ポエムに万歳!

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103349518

作品紹介・あらすじ

自分自分自分……自分語り大好き! 日本は〝鳥肌もの〞ポエムであふれてる。北朝鮮ばりのニュース朗読に説教くさ~い五輪招致コピー、野放図な自分語りはもはや私生活ストリップ……現実を直視したくない人たちの間で、意味より雰囲気重視で成り立つポエム・ワールド。個性って素敵だよね。でも演出過剰、感情過多は、邪魔くさいよね。名物コラムニストが斬る、社会の隙間の埋め草、ポエムとは?

感想・レビュー・書評

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  • ポエムってコピーも含まれてるのか?
    ヴィトンの偽物は作れてもトヨタカローラの偽物は無理に納得。

  • マンションや車の広告、J-POPの歌詞などで、いま「ポエム」と呼ばれるものが増殖している。
    小田嶋流に定義づけるならば、それは「書き手が、詩であれ、散文であれ、日記であれ、手紙であれ、とにかく何かを書こうとして、その『何か』になりきれなかったところのもの」となる。
    「人は、『言葉』だけを受け止めているのではない。その言葉を発している人間の境涯や、歌っている歌手の全人格を含み置いた上で言葉を聞いている」……確かにその通りである。

    それにしても、いま言われているポエムの原点が、中田英寿氏の引退メッセージであったとは。検索してあらためて読んでみて、「ああ……」と苦笑してしまった。もちろん当時、あれを読んで感じ入っていた自分に対しても、である。

  • 小田嶋さん。
    最近ヤキがまわったと思う。

    最も好きな物書きだったのだが。ヤキがまわった。

    この本は過去に発表した文章をまとめたものだが、初期のものは、古館氏のしゃべりや中田氏の引退時のポエムへの違和感を切り取っていて痛快ではあった。

    しかし。
    段々「昔はよかった」的な言説が増えてきており、また、それに自分も気づき、「年を取ったせいか」などと言い訳までしてみせている。

    最近の小田嶋さんのTwitterもそうだが、現体制に対する批判のような、「左派」のやる十八番芸の片棒を担いでいる姿には無残なものしか感じられない。

    ま、この感想からして「昔はよかった」というのがさえないところだけど。

    復活を心より願う。

  • ポエムがテーマとなっているが、内容はいつもの小田嶋氏の切れ味鋭いコラムとなっている。氏は東京の五輪招致は反対だったようだ。最後に対談が収録されているが、あまり面白くなかった。話すよりも文章のほうが断然面白い。

  • ポエムが気持ち悪いってことを明言したのが偉い

  • ことば
    社会

  •  第1章の前半と巻末対談で、いわゆる「『ポエム化』する日本」について論じている。そこからこの書名になったのだろうが、全体としては多彩なコラムを集めたものだ。

     そんなことは買う前に目次を見れば、あるいはネット書店の紹介文を読めばわかりそうなものなのに、アマゾンのカスタマーレビューを見たら「詩論の本だと思って買ったのに、そうではなかった。だいたい、この著者は詩というものを馬鹿にしすぎていてケシカラン!」と大マジメに怒っている人がいた。困ったものである。

     小田嶋隆を「現代日本を代表する批評的知性」と評したのは内田樹だが、私も、時評コラムを書かせたら日本でオダジマの右に出る者はいないと思う。
     彼のうまさが抜きん出ていることは、自分で同じような文章を書いてみればいちばんよくわかる。ためしに、「ア・ピース・オブ警句」の任意の一編を選んで、同じテーマの時評コラムを書いてみるとよい。「自分にはとてもオダジマのようには書けない」ことが身にしみてわかるはずだ。

     本書も、安心のハイクオリティ。「うまいこと言うもんだなあ」と感嘆する必殺のフレーズがちりばめられている。たとえば――。

    《人が集まっているということは、それだけで人を集める理由になる。
     行列のできるラーメン屋の一番の売りが行列であるのと同様な理路において、デモは、「人数」という万能の通貨を、順次権力に両替しながら、次の段階をうかがうことになる。》

    《男は時に愚かになることで自分を保っている。》

    《20歳を過ぎた女性が、森ガールをやっているというのは、これは、一種の適応障害に近い。おっさんの半ズボンよりもまだタチが悪いと思う。
     なので、森ガールの皆さんは、ぜひ20歳で卒業するように。》

    《おそらく、本当のクールジャパンは、経済産業省の管轄下にではなく、非経済的かつ非産業的な、われらが才能の無駄遣いの周辺に漂っている。》

     まあ、デビュー作『我が心はICにあらず』以来四半世紀以上のファンとしては、最近の鋭い時評家としてのオダジマもよいが、言葉遊びに満ちたナンセンスな(よい意味で)お笑いコラムを書きまくっていた初期のオダジマが、時々懐かしくもなるのだが……。

  • わかったようなわからないような、フワッとモヤッとした「ポエム」的な文章が社会に溢れているように感じ、手にとってみました。残念ながらポエムの話も出ては来るものの、大半は著者の社会に対する愚痴でした。

  • 途中でポエムの話じゃなくなって、個人的ないらつきがただ書かれている本だった。

  • 昔好きだったコラムニストなのでちょっと期待していたのですが、そういえば小田島、すっかりくだらない人に成り下がっていたのでした。
    ポエムの章は面白かったんですが他はクソみたいな文章の垂れ流しでしたね。

  • 興味があってとても読みたくて買ったのに、読んでみるとそんなにおもしろいと思えなかった

  • 現実を直視したくない人たち同士を埋める言葉というのは、ポエムしかないわけです。逆に、それは直視しないという約束で成り立つんです。ポエムにするときに、英語を使ったり、片仮名でまとめたりすると、許されるという傾向もあります。意味のわからなさがいいんでしょう。

    文章読本に、日本は新聞記事の見出しからして感傷が入っているとの指摘がありましたが、達人じゃない普通人が、それだけ多くの文章を公開できている、ある意味平和なのかもです。

  • 良くも悪くもコラムのまとめ。
    共感はできるんだけど理論立ってるかどうかというと…

    中田英寿、古舘伊知郎、あいだみつお、尾崎豊。キムタクとマッキー。古典教養の共有継承。ポエムマインドのコントロール。
    麻生哲朗との対談が良かった

  • SNSを眺めてて頻繁に目にするポエムとか、路上でポエム色紙を売ってるのとか、ズッ友文房具シリーズとかを、
    自分の周囲ではわりと批判する人がおらず、それどころかそういうのを大好きな人がいて、
    そういうポエムを好きな人の方が善良な市民に見えて、
    しかもウッカリすると自分もポエム的な言葉を放ちそうになったりして、モヤモヤすることがしばしばあった。

    そんなモヤモヤを的確な文章で憂慮していて、読んでスッキリした。

    表題のコラム以外にも、長野五輪閉会式の黒歴史とか、養殖されたニュースとか、「やっぱりこれってスルーすべきじゃないことだよね?批判して然るべきだよね!?」と納得することが多々あった。

    著者が自分より大分年上なのは意外。

  • ポエムと詩は違うのね。カタカナ使用の恥ずかしい散文はポエム。ニュースがポエム化と言うのは頷けた、

  • 世の中に溢れている言葉を、ポエムをキーワードに据え、クールなコラムニストの視点で分析。なるほどー、と考えさせられる一冊です。

  • ポエム、ポエマーで分類することでかなりすっきり。
    「“詩”などを書こうとしてそうならなかった何か」
    遊書に対する違和感とかがそれで説明できる。

    後半はそれ以外のエッセイで、それはそれなり。

  • 914.6

  • 「ポエム」が気になって手に取った一冊。普段から思っていたことを結構うまいこと言い当てていて、個人的には腑に落ちた。主観的にいろんなことを言い切ってる部分が多いが、エッセイだからいいのかな。

     一番気になったパンチラインは「何かを見て面白さを発見できない人間は、つまるところ、老人なのである」だったかなあ。

  • 日本にあふれるようになったポエムに関する視点には共感でき、興味深い点も多い。しかし、みつをや尾崎のポエムに対し、山頭火や芭蕉の句を同列に並べてしまうオダジマには、そもそも詩を語る資格はない。
    彼は身の回りのあらゆる事象に対して「箱に入」り、好き勝手に批判をして解決策を提示しない。時に、自分が間違ってるのはちゃんとわかってますよ、でも言いますよ、と開き直ったり、稚拙な言葉遊びを散りばめて誤魔化し? 照れ隠し? をしたり。
    名指しでいろいろ非難するのは痛快だろうが、関係もないのに非難される当事者はたまったもんじゃないな。
    全体としてはおっさんの愚痴に終始していて、オダジマのポエムワールド全開、だ。最後にオダジマよ、「ストップ‼︎ 自分モレ。」

  • 年をとったからと、そしてコラムの賞味期限の言い訳をしながらも、ポエム化する社会への気持ち悪さに毒を吐く本。
    作品である詩と、そうではないポエムの違い。テレビにポエムを持ち込んだのは古舘伊知郎がプロレスの技法をニュースに転用してからであろう、と。僕はテレビを見ないからそれほどポエムが周りにない、と言いたいところだけれど、チラシを見ればポエムだらけだし、政治家の言葉もポエムだし、フェイスブックなんかポエムの極地なので、近頃ちょっと疎遠になってる。
    心の危機に備えた「詩」の言葉の健全な供給ルートを回復させなければならない、と述べられている。多分それは、年寄りの小言と片付けられてしまいそうではあるけれど、まったく重要な事なのである。オリンピック招致の不気味なポエムと、その前後の気持ち悪さといったらない。まあ、僕も頼まれもしないのに本の感想をダラダラと書いていて、形式こそポエムではないが根っこは一緒のような気もする。嗚呼、幾重にも気持ち悪い。

  • 団塊の話、もっとも。

  • 私生活がダダ漏れたものを「ポエム」、それを作る人を「ポエマー」と定義してるのだが、最後の対談で、こう言ってるのが全てかと。

    小田嶋 "紀貫之が古今和歌集仮名序で「その心余りて言葉足らず」と指摘しています。気持ちが強過ぎで、言葉や表現が追い付いていかないという人。思いだけで、自分勝手に何か言ってる人たち。"

    とはいえ、全てに否定的というわけでもない。テクノロジーの発展する中でポエムが漏れやすくなってる状況もあり、素人のポエムに目くじらを立ててるわけでもなく、むしろ微笑ましく思ってるよう。

    詩という表現がどんどんマイナーな表現になる中で、それに変わる何かが必要だったんじゃないかと解説している。

    全体的にプロに対しては、かなり手厳しい感じで安易なポエムや、ポエム化はくそだ、逃げだとおっしゃっていて、面白かった。

  • 「日本は鳥肌ものポエムであふれてる」という帯に惹かれて読んでみた。コラム集。
    そうそう!って共感する部分あり(笑)。

  • 説明に困る、都合が悪いことを包み隠そうとするとき、文章がポエム化するとの指摘にぐっときました。気をつけよう。

  • 俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
    8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。
    ―中略―
    サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
    サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
    喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。
    ―後略―
    □□□
    突然ですが、本書で引用されている、中田英寿氏の引退メッセージです。
    懐かしいですが、確かにありましたね、こんなの。
    中田さんには本当に申し訳ないのですが、書き写していて思いました。
    「恥ずっ」
    って。
    小田嶋さんもこう書いています。
    「率直に申し上げて、私は気持ちが悪かった。鳥肌が立った。30歳間近の男が、ここまで臆面もなく自分語りをしてしまって、後の人生は大丈夫なのか、と、心配になった」
    納得。
    これが割と普通の感覚のような気がしますが、きょうび、このような「ポエム」が蔓延していると告発しているのが本書。
    ニュースも「ポエム」、五輪招致のコピーも「ポエム」。
    インターネットにいたっては、「ポエム」としか形容しようのない恥ずかしい自分語りで溢れかえっています。
    と書いて、自分もうっかり「ポエム」を書いていないかと振り返りましたが、まあ、恐らく書いている途中で気持ちが悪くなるので大丈夫。
    「ポエム」の神様は、やはり本書でも取り上げている相田みつを氏でしょう。
    私は生理的にごめんなさい、です。
    小田嶋さんも
    「相田みつをの詩は、そのあまりにも平易な言い回しと、どこまでも凡庸な観察で人の心を打つ」
    と痛烈に皮肉っています。
    でも、ここからが天才コラムニスト・小田嶋さんの真骨頂。
    相田みつをの詩は、日めくりカレンダー方式でトイレに吊るしてあるからこそ価値があるというのですね。
    蓋し慧眼です。
    以下、そのエピソード。
    「手ひどい酔っ払いだった30代の頃、私は行きつけの居酒屋のトイレに掲げてあった相田みつをの言葉を、頻繁に見上げる機会を持っていた。というのも、私は必ず吐くまで酒を飲む人間だったからで、ある時点から、トイレにこもることが多かったからだ。してみると、胃液まで吐いて涙ぐんだ目に飛び込んでくるみつをの言葉は、どうしたって心に染みるのである。

     つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの

    感動は、受け手の心が弱っている時に訪れることの多い体験だ」
    笑いました。
    癖になります、小田嶋隆。

  • 食品偽装を扱ったコラムの中にブランド批判の一節があって、「トヨタやベンツは真似しようがないが、ファッションブランドの偽物が溢れるのは簡単に真似ができるレベルだから」という趣旨が述べられていて、全くその通りと膝を打った。

  • 志半ばにして道を踏み外して脱線してしまった文章の断片が用紙の上に定着するとポエムになる。感情に流れて文体がブレたり語尾が舌っ足らずなったり、結論が前提と関係なく屹立したりする場合も文章は途端にポエムの色彩を帯びる。本当の気持ちを隠そうとまわりくどい書き方をするのもポエム。典型例が青年誌のグラビアページ。ポエムの黄金郷である。青年の劣情を詩的感興に着地させるため、ポエムという論理によらない欲望と感情のレトリックを弄するのであると著者は説く。世のポエム化を小田嶋流に一刀両断する。

  • ニュースのポエム化、ポエム歌詞の人気、デモについて、メールについて、サポーターの熱狂と団塊の世代の罪。
    絶叫委員会みたいな感じを想像してたからちょっと硬いなと感じた。

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著者プロフィール

1956年東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業。食品メーカー勤務などを経て、テクニカルライターの草分けとなる。国内では稀有となったコラムニストの一人。
著作は、『我が心はICにあらず』(BNN、1988年、のち光文社文庫)をはじめ、『パソコンゲーマーは眠らない』(朝日新聞社、1992年、のち文庫)、『地雷を踏む勇気』(技術評論社、2011年)、『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社、2012年)、『ポエムに万歳!』(新潮社、2014年)、『ア・ピース・オブ・警句』(日経BP社、2020年)、『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房、2020年)、『災間の唄』(サイゾー、2020年)、『小田嶋隆のコラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)など多数がある。
また共著に『人生2割がちょうどいい』(岡康道、講談社、2009年)などの他、『9条どうでしょう』(内田樹・平川克美・町山智浩共著、毎日新聞社、2006年)などがある。
2022年、はじめての小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス)を刊行、6月24日病気のため死去。

「2022年 『諦念後 男の老後の大問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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