未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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著者 : 片山杜秀
  • 新潮社 (2012年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037054

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)の感想・レビュー・書評

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  • 戦術思想史を日露戦争から第二次世界大戦に至るまでの変遷を概観した快著。
    ・青島の火力に頼む近代戦
    ・ドイツフランスに輸出された日露戦争の勇猛果敢な突撃戦術
    ・ネタがベタになった短期決戦・包囲殲滅ドクトリン

  • 第一次世界大戦に衝撃を受け、総力戦を徹底的に知り尽くした陸軍軍人たちが資源のない「持たざる国」=日本が「持てる国」と戦争するにはどうすればいいか。精神力で補うしかない。この認識から生まれた軍人たちの戦争哲学を解き明かした内容。




    第一次世界大戦で戦争の形態が変わった。
    戦場で兵士が闘うだけでは勝てない。経済・社会・政治を巻き込んだ総力戦というものでになった。総力戦ではなにより、物量が勝敗を決める。そこでは火力が重要であり、最新の武器が必要であり、物を補給する力が勝敗を決める。国家総力戦となった。そこでは資源を持つ「持てる国」が勝つ。

    皇道派である小畑敏三郎や荒木貞夫は、日露のような肉弾戦のような戦い方では、これから戦争には勝てない。日本は資源がない。持たざる国だ。この徹底した認識。第一次世界大戦を観察し、洞察し、知り尽くした軍人たちは、そう認識した。


    だから、「持たざる国」が「持てる国」と闘うにはどうすればいいか。
    そこで皇道派の小畑は考えた。戦争は短期で、包囲殲滅作戦で、さっさと終わらせること。武器・弾薬、など足らない物量や戦力は精神力で補うこと。短期決戦- 包囲殲滅-精神力。これでなんとか闘う。決して強い持てる国と闘ってはいけない。



    これを明記したのが「統帥綱領」であり、「戦闘綱領」だ。しかし2・26事件で小畑・荒木皇道派が粛清人事で軍から追放されると、統帥綱領に記された本当の意味を理解するものが軍からいなくなり、文字に記された精神性だけが一人歩きし、暴走し始める。



    一方の統制派も皇道派と同じ認識を共有していた。代表格の石原莞爾。彼はこう考えた。「持たざる国」が持てる国と戦争をするにはどうすればいいか。外に資源を求め日本を「持てる国」しよう。そう考えた彼が進めたのが満州事変。ここから満州国建国という歴史の流れが生まれる。



    最も戦慄するのが工兵の中柴末純。彼の神がかった玉粋思想。持たざる国が戦争するには、兵士が喜んで、死んでいくこと。これが作戦である。
    玉粋こそ作戦である。兵士が喜んで死んでいく。敵は気味が悪いと思う。相手を怖じ気づかせられれば勝ち目も出てくる。そのために、日本人がどんどん積極的に死んでみせればいい、と考えた。これで「持てる国」も怖じけづく。持たざる国・日本にも勝ち目が出る。狂人だったわけではない。彼は工兵だ。軍のなかでも合理的思考ができないと勤まらない。中柴は合理的に考えて、戦争思想を突き詰めていった。



    今までイマイチ分からなかったことが腹に落ちた。陸軍の皇道派を自分は勘違いしていたかもしれない。ただの精神主義に凝り固まった頭の悪い軍人だと。昭和の陸軍軍人がなぜタンネンベルクの戦いに魅了され、短期戦・殲滅作戦に固執したか。石原莞爾が満州にこだわった動機。
    第一次世界大戦という日本近代史の空白地帯から、陸軍軍人たちの戦争思想を解き明かす。その鮮やかな手腕と斬新な視点は見事でした。
    お薦め。

  • 先日、「米軍が恐れた「卑怯な日本軍」」という書籍を読んで、玉砕までをも含む旧日本軍の戦術と、それに対応した米軍の戦闘マニュアルについての感想をあげたところ、本書を薦めていただいたので、読ませていただきました。
    本書は、日本軍の戦術の規範が、なぜ極端な精神主義に偏り、玉砕に突き進むようになったかを、第一次世界大戦以降の日本、そして日本軍人の描写を通じて解説しています。
    日露戦争で、肉弾による突撃を主とする戦法は、既に機関銃、重砲を備えたロシア軍の前では、既に時代遅れのものであり、きわめて大きな犠牲を払うこととなった。
    日露戦争の犠牲を踏まえ、長期間にわたった第一次世界大戦の動向を学んだ日本軍は、すでに第一次世界大戦以後の戦いが、大量破壊兵器同士の戦いになり、そしてその戦いを勝ち抜くには、大量の物資を必要とする物量作戦であることを、十分認識していた。
    だからこそ、日本軍は青島の独逸軍と戦った際に、いたずらに突撃を繰り返すのではなく、十分な砲撃を踏まえた、一気の突撃により、驚くほど短時間でドイツ軍を撃破することができたのだった。
    その、物量作戦を指揮した軍人が書き起こした「統帥綱領」や「戦闘綱領」は、その物量作戦を知ったうえで、運用すべき戦場のルールであったのにもかかわらず、第二次世界大戦に突き進む我が国では、いつのまにかルールに書かれたこと至上主義となり、モノより精神、武器の足りないところは鍛錬で補い、良く敵を殲滅するという方針だけが形成されていく。
    玉砕戦術しか指揮できない参謀本部、旧陸軍の高級将校たちは、やはり無能ではなかった。しかし、当初、このルールを策定した実戦経験を踏まえた先輩軍人たちの知恵を活かすことができず、ただ、ルール至上主義で破滅に向かって進まざるを得ない状況になっていたのかもしれない。

    作者は、あとがきをこう締めくくる。「この国のいったんの滅亡がわれわれに与える歴史の教訓とはなんでしょうか。背伸びは慎重に。イチかバチかはもうたくさんだ。身の程をわきまえよう。背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだ時の痛さや悲しさを想像しよう。そしてそういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある。そんな当り前のこともことも改めて噛み締めておこう。そういうことかと思います。」

    ただ、根拠のない安全をよりどころに、人間が制御できていない原子力発電に手を出して、万一のことには思い至らず、無視し、一時の利益のみに群がり、しゃぶり尽くす。そんな現代の日本人は、多くの犠牲を払って日本人が獲得した知恵を活かしているとはいえないのではないだろうか。
    そして、ルールルールとそれだけを拠りどころにし、そして言葉巧みに利用して自らの正当性を主張する、どこかの政治家は、その法が作られた意図を理解しているのだろうか。
    なるほど、この書籍は現代日本に読み替えても、なかなか示唆に富んだものだといえるだろう。

  •  太平洋戦争における日本軍の「バンザイ突撃」や「玉砕」に見られる非合理的な精神論主義は一体どこから来たのか。

     それを知りたければ本書を読みなさいということであるが、レビューに当たりざっくりと、本当にざっくりと要約すれば以下の通りになる。

    ・戦争の本質をよくわからないまま日露戦争をがむしゃらに戦ったら運良く勝ってしまった。
    ・第一次世界大戦は直接の戦渦に巻き込まれることはなく、一部のエリート層が戦況を研究し、「近代戦は物量で決まる」ことを痛感した。
    ・しかし「物量で決まる」と仮定すると「持たざる国」である日本は「持てる国(ロシアやアメリカ)」には勝てないことになる。
    ・合理的に考えれば考えるほど大国には勝てないので、精神論で押し切るしかなくなった。

     「合理的に考えた末の精神論」という、一件矛盾した判断であるが、本書を読んでいくとなるほどそれも自然な成り行きなのかもしれないと思えてくる。
     戦争の勃発は世界情勢なども大きな要因であるわけだが、日本国内の、思想的な流れというものがスッキリと説明されている。スッキリ過ぎてむしろ怪しくなるくらいであるがその是非を問える知識はないので、とりあえず素直に受け止めておく。
     「部隊の3割が損耗したら壊滅」と言われることもある(諸説あり、データに基づく分析だともっと少ないらしい)が、「最後の一人まで戦う部隊」であれば、理屈の上では3倍の相手も倒せる。それが故の死をも恐れぬバンザイ突撃であり、死して虜囚の辱めを受けない玉砕思想である。終戦を知らぬまま、仲間たちが倒れても戦い続けた小野田少尉にも通じるかもしれない。

     負けを許さない、何が何でも勝たねばならぬ、という結論からスタートしてくるものだから、「どうにもならない負け」を認めない。「どう負けるか」を考えることも許さない。
     小畑敏四郎は精神力で不足を補いつつ、そこまで差のない相手と短期局地決戦に持ち込むことでしか勝てないと主張した。
     石原莞爾は満州を拠点にして日本を「持てる国」に変えるまでは戦争をしてはいけないと考えた。
     だが中柴末純は、いつどこで戦争を始めるかは政治の話であり、軍人が政治に首は突っ込むべきではない、「持てる国」が相手だろうが、その戦いがいつ始まろうが、勝つことを前提に考えないといけないと説いた。
     この中柴の思想を受けてインパール作戦やアッツ島の玉砕などが生まれるわけだが、実は中柴自身も生産量が足りずに戦争に勝てるわけがないことは知っていた。

     繰り返しになるが日本が太平洋戦争に突き進むまでの背景には様々な要因があり、誰か一人のせいではない。東条英機などが槍玉に上がることは多いが、東条とて日本のすべてを掌握していたわけではない。多角的に見る必要があるのだが、その「思想的な流れ」というものは、本書を読めば相当に把握できるのではなかろうか。
     度重なる不祥事に見られる現代の企業経営にも、こうした大日本帝国軍的思想というものは脈々と受け継がれているようではある。

  • なんでタイトルが「未完のファシズム」なのかと思ってたけど読んで納得した。
    日本人、まとまりない。w
    太平洋戦争については言わずもがなドラマやアニメ、漫画や小説にもなってるので
    はぁ~当時のお偉いさんはなんて全員バカだったんだ!と
    思ってたけど
    考えていたのね、それぞれだけど。
    ただ全くまとまらないというか、ヒトラーのようにナチズムが日本で出来たのかっていうと
    当時、実際は出来なかったし
    持たざる国(物資・燃料・工業等全て)が
    アメリカやヨーロッパのように持てる国に勝てるには
    どうすりゃええねんって。
    そうだ持てるように満州建国しようぜ派もいたし
    いやいやそんな甘いことより短期決戦で勝負よ!って言ってみたり。
    二・二六事件が起こってそのまま精神論だけ一人歩きかーい
    と。
    まぁなんか中柴とか「とりあえず死ぬこと恐れなかったら、敵は怯んで攻撃してこなくなるんじゃね?」って考えが
    恐ろしい。後の特攻とかに全て結びつくわけだし。
    未完のファシズムでよかったのか悪かったのか云々よりも
    戦争なんてしたらいかんよ。って思う。

  • 国の死に方もそうだったが、歴史への視点がなかなか新鮮な著者。日本史の中での第一次世界大戦をスポットにあて、第二次世界大戦への敗北へ繋がる日本陸軍に流れた考えをつぶさに見ていく。ほかの作品も気になるところ、作品というか論文。決して気軽に読めるというわけではないけど苦笑

  •  WWIからWWIIに至るまでの何人もの陸軍軍人の思想を取り上げている。が、組織論ではなくあくまで各人の思想の紹介が主なので、彼らの思想がどれだけ組織内又は日本国内で影響力を持っていたかが今一つ分からない。たとえば、本書では中柴末純の精神主義と戦陣訓を直接結び付けているが、中柴が戦陣訓の作成に関わった可能性があるとしても、主たる執筆者と一般に認められているわけではない。そもそも戦陣訓は陸軍の組織として作られたもののようでもある。ただ石原莞爾については、彼の起こした満洲事変のインパクトの大きさがあるので、彼の思想が日本全体に与えた影響を理解しやすいのだが。
     強引にまとめると以下のような内容だろうか。総力戦たるWWIで、科学力や生産力の重要性が認識される。しかし現実的には、「持たざる国」日本の国力は欧米先進国のそれには及ばない。そこで、小畑敏四郎含む皇道派は、精神主義による短期決戦の殲滅戦を唱えるが、同時にその短期決戦で勝てる相手以外との戦争は想定していなかった。一方の石原莞爾含む統制派は、統制経済や満洲の資源開発で日本を「持てる国」にしようとするが、実際に「持てる国」になるまでの間は大戦争をしてはならないとの前提だった。
     その上で筆者は、元老なき後の明治憲法体制では天皇含め誰も強権的リーダーシップをとれなかった、政府各部門の「強力な意思や明確なヴィジョンの展開・実現を阻む構造を有していた」「むしろ戦時期の日本はファシズム化に失敗したというべき」「日本ほど近代の総力戦に不向きな国はなかった」と述べている。
     小畑側であれ石原側であれ、実際の日本の行動がその思想で首尾一貫できていれば、「持たざる国」のまま、精神主義に頼って勝てない国との戦争の長期化に突入することはなかったと言えるのかもしれない。強権的リーダーシップ不在の故に、各思想の悪い部分が積み重なってコントロール不能になっていったということだろうか。

  • 「持たざる国」が「持てる国」に勝てないことは簡単な理屈。それは皇道派も統制派も皆分かっていたこと。満州事変のA級戦犯=石原莞爾ですら「持てる国」になるまで日本は戦争をしてはならないと考えていた。しかし思想的軍人は排斥され、いつしか「持たざる国」でも「持てる国」を怖気づかせることで勝ち目が出るという無茶な理屈で体制は動き出す。相手を怖気づかせるとは、死んでみせること。つまりここに「玉砕」「バンザイ突撃」の根源が存在していた。もはやイデオロギーではなく宗教。東条英機や中柴末純の二人だけが悪というわけではないが、彼らが中心となって広めた『戦闘経』『戦陣訓』のせいで、多くの日本人が犬死したかと思うと、非常にやりきれない思いである。

  • 「天皇陛下万歳!」が明治や大正以上に昭和で叫ばれなくてはいけなくなったのは一体なぜなのか?
    時代が下がれば下がるほど、近代化が進展すればするほど、神がかってしまうとは、いったいどういう理屈に基づくのか・・・

    重要なキッカケになったのは101年前に勃発した第一次世界大戦だったと、著者は言う・・・
    去年は勃発100年だったので、いろいろ書物が出てたけども、日本史の勉強ではあまり重要視されない第一次大戦・・・
    欧州が戦場であり、日本は大戦景気に沸き、経済が絶好調で、参戦国とはいえ、青島でドイツ軍と戦ったぐらいで、実質は遠くから見守る観客であった・・・
    国民の多くは大戦景気に踊るだけで、第一次世界大戦が列強各国に与えた衝撃をスルーしてしまった・・・
    第一次世界大戦こそ、戦争の規模や質が圧倒的に変わった戦争だったのに・・・
    以後の戦争は自由主義だろうが軍国主義だろうが国家主義だろうが共産主義だろうが国家総動員体制同士の戦いであり、圧倒的な物量や経済規模が勝敗を決めるものとなる・・・
    物量戦で、科学戦で、消耗戦で、補給戦であり・・・
    どんな勇猛果敢な兵隊も大砲の巨弾の下に跡形もなく吹き飛んでしまう・・・
    国家の生産力こそが即ち軍隊の戦闘力・・・
    これを学習せずにスルーしてしまった・・・

    日本軍は日露戦争後、一気に神がかった精神主義の軍隊になっていたのか?
    著者によると、そうでもなかったらしい・・・
    それこそ第一次大戦の青島戦役では神尾光臣という将軍(中将)が・・・
    日露戦争時の砲兵が支援しつつ、勇猛果敢な歩兵が突撃していくという前時代的なやり方ではなく・・・
    砲兵の火力でほぼカタをつけ、歩兵は後始末をつけにいくだけ、という欧州戦線に引けをとらない近代戦のお手本の戦いをしてみせた、と・・・
    合理的な将軍の下、物量や規模で勝つ、という現代戦を実は日本軍(の一部だけど)もしていたんですね・・・
    そして、さらに実は実は!陸軍には・・・
    肉弾の時代はもう終わった・・・
    日本陸軍の攻撃精神も過去の遺物になった・・・
    科学力と生産力の追求あるのみ、という第一次大戦の総括が存在していた!
    そ、れ、な、の、に!
    神がかった精神主義が日本軍の主潮になってしまったのか???
    それは・・・
    上記のように合理的に考えれば考えるほど・・・
    「持たざる国」である日本が、今後の大戦争で「持てる国」の列強諸国に勝ち目はないという結論しか導き出せない・・・
    一気に持てる国になるなんて無理だし・・・
    フツーに考えれば、どう考えても勝てない・・・
    でも、軍人としては、無理です、勝てませんでは自分たちの存在意義がなくなってしまう・・・
    列強と開戦しても大丈夫ですという計画を立てておかないといけない・・・
    このギャップから生じる軋みこそが、第一次大戦後から日本陸軍を悩まし続け・・・
    現実主義から精神主義へと反転させる契機になっていった、と・・・
    こここそ著者の主張・・・
    無理なもんは無理、として違う道を探って欲しかったけど・・・
    当時の軍人たちは、合理的に考え抜いた結果、現実主義を捨て、精神主義に答えを求めていった・・・
    結果を知っている身からすると、なんだかなぁ、としか言えない・・・

    で、その日本軍を主導していった・・・
    いや、正確に言うと主導しようとして、失敗していった軍人たちの思想を辿っていく・・・

    まず、皇道派で作戦の鬼と呼ばれた小畑敏四郎・・・
    後の補給なき戦闘やバンザイ突撃、玉砕の遠因である「統帥網要」と「戦闘網要」の改定を荒木貞夫や鈴木率道らと共に主導した人物・・・
    並外れた精神力、戦意をもって速戦即決で奇手奇策を用いれば物量で勝る敵でも包囲殲滅できる!
    そうすれば勝てるのだから、そしてもし万が一、速戦即決できなければ打つ手なしになるのだから、長期戦に備えるような兵站はいらない!
    「統帥網要」はこういうのが全面に出た精神主義的なものなんだけど、著者は現実的で、第一次大戦を観戦してきて実情を知る小畑には裏に別の思惑があったという・・・
    それは、あくまで持たざる国である日本には長期持久の総力戦は無理であり、そしてその統帥網要の考えで行くには、結局のところ戦場も限定され、自分たちより劣悪で粗雑な軍隊相手でないと無理である・・・
    具体的な想定では、極東のソ連軍で、満州の平原での戦闘に限る・・・
    建前としては統帥網要を示しつつも、想定している条件以外では実際無理がある・・・
    でも、陸軍を主導している自分たち皇道派がちゃんと相手を選び、条件に合致した形で戦争を行える、と小畑らは考えていた・・・
    しかーし!小畑ら皇道派は2・26事件で統制派に追い落とされ失脚・・・
    小畑らが改定した精神主義の統帥網要、戦闘網要だけはそのまま残り、後の玉砕などに繋がっていく・・・

    次に、持たざる国を持てる国にしようとした満州事変の首謀者、石原莞爾・・・
    日蓮主義の国柱会の創始者、田中智学に影響を受けた石原は、その宗教的、軍事的な観点からいずれ(40~50年後)、王道の国である日本と覇道の国であるアメリカが世界の行方を賭けた最終戦争を行うという独自の思想を持っていた・・・
    その最終戦争に備えるために・・・
    持たざる国の日本を持てる国にする・・・
    そのために満州や華北の資源を日本が確保する・・・
    その資源とソ連のような計画経済により成長し続け、経済規模でアメリカやソ連に並ぶ国となり、数十年後アメリカとの最終戦争に勝利するという途方もない構想で満州事変を起こし・・・
    満州国を建国し・・・
    皇道派の失脚後の陸軍を主導していった・・・
    しかーし!盧溝橋事件を機に、部下であった武藤章らの反発に合い、陸軍中央を追われ、転出先の関東軍で東条英機と対立し、予備役編入・・・
    陸軍を去る・・・
    石原が残したものは、満州国と日本軍内の下克上の風潮だった・・・

    そしてもう一人・・・
    生きて虜囚の辱を受けず、で有名な「戦陣訓」の作者の一人とされ、東条英機のブレーンとも言われた中柴末純・・・
    中柴は合理的とされる工兵出身で、軍内きっての第一次大戦の研究者であった・・・
    そんな合理的なはずの中柴が持たざる国が持てる国と戦うための精神主義的な思想を用意した・・・
    彼の戦争哲学では、皇国日本の行う戦争は、真善美の「まこと」の不断の実現のための行為であって、勝ち負けの予測を合理的に計算してやるかやらないかを決める、何らかの駆け引きに基づく戦争観とは無縁・・・
    「まごころ」の戦争とは、やるとなったら絶対にやる、勝ち負けに関係なくやる、勝敗よりも「まこと」に殉じるか殉じないかという倫理的・精神的な側面だけが問題となる戦争なのだ、としている・・・
    そして中柴はこう考えた・・・
    持たざる国でも持てる国の相手を怖じけづかせられれば勝ち目も出てくる・・・
    いくら物量では劣っていても、敵国の戦意を喪失させれば勝てないこともない・・・
    そのために日本人がドンドン積極的に死んでみせれば良いのだ、と・・・
    こういう中柴の思想が玉砕やバンザイ突撃への道を突き進ませて行くことになる・・・
    マジ酷い・・・
    真面目な軍人の苦衷の末のものとはいえ・・・
    酷いという言葉では足りないくらい酷い・・・
    ここまで来ると何なのそれ?と憤りを覚えてしまう・・・
    敵国に日本人狂ってる、狂ってる日本と戦うのは犠牲を増やすだけでバカバカしいから早めに戦争を手打ちにしよう、と思わせるために兵士をドンドン死なせる、って・・・
    狂気が振り切れちゃってますね・・・

    最後に、未完のファシズムについて・・・
    未完?日本って戦時中ファシズムだったでしょ?ともちろん思うわけですが・・・
    ドイツやイタリアのように完全ではなかった・・・
    東条英機の独裁だった、というのも少し違う・・・
    元々、大日本帝国(明治)憲法の制度下では、誰も強力な権力を握れないような仕組みになっていて・・・
    総理すら権限が弱く、閣僚の調整役以上の役割はなかなか果たせない制度であった・・・
    行政府は内閣の他に枢密院があり・・・
    立法府は貴族院と衆議院の二院制でどちらが上ということもなく、どちらかが否決すれば即廃案という・・・
    議院内閣制じゃないから、政党が内閣を組織する決まりもないし・・・
    軍も行政や立法や司法から独立した組織であり、内閣も議会も軍に命令できず、逆に軍も政治に介入するのも法的にはできない・・・
    そして、誰かが強引に特定の理想を無理やり押し通そうとすると、皆で全力で排除する、という日本の伝統的な国民性・・・
    元老がいた間はそれでも上手く機能していた明治憲法体制だけども、昭和に入ってすべての元老がいなくなったあとは・・・
    誰も強力なリーダーシップを発揮することが出来ない状態になる・・・
    東条も明治憲法を尊重して、国体を護持しつつ総力戦として、「大東亜戦争」を勝ち抜こうとし、苦渋の選択として首相、陸軍大臣、参謀総長などを兼務してやっていこうとした・・・
    そしたら日本のヒトラーと周りから揶揄され、一人何役もやろうとするのは日本人としてあるまじきことだ、と戦況の悪化と共に東条つぶしが起こり、東条内閣が打倒される・・・
    東条は何て言われて攻撃されたか・・・
    なんと、ファッショ!
    東条ファッショ政権打倒が合言葉になったそうな・・・
    これらから日本のファシズムは未完のものであった、と著者はいう・・・
    この視点はとても新鮮で面白かった・・・
    ファシズムと思われている戦時中ですら、そして独裁者のイメージの東条英機ですら・・・
    強引に押し通そうとするもの、強力なリーダーシップを取ろうとするものを排除する日本の組織文化に阻まれたというのは・・・
    何とも・・・
    日本から強力なリーダーが出にくいというのは・・・
    根が深いですかな・・・

    以上・・・
    超長くなっちゃった・・・
    第一次大戦の衝撃を受けて合理的に突き詰めて考えていった結果、精神主義にならざるを得なかった思想的軍人たち・・・
    そんな彼らに掻き回されて破滅へと引き摺りこまれていった日本の悲劇・・・
    一般的に言われていることとは違う視点で話が展開されていて面白く、とても参考になりました・・・、
    これはオススメ・・・

  • 総力戦が、物量の差で決することは
    有能な軍人たちは自覚していた。
    そのうえで、「持たざる国」はどのように処すべきか、
    を考えた3人の軍人の、3つの論。
    明治憲法下ではファシズムさえも運用不可能という矛盾も。

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天皇陛下万歳!大正から昭和の敗戦へ-時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人はなぜ神がかっていったのか。皇道派vs.統制派、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕…。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、近代日本のアイロニカルな運命を一気に描き出す。

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