レインツリーの国

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103018711

感想・レビュー・書評

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  • 昔読んだのだが全く思い出せずに読み直し。

    有川浩らしい(?)物語だなと思った。2人の生い立ちや性格が分かると物語冒頭のそれぞれの感想文が本人たちらしいなぁとなった。

  • 難聴の障害を持つちょっとめんどくさい性格の20代の女の子が自分の障害を隠して感性を自由にしなやかにさらけ出して大好きな本の感想を書いたブログを、同じ本の結末に心に棘が刺さったままだった青年がみつけたことから始まる恋。障害を持つことで頑なさの殻からなかなか抜け出せない彼女の気持ちが、ネット上の匿名だからこそ青臭い感情をぶつけ合うという繋がりの中ですこーしずっと解けていく、その過程のやりとりが人間らしくていい。読みやすい。
    図書館内覧で登場した難聴の女の子が好きな人から勧められて読んだ本のタイトルが『レインツリーの国』だった。そうか、あの時彼女は、この物語を読んで、難聴の自分にも恋ができるんだと信じたんだった、という繋がりになるスピンオフ恋愛小説です。

  • 図書館戦争シリーズを読んだ時に出てきた本。いつか読んでみたいと思っていてようやく読めました。聴覚障害者とのやりとりがリアルに表現されていてとても感心させられた。とても読みやすく一気読みでした。

  • “見る”と”観る”、”読む”と”詠む”、そして”笑う”と”嗤う”、同じ読みでも意味合いが異なる動詞というものはどうしてこんなにたくさんあるのでしょうか?

    私たちは会話の中で、同じ読みでも意味合いが異なるそんな動詞たちを、目にしているイメージの中に自然と使い分けています。そして、文字として書き起こした時に改めてその字の違いから意味の違いを意識することになります。上記で挙げた三つの例など、同じ読みにも関わらず、その意味するところの違い、用いる場面の違いを思うと日本語のある意味での難しさを感じるところです。

    では、そんな同じ読みの動詞の中で”聞く”と”聴く”という二つの動詞の違いを上手く説明することができるでしょうか?前者は一般的に”聞く”行為を意味し、後者は音楽を”聴く”、そんな違い程度かな?、どうでしょう、それが一般的な感覚ではないでしょうか?もしかすると、上記で挙げた三つの例ほどには、この両者に違いはなく、似たようなもの、と考えてもいいようにも思います。

    しかし、『聴く』ことはできても『聞く』ことはできない、そんな風に自分のことを説明する女性がここにいます。『聞く』という行為は『耳から入ってきた音や言葉を漫然と聞いている状態』にあるのに対して、『聴く』とは『全身全霊傾けて、しっかりと相手の話を聴く』ことである。自分には後者の『聴く』しかできない、とその女性は語ります。この作品はそんな女性がヒロインとなって、『「聞こえる」側』にいる主人公と関係を深めていく物語、時には激しくぶつかり合いながらも次第にお互いを信頼し合いその関係を深めていく、そんな二人の恋の物語です。

    『一体何の拍子でそんなことを調べてみようと思ったのかは自分でも分からない』と『中学のころに読んだライトノベルのシリーズ』について、そのタイトルをパソコンで検索するのは主人公の向坂伸行(さきさか のぶゆき)。『大学を卒業し、関西から上京して入社三年目』という伸行は、かつてそのライトノベルの『結末を呆然と受け止め』たことを思い出します。『俺以外の奴は、あのラストをどう受け止めてたんだろ?』と今更ながらにそのタイトルを検索していた時『…私にとっては忘れられない本です』という感想を見つけます。『滑り出しはハチャメチャなSFアクション、しかも主人公たちは当時高校生の私と同じ高校生』と続くその感想は『最後の最後で打ちのめされるとは思ってもみませんでした』とその結末に触れた後、『私は十年目にして初めて、あの物語のラストはあれしかなかった、と思ったのです』と大人になった今の視点での想いが綴られています。『もしかすると、あの辛いラストは作者からの宿題だったんじゃないかと思います』、『私は、十年目でやっと宿題を終わりました』というその感想は『こんな十年も前の個人的な思い出をクドクド語っても誰も面白くありませんよね。失礼しました』と締め括られていました。それを読んで『いや、俺は面白かったよ』と、心の中でそう返事をする伸行。『十年目の宿題』、『俺もちょっと宿題を考えてみようか』と思う伸行は『この人とこの話をしてみたいかも』と思い立ちます。『ブログのタイトルは「レインツリーの国」』、そして『プロフィールの名前は「ひとみ」で、公開してあるプロフィールは「都内在住、2X歳、女性」だけ』というそのサイト。そんなサイトの下部にメールアドレスを見つけた伸行は、『取り敢えず、書いてみるだけ』と、メールを打ち始めます。『はじめまして。昔好きだった「フェアリーゲーム」の感想を探していて、「レインツリーの国」にたどり着きました』から始めたそのメール。『ひとみさんの感想は、僕にはすごく面白かったです…一方的に話してしまったけど、ありがとうございました』とまとめた後、『本名から一字取って「伸」』と署名に書き入れたそのメール。『そこから何かが続く』とは思わずに、伸行は送信ボタンを押しました。そして翌日、メールチェックをしていた伸行は『ひとみ』という差出人からのメールを見つけます。『メールありがとうございました。「レインツリーの国」管理人のひとみです』から始まるそのメールを見て『すごい、来た、マジで』と思い『あのラストについて誰とも語り合えなかったもどかしさが今更埋められるなんて』とワクワクした気持ちが抑えられなくなります。『まだ話したい』、『もともと返事など期待していなかったのだからどこで切れても駄目元だという開き直り』でそのメールに返信を打ち始めた伸行。『こんばんは、お返事ありがとうございました…でもめっちゃ嬉しいわ、まだ話せるんやって思った』と素直な気持ちをそのままに打ち込む伸行。そして、このメールのやり取りがきっかけとなり、『お互い顔も知らないことが却って短期間で深く知り合わせた』と関係を深めていく二人。そんな中『一体どんな顔をしている?どんな背格好で、どんな仕草をする?スカート派かパンツ派か、髪はショートかロングか』と『飢えのような欲求』に苛まれる伸行。そして二ヶ月後、『なあ、一回勝負してみんか?』から始まるメールを書く伸行。『会って話してみん?顔合わせて、いつもどおり恥ずかしい会話を平常心で出来たほうが勝ち。面白そうやない?』というそのメール。『「ひとみ」はなかなか会うことには応じてくれ』ず、幾度かのやりとりの先にようやく直接会う機会が訪れた二人。そんな出会いを経て繋がっていく二人の恋の物語が描かれていきます。

    『小牧の勧めで毬江がそのとき読んでいた本が「レインツリーの国」だ。新人作家の恋愛小説で、ヒロインが難聴者という設定だった -有川浩さん「図書館内乱〈二、恋の障害〉」より抜粋-』。

    有川さんの「図書館戦争シリーズ」の第二巻「図書館内乱」に、小説内小説として上記の通り登場するこの作品。「図書館内乱」の表紙にもこの作品の表紙が描かれるなど両作は絶妙にコラボした作品となっています。そんな「図書館内乱」では、聴覚障害を持つ中澤毬江に、小牧幹久がこの「レインツリーの国」を読むよう勧める場面が描かれ、そのことを起点に物語が展開します。『障害を持っていたら物語の中でヒロインになる権利もないんですか?私みたいな女の子が恋愛小説の主役になってたらおかしいんですか?』という毬江の台詞が印象的にシーンを形作っていく「図書館内乱」。しかし、あくまで小説内小説として朧げにその内容が示唆されるだけであり、その詳細が明かされることはありません。小説の中には、「図書館内乱」のように小説内小説として、他の小説のことが語られる作品が多々あります。大半はその作品の中の小道具の一つとして登場するのみで、その作品が現実世界に刊行されることは稀だと思います。私が今までに読んだ作品の中では辻村深月さん「スロウハイツの神様」に登場した「V.T.R.」という作品が思い浮かぶ程度です。そして、この「レインツリーの国」はそんな私にとって小説内小説が現実世界に現れた二冊目の作品になりました。期待度MAXな中に読むことになったその作品。「図書館内乱」において、健聴者である小牧と聴覚障害のある毬江という二人の関係とあたかも重ねるかのように描かれるのは、同じく健聴者である伸行と聴覚障害のある『ひとみ』の二人の姿でした。

    そんなこの作品は、巻末の〈参考文献〉に複数の聴覚障害に関する本の記述が並ぶ通り、聴覚障害に真正面から向き合っていきます。伸行がメールを出したことをきっかけに知り合った二人。しかし『メールも楽しいしもちろん続けたいけど、直に話してみたいんや。君の言葉を君の声で聞きたい』と思いを募らせていく伸行。その一方で『すごく正直な気持ちを言うと、私も伸さんと会ってみたいです。でも、それと同じくらい、会うのが恐い気持ちも強いです』とその心情を吐露する『ひとみ』は、『会ってがっかりされるのが恐いのです。それならこのまま、メールで何でも話せる親しい人のままでいたいなって』と聴覚に障害があることには触れずにその気持ちを綴っていきます。結局、直接会うことになった二人ですが、ここから二人にとっての試練が始まることになろうとは、少なくとも伸行にとっては思ってもみなかったことでした。『少なくとも今日のひとみは伸に障害のことを気づかれたくなかったのだ』と二人の時間を振り返る伸行は『世の中、無意味なもんなんかないねんなぁ』と『文字放送なんて自分には縁のないものだと思っていた』という今までの人生の中で、見えていても見えていなかったものの存在を意識するようになります。お互いがお互いのことをそれぞれに想い合う中で、今まで知らなかったことを自ら学び、今まで意識しなかったことを意識するようになる、人と人との出会いの中には、その境遇に違いがあればあるほどに、その出会いによって見えてくる世界の幅が広がっていくものです。そんな中でお互いの気持ちを確かめ合っていく、そして関係が深まっていく、この作品ではその過程がとても丁寧に描かれていると思いました。

    この作品では、聴覚障害と一言で言ってもその内容は幅広く、同じ聴覚障害のある人の中にも対立が生まれるなど、その厳しい現実が、とてもわかりやすい言葉で綴られていきます。決して知識の押し売りなどではなく、伸行の気づきの中で自然と説明されていくその内容は「明日の子供たち」で児童養護施設を扱われた有川さんの姿勢を思い起こさせます。しかし、この作品について有川さんはこんなことをおっしゃいます。『私が書きたかったのは「障害者の話」ではなく、「恋の話」です。ただヒロインが聴覚のハンデを持っているだけ』というその姿勢。『聴覚障害は本書の恋人たちにとって歩み寄るべき意識の違いの一つであって、それ以上でも以下でもない。ヒロインは等身大の女の子であってほしい』と有川さんがおっしゃる通り、主人公の二人は『ひとみ』の聴覚障害の現実に向き合いながらも関係を深めていく、恋を成就しようとする姿が描かれていきます。障害に向き合うということは、決して生優しいことではありません。綺麗事だけではやがて綻びも生じるでしょう。しかし、現実社会の恋人たちの間にも、その成就への過程の中で、例え二人に障害がなくても、別の様々な試練が待ち受けていることに違いはありません。そんな試練と二人で一つひとつ向き合い、二人で意識を共有し、昨日より前へ、昨日より深く関係を進め、深めていく。これが恋愛であり、それを描くのが恋愛物語の王道です。そんな恋愛物語に定評のある有川さんだからこその物語は、『聴覚障害の女性が健聴男性と結婚するのは難しい、という残酷なデータもある』という、厳しい現実を背景にした二人の恋愛を描いた物語として、二人の心の機微を絶妙に描いたとても読み応えのある作品だと思いました。

    世の中において障害のことを話す時、その場の空気感が変わるようなところがあるように思います。障害というものを真剣に捉えなければいけない、という思いが、人々に緊張を強い、そこから笑顔を失わせるその瞬間。それは、自分が他人からどう見られているか、それを意識しすぎる自然な感情の現れなのかもしれません。しかし、そんな気持ちの行き着く先は、障害について語ることを面倒に感じさせ、障害を語ることを遠ざけてしまう、そんな感情を生み出しかねません。あくまで『恋の話』の中に、聴覚障害に向き合う人たちの姿を自然に描き出したこの作品。それは『どうしてひとみの言葉がこれほど好きなのか分かった』と伸行が気づくその先に、『あの人が私を幸せにしてくれたように私もあの人を幸せにできますように』と願う『ひとみ』の想いの先へと続いていくものでした。

    「図書館内乱」を読み終えた時からとても気になっていたこの作品。「図書館内乱」同様、聴覚に障害を持つ女性の心の機微を丁寧に描き出したこの作品を読んで、両作品を通じて有川さんが描こうとしたこと、語ろうとしたこと、そして伝えようとしたことが二人の繋がりの向こうにふっと浮かび上がったように感じた、そんな作品でした。

    • さてさてさん
      魔法の小瓶さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      この作品は有川さんの数多ある作品の中でも名作の誉高いものであることは知っていま...
      魔法の小瓶さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      この作品は有川さんの数多ある作品の中でも名作の誉高いものであることは知っていましたので緊張感の読書でした。結局、レビュー前提の読書なのでどうしてもそうなってしまいます。よくないのでしょうけど。
      ただ魔法の小瓶さんにそう言っていただけて嬉しいです。時々書いたレビューの視点に自信がなくなる時がありますが、”たしかに、私も”と書いていただけてホッとしています。ありがとうございます。魔法の小瓶さんがレビューで書かれている通り、「直接会って話す」ということの意味をとても感じた作品だと思いました。
      こちらこそ、引き続きましてよろしくお願いします!
      2021/07/29
  • 4.7星5に近すぎる4

  • 久々に恋愛小説を読みました。
    みっちみちの、青春菌(本書より)満載の、ある小説か縁で繋がった二人の物語。
    どちらにも、人には理解してもらうのが難しい苦悩があり、それをどう受け止め、向き合い、自分のものにしていくのか、人への共感と諦観につなげていくのか、読みながら考えさせられました。
    途中で泣くのを堪えているときの、喉がちょっと痛くなった台詞に遭遇。
    「それでもやっぱりわたしは、恥じなくていいはずの障害で恥ずかしい思いや嫌な思いをいっぱいしたし、私は伸さんの悪意を疑ってるんじゃなくて、世の中を信じることが恐いんです。」p93
    私自身も、似た経験があり、自分の中に消化しきれず残っているんだなと。
    恥じなくていいはずのことを恥じるのは、辛い。
    希望を持って、悲観と楽観をどちらも抱きつつ歩もうとする二人に、勇気をもらえました。

  • 聞くと聴くの違い。

    先読みとか推測も駆使して、多分こう言ってるんだろうな、ってのが限界。

    これ言ったら怒られた。
    アホがいた。

    想像力が権力を奪う。

  • きっかけは「忘れられない本」そこから始まったメールの交換。
    あなたを想う。
    心が揺れる。
    でも、会うことはできません。
    ごめんなさい。
    かたくなに会うのを拒む彼女には、ある理由があった―。
    (アマゾンより引用)

    この女の子、好きじゃないです

  • 聞いたことのあるタイトルだと思って手に取ったら、図書館内乱に出てきた本でした。

    学生時代に他人とすり合わせていくず、他の人の感想をネット上で探す。
    これが主人公と彼女との出会い。
    その後、メールのやりとりだけでなく、実際に会うことで、彼女が聴覚障害者であることを知る。

    単純に「健常者と聴覚障害者の恋愛」ということでなく、誰しもがもつ自分の過去、コンプレックスを他人とすり合わせていく、自分の中で咀嚼していく過程が描かれるため、登場人物の感情が動いていく様が面白い。

    メールの文面がやや長い感じが、私にとって残念なため、☆4つ。
    行動の描写や、それぞれが思い悩む描写などがもっと欲しかった。

  • 久しぶりで読む。こういうのをかけるのがこの人の強みだなあ。

著者プロフィール

高知県生まれ。2004年『塩の街』で「電撃小説大賞」大賞を受賞し、デビュー。同作と『空の中』『海の底』の「自衛隊』3部作、その他、「図書館戦争」シリーズをはじめ、『阪急電車』『旅猫リポート』『明日の子供たち』『アンマーとぼくら』等がある。

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