「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち

著者 :
  • 新潮社
4.00
  • (53)
  • (94)
  • (36)
  • (7)
  • (1)
本棚登録 : 664
感想 : 83
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103054566

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 情報は一過性だ。騒いでおしまい。そして繰り返される。
    表題「『鬼畜』の家 我が子を殺す親たち」に怖気づくが手に取る。

    事件の背景にあったものの本質を筆者である石井さんは丹念な取材や関係者へのインタビューにより、明らかにする。
    以下の2014年前後に起こった事件に関するルポルタージュである。

    ・厚木市幼児餓死白骨化事件
    ・下田市嬰児連続殺害事件
    ・足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件

    その後も松戸市や目黒区でも胸が塞ぐ虐待死事件が立て続けに起こっていることが記憶に新しい。

    ワイドショーやニュースショー化したメディアはこれらはすべて「鬼畜のような」親のなせる悪行と眉間にしわを寄せ、最大級の慈悲を示し、世間の同調を煽る。

    しかし、取材した石井さんの感覚としては、どの親たちも一様に「子どもを愛していた」と明言する。
    本文より引用:

    しかし、直に加害者である親に話を聞くと、彼らはそろって子どもへのゆるぎない愛情を口にする。子供は自分にとって宝だ、親心を持って手塩にかけて育ててきた、家族はみんな幸せだった、というのだ。

    中略)
    彼らの中にも子どもを思う気持ちはあったのだ。

    ーーー愛していたけど、殺してしまいました。
    ただし、「愛していた」には、もう一言つけ加えられる。「私なりに」---。(P.4)

    以上、抜粋。

    子どもを産んでも、生殖ができても、それは子どもを養育できる「親」と同義ではない。
    問題事項としては
    ・想像力や共感性の欠如
    ・強い衝動性と、将来への計画性の欠如
    ・理性や知性の欠落
    ・社会的資源の不足
    (困ったときに助けてくれる人や組織へのパイプ)

    精神疾患、発達やパーソナリティの障害により、目にはわかりにくいがこうした問題が浮き彫りとなる。

    愛し方がわからない。
    生活の仕方がわからない。
    助けが必要だと自分で気づけない。
    助けの求め方がわからない。
    お金の使い方がわからない。

    こうした基本的な困難は「悩み事」と一括せずに、細分化して誰にでもありうることという共有が社会で必要なのではないか。
    「困っている本人」は意外にも自分が「何にどう困っているか」混乱して言語化できないものだ。

    そろそろ「母性神話」に頼らずに、一定数の人間が子供の養育には相応しくないということを受け容れ、できるだけ早期に社会で子どもたちを育むことに舵を切っていかなければならないと痛切に感じる。

    虐待やネグレクトは決して「鬼畜のなせる業」ではなく、
    子ども自身ではどうにも解決のしようのない成育環境等から子どもを守るそんな社会に少しずつでも変わるために重要な1冊だと感じた。
    でもどうするかは単純にはいかないのだよなあ。

  • 結局、自身が生まれた育った環境が全てだと思う。本書に出てくる親たち自身、いずれも虐待や正常な育児をされずに育っていた。家族を作る前に”正常な”家族のカタチを知らなかった。
    家族のあり方や子育ては、自身が受けたこと以上の施しを子どもに与えることは難しいのではないか。彼や彼女らは自分たちの行いが異常なことと認識していない。”自分たちはしっかり育児をしていた”と正当化している。これ以上、本書で取り上げられているような悲惨な虐待を発生させないためには、”今”虐待や育児放棄を行なっている家庭を一つでも減らし、負の連鎖を断ち切る必要があると感じた。

  • 重い重いノンフィクションだった。
    いつもながら、著者の取材力に感心する。
    テレビ、新聞などで事件を知る時、信じられない親だな、鬼畜だなと思う。しかし、深く考えることなく過ごしていると、また同じような事件が起こる。
    「鬼畜」であることは確かにしても、その親たちの生育環境はひどすぎる。6人の父母たちすべてが想像を絶する育ち方をしている。罪は罪だが、これを読んで、誰がまともに彼らを責めることができるか。

    このような事件をなくすためには、その人たちを罰すると言うより、この世に生まれて来た子供すべてが、親か親の代わりの誰かに愛を注がれ、手間をかけられ育てるような社会にするしかない。

    やりきれない、暗い気持ちで読み終えるのかと思っていたら、最後に、事情がある女性の出産を助け、養子に出すNPO法人のことが紹介されていた。
    このような活動をする方がいてくれるというのは希望だ。しかし、誰でもができるわけではなく、では自分に何ができるかと考えてみる。

  • 想像もつかないような環境で育つ人っているんだね…そんな人が人として未熟なまま親になる、親になっちゃいけない人が親になる。そんな状況で周りに助けを求めることができないと悲劇が起きてしまうんでしょうか。
    読み進むにつれて、ものすごくやるせない感じになりましたが、最後のエピローグで少し救われました。

  • ネットのおすすめ記事で上がって来たので、真相を知りたくて手に取った。

    厚木市幼児餓死白骨化事件
    出て行った妻の支払いに首が回らず、それに対する処理能力がなかった。
    仕事優先で、子どもは押し入れに。

    下田市嬰児連続殺害事件
    両親や親戚は金をむしり取る。
    その末の嬰児連続殺害

    足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件
    障害のある子ども
    窒息死

    報道されている表面だけを見れば、なんて親なんだという感じである。
    しかし、中を読んでいけは一人の責任か?という疑問が残る。

    厚木市幼児餓死白骨化事件では、出て行った妻の支払いをし続けていた。
    それでお金がない。
    働くしかない。
    子どもを保育園に預けるのは、仕事の都合上無理である。
    よって、押し入れへの監禁。末に死亡。

    この父親は自分もご飯はあまり食べないし、汚れた服を着ていても平気、お風呂も入らない。だから、子どもにもたまにご飯を与え、汚れが”ひどく”なったら着替える。お風呂は入らずタオルで拭いてあげる。
    それがこの父親の中の”子育て”。
    間違った子育てをしている認識は全くなかった。
    教えてくれる人もいない。
    仕事は真面目で、家庭の事情を職場に持ち込む人間ではなかった。
    だから妻が出て行ったことを会社に知らせ、仕事量を減らしてくれるように頼むこともない。
    そもそも、子どもを理由に減らしてくれということが正当な理由とさえ思っていなかったかもしれない。
    周りに子どもを育てていて、早く帰る人が近くにいればまた違ったと思う。
    (出て行った妻の支払いに首が回っていないからそうしなかったかも知れないが)

    友人が10年前に県営住宅に住んでいたとき、給湯器がなく、お湯はやかんで沸かしてから入るのが当たり前だと聞いたときは衝撃を受けた。
    しかし、この友人はそれが当たり前なので、なんの疑問も抱かない。
    そんな感覚なのかもしれない。

    下田市嬰児連続殺害事件は、母親の親や親戚が金をむしり取った結果ではないかと思うところがある。
    働けども働けども親や親戚からお金を取られる。
    自分や子どもに使うお金はない。
    心のよりどころもない。
    そこで男へ走る。
    普通の家庭で育ったのであれば理解できないことだけれども、追い詰められた先に他人を頼るのはごく普通のこと。それがこの母親は男へ走ることだった。
    世間でも、ホストに走る女性がいる。そんな感覚じゃないだろうか。
    元夫2人もDVであれば、頼れる、信頼できる大人などこの母親にはなく、現実逃避しかできない。
    いくらなんでも嬰児を殺さない方法もあったのではなかと思うが、それも知識と教養があったらの話。
    前述したように、働いたお金をむしり取る親や親戚がいる家庭で育ったこの母親が、外部に助けを求めてどうにかできるだけの知識や教養があっただろうか。
    なかったとして、それを知り得られるだけの何かがあっただろうか。

    足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件
    これは事件とは話がずれてしまうが、障害のある子どもを育てるという点において、かなり軽い話で終わっている。
    焦点が虐待であるから仕方ないのはわかるが。
    ゲージに入れられている次男を目にした母親の妹。
    普通であればそこで異常さに気づいて何か行動を起こすことができたかもしれない。
    しかしながら、私にも姉がいるが、姉が姉の息子に対して怒鳴っているとき、私は黙って聞いていただけのことがあるので、あまり母親の妹に対して糾弾はできない。
    私もまた「よそはよそ。うちはうち」の感覚がその当時はあったし、この母親同様「言っても無駄」という人間だった。
    普段どういう生活を送っているのかわからない以上、生活の一部を切り取ったこの場面だけ見ても、他人は糾弾するのは難しい。
    妹が一時期次男を預かっていたという内容があったが、その時妹は「ほかの子より手はかかるが、たいしたことではない」と話していた。
    それもまた、四六時中一緒にいるわけでなく、一時的に預かった人間の発言である。
    私自身、障害のある息子を育てている。
    私は働いていたので1歳半で子どもを保育園に預けた。
    そこで保育士から「自分でご飯を食べようとしない」「ほかのこと遊ぼうとしない」と指摘を受けて、支援センターに通うようになった。
    ただ、障害のことを簡単に受け入れられるはずはない。
    完全に受け入れられたのは子どもが3歳8か月の時だった。
    障害のある子どもを持つ親として、相談相手がいなかったことは大きな問題だったと思う。
    この母親には妹のように、子どものペースに合わせる心の余裕を持ち合わせていなかった。
    父親も母親もいい環境で育っていなかった。
    養育がわかっていなかった。
    長男長女はどのような子だったかは語られていないが、少なくとも手はかからなかったのだろう。
    普通の子を育てている人のことはわからないが、障害のある子どもを育てている人間からして、この母親の劣等感というのはわかる。
    虐待しても仕方ないということとは別であるが。
    保育園にさえ通っていれば。と思うところがある。

    どの事件に対しても言えることだが、虐待は連鎖される。
    そして知識や教養の乏しさも連鎖される。

    同級生にも満足にご飯が食べれず、高校でお弁当だったので、家からこっそり持ってきたフレークを食べている子がいた。
    家でその話をすると父は「お前がおにぎりでも持って行ったらいい」と言った。
    私は親に対して糾弾しない父親に疑問を抱いたけれど、今思えば父親の助言は正しかった。
    そこ子は保育士になると言って偏差値底辺の高校からお嬢様学校の4年生大学へ進学した。
    卒業したか否か定かではないが、私が知る限り、保育士にはなっていない。
    夜の仕事をして遊び倒し、派手な化粧と服装で県外を飛び回っている。
    例え高校卒業し、お嬢様学校へ進学できても虐待を受けて来た過去は消えず、バイトで得たお金で何かしらの自信がついたか定かではないが、張り詰めた意図が切れたのだろうと思う。
    この子が死ぬことはないが、この子に子どもができた時、私は不安で仕方がない。

    虐待ニュースの記事のコメントでよく見るのが「こんなのが親になる資格はない」「虐待するのになぜ産むのか」という、深層を知れば的外れなコメントが並ぶ。
    考えてみてほしい。
    自分が果たして絶対に虐待しないと言えるだろうか
    どんな状況に置かれたとしても、子供に対して虐待しないと言えるだろうか
    上記のような辛辣なコメントをする人は、おそらく周りの手があるのだろう
    周りの手のない人にとって、それが虐待であるかどうかを知るのは難しいことであるし、自分が親になっても良いのだろうかと自問自答にすら至らない


    働いていようが働いていまいが、子どもが1歳になったら無条件で保育園に預けられるシステムになれば、虐待死もある程度は防げるのではなかと思う。
    ただ、保育士も減っているために難しい課題だろう。

    正直、私は仕事があったから四六時中障害のある子どもと一緒に居なかった。
    ずーっと子どものことを考えている状態ではなかった。
    だから救われたと言っても過言ではない。

  • どれもニュースで見た事件です。特に一番覚えているは3番目のウサギのケージに閉じ込めていた事件です。当時も衝撃的な事件で親に対して殺意を憶えました。世の中の人もそう感じた人多かったはずです。
    壮絶な虐待や、死体遺棄、出産自体の隠蔽など見るに堪えない事件を、名手石井光太が書くのだからそれはそれは重厚な本になる事間違いなし。そして読んだ感想もその予想通り素晴らしい本でした。事件を起こした親たちの生い立ちを掘り起こすことによって、負の連鎖によって子供たちが虐待され殺されていくのがまざまざと見えました。
    実際にその犯人たちが罰せられるのも当然。出来れば重い罰を与えて欲しい。しかし、そこで止まるのではなくて、セフティーネットの拡充が何よりも大事だと痛感しました。今まさに虐待による事件が世間を騒がせ、親子関係に行政が介入する事の難しさに毎回毎回歯噛みする思いです。
    石井氏が冒頭で「彼らなりに子供愛していたのだろう」と言っていますが、読みはじめは何言ってやがると思いましたが、読み終わると彼らなりの歪で狂った理屈が有り、そこに全く子供への感情(愛情とは言いたくない)が無いとは言えなくなりました。
    生育環境で「他の人への接し方」、「基本的な生活の方法」を教わらない子供が大人になった時、またこういった悲劇が繰り返されるのでしょう。
    色々な人に広く読んで頂きたい本です。

  • 遺伝性の疾患だとしたら治療法がいつか出るのだろうか。

  • この手の事件は毎日のように報道されるので
    あまり興味がわかなかったが
    読んでみたら、興味深かった

    各家庭には各家庭の価値観があり
    各家庭では一般的なものとはズレが生じていても
    確かな愛情がある
    親側も子に子側も親に愛情がある
    子供は被害者というよりは
    ふたつのケースは事故死のような括りでいい気がした

    また、加害者の親が毒親である
    貧困が何やかんやと言われるが
    親の子供への愛情の掛け方の方が大きく影響するように思う
    全部がこのケースに当てはまる訳ではないが
    石井氏のように綿密な調査だと面白い
    もし、裁判のときに、こういう部分も弁護士側が調べてきていたら
    調べてきてたのかもしれないが
    もう少しドラマチックな感じで伝えていたら刑期も短くなったのでは?

  • 「厚木幼児餓死白骨化事件」
    「下田市嬰児連続殺害事件」
    「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」
    といった、3件の幼児虐待事件を扱ったノンフィクション本。

    読む前に、この本がどういうものか大体タイトルで想像がつくし、確実に子供を虐待死させた親たちへの憤りが募るだろうと思ったらそうはならなかった。
    もちろん、読んでいて腹は立つ。
    だけど、彼らには彼らなりの事情があったという事は理解できた、という内容の本になっている。
    もちろん、大前提として、彼らのした事を絶対に肯定する事ないし、許しがたい悪い事をしてるという認識の上で。

    3件の幼児虐待事件を見ていると、彼らにいくつかの共通点があるのが見えてくる。
    まず、その3件の両親共に信じられない程、まだ子供であるという事。
    そして、3件の両親共に、その両親が異常な性格で彼らと異様な関係性であったという事。
    まず、最初に取り上げられている「厚木市幼児餓死白骨化事件」は、父親の母親は統合神経失調症で近所でも奇行が有名だったし、下田市の事件の母親の母親、足立区の事件の母親の母親はこの本の作者がインタビューの際、記者が引くような言動をとっている。
    まともじゃない親に育てられ、まともな常識をわきまえるという事を教わってない。
    特に、2件目の下田市の母親は子供が家の中で出産、中絶を繰り返しても全く気付かず、子供から金を搾取する事にばかりに関心がいっている。
    しかも、搾取した金で自分は贅沢放題。
    そんな母親を子供たちの母親は嫌うどころか慕っている。

    この本は子供たちがどのように虐待され、死に至ったかというよりは、子供たちの親の生い立ち、そしてその親がどういう人間だったのか、という事を書いている。
    これを読むと、何となく虐待した親に同情的で、その親の方がむしろ悪者とはなっているけど、多分、その悪者の親たちにもそれなりの親がいたんだろうと思う。
    どの親も自分たちが生きていくのに精いっぱいで、子育てする精神的、経済的余裕がなく、それが負の連鎖を生んでいる。
    これを読んでいて、私もこんな親にこんな環境で育てられたら同じようになっていただろうと思った。

    それと、最初の話、子供を遺棄して白骨化させた親の話は読んでいて、最近読んだ小説を思いだした。
    あの小説はこの事件をもとに書かれている。
    それは虐待死した子供のある行動ではっきりした。

    読む前に覚悟していたほど、読み終わってぐったりとつらくなるという本ではなかったけど、もちろん、実際にあった事を書いてあるので、文章の訴えかける力が強いし、読んでいてやるせなくなったり、しんどくなるには違いない。
    だけど、そういうものこそ、目をそらさずに時には見る事も必要なんだと思う。
    子供を虐待した親たちを擁護する気なんて一切ないけど、一応、彼らには彼らなりの事情があったし、この本を読まないと、ただ憎しみや蔑みの対象だった、という彼らがただそれだけの存在ではないというのが見えてきた。

  • ふと、こういう本が読みたくなる。
    あの事件、どうなったんだっけ?と。
    うさぎゲージに3歳の男の子を監禁し死なせてしまった夫婦。育児放棄の果てに死なせてしまったこどもを7年もの間放置していたのにそれでも自分はこどもをきちんと育てていたという父親…。
    どの事件も、心がこどものまま育たなかった大人が、何も考えず犬猫のように身体を繋げた結果産まれてしまったこどもを、産まれてしまったならしかたがないと、こどもの遊びの延長のように親子ごっこはじめてしまったが故の悲劇としか思えない、こどもだけが可哀想な事件。
    どんな親でもこどもに愛情はあるとか、どんな親のこどもも親が大好きだとか、寝言言ってるんじゃないよと。
    こどもを虐待する親の過去を辿るとその親も虐待されていたから…って、それが自分のこどもに虐待していい言い訳にはならない。何より大事なのはこどもの安全と健やかな成長であって、親への同情ではない。こどもを愛してるというなら大事に育てられないこどもを手離すことも愛だろう。それをできない親ならば、周りの気づいた大人達が、それをしてやるべきなのに、見ていても知っていても手を差し伸べない、差し伸べられる世の中じゃないことも問題。
    こどもを産み育てることに未熟な人間が何人も何人もこどもを産んで雑に育ててるかと思えば、こどもがほしくてほしくてしかたない人がこどもに恵まれない身体だったりするの、本当にやるせない。

著者プロフィール

1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。

「2022年 『ルポ 自助2020-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

石井光太の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三浦 しをん
トーン・テレヘン
エラ・フランシス...
スティーヴン・ガ...
柚木 麻子
辻村 深月
平野 啓一郎
森 絵都
角田光代
劉 慈欣
辻村 深月
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×