「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103054566

感想・レビュー・書評

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  • 実際に起きた事件シリーズ。
    題名も怖いけど、中身も信じられないようなことが書いてあって驚く。自分の子供なのに?何で?何で??とびっくりの連続である。

    世の中、ホント色んな人が居るのよねぇ。。

  •  虐待死を行う親に対して、「鬼」だと世間は石を投げるが、はたして親は鬼なのかというルポルタージュ。ただ、親にも事情があり、彼や彼女らが育った環境にそもそも愛がなかった、と簡単に結論づけてしまっていいのだろうか。
     「物乞う仏陀」を読んだときに感じた違和感が継続している。
     本作は、客観的に見えるルポルタージュだ。しかしながら、私は、書き手が知った情報を整理して表現することにより、書き手の意図が反映されてしまうと思っている。
     あまりにも客観的に整えられていること、その構成、掘り下げが表面的であると感じるし、「最後にあれを持ってきた」ことに、意図を感じないのだけれども、では、なぜ、その心の動きを記さないのだろうか。
     ノンフィクションじゃないからしょうがないのだろうか。
     ルポルタージュとはなんなのだろうか。
     客観的に見せかけているけれども、明らかに主観を感じる箇所もあり、個人的にが逆に怖いなぁとおもう書き方だ。信用性がありそうに見える事への不安を感じる。

     3つの事件に平等にページを割くのではなく、1つの事件を深く掘り下げること。たとえば親の親、さらにその親へと遡る、不幸の連鎖のもとは何処なのかというところまで考えさせるところまで提示してこそのルポルタージュではなかろうか。

     私はこの本から「親になるべき人と、親にならない方がいい人が居る。そういう人は、子供を育てない方がいい」というメッセージを感じた。もちろん、子供は大事だし、愛される場所で育ってほしいと思う。しかし、鬼畜な親はそのまま生きていかざるを得ないのだろうか。「親になるべき人」を誰が決めるのだろうか。「親になるべき人」が定義されれば、それ以外は駄目なんだろうか。そうやって何らかの規範や正しさがあるように示されることは、それ以外を切り捨てることになりはしないだろうか。この本が主観的に書かれていたら「書き手個人の意見」だと思うのだけれども、客観的に書かれていると、そちらが常識で当たり前のことに読めてしまう。それが、とても恐ろしい。考えすぎなのかもしれない。けれど、基本的に世の中に流れる二次情報は何らかのコントロールされた情報でもある。

     彼や彼女らに救いは無いのだろうか。
     そもそも、いまの時代の「愛情のある家庭」で育った子供の親の親のそのまた親の……と考えると、愛情ってなんだろうとも思う。当たり前と思われる子供に対する愛情っていうのもごく最近に生まれたんじゃ無かろうか。愛を与えられず育ち、愛を与えられるようになった親はどうして生まれたんだろうか。

     なんかこう、無駄に危機感を煽る感じの本という印象だった。私が過剰反応な気もするが、むしろそうであってほしい。

著者プロフィール

1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。

「2022年 『ルポ 自助2020-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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