思い出のマーニー (新潮文庫)

  • 新潮社
3.90
  • (84)
  • (126)
  • (81)
  • (12)
  • (3)
本棚登録 : 1328
感想 : 131
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102185513

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 孤児として育ったためか誰も信用できず、生きることに不器用なアンナを中心に物語は進みます。
    ロンドンからノーフォークへ、アンナは療養も兼ねて預けられることになりました。
    さて、そこでの暮らしに関わる人々とは何かが違う、マーニーという少女に出会います。
    マーニーとは不思議と馬が合い、アンナは幸せを感じますが…。
    人の優しさが溢れ、心が満たされる素晴らしい小説です。

  • 岩波少年文庫ではなく、新潮社文庫から別訳が出ていましたので読んでみました。

    入江に建つ古い屋敷を通じて、マーニーとアンナだけに交錯する過去と今の時間。心を閉ざしたアンナがマーニーと過ごす間に、自分と同じ孤立した存在を鏡のように映し出す。

    そしてマーニーと分かれた後、その記憶が薄らいでいくと共にアンナの心が周囲との関わりを保てるようになっていく。

    ”自分の物語が描けるようになる”これは、心理療法家、河合先生の言う統合と安定の過程。岩波の特装版には河合先生の書評も付いているようで、これも是非読んでみたい。

  • 気になるなぁ、面白そうだなぁ、と10代の頃から読みたいと思い続けていたこの作品。躊躇していたのは、岩波少年文庫版が上下巻だったこと。それだけで尻込みしちゃって、読破できるか何だか自信がなかったのだ。
    ようやく読んでみようと思い至ったのは、今回新訳が発刊されたこと(1冊にまとまったことでお財布的に嬉しい)、そのあとがきで、大好きなタイムファンタジーの金字塔、「トムは真夜中の庭で」と比較されていたこと。大人向けの新訳にも興味が湧き、手に取ってみた。
    家族を亡くし、養父母と暮らすアンナは、ひと夏を自然豊かなノーフォークで過ごすこととなる。孤独な心を抱えるアンナは滞在先の近所の子供ともぎくしゃくし、ますます心を閉ざすのだが、そんな矢先、マーニーという不思議な少女と出会う。
    マーニーと出会うきっかけとなる「湿地の館」周辺の描写にはそそられる。謎に包まれているけど、風格のある佇まい。潮の満ち引きで、周辺を水で満たされる館は独特の存在感だ。ボートの漕ぎ方を教わったり、あるときは館のパーティーに物乞いの少女として参入したり…マーニーとの交流により、頑なだったアンナの心は少しずつほぐれていく。
    だけどやっぱり、マーニーって何者?という疑問は膨らんでいく。お金持ちの娘っぽいことは確かだが、二人の会話や感覚の微妙なずれから、どうやら時間軸もずれてはいないか?と、タイムファンタジー好きの読者なら気付くだろう。
    とある事件を境に、マーニーと会えなくなるアンナ。心にぽっかり穴を抱えた彼女にまた新たな出会いがあるのだが、まさかその出会いがマーニーの謎を解き明かすきっかけとなるとは…。
    全てが明らかとなるハイライトは圧巻。まさかまさかの連続である。全体的に見れば、冗長な部分もあり、登場人物の心情の変化の描写がもう少し欲しい部分もありだけど、そういったところを差し引いても十分読み応えのある作品に仕上がっている。神秘的かつ幻想的な「湿地の館」がイギリス児童文学っぽいなと。後半でアンナと出会う5人きょうだいは、ロビンソンの絵本作品を彷彿とさせました。末っ子のロリーポーリーがとてもかわいい!
    そして訳者あとがきも興味深く読んだ。「トムは真夜中の庭で」に設定が若干似てるなと感じたのだが、「ロビンソンは古き皮袋に新しき酒を盛ることで、イギリス児童文学の伝統にまた一つかぐわしい花を添えた」には納得。似てはいても物語の方向性とかキャラクターの性格等は異なっており、その違いによるそれぞれの作品の個性も素晴らしく、勿論どちらもとても好きな作品であることは間違いない。
    元祖である岩波少年文庫版、後発の新訳角川文庫版(こちらは表紙が素敵)と、本屋の店頭でちょこちょこ比べてみました。(表現の微妙な違いを見つけるのが楽しい。)そうなると、原書も気になるというもの。読破する気力も英語力もないので、チラ見するだけでも、原文の雰囲気を味わってみたい。
    ひと夏の少女の心の成長物語としても秀逸なこの作品、何となく生きにくさを感じる少年少女は勿論、大人たちの心にも響くこと間違いなし。自分の存在を肯定することの大切さを、本書は教えてくれる。

  • 映画を見てから読んだので、映画版と原作の違いがくっきり浮かび上がってきた。
    もちろん、どちらも、思春期の入り口にいる女の子の繊細な感情を見事に描いているのだが、原作はイギリスの女の子、映画は日本の女の子、ということで、そのメンタリティの違いがとても興味深かった。
    映画の杏奈は、「自分は普通じゃない」というヒリヒリした気持ちにとらわれていて、だから誰からも好かれていないのだと思っている。それは傍から見ると被害妄想のようにも見えるし、なぜそこまで頑なになってしまうんだろうと、痛々しく感じられるのだが、原作のアンナはもう少し積極的な感じがした。自分の方から他人を拒否しているのだ、という強い気持ちがあるようなのだ。だから、「あえて」一人でいる。
    物語のクライマックスとも言える「マーニーがアンナ(杏奈)を置き去りにした(ように見える)事件」での、杏奈(アンナ)の反応は、似ているようで、でも少し違う。原作のアンナは「私を置き去りにした、という裏切りが許せない」と怒るのだが、映画の杏奈は「ひどいよ」と嘆くのだ。
    後半のプリシラとの出会い編は、いかにも外国の児童文学という感じで、遊び方や付き合い方が、「赤毛のアン」を思い出させる。日本の子はあんなふうな付き合い方はまずしないだろうなあ。
    小説は、幻想的で、かつ微笑ましい少女の成長物語である。先に読んでいたら、映画の印象もまた変わったかもしれないが、舞台を日本に移したことで、とても良く似ているんだけど、微妙に違う「日本の少女」の物語になっていて、ヒリヒリ感は映画の方が強かった。
    いちばん大きな謎も、小説の方だとわりとあっさり扱われているし。映画ではとても重大なこととして描かれていたので、そういうイメージで読んでいたら肩透かしだった。
    ああ、でも、これは、12才くらいのときに読みたかったなと思う。リアルタイムで疎外感を味わっている時に読んだら、どんなふうに感じただろう。

  • 主人公アンナの揺れ動く心情が繊細に描かれていて、しっとりと読めた本でした。
    静かな風景にひっそりとした洋館のある風景が素敵でした。
    アンナの、思春期に誰しもが抱える疎外感の描写にはとても共感。
    マーニーの無邪気で掴み所のない、魅力的な振る舞いが脳裏に焼き付いて、印象的な本でした。
    また読み返したい一冊です。

  • 世界には円の内側と外側に分かれている。主人公のアンナは外側でうまく周りの愛情に反応できずにいた。そんな彼女を自分の親戚であるペグ夫婦のもとへ夏休みを前倒しして向かわせることにした夫人と、列車の扉の前で分かれるところから物語は始まる。心配性の夫人に素直に別れを惜しめなかったことにどこか罪悪感を抱きながら遠くの海辺の町への旅を“つまらなそうな顔”を浮かべコミックを読み耽り揺られて進む。
    アンナはこの夏休みに一人の不思議な少女マーニーと出会い、心を開いていく。夜の海で浮かべたボート、早朝のキノコ狩り、パーティーでの花売りの一幕、浜辺での二人の想像の家造り、そして風車小屋での嵐と、その時のマーニーの裏切りとそれでも消えなかった彼女との友情。別れ。
    彼女を失って知っていくマーニーの秘密、孤独、そして伝えられる唯一の愛情の繋がりと、そこから広がっていくアンナの人生の光。
    一人の少女の成長といつかの少女の救済の物語。

    映画を見てからすぐ読み出し、最初は海外もの、しかも少女小説なんて久しぶり過ぎて時間かかりそうだなと思っていたのが、読みだして、小学低学年の時に夢中になった赤毛のアンの読みやすさを思い出した。
    穏やかで瑞瑞しい文章と、少女たちの無理のない心の揺れ動き。読んでよかった。映画とはまた違うあたたかさ。

  • ジブリで映画化もされた「思い出のマーニー」の原作。
    主役の二人の少女アンナとマーニーの個性や心の動きが細かに描写されていた。前半の物語の謎を後半でスリリングな展開によってい明かされてゆく。ジャンルはイギリス児童文学であるが、大人も楽しめる一冊。

  • 映画から。
    時に、あの何もかも溶けだしてしまいそうなあの浄化の力をことばで味わいなおしてみたくなる。英語のまま、いつか感じてみたい。
    過去と現在が交錯し、何もかも捨てて過去に溺れてしまいたくなる。想い出はいつだって胸を刺すように傍にあって、呼び声を上げる。けれど、過去は過去だから、近づくこともできなければ、永遠に抱きしめることのできない、そんな時間。どんなに求めても辿りつけない永遠の彼岸。だからこそ、いつかはその海を渡って歩いていかなければならない。荒波にもまれようと、引き返すことはできない。きっとそうしたらまた溺れてしまうから。
    自分の過去を過去と知り、その何かをを置いていかないといけない、そんな場所は、海、水、そういう場所でないといけない気がする。ひとは、そんな海を渡ってどこまでも歩いてゆける。何も自分にはない、けれどそれは0であって、マイナスではない。その海を渡りきった時、過去に裏打ちされた現在が未来を照らしてくれる。
    この夜明け前の海のような、何とも言えない心細さとそこから生じる力強さは映画同様に、ことばにおいても感じられた。やはりそれこそが、この作品の持つ輝きだと思う。けれど、物語の種明かしを、アンナひとりではなく、老女ギリーにさせた点は、非常に大きな意味を持つ。
    ギリーに語らせるということは、時間の隔たりや別の語り手の証言としてマーニーの存在をより深みのあるものへとさせる。確認のプロセスを通して、アンナの体験をより強固なものにする力がある。けれど、ギリーが語らなくても、アンナはその存在の意味をおそらくひとりで感じられている。ギリーに種明かしをさせ、それをアンナと確認していく過程は、まるでアンナがマーニーのことを十分に理解できていない、そういう幼い印象を与える。だが、彼女が海を渡ると決め、戻ってきたその時からすでに、彼女はもう大きく時間を飛び越えて成長しているのだ。だからこそ、彼女の未来を信じることができるのだ。彼女の知った真実を余計に語らせすぎた感じは否めない。その点で、映画の方は、映像の力を持ってアンナの表情で語らせる、そういうことが可能な点で、原作とは異なるアンナの成長を描き出している。

  • 子供の時に読んでいたらどう感じたのか、もう知り得ないけれど、大人になった今、感じることが沢山ある作品でした。翻訳の方の言葉の選び方も素敵ですね。
    私はとても好きです。
    切なく悲しいこともありながらも、これは幸せな物語。素晴らしい作品だと思います。女の子の子供ができたら子供のうちに、読ませてあげたいです。

  • 映画に感動して、すぐ原作を読み比べてみた。
    時空を超えてマーニーと出会い、友情をこえた愛情を確かめながら成長していくアンナ。マーニーは、空想の人物なのか、それとも実在する人物なのか?いったい何者なんだろう、という謎が、物語の後半で、しだいに明らかになっていく。すべての謎が、アンナの出生の秘密とともに解けたとき、安堵感とともに不思議な感動を覚えた。映画とセットで読むと二度感動できて、おすすめ。

ジョーン・G.ロビンソンの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ミヒャエル・エン...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×