自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (489ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102156117

作品紹介・あらすじ

わたしってそんなに「変でおかしな子」なの?幼い頃から、周囲の誰ともうまくつきあうことができず、いじめられ、傷つき苦しみ続けた少女-。家族にも、友達にも、学校にも背を向け、たった一人で自分の居場所を求めて旅立った彼女が、ついに心を通い合わせることができる人にめぐりあい、自らの「生きる力」を取り戻すまでを率直に綴った、鮮烈にきらめく、魂の軌跡の記録。

感想・レビュー・書評

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  • 精神の不思議さを強く感じた。

  • とてもわかりやすく読みやすいです。

  • 杉山登志郎先生の「子育てで一番大切なこと」ででてきた本

  • 著者の自閉症による体験を綴ったもの。
    医学的参考文献としても有名なものだそう。

    (注:現在はそう思っていませんが……)
    自閉症というと、私の中ではアニメや映画にたまに登場する「意思疎通ができない人」で、「パニックになるとワーッと叫んで暴れてしまう人」というイメージでした。
    単純に知識がなかったことと、その印象が強烈に印象的だったこともあり、私の中での概念は固定化されてしまっていたのですが、本書を読んでその認識が完全なる「勘違い」であり、著者の言葉を借りるなら「”世の中の人”から自閉症の方を見た視点」であることに気づかされました。

    著者の自伝は(訳者の方の努力もあって)ひとつの物語のように読み易く構成されており、あとがきを除いて477頁と大変な長編なのですが、一気に読み進めてしまいました。

    上に書いたように自閉症に対して歪なイメージを持ってしまっていた私のような人間であっても、当人からの視点を持てるように構成・表現されており、読み進めるうちに自分と著者が重なったような、追体験をしているような不思議な感覚になりました。

    この本を通じて個人的に得た恩恵としては「自閉症についての当人の体験を知ることができた」という他にもう一つあって、それは私自身の問題のひとつに著者との共通項があり、それ自体の解決策として著者と同じ対策方法が使えるのではないか? ということに気づいた点です。
    (文章が分かりづらくてすみません。単純に言えば著者と同じようなところで自分が悩んでいることに気づいたのです)

    私自身は自閉症ではありませんが、過去の体験の中でトラウマとなった出来事があり、それ以来かなりの部分で人と違った感覚、感情を抱いてしまっていて、そのことがその他大勢(著者のいうところの”世の中”)とは違ってしまっていることに悩んでいました。無意識的に「その他大勢とは分離してしまった自分」をダメだと決めつけてしまっていたのです。

    この本を読んで著者の並々ならぬ努力と独特のセンス・方法を以て成長していく様を見ているうちに、ふと、私も私なりに生きれば良い、ということに気がつきました。無理に世界に合わせて自分を壊したりダメだと烙印を押したりすることはない、と思い至ったのです。
    問題は単純で、私は自分の考えに拘るあまり、自ら不自由になっていたのでした。

    本書には2巻があるようなので、そちらも読みたいと思います。

  •  邦訳のタイトルが微妙。
     彼女が自閉症化否かについては、この本では説明されていない。
     だが、彼女が幼い頃、「社会との付き合い方を知らない」子供であったが、大人になって「社会との付き合い方の試行錯誤を始めた」女性になったとは思う。
     だが、今も自閉症ではある筈だ。
     邦題について、わかりやすさや、訴求力はあれど、自閉症は治るものであると取りかねなものは避けたほうが良かったのではないだろうか。

     一人の女性が、親からも兄弟からも、学校からも傷つけられ、それでもなお、自尊心を失わずきちんと前を向くという、非常に胸を打たれる作品である。
     彼女の感受性の高さゆえ、わかりにくい個所はあれど、それでもなお先を読ませる何かがあると思う。

  • 淡々と、それでいて豊かな文章で綴られる『私たち』の世界の見え方、感じ方は驚くとともに共感できるものでした。
    片目でぼんやり外界を見、片目で自分の世界にこもり、うわの空の状態になってしまうことなどは自分にもあるなと感じたりしました。
    全てを理解はできなかったけれど、暴力的に相手に強制することだけはないようにしたいと強く思いました。
    彼女の生き抜く強さと、豊かな言葉の世界を強く尊敬します。

  • 題が、多分、ダメだと思います。
    まるで、今、自閉症であることが治ったみたいに見える。でもこれは、そういう話ではないですよね。
    まあ、原題の「NOBODY NOWHERE」*1よりも、わかりやすいという判断なんだろうけど……。
    それに、この題でなければ、たしかに、ぼくも手に取っていない可能性があるのだけれど……。

    解説にも書かれていますが、ものすごく、共感をもって読むことが可能です。でも、その読み方にも、注意も必要です。

    それは、想像力。
    「彼女」は、「わたし」だと思って共感するのは とても大事なことなんだけど、それだけでは、前に進まない問題を、いっぱいこの本は含んでいる。
    多分、自閉症の人とぼくたちは、全く別の言葉をもっている。
    それは、どういうことかということを想像してみること。

    例えば、人生で出会った中で、一番理解できなくて最悪だと思った人のことを思いだしてみる。
    「言葉が通じない」と思わなかったか?
    相手が人間の心を持っていないのではないかと傷ついたりしなかったか?
    だれかと、

    「こんな困った人がいる」

    と話して、共感したことはないだろうか?

    もしかしたら、共感してくれる誰かがそばにいてくれる「わたし」が「彼女」なのではなくて、「わたし」を傷つけた相手こそが、誰にも理解されない「彼女」なのかもしれない。

    自閉症の人と関わっていくというのは、その言葉が通じないという思いの繰り返しで、多分、ぼくたちは、自分の言葉、自分の物語の中でしか人を理解できない。
    彼女が彼女の物語の中で、人を理解しているように。

    だから、この物語は感動的であるけれど、ものすごく一方的な物語でもある。
    この物語で糾弾された人たちに対して、外から、

    「そんなことは、許されない!!」

    と言うことは可能だけれど、それだけではすまない問題をぼくたちは宿題として抱えている。
    もちろん、「彼女」がどう感じたかという感じ方、考え方は、大切にしながら。

    もし、自閉症の人の言い分に耳をかたむけることができれば、論理が通っていると感じることはできるかもしれない。でも、それを理解することは、基本出来ない。

    だから、ぼくたちにできることは、自分が受け入れることが出来るキャパシティを出来るだけ大きくしていくことだけです。それも、膨大な、試行錯誤から出てくる経験知(しかも、その中のわずかな例外を参考にしないといけない)で。
    100人の中にたった1人しかいない人の言葉を理解しようというのだから。

    自分の感傷に浸ってる暇なんてない。
    なにか、理解できないこと、理解できない人に出会ったとき、その人の言葉と自分の言葉が違っているのではないかと想像し、省みること。
    これは、実はかなり難しいのではないかと思います。
    でも、これから、していかなければならないことです。

    大切な何かを、切り捨ててしまう前に。

    どこまでの彼女を守ることができるだろう?
    でも、信じていることは、理解し合うことができれば、おそらく、反社会的であったり、非社会的であったりすることはなくなるのではないかということ。
    その「反社会」、「非社会」という概念そのものが、文化の中でわかっていくものだとしても。

    祈りのように。

  • 自閉症の人々の住む世界について知ることが出来ます。
    小説としてはもちろん、専門書としても読むことが出来ます。

  • TBSドラマ『君が教えてくれたこと』の原点です。健常の人と違う世界を見ている事に私も気づきました。

  • 瑞々しい文章が良かった。

  • 自閉症の方の著書。
    人間の「感情」(情緒)がわからず、負担に感じるということらしい。彼女の場合は多種かつ重度のアレルギー疾患があったそうで大変そうだ。
    こういう風に考え、見えているんだなと知ることができた。いろんな人がいるのだ。ほんとに。

  • 自閉症の人の感じ方、ものの見方、考え方を、心で感じたものをそのままに文章に表されていて、どんな感覚で生きているのかをイメージして読むことができた。

  • 近年、「発達障害」「自閉症スペクトラム」といったことばはよく聞かれるようになりましたが、自閉症の方の世界観を知る機会は少ないのではないでしょうか。この本は、自らが自閉症であるドナ・ウィリアムズさんが執筆された本です。自閉症の方の、世界の見え方・感じ方を知る手がかりとなる1冊です。

  • とっ散らかって読みにくいというレビューが多いが私としては素直に読めた。常々自分が自閉症に似たところがあると感じていたせいかもしれない。
    あまり理屈で考えず、彼女の目覚ましい成長と変遷に目をみはる感じ。誰かと知り合ったこととその影響という因果関係が鮮やかすぎる気もするが、書いた本人が整理・認識したことなのでそのまま受け止めたい。
    専門知識のある人は違った読みをするのだろうが。
    ただ、自閉症の人みんながこんなふうではないことは留意しないといけないと思う。

  • なかなか読みづらくて、10日以上かかりました。
    訳者後書きによると、原文はもっととっ散らかってるそうで、これが各国でベストセラーになったなんて信じられません。海外の読み手さん達は凄いですね。
    これが、どのくらいリアルな自閉症手記なのか、結局わかりませんが、自分の職場で考えても、完全にノーマルって人は少なくて、多かれ少なかれ人って何処か偏ってるものだと思います。そんな中でかなり振り切れている人の手記を読む事で、少しですが周りの人に寛大になれた気がします。

  • 請求記号:WM203.5-WIL
    https://opac.iuhw.ac.jp/Akasaka/opac/Holding_list?rgtn=2M020309

    <藤田郁代先生コメント>
    幼いころから人とうまく付き合えなかった高機能自閉症の著者が自分のこころの世界と成長過程を記した自伝書。周囲から理解されない苦しみ、つらい経験、人生への希望が胸に響く。

    <BOOKデータ>
    わたしってそんなに「変でおかしな子」なの? 幼い頃から、周囲の誰ともうまくつきあうことができず、いじめられ、傷つき苦しみ続けた少女—。家族にも、友達にも、学校にも背を向け、たった一人で自分の居場所を求めて旅立った彼女が、ついに心を通い合わせることができる人にめぐりあい、自らの「生きる力」を取り戻すまでを率直に綴った、鮮烈にきらめく、魂の軌跡の記録。

  • ずっと読まなきゃと思ってはいた、自閉症者の当事者本の先駆けとなった、ドナ・ウィリアムズの自伝。

    修論終わって、心身の極度の疲労から回復するなかで、これなら(気分的に)読めるかな…と取り組んだ。

    …重かったーーーーー

    特に前半。「感動の!」「爽やかな」「心あたたまる」「ありがとう!」みたいな、そういうのは、私には全然思えなかった…

    いや、すごいんだよ、すごいことだと思うの。
    こんな風に文章にしてくれて、それが一体どんな世界なのか覗かせてくれることは、本当に希有な、素晴らしい、ありがたいことだと思うの。

    だけど…。なにが苦しいって、お母さんとお兄さんへの恨み節…かな…私にとっては…

    そりゃ、お母さんは今でいう虐待に当てはまるのかも知れない、お母さんの妹(ドナの叔母さん)がそう言うんだから、きっとそうだったに違いない、だけど…

    ドナの生まれた60年代、自閉症というものが今よりもっと受け入れられてなかった時代、ともすれば「母親のしつけが悪い」と安易に非難されてた時代…

    そしておそらくお母さんの生まれ育った環境も、あるだろう。

    そんななか、ドナに辛く当たるお母さんのことを思うと、それを単に責める気持ちには私はなれなくて…

    どこにも当てはまれないドナの送り迎えするお母さん。ダンスの好きな娘に一縷の望みを掛けてダンス教室へ連れて行き、やがてその希望も断たれるお母さん…

    ドナがお母さんを憎むのも恨むのも当然起きていいことなんだけど、お母さんも辛かっただろうなって思っちゃうんだよね。

    ましてお兄さんなんて。

    なんにも知らずに、妹の誕生を楽しみにして、関心を向け続けたのにも関わらず、一度も、目さえ合わなかった妹に、どう接すればいいか、モデルはお母さんしかいない環境で…お兄さんの心の中に、ドナを許せない気持ちがあるのもまた当然起きていいことだったと思う…

    だから、ドナの視点からだけで、恨み辛みを書かれると、ちょっと辛い…

    もちろん、そんな風に傷つけあわなくて済むように、もっと周囲に、理解とサポートがあれば良かったんだけど…充分なほどにはなかったんだよ…

     
    そう、責任を全部母親に帰すのは、私は違うと思う…
    (もちろん、お母さんのしたことは酷いことだったんだろうし、もっと違う関わり方ができたんじゃないかって、言うのは自由だけど、それができなかったんだよね、現実は。)

    そして、優しかったけれど、母の前に力を持たなかったお父さん。
    それって、「パパは優しかったから許す」っていう問題でもない…
    だって、パパは結局、娘を守れなかったんだから…

    それらの絡み合った糸が、外からだとわかる。
    わかるだけに辛い…

     
    ドナが、もがきながら少しずつ少しずつ、傷つきから回復し、自分を知り、人との関わりを学ぶ過程は、本当に素晴らしいと思う。
    本当に良かった。そういうことが人生に起きて。いや、それを掴んで。

    でもなんとも言えない、気持ちが重くなる本だった。

  • 自閉症の方が自叙伝を書くことができるの…?
    疑問を拭いきれないまま読み進めてみたが…

    ここかしこに発見や驚き、学びがちりばめられ、本当に価値ある興しろい本に出逢えた…そんな気分だった☆

    ドナがどのように感じ、人生を歩んできたかを通じて一人でも多くの方の理解に繋げられたらどんなに素敵だろうか…!!

    キラキラしたものがなぜ好きなのか、どのように捉えているのか、なぜ雲を掴むような仕草になり、永遠に物と戯れることができるのか…疑問を挙げはじめれば枚挙に暇がないが、そんな一つひとつを解決したり、ヒントになってくれたり…

    ドナの勇気と聡明さに改めて感謝したい。

    読了後どう感じるかは人それぞれだろうが、一読の価値はある!!

  • 克己心という言葉が思い浮かんだ。
    自閉症である一人の心の内を明確に描写した、非常に功績のある記録だと思われる。
    克己心という言葉を使うと、まるで自閉症であることが悪いことのように聞こえてしまうかもしれないが、そうではない。あくまで、この作品から読み取れる、ドナさんひとりの生き方に対する感想である。

  • この本は是非いろんな方に手にとってほしい。そう感じました。

    私は自閉症について何の知識もないまま今まで生活してきましたが、よく電車などで、そうだと思われる行動をしている方を見かけることがありました。
    ある日、電車内でその方は同じ言葉を繰り返したり、動き回っていました。その時はその言動が、たまたま目の前にいた男性の癪にさわったのでしょうか、男性はいらいらして怒り、一方的に言葉で責め立てた後に、「謝れ!」とののしり、その方を手で(突き放すような感じで)押したりしていました。
    周りの乗客の視線もあったので何十分かの闘いの末に、その男性は下車していきました。

    私は発達障害の存在は知っていましたが、それがどのような症状、感覚なのかが分かってはいませんでした。この本は、実際にその障害と闘ってきた著者の生の声が綴られています。
    全ての人が無理に優しく接する必要はないと思いますが、日々闘い続けている方々に対する配慮が自然とできる社会になっていけば良いのかな、と思いました。

  • 【資料ID: 1117022006】 289.3-W 74-1
    http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA47212855

  • 「大人の発達障害」より、発達障害の人の気持ちが分かるようになるかも知れない本。
    読了。理解されない苦しみのようなものは分かるんだけども、どういうものの見方をしているかは、書いてはあるもののなかなか理解することは難しい。相手を受け入れる気持ちが大事なのかなと思った。

  • 著者のドナ・ウィリアムズが自身の幼い頃からの記憶をまとめた本。
    彼女は26歳になるまで自分が自閉症だということがわからず、家族や周囲の人たちからずっときちがい、異常、ばかなどと呼ばれてきた。母親に虐待され、兄からもいじめられ、学校でも馴染むことができずに苦しんできた。
    彼女の中には明るく社交的な“キャロル”と合理的で努力家な“ウィリー”という2つの人格が存在していて、本当の自分である“ドナ”を世の中の様々な恐怖から守ってきた。キャロルというのはドナが小さい頃に公園で出会った社交的な女の子で、「彼女のように笑えば周りの人も笑ってくれる」という思いから、ドナは“キャロル”になった。読んでいると、ドナが寝ているときに見た夢の話やそれぞれの人格の感情の移り変わりなど共感しづらい場面も多々あり、彼女の世界を理解するのが難しく感じられた。だが、ドナがキャロルの真似をするという行為は、他の多くの人も、人格を生み出すほどではないけれど、やっていることのように思う。自分が素敵だなと思った人を見習って行動したり、同じようになりたいと努力したりすることに似ているのと感じた。
    ドナの壁にぶつかっても立ち向かっていく力は心からすごいと思った。自分の恐怖心から逃げずに客観的に自身や周囲の人間と向き合うことはなかなかできないと思う。
    ドナは自閉症の人たちには自閉症の人たちの言葉があると書いている。普通の人たちの言葉や行動を押し付けるのではなく、彼らの言葉を理解しようと耳を傾けることが大切。

  • 最近はマンガでこの手の本もあるが、自閉系の当事者本の走り。

  • 途中まで読んだ。どうも自閉症当事者が書いているにしては文章がしっかりしているし、長すぎると感じる。
    訳者あとがきを読んだら、原文をかなり意訳しているようだ。そんなことしないほうが面白いと思うのだけど…

  • 私は自閉症ではないけど、読んでいて共感できる部分がたくさんあって、心が揺さぶられた。感性の豊かさと、知性に驚かされる。多重人格的な現象は、ここまではっきりと現れなくてももしかすると人間にとってさほど珍しくないものなのかもしれないと思った。適応するために。でもこれほど客観的に自己を観察し、それを表現豊かに表せる才能がすごいと思う。筆者は幼少時に虐待を受けていたけれど、その暴力そのものは自分を脅かすものではなかったと書いている。ここに書かれているのは、社会や周りの人と戦う姿というより、そこに溶け込むために、自分自身と戦う姿。印象的だったのは、ここから出たい、という表現。自由になりたい、ということが何度も書かれている。

  • 物語としておもしろい。教育的視点から勉強になる。芸術的視点から感性の豊かさに驚かされる。

  • 自閉症の人が書いた本ということで、「私」がドナだったり内なる人格のキャロルであったり、ウィリーであったりと多少バラバラな印象で読みにくい。
    だが、そのバラバラさも含め、彼女のこだわりやその他の特異な性質を折り合いをつけていく姿は引き込まれる。

  • 自閉症ということがなかなかわからずに、変な子として家族からも周りからも扱われてきた女性の手記。詳細なので、彼女の目からみた世界や、感じ方の違いがとても良くわかって興味深い。違うことを怖がったり排除したりしなくてもいいと分かるだけでも読んでよかったと思える本。

  • 川上弘美だったり村上春樹だったり最近は津村記久子だったり、いろいろな自己の在り方を描いた作品、すなわち私語りの作品を読んできたけど、これもそういった揺れる自己像を描いた優れた小説であると思った。自閉症の理解のために読み始めたのだけど、物語として共感し、読めてしまう。
    いかん、いかん、と思ってドナのおかれてきた状況に視点を当てるとそれはもう凄まじい…。よくこんなところで生きて来れたな、という感じ。

    自分の思いを表現したい、認められたい、という思いは、誰にでもあるということ。

    そして、生きるって、すごい。

    2013/08/16読了。

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著者プロフィール

1963年、オーストラリア生まれ。幼い頃からの記憶を綴った『Nobody Nowhere』(邦題『自閉症だったわたしへ』新潮文庫)を1992年に発表。世界で初めて自閉症者の精神世界を内側から描いた同書は十数カ国語に翻訳されて世界的ベストセラーとなった。94年には続編の『Somebody Somewhere』(邦題『自閉症だったわたしへⅡ』新潮文庫)を、96年には続々編の『Like Colour To The Blind』(邦題『自閉症だったわたしへⅢ』新潮文庫)を発表。自閉症の分析や対応策について書いた『ドナ・ウィリアムズの自閉症の豊かな世界』(明石書店)、『自閉症という体験』(誠信書房)などの著作もある。そのほか作曲、絵画、彫刻に取り組むかたわら、世界各地の自閉症関係の講演やワークショップでも活躍中。現在は夫と共にオーストラリアに在住。

「2015年 『毎日が天国 自閉症だったわたしへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ドナ・ウィリアムズの作品

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