読むとだれかに語りたくなる わたしの乱読手帖

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著者 : 大竹昭子
  • 中央公論新社 (2011年10月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120042935

読むとだれかに語りたくなる わたしの乱読手帖の感想・レビュー・書評

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  • シンプルなイラストと、角背が端正な装丁。それに、タイトルが素敵。素晴らしい本に出会うと、ほんとにこう思っちゃうんだよね…という、大竹さんの書評エッセイ集。

    取り上げられている本は、海外文学にノンフィクション、言葉と、私が好きで読むジャンルが多いので、目次を読んでもアウェー感もなく、「あっ、これ読んでらっしゃるんだ!」となぜか嬉しくなる(笑)。とりわけ海外文学のラインナップは、クレスト・ブックスやエクス・リブリス、池澤夏樹選・世界文学全集など、ここ数年で話題になった、比較的手に取りやすいレーベルのものが多いと思いました。

    「あらがえない時間」「過ぎ去った時間に眼をこらす」という、章立てのネーミングが穏やかで魅力的。本を紹介する筆致は、どちらかといえばオーソドックスで淡々としており、「これを読め!」という熱さは感じないので、一見、物足りない印象は免れないかも。とはいうものの、感性の鈍いドライさではなくて、作品の運びそのものを、控えめながらも、ツボを外さず的確に記されているので、わりあい詳しく本の内容に触れられていても、「そこを書かなくても!」という反感を呼ぶ流れにはならないような。

    それは、自分の知らない世界に本を通じて向き合うときに、好き嫌いとは離れて(最終的に好き嫌いはあると思うけど)、ニュートラルでいようと努めておられるからかもしれません。そのせいか、むしろ、「ああ、そういう流れなのね、やっぱり読んで確かめてみよう」と、出版当時泣く泣く見送った(笑)作品のかずかずに、再び向かわせてくれるような空気を強く感じました。このあたりが、私が大竹さんの書評を好きな理由なんだろう、たぶん。

    個人的に印象に残ったのは、いくつか取り上げられている、写真集の書評。私は写真集を買い求めて読む(見る、のほうがいいのかな)ことがほとんどないので、写真に造詣の深いかたの視点というのは、正直な話、ちょっとわかりにくいところもある。でも、メインの被写体や、それと一緒に写りこんだ風景やものをたどれば、そこには文字で表すのと同じ世界が広がる。世の中を切り取る道具がカメラか言葉かという違いというだけで、写真家と小説家が見ているものは根本的に同じなのかもしれない…ということが、押し出しは強くないけど、繊細な言葉とともに伝わってきました。これからは写真集も「読んで」みようかな。

    熱い書評も楽しいけど、こういう穏やかで聡明な書評も素敵だと思うので、この☆の数。本屋さんによっては、「ボーナストラック」がもらえますので、そちらも!

  • 副題に「わたしの乱読帖」とあるように、著者が読み込んできたさまざまな書籍のレビュー集である。ほとんどは、紀伊国屋書店のブックウェブ内の「書評空間」に掲載されたもので、単行本化にあたり加筆・改稿が加えられたと「あとがき」にある。

    3冊から4冊ごとにインデックスがつけられ、12の章にまとめられたこのレビュー集で取り上げられた本は47冊。

    著者らしく、取り上げられている本は、新刊・旧刊、洋の東西を問わず、さらに小説からノンフィクション、そして写真集までをカバーするという広範囲ぶり。しかしながら、「乱読」と銘打ってはあるものの、どの本も大竹さんのアンテナで選ばれた魅力的な内容の本ばかりだ。

    写真家でもある大竹さんは、選ぶ本の中にも写真性を見出す。書かれてある文章の中に、定着されている時の流れを発見し、ふだんの目では見えないものを見つけ出していくセンスはさすがと言えよう。

  • 写真集の書評が良かったです。紹介されている写真集を見て行きたいです。
    ニューカラーという分野を初めて知り、ネットで調べると、確かにこんな感じの写真を見たことある、と思いました。

  • この人の名前の字面は、私のアタマの中で「料理研究家」となぜかごっちゃになるのだった(それは「村上昭子」や)。料理の人の名前みたいやと思いながら、たしか管啓次郎の本をたどっていくなかで、この大竹昭子という名をみて、図書館にあった新しい本を借りてきてみた。

    紀伊國屋書店のブックウェブ内にある「書評空間」で書かれたものを、本にするにあたって大幅に加筆改稿した、という文章が編まれている。この「書評空間」で著者の写真を見て、やっと私のアタマは「料理研究家」とのつながりを、リセットできた。

    このコラムは「好きなときに、好きな本を、好きな長さで書ける」そうで、その好きに書けるよさが、たしかにあるなあと思いながら読む。

    そして「読むとだれかに語りたくなる」というタイトルがまたいい。読むとだれかに語りたくなる本のことを、それぞれに書いたものをまとめたこの本もまた、"読むとだれかに語りたくなる"のだ。

    著者のことばも、著者が本から引くことばも、書きとめておきたくなるものがあって、そしてその本を読んでみたいと思わせるのだった。たとえば、

    ▼散歩の楽しさは歩いている最中にあり、その時間のなかに喜びが詰まっている。…私たちは、すぎに結論は何かと問うてしまうが、散歩の目的地を訊かないのと同じで、結論から解放されたときはじめて思考の楽しみを存分に味わえるのではないだろうか。(p.266…『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』)

    ▼実物より写真で見る方がずっと懐かしく、かけがえのないものに感じるという矛盾は、写真が私たちを現実から切断する作用を持っていることにも関わっている。…死んだものが見るものの意識のなかでよみがえるこの奇妙なトリックのせいで、写真に撮られたものはすべて「懐かしさ」を伴っているのだ。(p.180…『Showa Style 再編・建築写真文庫〈商業施設〉』

    ▼「9・11」と聞くと私たちはアメリカの同時多発テロを思い浮かべるが、ラテンアメリカではそのずっと以前から「9・11」は特別な日だった。一九七〇年、チリで世界初の選挙による社会主義政権が樹立するが、三年後に軍事クーデターで覆される。それが九月十一日だったのだ。(p.110…『精霊たちの家』)

    ▼「旅」という日本語はかつては「オン・ザ・ロード(路上)」の語感に近かったのではないだろうか。よそから来た人は目的がなんであれ、すべて「旅人」だった。沖縄の古老は出稼ぎに出ていたことを「旅に出てました」と言うことがあるが、そういう表現に接するたびに旅や旅行の意味が「観光」に傾いてきたのは最近のことだと思い至るのである。(p.31…『オン・ザ・ロード』)

    あるいは、本から引かれたことば。

    《驚くべきことをまのあたりにした人は、その事件を言葉に編み上げ、人に語るべきだと思う。目が覚めるような話を耳にした人は、その話を中継し、さらに語り直すべきだ。その連鎖にはもちろん数々の嘘や誤解がつけいることだろう。しかし少なくとも連鎖を続けてゆくこと、とぎれさせないこと、最終ヴァージョンの存在を許さないことが、人々の興味を対象につなぎとめ、つねに新たな見方や思いがけない知識を呼びこむことになる。》…『斜線の旅』

    《今となっては、物質的なもので執着するものはほかに何もない。守るべきものは、自分の魂と記憶なのだ。》…『エレーヌ・ベールの日記』

    《言いたいことなんてないんだけれど口は動かしたい。》…『漸進快楽写真家』

    写真の話があちこちに書いてあって(写真家の本や写真集がいくつかとりあげられてもいて)、それがおもしろかった。写真と時間のこと、写真と被写体のこと、写真と風景のこと、写真と視覚のことなど、私はなんでカメラをもってて、写真を撮ったり撮らなかったりするんやろと考えた。写真と映像の違いはどのへんやろとも。

    そして、タイトルと装幀を見て敬遠するのはあまりに惜しい、とまで書いてある『グローバリズム出づる処の殺人者より』は、たしかにとても自分で手にとりそうにないタイトルだが(著者もはじめはそうだったというが)読んでみたいと思った。

    (1/24了)

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読むとだれかに語りたくなる わたしの乱読手帖の作品紹介

思いがけない出会いの一冊、忘れえぬ記憶と結びつく一冊、いつも読みながら考え、書きながら生きてきた-。文筆家、写真家、小説家として活躍する大竹昭子の、初めての書評エッセイ集。

読むとだれかに語りたくなる わたしの乱読手帖はこんな本です

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