ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534051

感想・レビュー・書評

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  • 淡々と読めるが、他作品と感じが同じ気がした。

  • 3巻ようやく読み終わってみて、結局理解できたのかどうか…
    でももう一度全部は読み返せないな。
    希望のありそうな結末でよかった。。。

  • 「僕」の頭のなかで笹原メイはこう言ってあきれている。
    「やれやれねじまき鳥さん、あなたはもう少しまともな人たちと関わることはできないの?」

    加納姉妹が現れなくなった代わりに登場したのは、赤坂ナツメグと息子の赤坂シナモン。
    ナツメグが行っていた不思議な施術の代役を「僕」が担い、その報酬として彼らは「僕」にあの井戸がある屋敷を使えるようにしてくれた。

    ナツメグが語る、彼女の父親の戦時中の大陸での記憶(彼女は不思議な能力でそれを知っている)や、間宮中尉が手紙で「僕」に伝えてくれた、炭鉱で捕虜として働かされていたときの出来事からすべての謎が繋がり始める。

    ナツメグの父親の顔にあったあざと「僕」の顔にできたあざ。
    終戦間近に逃げ出した中国人を殺した野球のバット。
    「僕」がギターケースの男から奪った野球のバット。
    別の世界で綿谷ノボルに重傷を負わせた野球のバット。
    すべては繋がり、そして輪のようになる。

    「僕」もナツメグも、自分の意志が及ばない謎の力に動かされているのかもしれない。でも「僕」はもう逃げない。井戸の底から別の世界へ向かう。クミコを助け出すために。


    壁の向こうの世界、208号室で「僕」はそれを倒した。
    別の世界で綿谷ノボルは誰かに襲われて、「僕」が元々いた世界で彼は脳溢血で意識を失っていた。

    すべては繋がっていた?
    笹原メイの手紙は一通も届かなかったけど、声は届いた。
    自分自身で決着をつけるため、クミコは綿谷ノボルの生命維持装置のプラグを抜いて彼を殺して拘置所に入った。


    いつの時代、どの世界にも不思議な力を持つひとたちがいる。
    未来が見えるひと(本田さん、加納姉妹)。
    世界を混乱させる力を持つひと(綿谷ノボル、皮剝ぎボリス)。
    相手の頭に触れるだけで何かを起こせるひと(赤坂ナツメグ、「僕」)。

    彼らの周りでねじまき鳥は啼く。世界のねじを巻くみたいに。
    「僕」やクミコも自分たちの世界を取り戻すために戦った。世界のねじを巻くみたいに。

    ---------------------------------------------

    すべてのもの(人間だけでなく、池ですべっているアヒルのヒトたちもみんな)に役割があるのかもしれない。
    戦争中に動物たちを殺した日本兵にも象以外の動物たちを殺す役割が、悪の権力を振りかざしたボリスにも悪事を働いて人々を苦しめるという役割があったように、「僕」にもねじを巻く役割があって、すべては最初から決まっていたのかもしれない。

    古くからそれは繰り返されていて、今回も同じように繰り返されただけなのかもしれない。
    いつの時代もそうやってねじまき鳥は啼き続けてきたわけだ。

    壮大な話だけど、結局のところ、「僕」は少しだけ新宿や赤坂に出かけただけで、ほとんどの時間を自宅と近所の空き家(の古井戸のなか)で時間を過ごしたことになる。

    こうやって振り返るとすごいな。自分の奥さんが家を出て行ってしまっても、自分の責任についてはぜんぜん考えずに確信を持って井戸にこもり続ける「僕」が一番すごい。

  • フィリップ・K・ディックの自己喪失ないし自己存在へのそもそもの疑念というテーマに近いかも。ツインピークス的構造も相まって、村上春樹はSF作家だとレッテルを張ったほうが親近感が増す。しかしてフロムやスピノザのような明確で本質的なな自由への希求が根底にあることで希望や救済が結果的にもたらされる。
     自分の中で最高作となった。

  • 一人の女性をここまで深く信じ、愛し、いつまでも待てるものなのだろうか。読んでいて息苦しくなるような緊張感と哀しみがあった。まだどのように言葉にしてよいか、よくわからない。もう一度読み直してみたい。

  • 再読。読みながらアレを書こうコレを書こうと考えていたのだけれど、いざ読み終わってみるとどっと疲れが出て輪郭がぼんやりとする。それは何も自分の知的体力の無さだけに原因があるんではない。読んだ方は分かると思うが、この作品の中では夢が現実であり、現実が夢であるというようなことがたびたび起こる。そしてその境目だけを取り出して見定めようとすると途端に境界線が滲んでぼんやりとする。結局のところこの小説で語られているのは、長い時間をかけて物語られることによってしか伝えられないものがあるってことなのかもしれない。「大事なのは結果じゃなくて過程だよ」と。そういう風に自分でまとめておきながらも、なんだかそんな考えに居心地の悪さを感じてもいるのだけれど。

  • エンディングがいまいちだったという気がする。ここまで読者の気を引かせておきながら、白黒のはっきりとした決着がつかない結末に少し残念な印象をもった。

  • ノルウェーの森、海辺のカフカ、1Q84、色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年、騎士団長殺しと村上作品を読んで発表された順番としてはねじまき鳥クロニクルはノルウェーの森の次ですが、何故か今読み終えたところです。村上作品の基礎がこの作品で構築され、その後発表された作品にずっと引き継がれているような気がしました。ミステリーに分類して良いのかわかりませんが、別な世界へ読者を導いてくれます。
    妻のクミコが失踪したところから物語は展開しますが、井戸やクミコの兄等理解不能な事が物語の中心になり進行します。クミコの事も良く分からないままに物語は終わってしまいました。

  • 停滞が終わり、猫が帰ってくる。
    ワタヤノボルからサワラへ。

  • 再読。

    最後こんなだったっけ。
    それにしても読み進めたいと思わされる吸引力がものすごい。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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