大統領の最後の恋 (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (636ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900557

感想・レビュー・書評

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  • 作者アンドレ・クレコフ(1961~ウクライナ)と言えば、ペンギン♪ ペタペタ、ペンギン♬ 憂鬱症のペンギンと暮らす売れない小説家の男の物語『ペンギンの憂鬱』。可愛くて笑ってしまったけれど、ひたひた広がる不穏な社会に……ああ、もうちょっとなんだけどな~とすこし物足りない私は、この作品に手をのばした。

    630頁ほどで読みごたえ満載、しかもこれがおもしろい。久しぶりに自分のなかでヒットしたようで、二度読みしてしまうほどのストーリーテラーぶり、ユーモアや笑いも満載――なんだか『ボスニア物語』『呪われた中庭』のイヴォ・アンドリッチのようで――決して飽きさせない展開と丁寧なディテールのすばらしさに浸った。軽やかな翻訳もいいな~。

    ***
    キエフ(キーウ)に暮らす青年セルゲイ・ブーニン。内気で優柔不断でちょっぴり破天荒な彼は、だれかの批評にもあったように、ストーリーテラーのポール・オースターや村上春樹の小説に出てきそうなキャラクターだ。そんな彼が紆余曲折をへてウクライナの大統領へ! そう、いま現実の世界では、隣国ロシアから言葉に絶する仕打ちをうけている国。そこにはかつてコメディ俳優だったゼレンスキー氏がいて、いまは大統領として仲間たちとウクライナの惨状を世界に発信している。この本を読んでいるうちに、主人公セルゲイにちょっぴり重なってしまった……。

    この作品の妙味は、なんといっても3つの時空の操縦、丁寧なリアリズム描写、そしてチャールズ・ディケンズばりの豊かなキャラクター構築だ。
    解説の時空の振り分けを参考に、主人公セルゲイの年齢とレビューをはめ込んでみたら、こんな感じになった(この程度のネタバレなら、びくともしない作品だと思う)。

    ①旧ソ連時代(1975~92年)――主人公セルゲイ14才~31才――どこかノスタルジックで、キエフ(キーウ)の街並みや風景が丁寧に描写されていて楽しい。能天気なセルゲイ少年とほのぼのした人々の様子、そして91年のソ連崩壊で激動の時代へ。
    ②ウクライナ独立後(2002~2005年)――セルゲイ41才~45才――大臣などの要職にいて順風満帆のようだが、愛する妻と子どもたち、親しい弟が……なんだか新生ウクライナという国の船出のように波乱万丈だな……。
    ③近未来(2011~2016年)――50才~55才――かなりスリリングな大統領の日常を滑稽なタッチで描いている。心臓まで文句を言いだす始末。しまいにはなんのために大統領をしているのか? 大統領のために大統領をしている!? 大統領の仮面をはずして舞台を降りることもできない男の悲哀と諦念。つかのま安らげるのは、大統領公邸の寒々しい風呂場だけ?

    ちなみに③で「近未来」と解説しているのは、この作品のオリジナルが出版されたのが2004~05年ころだからだろう。
    今ながめてみると、作品のあちらこちらにリアルな現実がひろがっていて不穏だ。しかも大統領や首相をとっかえひっかえしながら権力の座にしがみついているロシアのプーチン氏も登場する。

    ということで①②③をごく短く、いきつもどりつ……時空の旅を存分に味わえる仕上がりになっている。ここまで時空を飛び回るとなると、読者の集中力をキープするのは大変で、プロットや筋の回収も一筋縄ではいかないはず……でも最後はみごとに着陸するから、さすがだな♪ ちょこちょこ顔をだす大国ロシアの描写もシニカルで、やはりそこはポール・オースターや村上春樹とはちがう……中欧(東欧)作家の苦悩と悲哀がにじむ。

    「何しろ、ロマノフ王家はウクライナの民衆を迫害したのだ。当時はウクライナ語も禁じられた。だが、連中は帝国を建設しようとしていたのである。帝国は一民族だけで建設できるものではない。近隣の諸民族を征服しなくてはならないのだ。いや征服するのではなく、近隣の諸民族と領地を、自らの国家に統合する、と言ってもよい」

    いまここのようだ。占領済みのクリミア半島をテコに、ウクライナ全土を暴力的に破壊しながら侵略、あげく傀らい自治政府で自らの国家に組み入れていく……そんな現ロシアの姿と重なっていく。まるで野卑なローマ時代と見まがうばかりだが、これは国家権力の負の表徴で、歴史が繰り返してきた普遍的な真実でもあるとすれば、それはロシアにとどまらず、大国の中国やNATOという集団的軍事的組織を掌握しようとする米国にも言えることだろう。

    思えばよい小説や物語は、多様な人々の暮らしや文化、その時代の情勢や社会背景といったリアリズムを、つかず離れず、作中人物に体験させていく。読み手は彼とともに多様な人々の喜怒哀楽を共有しながら、歴史や文化を体験していく。まさに虚構だからこそ、深いレベルで真実を語っていることも多いものだ。この脳内旅行はたぶん死ぬまでやめられないな~♪

    ということで舞台にもどってみれば……氷の浮かんだバスタブには、ペンギンのような大統領セルゲイがコニャックのグラスを傾けている。つかの間でもいい、そのピエロの仮面をはずせる愛しい人がいればいいのに……孤独な彼に救いを!(2022.5.24)。

    ***
    余談ですが、新潮社さん、この本絶版ですか? ぜひ文庫化してくれないでしょうか。表紙も素敵だし、あ~読者の遠吠え……
    最新本?『灰色のミツバチ』もながめてみたい~。

    • アテナイエさん
      地球っこさん、こんにちは。

      コメントありがとうございます!

      >中欧、東欧作家の作品って、そのような作風なんですね。
       
      めち...
      地球っこさん、こんにちは。

      コメントありがとうございます!

      >中欧、東欧作家の作品って、そのような作風なんですね。
       
      めちゃくちゃ知ったかぶりで書いてしまったようで恥ずかしいのですが、じつは私もそんなにフォローできてないのです。中欧(東欧)作品でははずせないイディッシュ(ユダヤ)文学も含めると、作品は膨大にあって、とても一朝一夕では…でもだからこそ一生、脳内旅行が楽しめそうなのです。ただ作風としては、暗いといえば暗いかもしれませんね。

      言われるように、日本は翻訳大国だと思いますし、翻訳レベルも高いと何かの本に書いてましたね。いろいろな国の文学に触れるときの生命線となる大事な訳者さんたちがもっと活躍してくれる世の中になってほしい……というか、そういう本も手にしてくれる読者が増えなきゃなりませんね(汗)。

      >アレクシェービッチは『戦争は女の顔をしていない』の方ですね!

      そう、そうです! 『チェルノブイリの祈り』の他にも『ボタン穴から見た戦争』も有名です(不肖私もレビューあげてますので、お時間あるときにご笑覧ください)。

      中欧(東欧)作品では、『悪童日記』のアゴタ・クリストフあたりも有名です。あとイヴォ・アンドリッチ(★)、イスマイル・カダレ、イェジー・コジンスキー、アイザック・B・シンガー(★)、ダニロ・キシュ、ボフ三フ・フラバル、カレル・チャペック、ハシェク、カフカ、ヘルマン・ブロッホ、ミラン・クンデラ……書いていてキリがないかもしれません(★はノーベル文学賞者)。ちなみに『東欧の想像力』という本が、ガイダンス本としてよくまとまっています。

      でも不思議なことに、アンドレ・クルコフの『大統領の最後の恋』は、東欧作品というには暗すぎることなく、ユーモアといい、丁寧な描写といい、とても読みやすかったです。 

      2022/05/25
    • 地球っこさん
      アテナイエさん

      アテナイエさんのレビューはアップされる度に「いいね!」をさせていただいてましたが、『ボタン穴から見た戦争』やそれ以外の中欧...
      アテナイエさん

      アテナイエさんのレビューはアップされる度に「いいね!」をさせていただいてましたが、『ボタン穴から見た戦争』やそれ以外の中欧東欧作品も、これからもう一度じっくり読ませていただきます(*>∀<*)ノ

      『悪童日記』もタイトルは知ってました。そっかそちらの作品なのですね。
      たくさんの作家さんのお名前、すごく参考になります。
      読みたいメモにチェックします♪
      『東欧の想像力』は欲しいっ。東欧作品をじっくり読んでいきたいから、思いきって購入しちゃいます!
      2022/05/25
    • アテナイエさん
      地球っこさん、レスありがとうございます。
      韓国をはじめとする広くアジア文学にも詳しい地球っこさんですから、どうぞ寝不足にならないよう(笑)...
      地球っこさん、レスありがとうございます。
      韓国をはじめとする広くアジア文学にも詳しい地球っこさんですから、どうぞ寝不足にならないよう(笑)ゆるり楽しんでくださいね~。『東欧の想像力』は図書館でいちどながめてみるのもいいかもしれませんね。
      ではでは♬
      2022/05/26
  • 大作。3つの時代を主人公が躍動する。いずれの時代も、底辺に流れている精神は、東欧的メランコリーとでも言おうか。なんとなしに陰鬱でありながらも、生けていさえすれば何かに巡り合って人生は(良くも悪くも)変わるだろうという、割と消極的な姿勢。それでいて、その姿勢を肯定的に自分の中に位置づける。だから、自分の立場がゴロツキであろうと、国家元首に位置する大統領であろうと、主人公のメランコリーは消えない。
    けれども、なんとなく、人生って面白い。そんな予感を漂わせながら終わるラストシーンも良い。

  • かなりよい。

    現実をそのまま捉えるのが好きな人には、たまらない本。すごく面白いです。

    3つの異なる時間が共に流れて、ずっとその三重奏が続く。深くて、時にテンポよく、時にゆっくり進んでいく。後味実にさわやかです。

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