未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037054

感想・レビュー・書評

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  • 世界中の列強を巻き込んだ第一次世界大戦は、鉄や兵器などの「物量」だけがものを言う近代戦の幕開けであった。日露戦争の経験からそのことにいち早く気づいていた日本は、一次大戦はじめ青島の戦いにおいて銃火器を非常に効果的に用い、世界中に近代戦の手本を示すこととなる。

    それなのに。
    なぜ日本は、30年後の第二次世界大戦において、あれほどまでに無謀な戦いをアメリカに挑んでしまったのか。なぜあれほどまでに精神主義的、狂気的な戦争にのめり込んだのか。近代の戦争の総力戦としての本質にいち早く気づいていたはずの日本が、なぜ?


    この本は、日露戦争ごろから太平洋戦争にかけての日本軍の戦争観の変遷を、個々の軍人の主義主張を順序立てて紹介していくことできわめて論理的に説明していくという内容である。

    非常に読みやすく、わかりやすい。そしてなにより、事実の紹介に終始しているだけにも関わらずドラマチックである。
    資源も技術も何もなかった「持たざる国」日本が辿った一つの破滅を、ロジックとしての理解を伴ったかたちで追体験できる良書。

  • 第16回司馬遼太郎賞を受賞された片山杜秀さんの『未完のファシズム』
    大晦日に読了。

    2012年、百田尚樹さんの『永遠の0ゼロ』(講談社文庫)や
    内田樹さん等共著『この国はどこで間違えたのか』(徳間書店)を読んだり
    沖縄で戦争映画を見たり、渡嘉敷島の戦争跡地、モニュメント
    を訪れたりと、とにかく貪欲に戦争の真実を追い求めた年だったように思う。

    『未完のファシズム』は、どのようにして「持たざる国」日本が第二次世界大戦の敗戦を迎えたか、明治時代から昭和の戦争までを精神世界の観点からずっと辿っている、恐ろしい恐ろしい物語だった。
    自分も同じ時代に生きていたら、同じような精神の過ちを犯したかも知れない、、と決して過去の他人事とは思えなかった。

    内容は魂から恐ろしくなるような戦争の話なのだけれど、
    ところどころに片山さんのチャーミングな一面が見えて
    そこに救われるような、とっても親しみやすい本だった。

    片山さんの仰る「歴史の教訓」は

    「背伸びは慎重に。……背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだときの痛さや悲しさを想像しよう。……そんな当たり前のことも改めて噛み締めておこう。……」

    戦争は絶対に嫌だ。

  • 皇道派と統制派それぞれの行動原理を読み解くことができるようになっており、現代から見ると非合理的な行動でも当事者たちの目線に立つことにより理解しやすくなっている。

    読み終えた印象として、遠い将来に想定していたはずの対米戦について、互角に戦おうとあれこれ対策をすればするほどアメリカを刺激して開戦がどんどん近づいてしまったというところでしょうか。

    またそれまでの固定観念の大勢である「日露戦争に気を良くしてW.W.Ⅰの教訓を学ばなかった」という類の単純化された歴史観とは正反対に近い論証をされていて、大変面白く読むことができた。
    逆に総力戦を理解していたからこそ、国力豊富なアメリカを恐怖し、開戦に徹底的に備えたかったのだから。

  • 第一次世界大戦後、いわゆる現代の戦争の様相が明らかになった後の主として日本陸軍内部の軍事ドクトリンの変遷を研究した書物。目新しいのは顕教にあたる部分に対して密教に当たる部分を補足補完して記述してあるところ。これまで顕教に当たる部分はその非合理性、ファナティシズムも含めて批判の対象となっていたが、この書ではその基盤となる情勢判断、政治思想を補完することで非合理性をなるべく合理性の範疇に回収する試みがなされている。合理的とはいえ最終的にその思想が破綻したのはご存知の通りなわけで、「だから、どーしろと?」という問は何時まで経っても残るし、情勢こそ変われ未来永劫消えはしないのだ。

  • 回送先:府中市立紅葉丘図書館(SW03)

    新潮社担当の認識のずれが少しばかり痛々しいが(片山が重視しているのは第1次世界大戦で日本は何を見て取ったのかという問題であり、近代史を通じた答えではない)、とにもかくにも「大正」という時代を軽視したがる日本の歴史家にとっては文字通りの「背後からの一突き」になりうる一冊である。

    「日本陸軍はなぜかくも迷走したか」という命題は戦後多くの歴史家やジャーナリストが答えを出しては元の木阿弥に陥る一種の迷走状態になっているのだが、片山は明治憲法下における天皇を国家元首にするために書き込んだ「国内を一枚岩にしてはならない」という至上命題の前に挫折することを余儀なくされ、一方で「誰も責任を取ったつもりにしかなれない」中途半端さゆえに、精神主義と統制主義が振り子のようにゆれまくったと見なすことができるとしている。

    これはいうなれば、第一次大戦が生み出した「総力戦」という戦争のスタイルに、いまだに落とし前つけられないのと陸軍内部のジレンマが軌を一にすると指摘するに等しく、さらに評者が補足するならば、戦後なぜか一定の支持を集めている旧海軍の戦略はまともであるという議論もまた第一次大戦におけるタンネンベルグ会戦の偶像化(この偶像化こそが第二次大戦における玉砕思考の一因と片山は結論付けている)と似た議論になっているという思いを新たにする。

    もちろん昭和一ケタ時代の前後に流行を極めた「日本主義」と「アジア主義」という補助線をぼかさなくてもがいいのではないか(宮沢賢治に絶大な悪影響を及ぼした田中智学を挙げるならば、これを避けるわけにはいかないため)という思いもあるが、なぜだがいまだに影響の残滓が残る石原莞爾を徹底的にこき下ろすことが一般的ではない以上、やむをえない。

    全体を通して口語体なので、ある程度の教養があるならば十分に読むことは可能である。

  • みんなわかってなんだなあ。

  • ★4つ半だがおまけで。
    第一次世界大戦のくだりは非常に興味深かった。難点は第6章位までは素晴らしかった反面、それ以降はまだ思考が深められていないのか少々大雑把になるところか。
    しかしつくづく思うのは、今もそうだが、頭脳明晰な人は考え過ぎて最後には「明後日の方向」に行ってしまうものらしい。
    ところで帯の文言と本書の内容が微妙にズレている気がするのは気のせい?日本人全般の議論では必ずしもないように思った次第。

  • 最初の総力戦であった第一次世界大戦の衝撃から、持たざる国日本の戦略として手頃な国を相手に短期戦を挑み、国力の劣勢は精神力で補うという皇道派と国力が充実するまでは戦争をしないという統制派が生まれた。皇道派は、玉砕、神風を生んだ戦陣訓等の極端な精神主義を残し、統制派は、満州を日本の国力充実の基地とすべく満州事変を起こし、これが世界大戦の原因のひとつとなった。結局、皇道派、統制派と無関係で無思想な軍事官僚東條英機が太平洋戦争をはじめた。その東條も、権力の集中を避けた明治憲法体制下では、総力戦のために必要な権力の掌握が出来なかったこと(未完のファシズム)、皇道派、統制派それぞれのファナティックな主張の裏に冷静な計算が有ったこと等思いがけない指摘が多く、ひさびに充実した読書の時間を持てた。司馬史観による狂気の昭和の軍人というステレオタイプから離れ、その思想的内容を検討すると意外な風景が見えてくるの驚いた。

  • 日本陸軍がなぜ滅びたかということについては、戦後数多の著作によってその検証がなされてきたと思われるが、この著作はそんな検証にまた新たな視点を提供すると同時に、現今の政治のように「決定できない日本型組織」についての言及もあって、たいへんに興味深い論考が展開されている。
    文句なしの五つ星。

  • 所々引用があって面倒臭いんですが、第一次世界大戦以降の陸軍の思想的変遷が分かりやすく書かれています。個人的には、国柱会の田中智学の思想が勉強できたので良かったです。

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著者プロフィール

1963年生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(いずれもアルテスパブリッシング、吉田秀和賞およびサントリー学芸賞)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞)、『鬼子の歌』(講談社)、『尊皇攘夷』(新潮選書)ほかがある。

「2023年 『日本の作曲2010-2019』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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