未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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著者 : 片山杜秀
  • 新潮社 (2012年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037054

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未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)の感想・レビュー・書評

  • 戦術思想史を日露戦争から第二次世界大戦に至るまでの変遷を概観した快著。
    ・青島の火力に頼む近代戦
    ・ドイツフランスに輸出された日露戦争の勇猛果敢な突撃戦術
    ・ネタがベタになった短期決戦・包囲殲滅ドクトリン

  • 先日、「米軍が恐れた「卑怯な日本軍」」という書籍を読んで、玉砕までをも含む旧日本軍の戦術と、それに対応した米軍の戦闘マニュアルについての感想をあげたところ、本書を薦めていただいたので、読ませていただきました。
    本書は、日本軍の戦術の規範が、なぜ極端な精神主義に偏り、玉砕に突き進むようになったかを、第一次世界大戦以降の日本、そして日本軍人の描写を通じて解説しています。
    日露戦争で、肉弾による突撃を主とする戦法は、既に機関銃、重砲を備えたロシア軍の前では、既に時代遅れのものであり、きわめて大きな犠牲を払うこととなった。
    日露戦争の犠牲を踏まえ、長期間にわたった第一次世界大戦の動向を学んだ日本軍は、すでに第一次世界大戦以後の戦いが、大量破壊兵器同士の戦いになり、そしてその戦いを勝ち抜くには、大量の物資を必要とする物量作戦であることを、十分認識していた。
    だからこそ、日本軍は青島の独逸軍と戦った際に、いたずらに突撃を繰り返すのではなく、十分な砲撃を踏まえた、一気の突撃により、驚くほど短時間でドイツ軍を撃破することができたのだった。
    その、物量作戦を指揮した軍人が書き起こした「統帥綱領」や「戦闘綱領」は、その物量作戦を知ったうえで、運用すべき戦場のルールであったのにもかかわらず、第二次世界大戦に突き進む我が国では、いつのまにかルールに書かれたこと至上主義となり、モノより精神、武器の足りないところは鍛錬で補い、良く敵を殲滅するという方針だけが形成されていく。
    玉砕戦術しか指揮できない参謀本部、旧陸軍の高級将校たちは、やはり無能ではなかった。しかし、当初、このルールを策定した実戦経験を踏まえた先輩軍人たちの知恵を活かすことができず、ただ、ルール至上主義で破滅に向かって進まざるを得ない状況になっていたのかもしれない。

    作者は、あとがきをこう締めくくる。「この国のいったんの滅亡がわれわれに与える歴史の教訓とはなんでしょうか。背伸びは慎重に。イチかバチかはもうたくさんだ。身の程をわきまえよう。背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだ時の痛さや悲しさを想像しよう。そしてそういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある。そんな当り前のこともことも改めて噛み締めておこう。そういうことかと思います。」

    ただ、根拠のない安全をよりどころに、人間が制御できていない原子力発電に手を出して、万一のことには思い至らず、無視し、一時の利益のみに群がり、しゃぶり尽くす。そんな現代の日本人は、多くの犠牲を払って日本人が獲得した知恵を活かしているとはいえないのではないだろうか。
    そして、ルールルールとそれだけを拠りどころにし、そして言葉巧みに利用して自らの正当性を主張する、どこかの政治家は、その法が作られた意図を理解しているのだろうか。
    なるほど、この書籍は現代日本に読み替えても、なかなか示唆に富んだものだといえるだろう。

  • 国の死に方もそうだったが、歴史への視点がなかなか新鮮な著者。日本史の中での第一次世界大戦をスポットにあて、第二次世界大戦への敗北へ繋がる日本陸軍に流れた考えをつぶさに見ていく。ほかの作品も気になるところ、作品というか論文。決して気軽に読めるというわけではないけど苦笑

  •  WWIからWWIIに至るまでの何人もの陸軍軍人の思想を取り上げている。が、組織論ではなくあくまで各人の思想の紹介が主なので、彼らの思想がどれだけ組織内又は日本国内で影響力を持っていたかが今一つ分からない。たとえば、本書では中柴末純の精神主義と戦陣訓を直接結び付けているが、中柴が戦陣訓の作成に関わった可能性があるとしても、主たる執筆者と一般に認められているわけではない。そもそも戦陣訓は陸軍の組織として作られたもののようでもある。ただ石原莞爾については、彼の起こした満洲事変のインパクトの大きさがあるので、彼の思想が日本全体に与えた影響を理解しやすいのだが。
     強引にまとめると以下のような内容だろうか。総力戦たるWWIで、科学力や生産力の重要性が認識される。しかし現実的には、「持たざる国」日本の国力は欧米先進国のそれには及ばない。そこで、小畑敏四郎含む皇道派は、精神主義による短期決戦の殲滅戦を唱えるが、同時にその短期決戦で勝てる相手以外との戦争は想定していなかった。一方の石原莞爾含む統制派は、統制経済や満洲の資源開発で日本を「持てる国」にしようとするが、実際に「持てる国」になるまでの間は大戦争をしてはならないとの前提だった。
     その上で筆者は、元老なき後の明治憲法体制では天皇含め誰も強権的リーダーシップをとれなかった、政府各部門の「強力な意思や明確なヴィジョンの展開・実現を阻む構造を有していた」「むしろ戦時期の日本はファシズム化に失敗したというべき」「日本ほど近代の総力戦に不向きな国はなかった」と述べている。
     小畑側であれ石原側であれ、実際の日本の行動がその思想で首尾一貫できていれば、「持たざる国」のまま、精神主義に頼って勝てない国との戦争の長期化に突入することはなかったと言えるのかもしれない。強権的リーダーシップ不在の故に、各思想の悪い部分が積み重なってコントロール不能になっていったということだろうか。

  • 「持たざる国」が「持てる国」に勝てないことは簡単な理屈。それは皇道派も統制派も皆分かっていたこと。満州事変のA級戦犯=石原莞爾ですら「持てる国」になるまで日本は戦争をしてはならないと考えていた。しかし思想的軍人は排斥され、いつしか「持たざる国」でも「持てる国」を怖気づかせることで勝ち目が出るという無茶な理屈で体制は動き出す。相手を怖気づかせるとは、死んでみせること。つまりここに「玉砕」「バンザイ突撃」の根源が存在していた。もはやイデオロギーではなく宗教。東条英機や中柴末純の二人だけが悪というわけではないが、彼らが中心となって広めた『戦闘経』『戦陣訓』のせいで、多くの日本人が犬死したかと思うと、非常にやりきれない思いである。

  • 「天皇陛下万歳!」が明治や大正以上に昭和で叫ばれなくてはいけなくなったのは一体なぜなのか?
    時代が下がれば下がるほど、近代化が進展すればするほど、神がかってしまうとは、いったいどういう理屈に基づくのか・・・

    重要なキッカケになったのは101年前に勃発した第一次世界大戦だったと、著者は言う・・・
    去年は勃発100年だったので、いろいろ書物が出てたけども、日本史の勉強ではあまり重要視されない第一次大戦・・・
    欧州が戦場であり、日本は大戦景気に沸き、経済が絶好調で、参戦国とはいえ、青島でドイツ軍と戦ったぐらいで、実質は遠くから見守る観客であった・・・
    国民の多くは大戦景気に踊るだけで、第一次世界大戦が列強各国に与えた衝撃をスルーしてしまった・・・
    第一次世界大戦こそ、戦争の規模や質が圧倒的に変わった戦争だったのに・・・
    以後の戦争は自由主義だろうが軍国主義だろうが国家主義だろうが共産主義だろうが国家総動員体制同士の戦いであり、圧倒的な物量や経済規模が勝敗を決めるものとなる・・・
    物量戦で、科学戦で、消耗戦で、補給戦であり・・・
    どんな勇猛果敢な兵隊も大砲の巨弾の下に跡形もなく吹き飛んでしまう・・・
    国家の生産力こそが即ち軍隊の戦闘力・・・
    これを学習せずにスルーしてしまった・・・

    日本軍は日露戦争後、一気に神がかった精神主義の軍隊になっていたのか?
    著者によると、そうでもなかったらしい・・・
    それこそ第一次大戦の青島戦役では神尾光臣という将軍(中将)が・・・
    日露戦争時の砲兵が支援しつつ、勇猛果敢な歩兵が突撃していくという前時代的なやり方ではなく・・・
    砲兵の火力でほぼカタをつけ、歩兵は後始末をつけにいくだけ、という欧州戦線に引けをとらない近代戦のお手本の戦いをしてみせた、と・・・
    合理的な将軍の下、物量や規模で勝つ、という現代戦を実は日本軍(の一部だけど)もしていたんですね・・・
    そして、さらに実は実は!陸軍には・・・
    肉弾の時代はもう終わった・・・
    日本陸軍の攻撃精神も過去の遺物になった・・・
    科学力と生産力の追求あるのみ、という第一次大戦の総括が存在していた!
    そ、れ、な、の、に!
    神がかった精神主義が日本軍の主潮になってしまったのか???
    それは・・・
    上記のように合理的に考えれば考えるほど・・・
    「持たざる国」である日本が、今後の大戦争で「持てる国」の列強諸国に勝ち目はないという結論しか導き出せない・・・
    一気に持てる国になるなんて無理だし・・・
    フツーに考えれば、どう考えても勝てない・・・
    でも、軍人としては、無理です、勝てませんでは自分たちの存在意義がなくなってしまう・・・
    列強と開戦しても大丈夫ですという計画を立てておかないといけない・・・
    このギャップから生じる軋みこそが、第一次大戦後から日本陸軍を悩まし続け・・・
    現実主義から精神主義へと反転させる契機になっていった、と・・・
    こここそ著者の主張・・・
    無理なもんは無理、として違う道を探って欲しかったけど・・・
    当時の軍人たちは、合理的に考え抜いた結果、現実主義を捨て、精神主義に答えを求めていった・・・
    結果を知っている身からすると、なんだかなぁ、としか言えない・・・

    で、その日本軍を主導していった・・・
    いや、正確に言うと主導しようとして、失敗していった軍人たちの思想を辿っていく・・・

    まず、皇道派で作戦の鬼と呼ばれた小畑敏四郎・・・
    後の補給なき戦闘やバンザイ突撃、玉砕の遠因である「統帥網要」と「戦闘網要」の改定を荒木貞夫や鈴木率道らと共に主導した人物・・・
    並外れた精神力、戦意をもって速戦即決で奇手奇策を用いれば物量で勝る敵でも包囲殲滅できる!
    そうすれば勝てるのだから、そし... 続きを読む

  • 総力戦が、物量の差で決することは
    有能な軍人たちは自覚していた。
    そのうえで、「持たざる国」はどのように処すべきか、
    を考えた3人の軍人の、3つの論。
    明治憲法下ではファシズムさえも運用不可能という矛盾も。

  • ファシズムと題していながら、なぜ陸軍が第一次大戦の戦果から学ばずに玉砕戦術に陥ったかのみを掘り下げた本。
    この部分だけなら精密な分析ですが、内容そのものが未完です。

  •  20世紀前半という時代においては、日露戦争と第2次世界大戦とが日本史の2大エポックだと見なされている。けれども、歴史上は軽視されている第1次世界大戦に注目することで、日本の歴史の見え方が変わってくるのではないかと著者は言う。なぜなら第1次世界大戦後、戦争は「(資源を)持てる国」でなければ勝利できないように、その質が変容していったからだ。
     一方で、日本が「持たざる国」であることは明らかだ。にもかかわらず、日本がなぜ第2次世界大戦へと突き進んで行ったのかを、著者は本書で解き明かしていく。そして戦後の昭和天皇を筆頭に、責任の所在を明確にせず、誰も責任を取らない日本の体制がどのように出来上がってきたのか、その起源を明治憲法にまで遡って究明していく。
     多大な資料と文献の中に、日本の病巣を丹念にたどる労作。

  • 第一次大戦の教訓を正しく学び、持たざる国が持てる国に勝つ方策がないことを痛感したからこそ、一億玉砕に向かったという。おそらく正しい歴史認識だと感じる。
    戦後70年を間近に控えた今、我々の世界情勢への認識は何か変わったのだろうか?持たざる国であることは変わりない。中国と紛争が起きたら、果たしてどうなるのか?便衣兵ならぬ国籍不明漁船が多数尖閣諸島に迫ってきたら?
    日本のまずいところは、空気を読み過ぎて意見の多様性を認められないところではないかと思う。

  • [玉砕、その合理的結論]日露戦争の勝利から転がり落ちるようにして第二次世界大戦に臨み、終いには「バンザイ突撃」に象徴される精神主義の称揚とその崩壊で滅亡の淵に立たされるまでに至った日本。著者はその精神主義が一定程度は合理的に導きだされたものだったとして、第一次世界大戦時の重要性を指摘します。果たして、「持たざる国」日本はなぜ狂気とも言える精神主義に足を踏み入れなければならなかったのか…...著者は、本書で司馬遼太郎賞を受賞した片山杜秀。

    現時点で2013年の私的Top.3に食い込んでくる作品。総力戦を意識した第一次世界大戦での合理的な日本陸軍の思想に、「持たざる国・日本」というこれまた合理的な前提条件を突き付け、そこに次期戦争における日本敗北が必定であることを軍人の口から述べることの「不可能性」のという橋を組み合わせれば、いとも理論的に「玉砕」という精神主義の極みまで到達できるという説明には本当に衝撃を受けました。久々にレビューでこの表現を用いますが、これを読まずして何を読めというのでしょう、というぐらい素晴らしい一冊でした。


    それにしても「持たざる国」が「総力戦」に臨むという事実にぶち当たったときの日本陸軍の中枢の煩悶はすさまじかったのではないでしょうか。当時の陸軍中枢が現実を見すぎたが故に精神主義にたどり着いたという著者の指摘はもっともだと思いますし、その危険性は今日にも通じるものがあると思います。パーツごとに見ていけば完全に合理的でありながら、全体として俯瞰した瞬間にその非合理性がガバッと口を開けている様を本書ではまざまざと見せつけられました。


    〜歴史の趨勢が物量戦であることは明々白々。しかし日本の生産力が仮想敵国の諸列強になかなか追いつきそうにない。このギャップから生じる軋みこそ、第一次世界大戦終結直後から日本陸軍を繰り返し悩ませてきたアポリアであり、現実主義をいつのまにか精神主義に反転させてしまう契機ともなったのです。〜

    本当に天晴れとしか評しようのない本でした☆5つ

  • 「持たざる国」であることに自覚的であった陸軍の上層部が作り上げた建前(乏しい物量により苦しい戦いを強いられるが、それは強い精神で凌駕できる)で戦争を遂行したのだから、かれらの罪は重い。現代社会でも「それを言っちゃお終いよ」というような場面が多々あり、みんな分かっていても口には出さず、ずるずると流されて行き、気づいたときには手遅れ状態になっているのでは。

  • 読了。
    日露戦争の後、今後の戦争では国力と物量が勝敗を決めるという合理的認識に達した日本軍、それがなぜ太平洋戦争に象徴される精神主義の塊へと変容していったかを解き明かしてくれます。

    豊富な資料、該博な知識、明晰な論理、そして卓抜した着眼点と、読み手を引きずり込むに十二分な力を有しています。合理的認識が非合理的認識へと変じていった過程の論証はきわめてスリリングであり、読書体験の醍醐味を味わえること請け合いです。特に「顕教」たる精神主義の裏に、「密教」たる悲観的/現実的認識が潜んでいたという指摘は必読かと。

    示唆に富む一冊ですが、明晰かつ独創的であるがゆえに、本書を盲信してしまう危険性には留意すべきでしょう。通史およびその標準的な解釈を把握し、さらに自分なりに消化した上、本書の論理に取り組むべきでしょう。「そうか、そういうことだったんだ!」と独り合点し、熱狂してしまうことだけは避けるべきではないかと思います(これは著者の本全てに言えることですが)。

    いずれにせよ、読んでいて興奮すること間違いなし。お勧めです。

  • 私は気が趣くと靖国神社に行って英霊に感謝の気持ちを静かに伝えているが、そんなあなたにこそ読んで欲しい。過去の日本国に麗しい幻想を描かないように、脳のバランスを保つために。

  • アジア・太平洋戦争における日本の悲惨なまでの敗北は、第一次世界大戦、いわゆる総力戦に学ばなかったことが原因のひとつという認識であったが、本書では少なくとも第一次世界大戦から来るべき次の戦争が総力戦になることは学んでいた。(→青島要塞攻略戦など)しかし、資源や工業力を持たない日本が、持つ国と戦うには、資源や工業力が無くとも戦える(補給線や多量の鉄量を考えない)速戦速決の殲滅戦とそれを補う無限の精神力が重視された。ところが、そこには顕教(建前)と密教(本音)の二面性が存在した。密教ではいくつかの条件が満たされねばならず、その条件が満たされなかったためにあの敗北が訪れたとしている。

    小畑敏四朗ら皇道派は、劣勢な軍隊にたいしては、精神論と速戦速決の殲滅線思考(補給線や多量の鉄量を考えない)で臨み、優劣な軍隊とは戦いを避けることを条件とした。石原莞爾(統制派)は日本が満蒙経済圏を開拓し、資源と工業力を持ってからソ連、アメリカと戦うことを条件とした。東条英機(とそのブレーン)は、何が無くとも天皇の臣民たるその精神力を大いに発揚すれば、どんな相手であろうと勝つことができるとした。

    HONZ書評参照

  • 陸軍軍人の認識がかくも醒めたものであったとすれば、何故戦争に突入したのか、という疑問は、変わらずついて回る。

  • 日本が直接的には関与しなかった第1次世界大戦を、いかに的確に捉えるかが、第2次世界大戦に参戦する日本にとって重要な条件だった、という視点が著者独自のもの(?)なのかな?
    ちょうど、青空文庫で石原莞爾の『最終戦争論』を読んだ直後だったので、ファシズムに向かう日本での過激なテロリストたちと、その背景の一部にある日蓮主義の関係が知りたくて図書館で借りて読んだ。

    新進気鋭の政治学者(?)らしいけど、当時の文学から政治的なものを描き出そうとする手法など、多岐にわたる視点は良いんだけど、専門分野以外の部分では、明らかに間違ってる点があるし、止めといたほうが良いよ。

  • 日清・日露戦争を経た日本にとって、第一次世界大戦の衝撃波が、どのような影響を及ぼし、その後の歴史にどう関わってきたかを、膨大な資料を基に丁寧に解説した研究書。

    第一次世界大戦により空白化したアジアマーケットに日本が積極的に進出したことによる空前絶後の好景気が起こる。

    1913年当時の日本の経済は、アメリカの36分の1、ドイツの16分の1、イギリスの14分の1程度。
    ところが1915年から1919年まで、貿易による収入超過は累計で27億4千万円にのぼった。
    日露戦争の戦費が20億円というから、7億4千万円のおつりがきた時代であった。

    好景気に沸く日本に対し、警鐘を鳴らしたのが、徳富蘇峰。
    欧州が多くの犠牲という高い代償を払っている時期に日本が浮かれているのことは、学習の差が国難を招き、日本を滅ぼしてしまうという主張である。

    好景気の絶頂にあるときに、不景気に対する策を講じろと声高に叫んだところで、誰も聞く耳を持たないように、この時期の蘇峰の批判を真剣に受け止める人間は少なかったようだ。

    蘇峰の言う学習とは、
    「第一次世界大戦が国家主義や戦争の退場を宣告したのではなく、国家主義や戦争が今までとはちがった衣装をまとい直さなければならなくなったと教えてくれたのが今次大戦であった」ということ。

    蘇峰の分析では、アメリカもイギリスもドイツも同じ国家主義であるが、アメリカ・イギリスとドイツでは、国民の動員のさせ方が違ったとしています。
    国民個々の自主性を尊重し、個人主義をうまく活用して国民を動員した英米のほうが、頭ごなしに力づくで国民を動員したドイツに勝っていた。
    国家の全力が最大効率で絞れる体制作りをしなくてはならないというのが、蘇峰の主張であった。
    蘇峰はデモクラシーを擁護していたのだが、それは民間の活力を汲み上げる回路を国家社会に築くためには、デモクラシーが必要であるという考えに立った上でのことなのだ。

    この、好景気に沸く日本に警鐘を鳴らした蘇峰と同じように危機感を募らせていたのが、永田鉄山であり、小畑敏四郎であった。

    彼らは「資源の持たざる国」日本を現実として捉えながら、独自の国家戦略を実現していこうとした。
    後に一夕会をつくる中心人物になる二人は、第一次世界大戦時、観戦武官として欧州に赴任している。
    若い二人の美青年は仲がよすぎたようで、永田が病気で倒れたときは小畑が寝ずの看病をするほどだったらしい。

    昭和に入り、小畑の北進に対して南進を主張する永田は激しくぶつかり、両者は決別する。
    小畑の北進は、ソ連に対して積極的に兵を動かすというように書かれた本が多いが、本書ではその考えをとらない。
    むしろ小畑は米英ソに対して、徹底的に避戦すべしとの考えであったという。
    ソ連に対しては短期決戦のみによって、その戦意を挫き、国境を守ることに専念するというもの。

    対する永田は、資源のない日本が長期の戦争を継続するためには資源獲得こそが重要であると考えた。
    支那の中部あたりまでを占領し、米英ソ(あくまで仮想敵国)との戦争に備えるというのがその主張であった。
    永田は理論的に物事を考える軍人であったようで、日本の資源を計算し、そこから戦争継続可能年数を割り出し、長期の戦争に備えた資源獲得においては、支那の中部までの領土拡大が必要であると結論づけたようだ。

    また、石原莞爾も支那全域を占領した後、30年かけて米英に対抗できるだけの国力をつけ、きたるべき戦争に備えるとした国家戦略を持っていたようだ。
    石原の30年かけた国力増進計画は、思いつきではなく、経済成長率にうらづけられたものであったらしい。
    1930年代、日本の経済成長率は平均で5%近く。対するアメリカはなんと0.2%で... 続きを読む

  • とても平易な語り口で、中高生でも読めそうだが、間違いなく大人向けの本。目からうろこが落ちると思う。戦前の軍人は単細胞でまっしぐらに無謀な戦争に猛進したのかと思ったら、結構複眼的で裏でしっかり算盤を弾いてたのがわかって面白い。「持たざる国」であるという冷静な自覚が、狂気の「玉砕」思想へと至る道はそれほど大きな飛躍を必要としていないんだな。それと、結局この国で優れたリーダーが現われて国を導くなんてことはありえないんだということと、国難を前にしてもなかなか一つにまとまらない国民であることが身にしみてわかった。

    原発存続派は、「持たざる国」であるという自覚を持っている、現代の「皇道派」。原発反対派は、「持てる国」に変えられると信じる、現代の「統制派」。

  • 第一次世界大戦を基点として、日本の軍人が歩んだ戦争哲学を読み解き、皇道派vs.統制派の争い、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕まで、日本人の神がかりともいえる変化を浮き彫りにしている。軍人の心理変化が分析されていて興味深い1冊でした。

  • 日本という工業力が弱く、資源に乏しい”持たざる国”がなぜ、太平洋戦争を行わねばならなくなったのか。この問いに対し、戦時の陸軍軍人、石原完爾、小畑敏四郎、中柴末純、酒井鎬次などを取り上げ、その思想的背景、明治憲法下の政治体制について論が進んでいく。顕教と密教という対比を使い、彼らが表向きに語ることと、その本音について挙げていく展開は、非常に興味深い。戦争責任という言葉があるが、その言葉で片付けてしまうようでは、敗戦に至る経緯の本質はとらえられないのだろうと感じた。独特の視点ではあるが、読む価値は十分にある。

  • 第1次世界大戦を横目に見ながら、その後、如何に第2次世界大戦に向けて「もたざる国」が如何に坂の上の雲を目指すような精神構造を培うに至ったか…といったいわば集団心理の過程をうまく考察している。法華経やまごころといった当時の宗教や心情をうまくくみ取って(操って?)、玉砕を正当化するような精神につながっていくプロセスは、最近出されている日本の失敗論の精神構造などとも結びつくものがあり、国として固有の面がはやりあるのだろう。今ある平和も少し間違えば踏み外すような危うさを感じる。ナイの著書でいえば、当時から冷戦に至ってはハードパワーを国際間で競い、日本も如何に背伸びをしながら国内外にハードパワーを強く錯覚させるかを国のリーダー(一部は危機感を抱きつつも)は思案してきた。持たざる国の精神構造はなかなか変わらず、ソフトパワーにおいても錯覚したままで益々後れをとっているのではないだろうか。

  • 昭和の軍人を取り巻いた戦争哲学について。なぜあれほどふごうりなモノに支配されたのか?

    合理的であったが故に、現状を糊塗するしかなく、その由来から本義が伝わらなかったが故にあんな形で広まってしまった…のか。合理的でなければならないはずの軍人、しかもその上層が、だからこそはまった袋小路。説得力はある。あとは、なぜ思想面から止められなかったかを描いて欲しいなー。

  • 第一次世界大戦に衝撃を受け、総力戦を徹底的に知り尽くした陸軍軍人たちが資源のない「持たざる国」=日本が「持てる国」と戦争するにはどうすればいいか。精神力で補うしかない。この認識から生まれた軍人たちの戦争哲学を解き明かした内容。




    第一次世界大戦で戦争の形態が変わった。
    戦場で兵士が闘うだけでは勝てない。経済・社会・政治を巻き込んだ総力戦というものでになった。総力戦ではなにより、物量が勝敗を決める。そこでは火力が重要であり、最新の武器が必要であり、物を補給する力が勝敗を決める。国家総力戦となった。そこでは資源を持つ「持てる国」が勝つ。

    皇道派である小畑敏三郎や荒木貞夫は、日露のような肉弾戦のような戦い方では、これから戦争には勝てない。日本は資源がない。持たざる国だ。この徹底した認識。第一次世界大戦を観察し、洞察し、知り尽くした軍人たちは、そう認識した。


    だから、「持たざる国」が「持てる国」と闘うにはどうすればいいか。
    そこで皇道派の小畑は考えた。戦争は短期で、包囲殲滅作戦で、さっさと終わらせること。武器・弾薬、など足らない物量や戦力は精神力で補うこと。短期決戦- 包囲殲滅-精神力。これでなんとか闘う。決して強い持てる国と闘ってはいけない。



    これを明記したのが「統帥綱領」であり、「戦闘綱領」だ。しかし2・26事件で小畑・荒木皇道派が粛清人事で軍から追放されると、統帥綱領に記された本当の意味を理解するものが軍からいなくなり、文字に記された精神性だけが一人歩きし、暴走し始める。



    一方の統制派も皇道派と同じ認識を共有していた。代表格の石原莞爾。彼はこう考えた。「持たざる国」が持てる国と戦争をするにはどうすればいいか。外に資源を求め日本を「持てる国」しよう。そう考えた彼が進めたのが満州事変。ここから満州国建国という歴史の流れが生まれる。



    最も戦慄するのが工兵の中柴末純。彼の神がかった玉粋思想。持たざる国が戦争するには、兵士が喜んで、死んでいくこと。これが作戦である。
    玉粋こそ作戦である。兵士が喜んで死んでいく。敵は気味が悪いと思う。相手を怖じ気づかせられれば勝ち目も出てくる。そのために、日本人がどんどん積極的に死んでみせればいい、と考えた。これで「持てる国」も怖じけづく。持たざる国・日本にも勝ち目が出る。狂人だったわけではない。彼は工兵だ。軍のなかでも合理的思考ができないと勤まらない。中柴は合理的に考えて、戦争思想を突き詰めていった。



    今までイマイチ分からなかったことが腹に落ちた。陸軍の皇道派を自分は勘違いしていたかもしれない。ただの精神主義に凝り固まった頭の悪い軍人だと。昭和の陸軍軍人がなぜタンネンベルクの戦いに魅了され、短期戦・殲滅作戦に固執したか。石原莞爾が満州にこだわった動機。
    第一次世界大戦という日本近代史の空白地帯から、陸軍軍人たちの戦争思想を解き明かす。その鮮やかな手腕と斬新な視点は見事でした。
    お薦め。

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天皇陛下万歳!大正から昭和の敗戦へ-時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人はなぜ神がかっていったのか。皇道派vs.統制派、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕…。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、近代日本のアイロニカルな運命を一気に描き出す。

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