大に戸惑う市民であったり、治療に当たる医師たちの姿であったりする。しかし、この小説を通じてカミュが書きたかったのは、パンデミックそのものよりもペストがもたらした不条理な現実に対し、登場人物たちがどう相対していくかにある。その主題に対し、様々な人物がそれぞれの立場から答えを出すが、その過程や議論が読みこみがいのある作品だと思った。「不条理」というのは異邦人でも共通していた観点だが、あちらの主人公であるムルソーは理解が容易でないのに対し、こちらで主に行動が描写される登場人物たちは、動機や行動原理がはっきりしているし、特に離別した愛人に再開するために行動していたアルベールが、「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」と言って町に残るくだりなど共感しやすいところも多くあり、とっつきやすいと思った。個人的には、ペストと戦う唯一の方法は誠実さであり、つまり自分の意志としての職務を果たすことだと発言したリウーに共感するところが多かった。逆にこちらでカミュを知った人には、『異邦人』を読んでみると別の発見があるのではないだろうか。

  • サラマーゴの『白の闇』と引き合いに出して、本書を褒めている書評を見かけたので読んでみた。
    感想としては、確かに『白の闇』同様集団感染モノなんだが、これと『白の闇』では全然性質が違う印象。

    文章全体が客観性をもった描写に徹しているのと、併せて劇的・急激な展開が一切ないのとで、ずいぶん静かな印象。
    そして『白の闇』が無理やり人間の上っ面を引っぺがして人間の本性をむき出しにしたという感じだったのに対し、本書は「人間が生きていくこととは」といった、人間そのものだけでなく人間が社会に与えるもの、あるいは社会から影響を受けるもの、をも包括したもっと広い対象を描いている。

    同じ取っ掛かりを用いて文学作品をものしようと思っても、書く人によってここまで違った作品に仕上がるもんなんだなあ。

    作品の持つ教訓という意味では『白の闇』同様素晴らしいものがあったが、エンターテイメント性も兼ね備えている『白の闇』に、個人的には軍配を上げたい。
    まあ、冒頭で述べたように、あまり比較するのも適当ではないとは思うが・・・。

  • 「コンミュニスムとキリスト教とのあいだに、より人間的な第三の道を求めようとしているカミュの立場を、これほど遺憾なく表現しえている作品はない」(訳者)

    ちょっと読みづらいですけど、実話と思うほどの心理描写、"人としての生き方"を考えさせるような場面、良かったです

    他の作品も読んでみたいかも

  • 新型コロナウイルスが猛威をふるう現在、この小説がまさに旬でしょうと思い、読みました。なかなかおもしろかったです。が、思ってたのとはちょっとちがってたかも。ペストが流行って、まちが封鎖されてしまって、いろんなひとは困るし、絶望的な状況も多数生まれる。でも、なんだか、現在の私の周囲にたちこめている閉塞感のほうが息詰まり度は高い気がして、むしろこの本のほうが、みんな昼間は出歩きまくってお酒飲みまくって、映画館もいっぱいになって・・・、なんて、なんだか楽観的に感じられたりしました。私の読み違えでしょうか。あと、やはりなんかだらだら長いのね。描写。フランスって、哲学もそうだけど、なんだかダラダラ長いよね。それがフランスの知識人の文章の作法なんでしょうか。なかなかついていけません。【2020年2月23日読了】

  • カミュの代表作のうちの一冊。
    原題:La Peste
    NHK、Eテレで放送中の「100分de名著」で取り上げられていた。

    災厄の始まりは小さなものだった。
    ネズミの死骸、それは一般の人は気にも留めない小さな予兆。
    しかし、市内全土に広がっていくのに、多くの時間は要らなかった。
    恐怖と、悪と、戦うこととは一体どういったものか。
    理不尽なことと向き合うこととは。
    物語は淡々と綴られていく。
    どんなに悲惨な出来事であっても、どんなに不条理な出来事であっても、生きている我々は歩みを止めてはならない。
    ペストと、戦い、抗うのだ。
    ペスト=悪があることを知り、それを思い出し、友情を知り、思い出し、愛を知り、思い出し、それが唯一の、我々がペストに勝ちうる方法なのだ。
    「知識と記憶」(431頁)だけが。

    なぜならペストは死ぬことも、消滅することもないからだ。
    「人間に不幸と教訓をもたらすために」(458頁)それはあるのであり、たとえ一度は恐怖から逃れられたとしても「この嘉悦が常に脅かされている」(同)ことを忘れてはならない。

    我々は、理不尽な恐怖に直面した時、何をなすべきか?
    いやそもそも、それが来る前に何ができるのか?
    私たちにできることはそう多くはない。
    過去の災厄を、今まさに来んとするそれを、見なかったこと、なかったことにして忘却の彼方に追いやるのではなく、正面から対峙し、ありのままを認めなければ、後手に回った対策は何の意味もなさない。
    そしてそのことだけが、ペストに立ち向かう方法なのだ。

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